2025年12月8日月曜日

我が子を愛せない夫

「大事に思っている」というのは口だけ

子どものことになると、ついつい口を出したくなることはある。

それも愛情あってのこと。

私の場合はそうなんだけど、夫は違っていた。

自分の意に沿わないことがあると我慢できなかったようで。

徹底的に納得がいくまで追求していた。

そこに子どもの意思はない。

どう思っていようが、そんなことはどうでも良いという感じだった。

常に『俺の言うことが絶対だ』というスタンスで、意見を聞くこともない。

まるで『黙って聞いていれば良いんだよ』と言われているようで、素直に聞くことができなかった。

多分子どもも同じだと思う。

でも、反論したら益々子どもが追いつめられるから。

我慢して我慢して我慢した。

その我慢によりさらにエスカレートしていったモラハラ。

時々ふと、最初から怖がらずにきちんと反論していれば何か違ったのかなと思うこともある。

そこだけはこちらにも改善の余地があったのかもしれないが、根本的な問題は子どもへの愛情が無いことだった。

自分が寂しい時だけ構い倒して、普段は邪魔にしている感じがした。

構い倒している時でも、ちょっと気に入らなければ虐待スイッチが入る。

子どもにとってはどちらに転んでも地獄だった。

別居後、電話をかけてきてしつこく子どもを出せと言われ、断り切れなくてほんの少しだけ代わったことがあった。

最初は穏やかに話していた二人。

それが段々と雲行きが怪しくなり、途中からは罵声のようなものが電話口から聞こえてきた。

私は焦って電話を切り上げようと子どもにジェスチャーで伝えたが、俯いて固まっているため気づかず・・・。

そのままではマズいと子どもの肩をトントンと叩いて携帯を受け取った。

その瞬間、信じられないような暴言が聞こえてきた。

「もうお前〇ね!」

という夫の声が。

驚いてとっさに言い返すこともできず、携帯をギュッと握りしめた。

見ると子どもは涙ぐんでいた。

一緒に住んでいた頃、たびたび発せられた言葉だ。

それがどれほど子どもを傷つけたことか。

絶対に言わないで欲しいとお願いしたのに。

結局そうやって傷つけてしまう夫には、もう父親として何かを求めるのは無理なのだろうと思った。

ショックを受けている子どもの背中をさすりながら、私は夫に告げた。

「その言葉は絶対に使わないでとお願いしたのに。もう二度と子どもが大事だなんて言わないで」

決死の思いで伝えたその言葉は夫には響かなかった。

聞いた瞬間に鼻で笑い、

「めんどくせー」

と言いながら電話は一方的に切られた。


傷ついた心を癒したい

子どもも私も夫には酷く傷つけられてきた。

そのたびに涙を流し、もう声も聴きたくないと思った。

でも、完全に関係を切ることができず怯えながら暮らす毎日で、心のよりどころが必要だった。

子どもは、大きなぬいぐるみが癒しだったようだ。

自分よりも大きいくらいの巨大サイズで、触り心地はフワフワだった。

その手触りを確かめながらウットリしている子どもを何度か目撃している(笑)。

私も時々触らせてもらったが・・・。

なるほど、非常に落ち着く気がした。

私の場合は子どもが癒しなんだけど、それ以外ではひたすら映画やドラマを見た。

アメリカのドラマがメインで、時々は日本の映画も。

日常生活を忘れ、ほっとできる時間だ。

本当に色んなものが揃っているので、月々数百円でかなり楽しめている。

そういう楽しみも、以前は夫の許可が必要だった。

で、映画を見たいからAmazonPrimeに入りたいと言ってみたこともあるのだが。

あえなく却下された。

『そんな時間あるの?』という言い分だったと思う。

そんなことを言うのなら少しは家のことをやってくれたら良いのに。

家のことは私の仕事という認識だったので、助けてくれることは無かった。

高熱が出た時でもお迎えを代わってくれないくらいだから期待するだけ無駄な話だ。

大学卒業後のほとんどの時間を一緒に過ごしたのに、愛情をもらったという記憶がほとんどない。

あったのは執着だけ。

義両親に引きずられるようにファミレスへ・・・

「お昼を食べに行こう」にも反応しない子ども 重苦しい空気の中、 義両親は妙に明るいテンションで話し続けていた。 私がこの場をどうにかしなければ。 なぜか、そんな責任を一人で背負っていた。 けれど、 どれだけ言葉を選んでも、 空気は少しも軽くならない。 むしろ、重く沈んでいくばかり...