夫+義両親と私の攻防
夫の再々就職先の問題が持ち上がった後、明確な構図が出来上がった。夫+義両親 VS 私だ。
元々そういう感じではあったのだが、ここまでハッキリとはしていなかった。
孤立無援な私に対し、家族総出で攻勢をかけてくる夫。
こうなればもう力関係は明白だ。
どこからどう見ても夫達の方が強い。
でも私も負けてはいられないから必死で抵抗した。
この戦いに負けることは子どもを奪われることを意味する。
それだけは絶対に避けたかったので、常に頭をフル回転させた。
差し迫った危機を前にふと思ったのが、『お金の問題はまだ可愛いものだったなー』ということ。
家賃の一部を出して欲しいとか光熱費は負担するべきだとか。
そんなことはどうでも良くなる位の大きな危機だった。
正直言って生きた心地がしなかった。
私も必死だが、あちらも必死だから。
そう簡単には決着がつかないだろうことは分かっていた。
敵対していると、どんどん相手への印象が悪くなっていくようだ。
段々と義両親も棘のある言い方をするようになり、特にお義父さんからは、
「あんたが頑固だから丸く収まるものも収まらないんだ」
と不満をぶつけられた。
それまでは『名前+さん』呼びだったのが急に『あんた』呼びに・・・。
こういう所からもどう思われているのかを感じ取ってしまい、地味に堪えた。
彼らの対応で困っていたこと
夫や義両親の動きはハッキリ言って読めない。
そう来るのか!と驚かされることもしばしばだった。
そんな中で困ったのは、子どもの都合も聞かずに勝手に日時を指定してきて
「プレゼントを渡したい」
と言うことだった。
あれほど『絶対に止めて』と行ったのに、小学校前での待ち伏せも何度かあった。
ただ、私が毎日迎えに行っていたので彼らの目的はいつも未遂に終わった。
そのたびに鉢合わせしてしまったことも嫌な思い出だ。
気まずい空気が流れ、耐えられなくて早くその場から離れたかった。
でも、目的を達成できなかった彼らはいつも攻撃的で、一言言わなければ気が済まないようだった。
こんな争いに子どもを巻き込みたくない。
守らなければ、という思いから私も時々は言い返すようになった。
いつも言われっぱなしの私が言い返すということは、それだけ余裕が無かったということ。
追いつめられて、普段よりも攻撃的になった。
と言っても、夫が10のレベルで怒鳴るとしたら、私のはせいせい2程度のもので。
必死になってようやく普通の人が語気を荒げる時くらいになった。
普段は怒りと直結していないから、日常生活で怒ることはほぼない。
そんな私が怒りを口にする姿は、周りからも異様に映ったようだ。
この頃をよく知る人からは、
「あの時期のあなたは別人のようだったね」
と言われた。
それくらい殺伐とした空気が漂っていたのだろう。
こんな風に必死で抵抗しても、子どもへの擦り寄りは止まらなかった。
それどころかノイローゼになるくらいに携帯に連絡してきていたので、
『もしかして私が精神的に参って匙を投げるのを待ってるの?』
などと勘ぐってしまった。
