脱出から一年
夫が暴れて身の危険を感じ、咄嗟に家を出た時には、まさかそのまま戻らないとは夢にも思わなかった。ほとぼりが冷めた頃に帰り、そのまま元の生活に戻るんだろうな。
そんな想像をしていた。
でも、そうならなかった。
家を出るまでは気づかなかったのだが、私も子どもも限界を迎えていたようだ。
それでも自分を騙し騙し何とか暮らしていた。
あの日のことは今でも忘れない。
辛く苦しい日々にピリオドを打った日であり、新たな闘いの始まりの日でもあった。
子どもの手を取り逃げた時、恐怖に震えながらも何だかワクワクした。
久々に自由をいうものを肌で実感したのだ。
たとえそれが一時のものだとしても、心の底から喜びが沸き上がってきた。
それくらい抑圧された生活だったと言うことを、今でも夫は無自覚なままだ。
いや、多少の自覚はあるのかもしれないが、悪いのは100%私だと結論づけられていると思う。
家を出てから1年もすると、夫の状況は比較的安定した。
義両親は義実家に戻り、お義父さんは仕事をした。
夫は家族で住んでいた家に一人で暮らし、テレワークの仕事を続けた。
そこには夫の友人たちが頻繁に出入りしていたので、何だかもう我が家ではないみたいで・・・。
だけど、相変わらず家賃は払っていて、夫からはほんの少しの援助を受けていた。
援助という言い方もおかしいとは思うのだが、仕方がない。
それが夫の精一杯の譲歩だったのだから。
そんな感じで、内心は離婚話が進まなくてモヤモヤはしていたけれど表面上は穏やかに過ごしていた。
そんなある日、新たな問題が持ち上がった。
夫の勤めていた会社の経営状況が悪化
今度こそ続くかもしれない。
夫の様子を見てそう感じていたので、『潰れるかもしれない』と聞かされた時には本当にショックだった。
あの人が上手くいく会社なんてそうそうない。
何せ我が強くて周りを認めることができない人だから。
よほど周りが気遣ってくれる環境でなければ衝突を避けることができない。
幸いにも長いブランクを経て2度目に再就職をした会社は皆が穏やかだった。
腰の低い人ばかりなので言い合いになることもない。
実に快適そうで、私もホッとしていたのに。
入社してまだ間もないタイミングで経営が傾き、お給料の心配をする羽目になった。
規模も大きくないから、潰れる時はあっという間だろう。
そうなったら、またあの生活に戻るのか・・・。
それは、ほんの少しの援助も無くなることを意味していた。
一瞬で色んな問題が頭に浮かんできて暗い気持ちになった私は、とにかく状況を整理したくて久々に夫とコンタクトを取り続けた。
実はその付近でお義兄さんが債務整理をしていて、義両親はお義兄さんを支えなければならなかった。
お義兄さんには奥さんへの慰謝料問題もあり、それも未払い状態。
支払能力が無いからどう考えても無理なんだけど、それに腹を立てた元奥さんから何度も苦情が来ていた。
義実家の面々は相当悩んだみたい。
そこに夫の会社が危ないという話が持ち上がり、一気に雲行きが怪しくなった。
関係者全員が私に支えて欲しいと考えているのは明らかだった。
