2025年2月28日金曜日

「家族と離れたくなかった」と涙する夫

夫よ、それは本心なのか

私にとって離婚は最善の選択だった。

モラハラ夫と離れることができたし、子どもを虐待から守ることもできた。

また同じことが起きても間違いなくこういう選択をすると思う。

でも、夫は違うようだ。

事あるごとに後悔を口にした。

時々泣きながら、

「本当は家族と離れたくなかった!」

と訴えてきて、こちらの罪悪感をあおってくることもある。

これには本当に困ってしまう。

離婚は覚悟して決めたこと。

そりゃー全く迷いが無かったわけじゃない。

でも、これ以上一緒に居たら子どもや私の心は取り返しがつかないくらい傷つけられてしまうと思った。

自分たちを守るためには、これしか無かった。

モラハラDV加害者の認知の歪みを取る方法もあるらしいけど。

果たしてそんなので直るのかな、というくらいに酷い状態だった。

本人に【こういうプログラムがあるらしいよ】と伝えたら乗り気になっただろうが。

あえて伝えなかった。

やる気を出されたところで私たちの方がもう受け入れられなくなってしまったのだ。

そんな状態で希望だけをチラつかせても、きっとお互いのためにならない。

だったらいっそのことキッパリと関係を絶った方が良いのではないかと思った。

離婚の話し合いをすることになった時も私は【夫と離れたい】という姿勢を貫いた。

これさえ乗り切れば安心して暮らせるという気持ちが大きかった。

それに比べて夫はずっとメソメソしていた。

あんなに強かった人が嘘みたい。

これがずっと私たちを虐めてきた人なの?

その姿を見て驚き、同情してしまったことも事実だ。

多分、これが私の一番の弱点。

酷いことをされても相手が弱っていると可哀そうに思ってしまうんだから。

甘いと言われても仕方がない。


居場所を残しておいて

電話で夫が私に言った。

自分の居場所を残しておいて欲しいと。

この言葉がどんな意味を持つのか。

それは痛いほど分かっている。

夫のイライラや不満を全て受け止めるサンドバッグのような存在。

それがかつての私たちだ。

そういう存在が夫にとっては必要不可欠だった。

でも私たちからしてみれば、あの息の詰まるような生活に戻るということだ。

辛くても声もあげられないような、あの生活に。

これには何度も、

「もう別々の道を歩いてるんだから無理だよ」

と伝えた。

そうしたら、ある日突然

「騙された!俺のことを見捨てるんだな!」

と怒り始めた。

確かに見捨てたのかもしれないけど、それはあなたがこれまで散々私たちを傷めつけてきたからだよ。

そう言いたかったが、ただ『ごめんなさい』と謝った。

電話口でさめざめと泣く夫の声は私に罪悪感を与えた。

これが夫の常とう手段だということも分かっている。

泣き落としをしようとしても無駄だよ、とも思う。

その一方で、【家族にまで捨てられてしまって可哀そうに】という気持ちが消えない。

2025年2月27日木曜日

学校の先生も元夫の攻撃対象だった

私から見ても モンスターペアレントだと思う元夫

夫は大事にすべき人とそうでない人の区別がはっきりしていた。

本来もっとも近い位置にいた私や子どもは大事にすべき人に入れてもらえなかった。

毎日一緒に暮らしているのに蔑ろにされるむなしさ。

いや、むしろ蔑ろにされるだけならまだ良かったのかもしれない。

徹底的に虐げられて痛めつけられたんだから。

扱いとしては、その他大勢以下だったように思う。

義両親や義兄のことは基本的に大事にしていた。

それに加えて友人たちも。

その友人の中でも特に仲良くしていた人たちのことは一目置いていて、ことあるごとに褒めていた。

それに比べてお前は~というおまけつきで。

結婚生活も長くなってくると、こんな風に言われることにも慣れてしまう。

可哀そうだったのが、何の非も無いのに攻撃された小学校の先生だった。

最近はモンスターペアレンツの存在が広く認知されているけど、あの頃もそういう認識はあった。

はっきり言って夫の言っていたことは難癖レベル。

そんなことで?!というようなことにもいちいち電話をかけて文句を言った。

本当は止めて欲しいんだけど言えなくて・・・。

電話口から聞こえる先生の声は今にも泣きそうだった。

とても困っているのが分かった。

何度も『すいません』と謝っているのに許そうとしない夫。

そもそも先生には非がないんだから、上から目線で責め続けること自体がおかしいのにね。

内容的にも言いがかりのようなものばかり。

自分が納得するまで謝罪を求めるというのも人としてどうかと思う。

かといって私が何か言おうものなら家の中が嵐のようになってしまうから言えなくて。

低学年の頃の担任の先生には本当に迷惑をかけてしまった。

面談の時も申し訳なさ過ぎて目を見て話すことができなかった。


脅すような口調は止めて!

低学年の頃の若い先生は、夫の脅すような口調に心底怯えていた。

物凄く乱暴な物言いなのだから誰だって怯えてしまうと思う。

私は日常生活の中で頻繁にそういう言い方をされた。

ああいうのって何度経験しても慣れない。

怒鳴られるたびに体が縮み上がって心臓がバクバクしてしまう。

そういう経験の少ない人なら尚更だろう。

その衝撃が強すぎてしばらく忘れられなくなるかもしれない。

こんな面倒な家庭を受け持つのは大変だから、早く学年が変わって担任から外れたいと思ったに違いない。

ある時、学校から帰った子どもがその日にあったことを夫に話した。

子どもにしてみれば、何気ない会話の一つで特に意味はない。

『今日ね~、こんなことがあったんだ~』という感じの話だ。

だけど、夫はその内容の中でその場に居た先生の対応が気に入らなかったようで、学校に電話してしまった。

そして担任の先生が出るとすぐに凄い剣幕でまくし立て始め、酷く興奮していたらしい。

いくらモラハラ夫でも、いつもなら話し始めはやや穏やかな口調で話す。

それが次第に勝手にヒートアップしていって喧嘩腰になっていく。

だがこの日は違った。

電話口に担任の先生が出た瞬間、

「どういうつもりなんだよ!」

と怒鳴ったそうだ。

子どももまだ幼くて話の要領を得ないので詳しいことは分らなかったが、『ふざけるな!』と怒鳴ったりチッと舌打ちしていたと言っていた。

最後は、

「ちゃんとやれ!」

と何故か命令口調で終わったという。

この話を聞き、なんて非常識な人なんだろうと改めて思った。

怒りをまき散らすことを正義だと勘違いしている節もあり、それが余計に腹立たしかった。

こんな風に攻撃されてメンタルにダメージを負った人は一人や二人ではない。

その一方で【自分が認めた人たち】には尽くして良い関係を築いていた。

どちらも本当の夫なのだが、取り巻きたちにこんな話をしても信じてもらえなかった。

2025年2月26日水曜日

無くなった通帳をこっそり探す日々

夫の目を盗んで通帳探し

こっそり隠し持っていた通帳が無くなった。

せっかくへそくりを貯めていたのに・・・。

誰が移動させたのかは、もちろん分かっていた。

今は本人確認も厳重なので夫が引き出せることは無いだろう。

だからいつかは戻ってくる。

でも、手元にないということ自体に非常に困ってしまった。

その後の動きにも影響が出るので何とか取り戻したいと思った。

とにかく保管場所だけでも突き止めようと、すぐに動き始めた。

夫の目を盗んでは通帳探しをする日々。

あれはかなりスリリングだった。

何か探したいものがあっても、それが夫に知られてはいけない物の場合にはかなり気を使った。

見つかったら問い詰められることは確実なので絶対に見つかってはならない。

特にその時は家を出る準備金を貯めている通帳を探していたので慎重にならざるを得なかった。

普段はこちらの気持ちなんか気にも留めないくせに。

こういう時だけやけに敏感になるんだよね。

この時も、ほんの少しの変化にも気づかれてしまいそうで怖かった。

それでも探さなければならないと、限られた時間の中でちょこちょこと思い当たる箇所を確認した。

だけど見つからない。

広い家でもないんだから探す場所は限られているのに。

思い当たる場所全てを何度も入念に確認したのだが一向に見つからなかった。

だから【私の想像もしない場所に隠したんだな】と確信した。

それほどまでに夫は警戒しているということだ。

つまり、私の計画に気づいている?

気づいていて阻止しようとしている?

そう考えたら全身の毛がゾワッとなるような恐怖を感じた。


探し始めて数週間後に知った驚愕の事実

探し始めてから数週間も経過すると、もう見つからないのではないかという諦めの気持ちも出てきていた。

こんなに探しても見つからないということは、もう家の中には無いのかもしれない。

夫がもし警戒して手を打ったのなら家には置かない気がする。

それを確かめるには直接聞いてみるほかないのだが、そんな勇気は無かった。

もちろん、あれは大切なお金だけど、自分からカミングアウトするような真似はできない。

そんなの夫の怒りに自ら点火するようなものだ。

知りたいけど聞くこともできず私はただ悶々と過ごした。

その間、夫の方もいつもと変わらぬ様子で過ごしていた。

人って隠し事をしていても、こんなに平然としていられるんだ・・・。

この頃にはもう夫の仕業に違いないと確信していて、日々疑いの眼差しで見ていた。

鋭い夫のことだもの。

疑われていることにもとっくに気づいているはず。

それなのにポーカーフェイスを崩さないのも恐ろしいと思った。

疑心暗鬼になった私はいつもよりも夫のことを注意深く見ていて、恐らく夫はそれさえも楽しんでいたのだと思う。

これだけ探しているのに全く見つかる気配がないということは、もう手の届く範囲に無いのだろう。

そう思った私は探すことを止めた。

だけどその日の夜、思わぬことから通帳の在りかを知ることになる。

夕飯後、翌日にちょっと出かける用事があると話していた夫がバッグの中を整理していた。

中身を出したりして、いつものように几帳面に整えていたのだが。

その時に偶然見てしまった。

あの通帳が夫のいつも使っているバッグに入っていることを。

ずっと探していた通帳と同じものがあることに気づいた私は、思わずじーっと名前部分を凝視した。

間違いなく私の名前だった。

あぁ、あんな所にあったのか。

見つからないはずだ。

在りかが分かったのは良いが、常に夫の傍に置いてあるバッグの中だった。

そこからは取り出しようがない。

もし取り出せたとしても、すぐに気づかれてしまう。

この事実を知った私はついに諦める決心をした。

その時にふと思ったことなのだが。

もし夫がこれをわざと私に見せるように置いていたとしたら。

全て夫の思惑通りに動かされていただけ、ということになるんだよね・・・。

2025年2月25日火曜日

束縛の激しい夫との生活に自由は無かった

一から十まで全て管理したい夫

結婚してからの生活は、全て夫から管理されていた。

一から十まで全てのことを決めなければ気が済まない人なので私に自由は無かった。

そうは言っても暮らしていたらいつも同じようにはいかないこともある。

ルールだって状況的に守れないことも・・・。

だけど、夫は例外を許さなかった。

自分の言うことを聞けないのなら、もうお前に妻の資格はないという態度を取った。

最初の頃はそれが怖くて何でも言う通りにした。

そして言う通りにしているうちに段々と自分の考えを失ってしまった。

それに気づいたのはだいぶ後なんだけど。

そのせいで家を出るという決断も遅れた。

あの頃の私は、苦しくてもただ悩んで悲しんで心の中で『辛い!』と叫ぶだけ。

心の中で叫んだって誰にも気づいてもらえないのに。

気付かれてしまったら、今ある最低限の幸せさえ崩れてしまうのではないかと恐れた。

実際にはそこに幸せなんて無かったんだけど。

それが幸せだと思い込まされていたおかげで一歩踏み出す勇気が出なかった。

子どもも同じだ。

父親の言う通りにしていれば最悪のことは起こらないと教え込まれた。

だから、辛い状況の時には夫にすがるような気持ちで暮らし、他の人たちの言うことを排除してきた。

外から何かを言ってくる人たちは【悪意を持っている人】と思い込まされていた私たちにとって周りは敵だらけだった。

善意で声をかけてくれた人からも距離を取り、家族三人だけの生活。

いつしか外部の声は聞こえなくなった。


理想的な妻であり続けなければならない

メイクは薄めにすること。

派手な色の口紅はダメ。

スカートはできるだけはかず、足を出さない。

髪型はボブ以上にする。

言葉遣いに気を付けて綺麗な話し方をする。

太ってはいけない。

老けてはいけない。

いつでもニコニコしていなければならない。

夫のことを優先し、良い妻良い母であり続けること。

しっかりと仕事をしつつ家事も手を抜かない。

夫の家族や友人を大切にする。

夫婦生活には応じること。

これらが夫が私に求めたことであり、それもほんのごく一部だ。

ここには書ききれないくらいのルールがあり、全て守るのは非常に困難だった。

時々破ってしまうこともあったのだが、そうすると目も合わせてくれなかった。

まるで重罪を犯したかのような扱いを受け、そのたびに悲しくなった。

私、そんなに悪いことをしたかな?

少なくとも家族をないがしろにするようなことはしていない。

それなのに、完璧に守らなければ存在を認めてもらえないような生活で悲しかった。

そういう生活を送って居れば、段々と夫への気持ちにも変化が出てくる。

次第に好きなのかどうかも分からなくなったのだが、夫は私に愛情表現し続けることを求めた。

でも、愛情が枯れかけているのだから与えられるものはほとんどない。

夫は目に見える形での愛情を欲しがって夫婦生活にも固執した。

しかし、私は受け入れることができず・・・。

仕方なく応じる時には辛くて辛くて仕方が無かった。

心が死んでいくってこんな感じなんだ、と思った。

応じるたびにすり減る心。

もう嫌われても良いから断ろう。

そう思い、勇気を出して伝えても夫が納得してくれることはほとんど無かった。

2025年2月24日月曜日

義兄が結婚-モラハラカップルの誕生・・・

ずっと独身を貫いてきた義兄がとうとう結婚

義兄は高給取りだ。

夫なんかよりもずっと稼いでいて、ボーナスのたびに目の飛び出るような高額な買い物をしていた。

こんな世界もあるんだなーとちょっと羨ましく思ってしまった。

そんな義兄には学生時代からお付き合いをしている人が居て、誰もが結婚すると思っていた。

だけど、『もう付き合いも長いし、そろそろ結婚しないのかね』なんて周りが言い始めた頃・・・。

あっさりと別れてしまった。

本当はあっさりでは無かったのかもしれない。

本人たちにとっては辛い選択だったのだと思うけど。

周りから見たら、何だかとてもあっさりした別れに見えた。

これに落胆したのが義両親で、『どうして・・・』と事あるごとに言っていた。

それも仕方のないことだと思う。

だって、その彼女は義実家にも頻繁に遊びに行っていてお義母さんとも仲が良かったのだから。

買い過ぎてしまったものをお裾分けしたり、旅行のお土産を渡すこともあった。

彼女からも色々な物をもらっていて、とても良好な関係に見えた。

ただ、こればかりは縁だから外野がどうこう言える話ではない。


辛い別れの後に新たな出会い

義兄が長年お付き合いをしていた彼女と別れた頃、私たちは結婚した。

義両親からすれば義兄たちが先だろうと思っていたようなので、これは予想外だったのかもしれない。

夫が『籍を入れたい』と伝えた時、『もう少し待ったら』と言われた。

私は少し後になっても構わないと思っていたのだが、夫が断固拒否した。

「何で兄貴に気を使わなきゃならないんだよ!」と怒ってさっさと入籍日を決めてしまった。

元々怒り出したら誰にも止められない夫のことだ。

義両親も、これ以上反対したところで良い結果は得られないと思ったに違いない。

結局その日のうちにOKしてくれて、次の大安の日に役所に届けを出すことになった。

それにしてもタイミングが悪い。

よりにもよって義兄が別れた直後だなんて。

義両親だって義兄に報告しないわけにはいかないし。

かといって傷ついているところにこんな話しにくいだろうな。

何だか申し訳なく感じていたのだが、報告を受けた義兄は過剰に反応することもなく

「そうなんだ、良かったじゃん」

と言ったそうだ。

それから数か月後、義兄が突然結婚した。

お付き合いの期間は3カ月程度だった。

これには義両親も大反対で、

「もう少しじっくり付き合ってから決めたら?」

と伝えたそうなのだが、義兄は聞く耳を持たなかった。

本当は祝福してあげたいけれど、不安が大きすぎる。

夫も含めてみんながこの結婚を心配していたのだが、この予感は見事に的中してしまった。


モラハラ VS モラハラの闘い

あまり義兄とは付き合いが無くて知らなかったのだが。

実は強烈なモラハラだった。

夫と競わせたらいい勝負になるくらい、モラハラ度は酷かった。

それを知って奥さんのことを心配した。

短い期間の付き合いでは相手のことを見抜けないから、こういうことは結構あるのかもしれない。

今頃結婚したことを後悔しているのでは?

そう思ったけれど、連絡先を知っている訳でも無いので何もできなかった。

その後、義実家に行く用事があって出向いた時のこと。

義母と話していたら急にインターホンが鳴って、玄関に行くと義姉が立っていた。

青ざめた顔で、だけど手にはお土産のケーキを持っていて・・・。

すぐに家の中に入ってもらい話を聞くことになった。

それで分かったのだが、どうやら義兄から日々酷い仕打ちを受けているとのことだった。

直接的な暴力は無いが、暴言が酷いのだと言う。

その日は話を聞いて落ち着かせて、後日話し合うことにして解散した。

ところが、その話し合いの日が来る前にひと悶着あり、今度は義姉から家を追い出された義兄が義実家に戻ってきた。

風邪を引いたら、『お前の看病なんてしたくないから実家に帰れ』と言われたらしい。

えーーーーー?!

もう、何がどうなってるの?!

これは片方だけの話を聞いていても埒が明かないと考え、みんなが集まって話すことになった。

それで分かったのだが、義兄夫婦はどちらもモラハラだった。

そして、お互いがお互いを虐げていて大変カオスな状況だった。

そんな状況ならもう私たちにできることはない。

夫は二人を見て、

「どっちも酷いな。人として最低だよ」

と言い放った。

私はその言葉に驚き、モラハラをする人は自分では気付いていないのだと実感した。

2025年2月23日日曜日

隠しておいた通帳、どこに行った?

細々と貯めたへそくり

家計は全て管理されていた。

いくら入ってきて、いくら出ていくのか。

夫がほぼ把握していたので、自由になるお金はほとんど無かった。

そんな中でも、少しずつ小銭を貯めてへそくりを用意した。

これは、いざという時に使うことになる心強いお守りだった。

小銭だから微々たるものだけど、あるのと無いのとでは大違いだ。

長い期間をかけて貯めたもので、額にしたら数万円程度。

これがようやく役立つのではないかと思った。

さて、大切なこのお金をどうするべきか。

そのまま持っているのは不安が大きい。

ここはやはり、こっそり隠し持っていた通帳に入れておくのが一番良いと考えた。

そこに入れておけば気づかれずに済むはずだ。

その口座のことを夫は知らない。

だから、家を出る準備として利用するのに都合が良かった。

実は以前も少し貯まったタイミングで何度か貯金しておいた。

つまり、家出貯金は着々と進んでいたことになる。

ただ、これが見つかったら今までの苦労が水の泡になってしまうから。

念には念を入れて一番奥の一番下にしまいこんだ。

それでも安心できなかったんだけどね。

万が一気づかれてしまったらと考えるのが怖かった。

そしてライブの日。

夫が出かけて、またとないチャンスがやってきた。

貯めてきたお金を口座に移すことができる!

そう考えたら、何だか急に家を出るということが現実味を帯びてきてじわじわと喜びがわき上がってきた。

余談だが、プールしていったのは小銭でも千円以上になったらお札に替えた。

小銭なんてジャラジャラもっていたら、それこそ夫に勘づかれてしまう。

だから、お札にして見つからない場所に貯め続けた。


通帳が見つからない・・・

おかしい。

隠しておいた場所に通帳が見当たらない。

一瞬、『あれっ?記憶違いかな?』とも思ったのだが。

間違えるはずが無かった。

棚の中でも一番端を選んで、動かしたことが分からないように何度も確認した。

夫の記憶ってどうなっているんだろうと思うほど些細な変化に気づかれてしまう。

だから、この時は本当に慎重に上のものをずらして上手く潜り込ませた。

これで万全なはずだった。

でも無いということは・・・。

間違いなく夫だと確信した。

あれだけは見つかってはいけなかったのに。

私は落胆してその場に座り込んだ。

中に入っている金額は微々たるものでも、内緒にしておける通帳があるというだけで心強かった。

それが無くなり、途方に暮れた。

これからどうしよう。

咄嗟には何も思い浮かばず、とりあえず今日の予定は全てダメになってしまったなーなどとぼんやりと思った。

でもどこかに移動させたのだとしたら、一体どこにやったのだろうかという疑問も出てきた。

本当は返して欲しいけれど、まずその話を切り出すことができない。

結局、帰宅した夫に聞くことはできなかった。

きっと聞いたところで、

「こんなの持ってたんだ。何に使うやつなの?」

などと聞かれてその場を取り繕わなければならなくなる。

そんなシーンを想像しただけで吐き気を催すほど緊張した。

あれはもう諦めなければならないのかもしれない。

また一から計画を立て直さなきゃなのかな。

小さな目標のようなものが急に無くなってしまい、その日はショックでその後自分がどのように過ごしたのかを覚えていない。

2025年2月22日土曜日

夫が不在の間に家を出る準備

絶好のチャンスが訪れた

珍しく夫の機嫌の良い時があった。

基本不機嫌なので、こんなことはあまりない。

普段より気を使わなくて済むので私たちも非常に楽だった。

機嫌が良いのには、もちろん訳があった。

近々友人達とのお出かけが控えていた。

それで、いつもよりも監視の目が緩んでいた。

前々から行きたいと言っていた夫の大好きなアーティストのライブ。

仲間内5人で行くと報告を受けていて、その日を今か今かと心待ちにしていた。

数日前から普段なら怒るようなことにも反応しなくなった夫。

子どもが何か失敗しても、軽く『バカだなぁ』というくらい。

一瞬感動しちゃったけど、これが普通の生活なんだよね。

でも、私たちにはとてもありがたかった。

このライブに行くのは学生時代の友人2人とその奥さんや彼女たち。

夫婦、恋人カップル+夫という組み合わせだ。

実は『一緒に行かない?』と声をかけていただいたのだが、丁重にお断りした。

その集まりに参加すればどれほどのストレスがかかるかを想像できてしまったからだ。

基本、悪い人たちではないのだと思う。

常識的な言動をする人たちなのに、よく夫と付き合っているなと感心したものだ。

これだけ長い付き合いなら本性の部分も見てきたはず。

それなのに付き合っていけるということは、あの独特な個性の持ち主である夫を許容してくれていたということだ。

だけど、その集まりの中に入ると物凄く疎外感を感じることに気づいた。

早く打ち解けようと努力したこともあったけど、無駄だと悟った。

あの人たちには妙な連帯感があり、他を寄せ付けない空気がある。

それと、基本は元々の5人で集まりたいという雰囲気がとても強くて、通常は参加するかを聞かれることも無かった。

まあ、私にとっては都合が良かったんだけど。


いつもは『旦那さんちょっと借りるね』という感じなんだけど。

急にこのようなお誘いを受けることもあった。

私が行っても良い集まりというのがあるようで、ライブがそうだったらしい。

せっかくのお誘いを断った時には『えっ、誘ってあげたのに?』という空気になった。

それはそれで怖かった。

断る権利もないんかーい!と心の中でツッコミを入れつつ、必死に笑顔を作りながら

「せっかくお誘いいただいたのに、すいません」

と謝った。


夫が不在の間にやることがある。

やっと夫の居ない時間が訪れた。

いつも家に居るので、監視の目が怖くてなかなか自由に動くことができなかったのだが、やっとその機会がやってきたのだ。

私がやろうとしていたのは家出の準備。

こんなこと、夫の前では口が裂けても言えない。

普段は棚の中を見るだけでも、

「何してるの?探し物?」

とこわーい声で聞かれるから自由なんてものはない。

その日は絶好のチャンスを逃すわけにはいかないと朝から色々と動いた。

ところで、このライブというのが平日の夜だったのだが、夫は朝早くから出かけて行った。

家に友だちが来るまで迎えに来て、物凄く高いテンションで出かけて行った。

『そのままずっと出かけていて欲しいものだね』なんて思いながら見送ったわけだが。

夫視点だと何らかのフィルターがかかって見えたのか、

「俺だけ何か悪いね、一人で大丈夫?」

としおらしいことを言って珍しく気づかう素振りを見せた。

寂しそうに見えたのかもしれない。

でも実際には頭の中はその日にやることでいっぱいだった。

公演時間は分かっているから、最低限何時までなら自由に動けるかも把握している。

子どもは保育園に預けたし、日中は自由時間だ。

準備は万端。

車で出かけていく夫を見送った後、私はすぐに行動を開始した。

2025年2月21日金曜日

修羅場に義両親登場!

身の危険を感じたその瞬間、インターホンが鳴った

仕事の件を話し合おうとしたら、夫が暴れ始めた。

隣の部屋にいたはずの子どもも不安になったのか私たちのところに来てしまい、そのままとばっちりを受けた。

これ以上は危ない!

そう思った瞬間、インターホンが鳴った。

義両親だった。

いつもは面倒な問題を持ち込んだりして困ることも多いのだが、この時ばかりは本当に助かった。

私は大きな声で

「はーい、今出ます!」

と返事をし、子どもの手を引きながら玄関に向かった。

ドアを開けたら、お義父さんが私の顔を見るなり

「どうしたんだ」

と言い、驚いた様子だった。

自分ではいつもと変わらないつもりだったんだけど、よほど顔に出ていたのかな。

咄嗟に、

「いえ、大丈夫です」

と取り繕ったが、本当は全然大丈夫なんかじゃなかった。

少し冷静になり夫のあの暴れっぷりを思い出したら余計にゾッとした。

あの日のことは衝撃だったし、今でも思う。

義両親が来ていなかったらどうなっていたか分からない、と。

結局力では到底叶わないということを思い知らされた出来事だった。

その後、義両親からしつこく聞かれた。

「何かあったんだろう」

と言うけれど、夫を目の前にして言えるわけがない。

後でこっそり伝えることもできたが、そうしたら今度は夫が説教されるだろうからそれも面倒なことになる。

それに、どうせ親に説教されたって聞くような人ではない。

そういう素直な人だったら、とっくに改心しているはずだ。

ここは何も言わない方が安全だと考えて、『大丈夫です』と繰り返した。


義両親帰宅後の夫の様子

義両親が帰る頃には夫もだいぶ落ち着いたように見えた。

来た直後は怒りが爆発して表情も強張っていたのだが、何故か私はそれを悟られまいと必死だった。

いつもよりも饒舌になり、自分から話題を振ったりした。

その間、頭の中はフル回転していてどうしたら良いのかを考えていたんだけど・・・。

お義母さんも何だかいつもよりもそわそわしていた。

もしかしたら母親だから自分の息子の異変を感じ取ったのかもしれない。

だけどそれを口に出してしまったら余計に荒れると思って言えなかったのかも。

そのせいなのか私同様にお義母さんまで饒舌になり、家の中は賑やかになった。

一見すると楽しそうな雰囲気の我が家。

でも、はっきり言っておかしなテンションだった。

その後、義両親が帰った後は極力いつも通りに過ごして夫の様子を窺がった。

恐ろしく沸点の低い人だから、いつ機嫌が急変するか分からない。

いつもそれで気が張っていて、夫と居る間は終始そんな感じだった。

ただ、この件に関しては蒸し返すのは分が悪いと思ったのか、夫の方から何か言ってくることは無かった。

その代わりに、『これ以上その話題を出すなよ』という圧が凄かった。

うっかり出してしまったら大変なことになることは明らかだったので、結局何の話し合いもできないまま終わり。

本当はもっと実のある話し合いをしたかったけど仕方がない。

こんな風に話し合いのできない夫婦って本当に終わってるな、と思った。

必死に向き合おうとしていただけに、全身の力が抜けるような脱力感を感じた。

2025年2月20日木曜日

長期化する夫の無職に焦った私は・・・

夫が無職になり1年が経過する頃

体調が悪くなり、仕事を続けることが難しくなって退職した夫。

元々は結構バリバリ働くタイプだったので、すぐに戻れるものだと思っていた。

年だってまだまだ若いし、働く意欲も失っていないはず。

今は一時的にお休みしているだけ。

これは人生の休憩期間なんだ。

そう思いながら日々目の前のことに追われ過ごしていた。

夫は世間体をとても大事にする人で、人目が気になるタイプ。

無職というのは体裁が悪いと本人も言っていたので、なんの心配もしていなかった。

だけど、あっという間に1年が過ぎた。

その頃から私の中で少しずつ焦りが生じ始めた。

夫本人はと言うと、全く意に介していない様子で毎日を楽しんでいた。

楽しむこと自体は構わない。

一度は体調不良で仕事を辞めるところまで行ってしまったんだから。

好きなことをして過ごしながら体調を整えてくれれば、と思っていた。

でも、元気に過ごせるようになってきたら、やっぱり日常に戻れる準備をして欲しくなった。

私一人の収入では生活も心許ないし、何より貯金ができない。

これから子どもがどんどん大きくなってお金がかかるようになった時、十分な用意ができないのではと不安だった。

それで夫と話し合おうとしたのだが、こういう問題って本当に難しい。

急かすようなことをしたら、また具合が悪くなるかもしれない。

本当は夫自身も気に病んでいて、言われることで傷つくかも。

色んなことを考えたら伝えることが正解なのかも分からなくなった。


思い切って話し合いを提案

散々迷った挙句、私は話し合うことを決断した。

このまま話し合わなければ状況を変えられないと思ったからだ。

そりゃー私だって避けられるものなら避けたい。

でも、避け続けていても事態は良くなりそうにない。

ここで思い切って話し合えば何か打開策が見えてくるかもしれない、と期待した。

まず最初は、関係ない雑談から入った。

だから、ごくごく普通の雰囲気だった。

その様子を見て、内心『よしよし、今日の機嫌は悪くなさそうだぞ』と安心していたのだが・・・。

仕事の話になったら、みるみる機嫌が悪くなっていった。

目の前でどんどん顔色が変わって行く夫を見て、正直焦った。

失敗したかもしれない。

今にも爆発しそうな夫を前に、もう話し合いどころではなくなった。

早急に考えるべきは、この事態をどう回収するかということだけだった。

隣の部屋で一人静かに遊んでいた子どもも、異変を感じたのか不安そうな顔で見に来た。

『今は来ちゃダメ!』

心の中で叫んだけれど、伝わるはずが無かった。

夫は分が悪くなるとすぐに別の攻撃対象を見つけて痛めつける。

この時も、子どもの姿を見るなり、低い声で

「ちょっとこっちに来い!」

と命令し、恐る恐る近づいて行った子どもの手首を持って強く引っ張った。

「お前、これ片付けろって言ったじゃねーか!何でやってねーんだよ!」

いきなり怒鳴られた子どもは涙を浮かべ、

「ごめんなさい。パパ、ごめんなさい。」

と繰り返した。

それでも気が収まらない夫は、ソファーの方に子どもを押して手の平で頭を叩いた。

その間、私は必死で止めようとして夫の腕を押さえたのだが、簡単に払いのけられてしまった。

その力があまりにも強くて怖かった。

でも怯んでいる場合じゃない。

咄嗟に子どもに覆いかぶさり、

「止めてよ!八つ当たりしないで!」

と叫んだ。

その直後、インターホンが鳴った。

いつものように様子を見にやってきた義両親だった。

2025年2月19日水曜日

援助したいって、何かの罠?!

元夫からの連絡で憂鬱に・・・

元夫から急に連絡が来た。

最近は電話が鳴っても出ないからLINEメッセージで。

どうせ大した用事じゃないだろう。

いつもどうでも良いことばかり送ってくるくせに、肝心な時には連絡がつかない。

相変わらず自分勝手な人だ。

ここだけの話だが、まだ元夫の声を聞くと動悸がしてしまう。

携帯を持つ手も震えてしまうし、過去の辛かった思い出がフラッシュバックする。

それで未だに電話を恐れている。

だけど、そんな風に弱い自分を見せたくなくて周りには平気なフリをしている。

「電話が来たんだよ。いい加減にして欲しいよね~」

なんて軽口を叩いているが、実際の所は恐怖から逃れられないでいる。

いつ何時夫の気が向いてここにやってくるか分からない。

完全に縁が切れたわけではないから100%安心できるわけでもない。

そういう状況の中でも、今やっと思い出さない時間が増えてきたところだ。

だから、連絡が来た時にはドキッとしてしまい、一気に気分が落ち込んだ。

やっぱり嫌だなぁ。

連絡なんて取りたくない。

一体いつになったらこの気持ちから解放されるのだろうか。


元夫からの申し出に疑心暗鬼

恐る恐る内容を確認してみたら、何と援助の申し出だった。

『教育費とか厳しいんじゃないかと思うんだけど、どう?』

と書かれていて、

『必要なら援助するよ』

という言葉が続いた。

普通なら大喜びするところなんだろうけど、ハッキリ言って信じられない。

これまでにも家計が厳しくて何度か相談したことがあったのだが、

「お前が勝手に家を出たんだろ。離婚もそっちの我が儘だろ?」

と言われてしまった。

あの決断を我が儘だと言われてしまうと、もう何も言えることがない。

それが急に援助の申し出なんて、一体どんな風の吹き回しだろう。

これまでだって一度たりとも援助なんてしてもらったことがない。

急に言われて戸惑った私は、携帯を片手にどう返事をすれば良いのか考え込んだ。

だけど、考えても考えても答えが出てこない。

そうこうしているうちに、また次のメッセージが届いた。

『返事が無いということは困ってないのですね』

やっぱりそういうことね・・・。

こんな言葉に納得してしまうのも悲しいんだけど、元夫の言葉遊びに付き合わされただけだと分かった。

最初から援助するつもりは無かったんだ。

この時、期待なんて初めからしていないつもりだったのにショックを受けている自分に気づいた。

仕事して子育てして家のこともして、ずっと一人で頑張ってきた。

それが当たり前だったけど、やっぱり助けて欲しかったのかも。

きっと私がすぐに『ぜひお願いします』と返事をしたって、色んな理由をつけて断られたに違いない。

ただ、そういうポーズを取りたかっただけ。

子どもに『パパはお前のことをちゃんと考えてるんだぞ』というアピールをしたかっただけ。

それにしても・・・。

LINEが来たらいつでもすぐに返事ができると思わないで欲しい(怒)

見られないこともあるし、返事ができないタイミングもある。

結局、この件も元夫に振り回されただけで終わった。

2025年2月18日火曜日

虐待を受けて感情を表に出さなくなった子ども

喜怒哀楽のはっきりした子だったのに・・・

小さい頃は喜怒哀楽のはっきりしている子だった。

特にポジティブな方の感情が大きくて、些細なことにも喜ぶような子だった。

そして毎日コロコロとよく笑った。

いつも機嫌が良いので、『育てるの楽でしょ~』とよく言われたものだ。

実際、対応に困ったことがほとんどない。

保育士さんからも『いつもニコニコしてますよね』と言われていて、周りからの評判もほぼ同じようなものだった。

だけど、そんな子どもが大きくなるにつれて変わっていった。

きっかけは虐待だ。

日々家の中で起きることなので、この日を境に急に~ということは無い。

少しずつ少しずつ徐々に変わっていった。

だから、毎日一緒に過ごしていてもなかなか変化に気づくことができなかった。

だけど、ある日ふと『あれっ?感情の起伏があまり無いな』ということに気づいた。

それから用心深く見るようになり、ほとんど喜怒哀楽を出さないようになっていることが分かった。

大きくなって変わったんじゃないの?

普通ならそう考えるかもしれない。

だけど、その時まだ小学校の低学年だ。

ちょっとしたことで泣いてしまう子もいるし、まだまだ甘えたい年ごろ。

そんな年齢の子どもが喜びや悲しみを表さないようになっていたのだ。

私はとても驚き、ショックを受けた。

そして、こんな大事な変化を見落としてしまったことを悔やんだ。

だけど、すぐに現状を変えることは不可能な状況で・・・。

それならば今できることをしようと思い立ち、なるべく楽しい気持ちになれるようにと頑張った。

夫とは極力引き離して、仕事以外の時間は一緒に過ごすようにする、とか。

本当に些細なこと。

それでも足りなかった。

そりゃー家に中に鬼のような人が居るんだから気なんて休まるはずがない。

一番の解決策は二人で家を出ることであり、それ以外に方法はないのだと後に痛感させられることになる。


怒られても無表情

もっと小さい時には夫から怒られたら泣いたり狼狽えたりしていた。

それなのに、気づいたらもう表情には出さなくなっていた。

鬼のような顔で罵詈雑言を浴びせる夫と、それを無表情で聞く子ども。

その様子はあまりにも対照的で、誰もが違和感を感じるような光景だった。

その時、子どもの意識はどこか違うところにあるように感じた。

後から聞いたことなのだが、ああいう場面では『怒られているのは自分ではない』と思い込もうとしていたそうだ。

本当に危なかった。

あの状態がずっと続いていたら、本格的に子どもが駄目になっていただろう。

そうならなかったのはギリギリのところで抜け出すことができたからだと思う。

親ばかだけど、笑顔が本当にかわいくて、本来とても人懐こい。

それが、まさかこんな風に変わってしまうなんて・・・。

その頃から、子どもは笑うことも怒ることも悲しむこともしなくなった。

時々は少しだけ笑ったりするんだけど。

それは周りに合わせていただけ。

皆が笑っていたら合わせなければと笑ってしまうような子だもの。

そんな状況でも周りに気を遣っていたんだよね。

それで疲れちゃって、本当の笑顔を失ってしまった。

やっと取り戻すことができたのは、家を出てからだった。

それもすぐにではなく、自由を手に入れて数か月が経過する頃からちょっとずつ変化がみられるようになった。

2025年2月17日月曜日

机の中にためられていくテスト

テストを持ち帰らなくなった子ども

小学生になると時々テストが行われる。

最初はまだ簡単なものばかりだが、学年が上がるにつれて徐々に難しくなっていく。

うちでは点数が低いと夫がとても怒ったので、返される時には戦々恐々だった。

それでも何とか乗り切っていたのだが。

調子が乗らない時には簡単な所もミスをしてしまい、夫の求めるレベルには到底達することができなかった。

誰だってミスはするんだから『次がんばろうね』と言ってあげれば良いのに・・・。

夫は『アイツの頭は悪すぎる!』と怒った。

そんなことを言ったら余計に委縮して間違えてしまう。

そう伝えてもお構いなし。

それどころか、夫に言われたくらいで間違えるのは自信が無いからだと言い放った。

あまりにも怒るので、子どもは段々とテストを持ち帰らなくなった。

学校から帰り、

「今日はテスト返ってきたか」

と聞かれても、

「返って来てない」

と答える子ども。

あまりにも返却されないので夫が疑い始め、

「本当は隠してんじゃねーのか?」

と聞いたが、

「最近はあんまりテストが無いんだ。先生が忙しいみたい」

と返事をしていたようだ。

それがあまりにも自然だったので、夫は信じたらしい。

だけど私は何だか嫌な予感がして、物凄く不安に思っていた。


授業参観で机の中に隠し持っていた大量のテストを発見

不安は的中した。

授業参観があり、学校に行った時のことだ。

少し早く着いてしまったので、子どもの傍に行って話しかけた。

子どもは私の姿を見た瞬間嬉しそうな様子を見せたが、その直後に手をささっと机の中に入れて何かを押し込んだ。

一瞬のことだったので何だかは分からなかったが、それが見られてはいけないものだということは分かった。

「今何か押し込んだよね・・・」

と言うと、ビクッとした後に思いつめた表情で私を見つめた。

「どうしたの?」

と聞いても答えない。

その代わりに、恐る恐る小さくなった紙屑のような物を渡された。

畳んであるとも言い難いぐちゃぐちゃの紙。

開いてみるとテストだった。

そこには〇とか✓とか書いてあって、点数も記されていた。

点数を見て、私は全てを把握した。

そうか、怒られると思って持ち帰れなかったんだ。

確認してみると、中から大量のテストが出てきた。

奥の方にまで押し込まれていて、どんどん出てきた。

私は慌ててそれらを持参した袋に入れ、『大丈夫だよ』という感じて肩をポンと叩いた。

子どもはその様子を黙って見つめていたのだが、しまい終えるのを確認すると

「パパには見つからないでね」

と懇願するように言った。

「分かってるよ、大丈夫だよ。大丈夫」

そう伝え、何とか子どもを落ち着かせて保護者の観覧場所に戻った。

さて、このテストたちをどうしようか。

子どもが一生懸命授業を受けている間、私の頭の中はそのことでいっぱいだった。

夫に知られたら大変だから、今度は私が隠さなくちゃ。

そんなことを考えながら、ふと子どもの後ろ姿を見た時、何だか涙が出てきてしまった。

こんなに辛い思いばかりなのに、これ以上傷つけられるようなことがあったらどうしよう。

何とか守らなくちゃ。

そう思っているのに、夫から身を守る術が分からなくて途方に暮れた。

2025年2月16日日曜日

裸足で家の外に閉め出された子ども

きっかけは宿題のプリントを学校に忘れたことだった

小学生の頃、子どもが宿題に出されたプリントを学校に置き忘れてきた。

家では今か今かと父親が待ち構えていて、着くなりその日の宿題をチェックされる。

だから、忘れ物をしたらすぐにバレてしまう。

余談だが、連絡帳の書き方でも何度も叱られていた。

字が汚いとか内容が煩雑だとか、そういうことで。

そうは言ってもまだ小学生で、その頃は低学年だったんだから。

理路整然とした内容にならなくても仕方がないのではないか。

私はそう思うのだが、夫は少しでも不備があると激しく叱りつけた。

そんな感じなので、忘れ物をしたことが分かった時には子どもも焦ったと思う。

激しく動揺する子どもに対して、夫は

「どうするんだよっ!えっ?!」

と詰め寄ったが、恐ろしくて声が出なかったそうだ。

その日は運の悪いことに父親と顔を合わせたくなくてゆっくりと帰ってきてしまった。

だから余計に怒られたんだけど。

すぐに取りに行っても、もう学校に入れないかもしれないという懸念もあった。

夫はそれを分かって居ながら、子どもに

「今から取りに行けよ! 手に入るまで帰ってくるな!」

と怒鳴った。

夫がこういう風に言い始めたら、もうそれに従うしかない。

たとえそれが無理だろうと、言うことを聞かなければ更に怒られるだけだ。

不安な気持ちで家を出た子どもだったが、案の定校門は閉まっていて入ることができなかった。

どうしよう・・・。

家に向かって歩きながら、そう悩んだに違いない。

そのまま帰っても酷く怒られるだろうことが分かっているのに。

それなのに帰るしかなかった。


極寒の中、裸足にTシャツで外に出された子ども

家に帰ったら真っ先にうがいをして手を洗う。

それがいつものルールだったので、子どもは怒り狂う父親に謝りながらジャンパーを脱いで手洗いうがいを済ませた。

その間もずっと怒鳴り続ける夫。

背中にその罵声を浴びながら、『この後どうしよう・・・』と悩んだそうだ。

何をしても叱られそうだけど、ずっと手を洗っているわけにもいかないし・・・。

迷いながら洗い続けていたら、

「いつまで洗ってるんだよ!」

とそれも攻撃の対象になってしまった。

もうどんなに頑張ってもプリントを取りに行くことはできない。

それなのに夫は『どうするつもりなんだ』と詰め寄った。

あまりの剣幕に子どもは怯えて黙ってしまい、それに対して更に腹を立てた夫が玄関に行くように命じた。

仕方なく靴を履こうとしたら夫が急にドアを開けて子どもの体を押しやって、裸足のまま外に閉め出してしまった。

上着も脱いだ後のTシャツのままで。

その後、寒さでぶるぶる震える子どもを私が見つけたのは、仕事から帰った時だった。

驚いてすぐに駆け寄り、自分のコートで覆いながら小声で

「どうしたの?何があったの?」

と聞いたら、プリントを忘れたことを教えてくれた。

唇は紫になっていて、足は氷のようだった。

どうしてこんなことができるんだろう。

時間にすると2時間近くも外に居たことになる。

その間、気になって見に来ることも無かったそうだ。

子どもを抱えるようにしながら玄関の扉を開けると、夫がチラっとこちらを見て、

「甘やかしてんじゃねーよ」

とボソッと言った。

いつもは私も夫に怯えるばかりだが、この時は本当に腹が立って腹が立って仕方が無かった。

このままではいけない。

そう思って食事が終わったタイミングでこの件について話そうとしたのだが、夫から

「こういう時甘やかしてばかりいたらロクな大人にならねーぞ」

と先に言われてしまった。

だけど、私はこういうことを繰り返して大きくなっていくと思ったので、このやり方には断固反対することを伝えた。

「プリントだって、明日の朝少し早く行って授業前にやれば良いんだよ」

子どもにもそう伝えたらホッとした様子だった。

今回のことが起こる前から分かっていたことだが・・・。

あー、この人はそのままの子どもを愛することができないんだな、と思った。

大事だなんて嘘ばっかり。

そんな嘘にほだされるなんて私も大馬鹿だ。

2025年2月15日土曜日

人の好き嫌いが激しかった元夫

『好き嫌い』がハッキリ表に出てしまう元夫

元夫は好き嫌いが激しかった。

これが食べ物の話なら何も言うまい。

そういう人は他にもたくさん居るだろうからね。

でも、元夫の好き嫌いは人に対してだった。

しかも、問題はその相手に対して失礼な振る舞いをすることだった。

見ているこちらがハラハラするくらい、不機嫌オーラをまき散らす。

きっと相手も気づいているんだろうなと思うと、いたたまれなくなった。

本来なら私が注意しなければならないのだと思う。

だけど、私が言ったところで認めないだろうし、万が一認めたとしても『お前に言われたくねー!』と怒鳴るのがオチだ。

タイミングによっては、嫌な思いをさせた上に更に気まずい雰囲気になって、余計に迷惑をかけてしまうかもしれない。

そんな諸々のことを考えたら何もできなかった。

結局何もせず、ただひたすら隣でハラハラするだけ。

たぶん相手は私のことも『隣でへらへら笑ってる変な奴』くらいに思っていたに違いない。

夫が周りの人に対して失礼な態度を取るたびに、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

こんなことをしていれば、さぞかし周りからの評判も悪かっただろうと思われるかもしれない。

でも、違うのだ。

夫は相手を選ぶというか、やっても大丈夫な人に対して横柄な態度を取る。

この人にやったらヤバイという人にはやらない。

そういうのを見極めるのが得意だったのか、知り合いとトラブルになったことはない。

むしろ、ちょっとした交流のある人達からはすこぶる評判が良かった。

「旦那さん、面白くて優しい人ね。羨ましい」

そんなことを言われたのも一度や二度ではない。

外面が良いって本当に恐ろしい。


ちょっと親しくなったママ友を毛嫌いして・・・

私はあまり社交的ではない。

だから積極的にママ友を作るようなタイプではなく、かなり受け身だ。

そんな私にも親しくしてくれるママ友ができた。

何となく気が合って、会えば話し込むこともあった。

それが嬉しくて夫に報告していたのだが、段々とママ友の話題が出ると不機嫌になることが増えた。

最初は好意的な感じだったのにどうしたんだろう。

少し不安に思ったけど、二人に接点は無いので思い過ごしだろうと気にしないようにした。

こんな感じでちょっとした違和感から始まったのだが、気づけばはっきりとした言葉で拒絶されるようになった。

その間、特に何かあったわけではない。

むしろ私もなかなか会う機会がなくて、久しぶりに会ったという話をしたら、

「ああいう奴、大っ嫌い」

と言われた。

決して悪い人ではないし、私のことも気にかけてくれている。

それなのに、一方的に毛嫌いして攻撃的な言葉を並べる夫に対して物凄く嫌な気持ちになった。

それと同時に悲しくなった。

何でそんなことを言われなくちゃならないのかな。

私は夫の友達に何か言われても不満を飲み込んできたし、できるだけ波風立てないようにと気を使ってきたのに。

色々と言いたいことはあったが、我が家では夫の言うことが絶対だ。

逆らうなんて考えたことも無かったので、反論もせずただ黙って聞いていた。

あー、あの人とももう会って話したりできないんだろうな。

家にはいつも夫がいて、特別な外出でもなければ分単位で管理されていた。

それに、あの調子では偶然会った時にも酷い態度を取ることは明白だった。

更に運の悪いことに、恐らく彼女は夫に攻撃されるタイプだった。

そうなったらきっと私のことも嫌になるだろう。

いつもそんな感じで私と周りとの関係を壊されてきた。

だから常に孤独だった。

2025年2月14日金曜日

小学校受験を強要しようとしたモラハラ夫

誰にでもライバル心を燃やす元夫

我が家では小学校受験を考えていた時期があった。

ただし、乗り気だったのは夫だけ。

私と子どもは必死で阻止しようとしていたのだけれど・・・。

きっかけは、保育園のお友だちの話だった。

同学年ではなく一つ上の子で、国立の小学校を受験するというお子さんが居た。

それを聞いた時、私はただ『すごいな~』と思っただけなんだけど。

夫は違っていた。

何故か猛烈にライバル心を燃やして対抗しようとした。

でもねぇ。

こういうのって本人のやる気が重要だと思うんですよ。

うちはもともとのんびり育てたいと思っていて、実際に私はそのようにしていた。

だけど夫は事あるごとに周りからの影響を受けて、急にスパルタになることが少なくなかった。

実はそれまでにも勉強を強要させたり先取り学習をさせたり。

そんなこと、今は要らないよということが多々あった。

それに加えて小学校受験なんて!と思い、むきになる夫をどこか冷めた目で見ていた。

幼い頃の受験は本人が頑張るだけでは足りない。

家庭環境も整えなければならないし、親の意識も重要になる。

そんなことなどはすっ飛ばし、いきなり本人に『何が何でもがんばれ』と言って受験に向かわせようとする夫。

この人はどこまでも自分本位で周りの気持ちなんてどうでも良いんだな、と思った。

これはいつも感じていたことなのだが。

どうしていつも周りと張り合おうとするのか。

他人に必ず勝たなければ気が済まないその性格を何とかして欲しいと常々思っていた。

自分が頑張るだけならまだ良い。

でも、他の人に強要するのは絶対に違う。

私はこういう時『じゃあ、あなたは何か必死で頑張ってるのか?』といつも聞きたくなった。

意地が悪いけど、そう思われても仕方がない。

だって、私たちにばかり一定レベル以上のことを求めてくるんだから。


お金は何とかなる、というけれど・・・

このブログを何度か読んでくださった方ならご存じかもしれないが。

夫はある時仕事を辞めた。

体調不良というのが大きな理由だったけど、それ以降も離婚するまで働いていない。

それを知っていたら『費用もかかるのに受験なんてとんでもない!』と考えるのが当然だと思う。

でも、この話が出た頃、実はまだ辛うじて仕事をしていた。

平均よりも少し上の収入を得ていて、ごく普通の共働きの家庭だった。

だからお金の面は何とかなると思ったのかもしれない。

その受験をすると言っていた子は一つ上で、幼い頃から準備をしてきたはずで。

いきなり『さあ、やるか!』となっても追いつくことは難しいのに。

夫はまるで『俺の子なんだから特別なはずだ』と言わんばかりの主張を繰り返した。

これは自分のことも特別だと思っている証拠だ。

だから周りに尊敬されなければ気が済まないし、軽く扱われるようなことがあれば怒りを我慢できない。

今ならこういう所がメンドクサイと分かるのだが、当時は必死だった。

夫を怒らせないようにしなければならないため、全く乗り気でない受験の話も『うん、うん』と聞いていた。

ただ、このくらいじゃ満足してもらえないので、

「将来のことを考えるのは、いつも俺だけじゃねーか!お前の意見はどうなんだよ!」

とキレられた。

本当のことを言ったら更に怒るくせに。

受験なんてさせたくないし、本人だってやる気はない。

そんな風に言えたらどんなに楽だっただろうか。

でも、言えないまま時間だけが過ぎていって毎日毎日『受験の準備をしろ』とせっつかれた。

あれほど自分が切望したことなのに全く動く気配もなく。

もう受験の申込も間に合わない、というタイミングまでずっと言われ続けた。

2025年2月13日木曜日

義両親からの理不尽な叱責

事の発端は会社に持参していたお弁当

私は毎日会社に行く時にお弁当を持参していた。

一食当たりのコストを考えるとコンビニなどで買うのは現実的ではない。

もしお昼にまでそんなにお金をかけてしまったら朝晩が疎かになってしまう。

そう思ってお昼は極力お金を掛けないようにした。

大抵は晩御飯の残りを詰めて、ご飯は休みの日にまとめて炊いて冷凍しておいたものを使った。

そうすれば最小限の出費でまかなえる。

ある時、ストックしていたご飯が切れていることに気づいた。

でも、平日の夕食後に炊いている余裕はないので、何か代わりになるものはないかと考えた。

そこで思いついたのがパスタ。

実は私は大のパスタ好き。

お弁当に詰めるのはちょっと難しいんだけど・・・。

麺を食べやすい長さにカットして、100円で購入した市販のソースと混ぜた。

この時、夫のお昼も気になっていたのだが、

「明日の分、ご飯が無くてパスタにしようと思うんだけど。要る?」

と聞いたら、

「パスタじゃ要らない。何か家にある物を食べるから良いや」

と案の定の返事がかえってきた。

それで自分の分だけを作って翌日持って行った。

そして日曜日。

義両親が例のごとく登場し、みんなで世間話をしていた時のこと。

夫が唐突に、

「コイツ、弁当にパスタなんか持って行くんだよ。変わってるよなー」

と言い始めた。

そこで終われば良かったんだけど、義父がそれを聞いて

「それじゃ、お前の昼はどうしたんだ」

と質問してきたので、夫が

「俺は家にあるカップ麺食べたわ」

と答えた。

その瞬間、不穏な空気が流れた。


夫のお昼を用意しなかったことが気に入らないらしい

これは責められそうだな、と思った。

だから、すぐに

「パスタで良いか聞いたんですけど嫌だと言うので・・・」

と言ってみたのだが、二人とも聞く耳持たず。

義母は実際にはそれほど問題と思っていないのかもしれないが、義父が怒っていたら空気を読んで追随してしまう。

あー、これはマズイ展開になった。

夫も言い方を考えて欲しいよ、と思いながら平静を装った。

本当は傍から見ても分かる位かなり嫌な空気になっていて、笑い話にも引きつった笑みでしか対応できなかった。

更に悪いことに、その様子を見て反省していないと思われたようで、

「ちょっと・・・」

とキッチンの方に呼ばれてしまった。

見ると義父はかなり怖い顔をしていて、小さなため息をつきながら

「もうちょっと考えてやってよ。体のこともあるんだからさ」

と怒られた。

心配する気持ちは分からないでもないので、

「はい・・・」

と言って、それ以上言い訳はしなかった。

どうせ言ったところで納得はしないだろうし・・・。

でもね、普段から本人が『これなら食べる』という時には作ってるんだよ。

だけど食べたくない物もあるようで、そういう時は夫の方から断ってくる。

義両親だって長年一緒に住んでいたんだから分かって居そうななものだけど。

結局、息子ファーストにして欲しかったのだと思う。

ないがしろにしている訳ではなくても、こういう時は結構責められる。

しかも、『仕事だけしてれば良いってもんじゃないんだよ』という空気を出してくることが多かった。

仕事だけじゃないよ。

家のことも子どものこともほぼワンオペでやってるよ。

そう言いたかったけど周りに味方が居ないのでグッと言葉を飲み込んだ。

2025年2月12日水曜日

離婚を「だまし討ちだ!」と言った義父

「一度離れたい」という気持ちを伝えて話し合い

夫とは離婚の話を何度かした。

本当は決まるまで頻繁に話し合って一気に決めてしまいたかったんだけど。

いざとなると夫の方に応じる気配がなく・・・。

結局いたずらに時間だけが過ぎて行った。

そうは言ってもこちらだって待ってるだけというわけにはいかない。

これを逃したら今度はいつこんな方向に持って行けるか分からないから。

この頃は毎日緊張して過ごしていた。

今日こそ承諾してもらえるように頑張ろう。

そう意気込んで話すのだが、相手はのらりくらり。

内心は焦っていても強く出たら今度は攻撃されてしまう。

その加減が本当に難しくて苦労した。

もっとも恐れていたのは、へそを曲げてしまって話し合いのテーブルにさえついてくれなくなることだった。

そうなったら、せっかくここまで持ってきたことが水の泡になってしまう。

だから、慎重に慎重に話し合いを重ねて少しずつ進めていった。

最後は夫が折れる形で『将来的には元に戻る』という希望を抱かせつつ離れたわけだが。

絶対に戻らないことは私の中で決まっていた。

何故夫がこんな提案を受け入れたのかというと、恐らく私たちが自分の元に戻ってくるという自信があったからだと思う。

それほどまでに家族としての絆に自信があったのだ。

夫婦の話し合いは一度これで決着がついたかに見えた。

だけど、まだ肝心なことが取り残されていた。

それは義両親への対応だ。

予想通り、後日報告を受けた義父は大変憤っていた。


「こんなことをされるとは思わなかった!」と怒りをぶつける義父

離婚の報告をしたところ、義父はとても怒っていて義母はショックを受けていた。

私のこの持って行き方が、『まるでだまし討ちみたいだ!』と言われた。

そしてしばらくの間怒りをぶちまけた後も納得できないのか、何度も子どもに

「良いのか?パパとママがお別れしちゃうとおじいちゃんとも会えなくなるぞ」

と脅しをかけていた。

でも子どもが、

「うん、大丈夫」

と答えたので、その怒りの矛先は私に向かった。

そもそも子どもにこんなことを聞くこと自体が間違っている。

まだ小学生なんだから、その場の雰囲気で流されたり答えられないことだってある。

万が一子どもが『嫌だと言え』という雰囲気を察知してその通りにしたら、子どものせいにしてこの件を無かったことにするつもりなのだろうか。

私は思わず、

「もうたくさん話し合って、ようやく答えが出たんです!」

と言ってしまった。

そうしたら、今度は『これまで良くしてやったのに』という感じで延々と責められた。

確かに気にかけてもらったな、と感じる部分もある。

でもそれ以上に夫との結婚生活が辛かった。

それに、モラハラやDV、虐待という面では義両親の存在が歯止めになることは無かった。

むしろ悪化させていたかもしれない。

これが一番の問題だったんだから、改善されることが無いのなら離れるしかないではないか。

もう何を言っても無駄だと悟った私は、

「すいません」

と繰り返し言い、嵐が過ぎるのを待った。

私たちがもう戻らないであろうことを義父は感じ取っていたのだと思う。

責め続ける義父の横では、義母が黙って涙を流していた。

2025年2月11日火曜日

「戻れるかもしれない」と希望を抱く元夫

戻りたい元夫

『元に戻りたい』、これは元夫が抱いている願望だ。

そして、未だに『戻れるかもしれない』と考えていることも知っている。

そんな思考になってしまう半分は私の責任だ。

元夫はとても怖かった。

今でもその恐怖を忘れることができず、いつも穏便に済ませようとしてしまう。

万が一強気に出て何かあったら大変だから。

その影響が自分だけにとどまるとも限らないので、どうしても慎重にならざるを得ない。

そうすると曖昧な態度になってしまい、そこに希望を見出してしまうのだと思う。

心の中では100%全力で拒絶しているというのに。

面と向かっては言えない私の弱さ・・・。

子どもは今は安全だと思っているから以前よりも自由に行動できるようになった。

離れたばかりの頃は常に監視されているような不安があったので、いつもソワソワ。

家の中に居ても急にやってくるのではないかと落ち着かない。

それで、勇気を出して『急な訪問は困る』と伝えた。

たったこれだけのことなんだけど、私にとっては決死の覚悟だった。

それくらい元夫はキレやすかったので、それを言う時も色んなことを想像してしまって体が強張った。

話をした時には面白く無さそうにしていたけど、それでも一応は伝わったと思う。

電話もしたくないと言えれば楽なんだけど。

今はほとんど出ないようにするだけで精一杯だ。

ただ、子どもの番号を教えろと言われた時にはさすがにはっきりと断った。

これからも聞かれたら困るから、明確に意思表示をしたつもり。

まったくいつになったら忘れてくれるんだろう。

どうせ、私たちへの愛情なんて無いだろうに。


とりあえず離婚、に合意してもらったという奇跡

離婚はある程度は計画的だった。

でも、いざとなったら予定通りには進まなかった。

元夫に納得してもらうのは不可能に思えるほど難航した。

何度かの家出を経て私の方の気持ちはある程度固まっていても夫の方は違う。

上手くやれていると勘違いしていて、『自分の言うことが絶対』というマイルールもある。

それで、私も計画を練って

「今のままいくのは厳しい。一度離れて今後のことを見つめ直したい」

と訴えた。

そうしたら、元夫は

「それなら離婚じゃなくて別居でも構わないだろ」

と言ってきた。

そりゃーそうだ。

確かにこの言い方だと物理的に離れれば良いことになってしまう。

私も焦って再び色んな言い訳を考えて、

「戸籍上のつながりがある状態では気持ちを整理できない」

と粘った。

結局最後までこの線でいくことにして、元夫が懐柔しようとしてきてもキッパリと拒絶した。

今怖い思いをしても、それで離れられるのなら・・・。

とにかく必死だったし、子どものためにも早く決着をつけたかった。

ただ、これが上手く行ったのは正直奇跡だと感じている。

あの策士の元夫がこんな提案を受け入れるはずがないと心のどこかで思っていた。

それなのに、予想以上に上手くいってしまった。

これには自分でも驚いて飛び上がりたくなるほど喜んだのだが、

『時期が来たら戻るんだから。それは忘れるなよ』

という言葉で一気に現実に引き戻された。

2025年2月10日月曜日

モラハラ夫からの手紙

我が家に届いた小さな段ボール箱

ある日、我が家に荷物が届いた。

小さな小さな段ボール箱。

箱の上面には送り状が貼ってある。

その名前を見た瞬間、ゾワッとした。

普段、我が家に荷物が届くことなんてめったに無いから何となく予測はしてたけど。

実際にその名前を見てしまったら背筋が寒くなり、一瞬で心が硬くなっていくのを感じた。

本当に気まぐれで荷物を送ってくるのを止めて欲しい。

事前に知らされても嫌だけど、突然送られてきたら戸惑ってしまう。

子どもにだって歓迎されていないのに分かってないのかな・・・。

元夫は独りよがりな人だ。

これで【父親としての責任】を果たしていると思っているのかもしれない。

中に入っているのはお菓子がメイン。

一体今何歳だと思ってるのよ。

もう小学生じゃないのよ。

それに、たとえ好物だとしても、そんなに同じものを送られたら困ってしまう。

入っていたのは夫と一緒に暮らしていた頃に子どもが大好きだったお菓子だった。

実は、今はそんなに好きじゃない。

そんなことも知らずに送ってくる夫。

知ることができないから仕方が無いんだけど。

・・・あー、そうか。

この人の中では子どもはあの時のままなんだ。

どんな気持ちでこの箱にお菓子を詰めたのかな、とふと想像してしまった。

そうしたら何だか可哀そうになり、罪悪感がわきあがってきた。

これはダメなやつだ。

絶対にこういう思考になっちゃいけないのに、こういう時に突然同情心が芽生えてしまう。

子どもが喜ぶかな?なんて想像しながら箱詰めしたのかな、なんて考えたら。

可哀そうだと思わずにはいられなかった。


中に入っていた手紙を子どもに渡すべきか

夫の独りよがりな行動には困惑させられることも多い。

その中でも一番困るのが手紙だ。

これはもちろん私宛ではない。

子ども宛なのだが、渡しても良いものか悩んでしまう。

だって、中には

「パパのことを許してくれますか」とか「会いたいです」とか書かれてるんだから。

酷い時には「家族の中にパパの居場所が無くなって寂しい」と書かれていてゾッとした。

あなたは家族ではない。

たとえ子どもと血のつながりはあっても。

それが免罪符になるわけではないんだよ。

これまでしてきたことを考えて欲しい、と思ってしまった。

家族としての居場所を求めるなんて図々し過ぎる。

私はいつも夫がこんな要求をしてくるたびに腹を立て、子どもに手紙を渡すのを止めた。

でも、ある時子どもが先に箱を開けて手紙を見つけてしまった。

父親からの荷物の中身を早く見たかったというわけではない。

うわー、何か来た、怖いな~と思っただけ。

放置するよりも、すぐに中を確かめて処理してしまいたかったみたい。

それで手紙を見てしまったのだが。

子どもは読まずに捨てた。

ゴミ箱に投げ入れながら、

「あーなんか気持ち悪い」

とも言っていた。

ただ、その様子が何だか泣きそうに見えて・・・。

あの時子どもはどんな気持ちだったんだろうか。

もしかしたら私が考えている以上に複雑なのかもしれない。

2025年2月9日日曜日

よその家が羨ましくなった日

仲睦まじい友人夫婦が羨ましい・・・

久々に友人と出かけた。

なぜか気が合って一緒に居ると楽な人なんだけど。

彼女も働いているので、家族が揃うお休みの日はとても貴重だと思う。

私の用事なんかに付き合わせて大丈夫なのかな、とふと気になり、

「おうちの方は大丈夫なの?」

と聞いてみた。

だけど、

「全然大丈夫だよ」

と言うので、その言葉に甘えて予定通り用事を済ませに行った。

行ったは良いけど用事がなかなか終わらなくて。

3時くらいには終わるだろうと考えていたのに夕方になってしまった。

いよいよもってマズイのでは?と焦って

「そろそろ帰らなきゃいけないよね」

と言ってみたら、彼女は

「大丈夫だよ。夕飯は夫が作ってくれるから」

と教えてくれた。

私はこの言葉に驚いてしまった。

夕飯を作ってくれるなんて、なんて優しい旦那さんなんだろう!

よそのお家のことながら感激してしまった。

彼女は本当に良い人と巡り合って結婚したと思う。

寛大で優しくてちゃんと働いて稼いでくれる。

これが揃うことって、ありそうでなかなか無い。

そういうレアケースにたどり着いた幸運な一人なんだなぁとぼんやりと思った。

私の境遇とはあまりにも違う。

本当に物凄い差で、私は夫からそんな優しさをもらった記憶がない。

いつもビクビクして夫に怯える生活だったから、怒られないことが幸せなんだと思っていた。

離婚してからはそれがおかしかったのだと分かったけど。

私はもう夫との幸せな生活というのを味わえそうにない。

どこでどう間違ってしまったんだろう・・・。


幸せな家庭を築きたかった

普段は弱みを見せないように気丈に振舞っている。

でも、本当は泣き出したい日もある。

特に自分の将来が不安になったり幸せそうな家族と自分を比べてしまったりすると非常に堪える。

ただ、私は良いのか悪いのかおっとりして見えるようで、心の内にこんな思いを抱えていることを誰も知らない。

気付かれていないということは上手く隠し通せているということ。

それで良いと思っている。

この『幸せな家庭を築きたかった』という思いは、どうやったって昇華できない。

私にできるのは、せいぜい今のこの環境が少しでも良くなるようにがんばること位だ。

それよりも可哀そうなのは子どもだ。

我が家に生まれたばかりに幼い頃から苦労をさせた。

物心つく前から父親には厳しくされ、幼児の頃には虐待が始まった。

母親の私がもっとしっかりしていればとも思うのだが。

元夫への対処法は今でも分からない。

せめてこれからは心穏やかに楽しく暮らして欲しいという一心で頑張ってきた。

勝手にそれが子どもへの償いだと思ってやってきたんだけど。

少しはできているのかな。

今日の幸せそうな友人を見た時、どんなに足掻いても手に入らないものがあるのだと悟った。

そんな家庭を切望しながらこれからの人生を生きていくのはやっぱり辛い。

2025年2月8日土曜日

「虐待されても父親」という呪縛

正論だけど正しくない

ある人が言った。

『子どもを虐待していたとしても血のつながった父親なんだから』と。

確かに元夫は子どもの父親だ。

それは紛れもない事実だし、今後も変わることはない。

だけど、もう一方から見れば他人よりも疎遠にしたい人という事実がある。

その人は夫のことをよく知らないからか、

「誰にでも悪いところはある。でも良いところもあるのよ」

とも言った。

確かに結婚までしたのだから良いところがあったというのは否定しない。

ただ、今となってはどんなところが良かったのかを思い出すことができない。

それほど結婚生活でのモラハラ虐待が強烈過ぎて、良かった思い出なんか全て綺麗サッパリ消え去ってしまった。

残ったのは苦々しい記憶と辛い思い出だけ。

虐待のことも、その場に居ないと分からないことってあるのだと思う。

私だってニュースで見た時に言葉からだけだとそれほど重い事象に思えないことがある。

当事者だった私でさえそうなんだから、そんなことを経験したことのない人なら尚更軽く受け止めてしまうだろう。

大抵は、こういう話になった時に私は大人しく聞いている。

相手だって良かれと思って助言してくれているのかもしれないから。

でも、会話の中で

「虐待と言っても、それは強い愛情から出てしまった行為かもしれないわよ」

と言われた時には反論した。

黙っていようかとも思ったのだが、これだけは否定しなければと思ってしまった。

あれを『教育だったのよ』と言う彼女の言葉は子どもの辛い思いを否定することにもなると思う。

だから、どうしても伝えたかった。

そうしたら、

「色んな受け止め方があるわよね」

と返された。

そう、色んな受け止め方がある。

あれを強い愛情の裏返しという人がいても驚かない。

だけど当事者が辛くて我慢できなかったと言うのなら、それに寄り添って欲しいと思ってしまった。

まあ、それもこちらの勝手な願望なんだけどね。


他人の言葉に惑わされずに生きていく

私たちに大事なのは、他人の言葉に一喜一憂するのではなくて自分たちの気持ちを大事にすることだ。

世の中には様々な考えの人が居て、意見が合わないこともある。

それは自然なことだし、それで良いのだと思う。

わざわざ一つの意見に合わせようとする必要はない。

一人一人の気持ちを大事にできればそれで良い。

幸いこの人はそれ以上何かを言ってくることはなかった。

中には自分の意見は正論だと言わんばかりに説き伏せようとしてくる人もいる。

そんな時には反論するのも面倒だし内心はとても傷ついてしまう。

それで、この件に関して話すことも聞かれることも億劫になった。

私たちもそのたびに傷ついていたら身が持たないんだよね。

気持ちが落ちている時には防御力も下がって普段のような対応ができなくなるから、それも怖い。

そのタイミングで元夫からの攻撃にあったら致命的な失敗を犯してしまうかもしれない。

だから、できるだけ平常心でいるように心がけている。

攻撃してくるのは元夫との交流が多少なりともあった人たちばかりで。

あの見せかけの『良い人』に騙されてしまったんだと思う。

恐ろしいことに、そういう人たちは夫のことを信じて疑わない。

何を言っても、嘘をついているのは私だということになってしまう。

これはね、元夫がどれだけ上手く人を欺いていたかということになるんだけど。

一度そういう印象ができてしまったらどうにもならないのよ。

状況を改善しようと動けば動くほど悪化していくという悪循環・・・。

そんなことを考えたら、私たちにできることは多くは無いのかもしれないと感じた。

色んなしがらみもあるけれど、せめて他人の言葉に惑わされないように生きていきたい。

2025年2月7日金曜日

「頭金、いくら出せますか」

不動産屋での話

近場の不動産屋に足を運んだ。

まずは簡単なプロフィールなどの情報を書き込んで、口頭でもいくつかのことを聞かれた。

その時に、担当営業から

「それで、頭金はいくら出せますか?」

と聞かれた。

よく見たらシートにも記載する項目があったようだ。

それを空欄で出したものだから、確認のために聞いてきたのだった。

計画的に動く人ならこういう場でもスムーズに答えられるのだろうが、私はうーんと考えてしまった。

そもそも、一般的にはどれくらいの額を入れるものなの?

年代によっても違うと思うけど、私くらいの年齢の人たちは幾らくらい貯めて、そのうちどの程度の割合を頭金に入れるのだろうか。

悩んでいると、担当営業が

「頭金を多く入れれば、その分ローンの負担が軽くなりますよ」

と当たり前のことを言った。

そんなの知識のない私でも分かってる。

でも、全部入れるわけにはいかないでしょう?

そもそも子どもにかかる費用だって、いつ何時突発的な出費があるかも分からないし。

それ以外にも自分や親関連でお金が必要になるかもしれない。

それを考えたら、そう多くは入れられないなと思った。

それで、

「頭金を入れないっていうのはできるんですか?」

と聞いてみたのだが、

「お客様の年齢で頭金無しにして全部ローンにすると・・・」

と言いながら電卓をパチパチと打ち、その後物凄く申し訳なさそうに

「現実的に中古でも購入できる物件はこのあたりには無いかと思います」

と言われた。

ううう・・・世知辛い世の中ね。

頑張ってローンを払っていくよ、と言っているのに頭金を入れなければ手の届く物件が無いなんて。

結局この件は即答できず、持ち帰りとなった。

そして今、私は無い頭を悩ませている。

『これくらいの頭金を用意できれば』というおおよその額を聞いたのだけど。

それを払ってしまったら、その後の生活が怖すぎるー😱


もっと貯金をしておけば良かった

今となってはあとの祭りなんだけど。

若い頃にもっと貯金をしておけば良かった、とつくづく思った。

独身の頃だったらもう少し頑張れたかもしれない。

結婚した後も少しの間の共働き時代なら貯金を殖やせたはずだ。

もっとも、元夫が無職になってからはカツカツの生活だったから、その間のことを考えると致し方ない部分もある。

それに、万が一そんなに貯金ができていたら、恐らく元夫や義両親の要望通り強制的に義実家を建て替えることになっていただろう。

どんなに拒絶したって、それができるというのが分かったら諦める人たちではない。

諦めてくれたのは私に余力がないことが明らかだったからで。

あの状況ではそんなに持っていなくて正解だったとも思う。

それにしても悩むなぁ。

年齢が上がれば上がるほどローンを組める期間は短くなって、その分借りられる額が減る。

しかも、今の情勢を鑑みるに利息も上昇傾向にある。

それならば少しでも早く購入した方が良いのではないか。

ただ、頭金を少しでも多く貯めたいと考えるのなら少なくとも年単位の猶予が欲しいところだ。

そんなことをつらつらと考えていたのだが、ふと肝心なことを忘れていることに気づいた。

そうだ、うちの親が実家では不便になってきたから家を買いたいと言い始めたのだった。

やっぱり早く買わなければダメなのね、と思いつつ予算的に非常に厳しくて何か打開策はないかと日々考えている。

2025年2月6日木曜日

家探しが難航している今、思い出すこと

シングルマザーは厳しいんですって

家探しを始めてから数か月が経つ。

最初はネット検索がメインだった。

近頃はとても便利になっていて、間取りや場所だけでなく外観や内装なんかも画像で簡単に確認できる。

パッと見で気になる物件も結構見つかる。

ただ、予算がね~。

ご存じの通り、我が家は母子家庭。

私は正社員とは言ってもバリバリのキャリアウーマンではない。

高収入でもなければ、太い実家があるわけでもない。

そういう条件のシングルマザーは結構厳しい。

探していたら、ずっと売れ残っている家があることに気づいた。

これまでに多くの人がその情報を見ているはずだが、それでも買い手がつかないということだ。

家は建ててから1年が経過すると新築ではなくなるらしい。

売り手としてはその前に売ってしまいたいところだが。

高い買い物だから誰でも慎重になるのは当たり前。

しかも、そういう家でも私が購入するには高い高い壁が立ちふさがる。

それを実感するたびに続ける気力が失われていくんだけど。

そうも言ってられない状況なのだ。

最近は実際に店舗に足を運んで相談している。

でも、未だに収穫無し。

やはり私のような条件だと厳しいのだと、営業さんにハッキリ言われてしまった。

ショック・・・。


元夫は義実家を建て直したがっていた

以前何度か義実家への同居話が持ち上がった時のことなのだが。

今ある家にそのまま住むのではなく、建て直したいと思っているようだった。

ずいぶんガタが来ているとか外壁ももう塗り直す必要があるとか。

家の修繕が必要なことは聞かされてきた。

床下もダメになっていそうだから、手を入れるにはかなりのお金がかかりそうに思えた。

我が家で同居の件で話し合いをしている時、夫が唐突に

「ローンいくらまでなら組めるの?」

と聞いてきた。

びっくりして咄嗟には答えられなかった。

すると夫は畳みかけるように

「うちの実家も建て直した方が早いと思うんだよね」

と言った。

建て直す?

義実家を?

誰が???

急にこんな話になって、私はとても慌てた。

なんで私が義実家のローンを組まなきゃならないのよ。

それにローンなんてそんなに簡単に組めないんだから。

内心は『どうしよう、なんて言ったら納得してもらえるんだろう』と考えていたのだが、その時にやっと出た言葉は、

「建て直すの?リフォームじゃなくて?」

だった。

リフォームするとなると全体的に大掛かりな工事が必要になると言う。

トータル金額を考えると建て直すのと変わらなくなり、それならいっそのこと建て直した方が良いのだと夫&義両親は力説していた。

もし仮にそうだとしても・・・。

あなたたちで勝手に組めば良いじゃないの。

そう思ったけど、よく考えたら夫は無職だし義両親は年金暮らしだった。

当時はまだ転職して1年位しか経っておらず、

「無理だよ。勤務年数が足りないし」

と伝えたらとりあえずは納得してたけど。

転職した後で本当に良かった。

もし本当にローンを組まされていたら離婚はもっと大変になったことだろう。

2025年2月5日水曜日

ドライヤーが壊れた・・・

今月はもう家計に余力がありません

お風呂上りに髪の毛を乾かしていたら、ドライヤーが壊れました。

それじゃあ買おう!とすぐに言えないのが辛いところ・・・。

お給料日から半月も経てば、我が家にはもう自由になるお金はありません。

元々最初からほぼ行き先が決まっていたので。

割り振ったら残るのは微々たる金額です。

それなのに、必需品とも言えるドライヤーが壊れてしまいました。

しかも、残金との闘いになり始めるこのタイミングで。

いやー、いつだって困るんだけどさ。

これがお給料日直後だったらもっとやり繰りを考えて食費を今以上に切り詰めてとかできたわけよ。

でも、もう余力もないのにどうすれば良いのやら。

壊れたドライヤーを手に途方に暮れてたら、子どもがネットで探してくれました。

「こんなのもあるよ」

と言われて画面を見たら2千円台のシンプルでコンパクトなドライヤーの画像でした。

まあ、そのくらいのになっちゃうよね。

ただね、あまりにも安いものを買うとすぐに壊れてしまったり色々問題が起こるのよ。

厳しいけど、もう少しだけ良いものが欲しいと思ってしまいました。

壊れて見えるけど、もしかしたら部品が取れただけで直るんじゃないかとも思って試してみました。

でも無理なんだと分かりました。

何度試してみても取れた部品がくっつく気配はなく、元通りにはできません。

その上、内部のフワフワのスポンジみたいのが劣化していたのか、ボロボロとゴミが出てきてしまいました。

こりゃー掃除も大変だよ。

残念だけどこれはもうどう頑張っても直らないということを悟り、途方に暮れました。

子どもはいつも自然乾燥なので全く気にしていない様子。

自然乾燥でもサラサラになるその髪が羨ましい・・・。


くせ毛にはドライヤーが必須

ストレートの人なら、ちょっとの間ドライヤーを使わなくても問題無いんだろうなと思います。

でも私はそういうわけにいきません。

くせ毛なのできちんと乾かさないと翌朝とんでもないことになってしまいます。

オイルだけで落ち着かせられるような大人しい髪の毛ではないし・・・。

だから、面倒だけど最近は乾かすようにしてました。

お風呂が遅い時間になった時でも、せっせとドライヤーで乾かして。

毎日毎日使っていました。

それなのに急に使えなくなるなんて。

昨日は目を皿のようにして深夜まで探していたのですが。

やはり性能=価格という感じですね。

今候補として挙がっているのは3千円ちょっとのパナソニック製です。

本当はね、もうちょっと高めのラインナップから選びたかったんです。

でも、ここで無理をするわけにはいかない。

毎日のご飯のことだってあるし、次のお給料日までの間に何か突発的な出費がないとも限りません。

今回はこれで妥協しておくか、と思いつつ高性能商品が気になっている私です。

でもまあ、最終的には乾けば良し!

ということで、明日には注文してコンビニで支払ってきます。

2025年2月4日火曜日

ぬいぐるみは私の癒し

大人になっても大のぬいぐるみ好き

幼い頃からふわふわした物が大好きだった。

何か悲しいことがあっても私を癒してくれた。

最初は両親に買ってもらうことが多かったんだけど。

中学生くらいからは自分でも買うようになり・・・。

一人暮らしをし始めた時にはお気に入りの物をいくつか持って行った。

結婚してからも相変わらず好きだったんだけど、夫の冷めた視線を気にしてあまり触れなくなった。

でもさ、辛い時にはどうしても触れたくなるんだよね。

私たちの結婚生活は辛いことの連続だったから、心の中では常に求めていた。

だけどそれを表には出さず、いつも平気なフリをしてやり過ごした。

夫は私たちの大事にしている物を壊そうとする。

もしそれほどまでに大事にしていることが分かったら何をされるか分からない。

だから、大事じゃないフリをした。

そうは言っても態度には出てしまうから夫は気づいていたかもしれない。

勘の良い人なので隠し事をするにも一苦労で離婚の時も大変だった。

その癒しのぬいぐるみ達はいつも部屋の隅っこにあって、寝る時にこっそり持ってきたりしていた。

触れていると幸せな時を思い出すことができる。

穏やかな気持ちになって心が満たされていくのを感じた。

眠れない時にも活躍してくれた。

ギュッと抱きしめるとなんだか眠くなってきて、自然と寝入ることができるのだ。

私にとっては特別な存在だったのだが、夫には理解できなかったようだ。

ある時、ぬいぐるみの頭をなでなでしているのを見られてしまったことがあった。

そうしたら夫は無表情な顔で、

「意味わかんねー」

と言った。


ごみ箱に捨てられたぬいぐるみ達

子どももぬいぐるみ好きに育った。

これは明らかに私の影響だと思う。

夜はお気に入りのいくつかを布団に持っていき、顔の傍に置いて寝ていた。

それが今でも習慣になっているが、夫と一緒に暮らしていた時にはそれすら許されなかった。

子どもがテストで間違ったとか夫が出した課題をスムーズに解けなかったとか。

そんな理由で怒ることがあった。

そういう時は決まって子どもの大事にしている物を捨てようとした。

例えばお気に入りのノートや文房具、手袋などが捨てられた。

捨てると言ってもごみ箱に投げ入れるだけだから、ごみの日までずっと目についてしまって尚更悲しい。

子どもだって本当は捨てたくなんかない。

だけど、ごみ箱から拾おうとすると夫から怒られるから黙ってじっと見ていた。

そもそも生ごみの上などに捨ててしまうから拾ったところでもう使えない状態のことが多い。

子どもにしてみれば、それでも拾いたかったんだろうけど。

夫から監視されていたので我慢していた。

ぬいぐるみも例外ではなかった。

ある時、怒った夫がぬいぐるみを持って投げつけ、それでも気が済まなかったのかごみ箱に放り投げた。

しかも、わざわざキッチンの方のごみ箱に。

生卵の殻なんかが入っていて、どんな状態になるかは容易に想像ができた。

子どもは大泣きして取り出そうとしたが、夫がその手を叩き

「やめろよ!」

と言ったので取り出すこともできず、しばらく呆然とその前で立ち尽くしていた。

あまりにも酷いと思って私も夫の制止を振り切って取り出そうとしたのだが、

「やめろって言ってんだろ!」

と怒鳴られて壁際に押し付けられた。

どうしよう。

ごみの水分でどんどん汚れちゃうよ。

気持ちは焦っているのだが、力でねじ伏せられてしまいどうにもできない。

その後夫が昼寝をした隙に急いで確認したのだが、もうべったりと汁気で汚れていた。

洗っても落ちそうにないし、洗わせてくれるはずもない。

二人で泣きながら、

「残念だけど、もう駄目だね」

とぬいぐるみにお別れをした。

今思い返してみると、あれは私に対しての嫌がらせでもあったんじゃないかと思う。

私がぬいぐるみ好きなことを快く思っていなくて、ああいうことをしたのではないかと。

今は二人とも好きなものを買えるし、寝る時には相変わらずお気に入りに囲まれている。

隣で幸せそうな顔で眠っている子どもを見ると本当に幸せ。

全てを奪われた私たちが再生するのは簡単ではなかったけど、何とかここまで来れたことに感謝している。

2025年2月3日月曜日

知人にマウントを取られた話

節分の恵方巻を買おうとしていただけなのに

昨日、恵方巻を買いに近所のスーパーに行った。

少し遅めの時間にしたのは、もしかしたら値引きシールが貼られているかな?と期待したから。

でもまだ少し早かったのか定価通りだった。

たくさん並んでいる恵方巻のパックの前でうーんと悩む私。

最近こういう類のものも値上がりしてるからね。

時間にすると数分ほどかな。

行ったり来たりして、どれにしようかと考えていた。

その時偶然、知人が通りかかった。

普段顔を合わせた時も軽く挨拶を交わす程度の人。

だから、挨拶したらすぐに通り過ぎると思ったんだけど。

何故か横にピッタリと張り付いてきて

「恵方巻?私もそれを買いに来たのよ」

と話し始めた。

私は

「そうなんですよ~。今年はまた値上がりしてますよね、迷っちゃう」

と答えつつ、離れようとしたがついてくる。

その人のまだ何か話したそうな様子に少し戸惑った。

長くなると困るから別の売り場に行こうかなとも思ったけど、ずっと話していてそのタイミングがない。

それで、さっさと決めようと思ってパックに手を伸ばしかけた時、お店の人が奥から出てくるのが見えた。

値引きシールを貼り始める時間だ。

目の前でどんどんシールが貼られていき、お目当ての恵方巻を2つゲットして籠に入れた。

そのまま、

「それじゃあ、失礼します」

と行こうとしたら、急に

「あなた、ちゃんと養育費もらってるの?」

と聞かれた。

突然そんな話になるなんて夢にも思わず、正直驚いてしまった。

私にとっては触れられたくない話だから、多分挙動不審な動きをしていたと思う。

しどろもどろになりながら、理由があってもらっていないことを伝えたら、

「そういうのは権利なんだから。きちんと伝えないとダメよ!」

となぜかお説教をされた。

こういうことを言われたのは初めてではない。

少し年上の人たちから切々と説かれたこともある。

だけど、うちの場合にはそういう交渉ができない状態だから、

「無理なんですよ。色々事情があるので・・・」

とだけ答えた。


なぜここでマウント・・・?

私の答えが気に入らなかったのかもしれない。

知人はやや攻撃的な感じになり、

「あなたがそうやって逃げてることで子どもが不利益を被るのよ」

と言い始めた。

それは十分に分かっている。

もしちゃんと養育費を貰えていれば、もう少し安定した生活を送れるのに、といつも思っている。

だけど、そうできない理由があり、夫と話し合うことも正直気が進まない。

せっかく離れられたのに、何か交渉しようとしたらまた引き戻されるかもしれないというのも不安。

それに、直接話すこと自体が怖いんだから、それ以前の問題だ。

自分でも不甲斐ないとは思ってるんだけどね・・・。

どうにもならないんだよ・・・。

私は常に最悪の事態を想定しながら動いてきた。

相手はあの元夫なのだ。

恐ろしいほどに知恵が周り狡猾で周りを上手くだます人で。

下手したら今の幸せな日常も壊されかねない。

そう考えたら身動きが取れなくなってしまい、何もできなかった。

だから今置かれている状況で必死にもがいてきた。

ただ、それも周りから見ればただの甘えに見えるのかもしれない。

はっきりしない私にイライラしたのか、知人は更に攻撃的になった。

『うちの子がそれくらいの頃は~』と自分の子自慢を始め、我が家を憐れむような発言を繰り返した。

あんまりにも『可哀そう、可哀そう』と言うものだから本当に嫌な気持ちになったんだけど。

それ以上に腹が立ったのは、

「お子さんに会わせてあげていないんでしょ」

という言葉だった。

会わせることなんてできないんだよ。

会ったら何されるか分からないんだから。

子どもに会わせないから養育費も貰えないと主張する彼女は、きっと幸せな人なんだと思った。

自分たちの命を守るために養育費を諦めてでも会わせられない人が居るということを、きっと想像もしたことがないんだろうな。

2025年2月2日日曜日

節分の思い出にもモラハラの痕跡

夫好みの恵方巻を用意するのも大変だった

節分の日に子どもとご飯を食べていて思い出した。

元夫と過ごしていた頃のことを。

毎年恵方巻を用意していたのだが、それがとても大変だった。

子どもや私は目の前の選択肢の中から選ぶので問題ない。

だけど、夫は選り好みが激しくてなかなか納得のいく物を見つけられなかった。

大抵は仕事帰りに購入するから、スーパーから電話をかける。

それで、目の前にあるラインナップを電話で説明したり写真を送ったりして判断を仰いだ。

子どもはすぐに決まるけど、夫は『うーん』と唸ったまま答えが出ず・・・。

無理強いしても機嫌が悪くなるだけだから、

「ちょっと遅くなっちゃうけど、違うスーパーに行ってみるよ」

と伝えた。

別のスーパーに足を運んだら、時間的なこともあって品薄になっていた。

残っている商品をまた写真に撮り、夫に送信。

連絡を待ってるはずだから見たら何かしらのアクションがあると思ったのに待てど暮らせど返事がこない。

もしかして気づいてないのかな?と思って連絡してみたら、

「さっきのスーパーの方が良かったわ」

と言われて力が抜けた。

夫はいつもそうだった。

何か用意しなければならない時に選ぶのが非常に難しくて、そのたびに苦労した。

さっきのスーパーが良いなんて気軽に言うけど、歩くと20分もかかる。

そこまで戻ってから購入して家に帰ったら、かなり遅い時間になる。

本当は気が乗らなったけど、それ以外はもう受け付けない感じだったので、

「じゃあ少し遅くなるけど・・・」

と言ってみたら、

「そんなにかからないだろ」

と言い放った。

夫は、自分が満足するものを用意するために私が時間や手間をかけることを当然だと思っていた。

そうすることが『愛情』だと直接言ってくることもあった。

だけど、夫からは私に何もしてくれない。

いや、何もしてくれないどころか毎日モラハラをして子どもを虐待して。

これも愛情だと言うのか。

その日、私は慌てて元のスーパーに戻ってやっと目的のものを手に入れたのだが。

いつもより遅く帰った私に、

「なんかもう腹減ってないわ」

と冷たい視線を向けた。

遅くなったことへの当てつけだった。

私だっていつもより1時間も遅くなってしまったからと思い、帰り道は焦っていた。

途中走ったし、それ以外も早歩きをした。

それでも納得してもらえなかった。

期待通りに動けない私は能無しなのだそうだ。


昼間義両親が持って来てくれた差し入れ

恵方巻と一緒に食べるお吸い物を、義両親が昼間に持って来てくれた。

確かに汁物がいるな、と思ったんだけど。

夫がイライラしていたから用意する余裕が無かった。

だから『ありがたいな~』と思っていたのだが、夫はそんな呑気な私に嫌悪感を表した。

「それよりも何か言うことがあるんじゃないの?!」

と言われ、何のことか分からず。

表情から夫が怒っていることは明らかだった。

だけど、なぜ怒られてるのか全く分からない。

遅くなったこと?

それともお吸い物の話の後だから義両親関連?

瞬時に色んな可能性を考えた。

私がすぐに答えずに黙っていたものだから、夫は更にイライラして、

「お前が抜けてるから、こうやってわざわざ持って来てくれてるんだろーがよ!」

といきなり怒鳴られた。

こういうイベントの時には怒られることが多いから朝から気が張っていた。

今日の帰りはいつも以上に夫に気を使い、いっぱいいっぱいだった。

それなのに、やっと恵方巻を用意できたと思ったのに、やっぱり怒られてしまった。

悲しいやら悔しいやらで涙がぶわーっと出てきて、

「怒鳴らないでよ」

と言うのがやっとの状態。

だけど、私が泣いたところで反省するような人ではない。

まだイライラが収まらないのか舌打ちしながら乱暴に私の背中を押してキッチンの方へと追いやり、

「とにかく早くしろよ!」

と急かした。

この時の夫のイライラはマックスに近かったので、ただひたすら怖くて怯えながら用意したのを覚えている。

その間、すぐ傍で監視していて私が何かするたびに深いため息をついた。

子どもは部屋の隅っこで聞こえないふりをしていた。

2025年2月1日土曜日

子どもの習い事の話から何故か同居の話題へ

『習い事もさせてあげられないなんて可哀そう』という空気に・・・

我が家は夫が働いていなかったので家計は厳しかった。

余裕が無くて、お給料が出たばかりなのに節約料理になる、なんていうこともしばしばあった。

そんな状態で子どもに習い事?

ちょっと無理があるんじゃないかと思った。

そりゃー私だって本人が希望するのなら行かせてあげたい。

でも、金銭的に厳しいのは本当のことだ。

だから、変に期待を持たせるのではなく説明して諦めてもらおうとした。

その頃の子どもは幼いながらも家庭の事情をよく理解していたように思う。

そういうのもあって、無責任な約束をするよりも本人と話し合って諦めてもらうべきだと考えた。

その方向性で大体固まっていたのに、義両親がそれを覆してきた。

『うちには支援できる余裕がある』なんて言うものだから、子どもがすっかりその気に・・・。

だけどその後に支援を受けてまで通わせるのは違うという話になり。

結局この件は流れたかに見えた。

そもそも義両親だって、いつ状況が変わるか分からないしね。

ところが、今度は夫が急に

「そんなに通わせたければうちの実家に行く話を断らなければ良かっただろ!」

と怒り始めた。

習い事の話から、なぜそんな話題になるの?

この時の夫は猛烈に怒り狂っていて手が付けられなかった。

『あー、このまま無視されるか不機嫌になって当たり散らされるんだろうな』と絶望した。


断っても断っても同居を諦めない

小学校入学前のタイミングで散々揉めた。

同居した方が良いという夫&義両親 VS 私の戦い。

数の上では劣勢だったが、徹底抗戦して何とか耐えた。

何度も何度も話し合い、そのたびに丁寧に説明して、やっと納得してもらったのにな。

こんなことでまた振り出しに戻るなんて夢にも思わなかった。

これが夫の手なのかもしれない、とその時思った。

これからも何か些細なきっかけを見つけては同居の話を蒸し返されるのかもしれない。

それで私が納得しなければキレるんだろうなと想像したら、こんな生活が心底嫌になった。

しかも、前にちゃんと説明したはずなのにまた

「一体何が不満なんだ」

と言ってきた。

それは何度も説明したはずだよ。

まるで私の我が儘で子どもに迷惑をかけているかのように言われて無性に悲しくなった。

分かってくれる人が誰も居ない。

助けてくれる人も居ないんだな、と。

思えば結婚してからずっと夫のペースに合わせてきた。

夫の言うことに従っていれば機嫌が良かったから。

でも、全てを夫の言う通りになんてできない。

時には意見が合わないこともある。

そういう時に話し合える夫婦で居たかったのに、夫が話し合いに応じることは無かった。

見せかけだけ話し合うこともあったが、その口調からは『俺の言うことに従っていれば良いんだよ』という考えが透けて見えた。

私は一体何と闘って何を守ろうとしているんだろう。

こういう問題が持ち上がるたびに、どんどんしぼんでいく夫への愛情。

それなのに夫が変わってくれるはず、幸せな家族になれるはずという希望も捨てられず・・・。

悲しくて耐えられないと思うのに、絶対にやってこない未来のために我慢することを選んでしまった。

何年も何年も我慢し続けて、『あと少し』と思い続けて。

だけど、そんな未来はやってこなかった。

弁護士への依頼は断念

『交渉をプロに任せる』という選択 離婚するためには夫と話し合いをしなければならない。 でも、直接会って話すことに恐怖を感じていた。 夫は家を出て戻らなくなった妻を寛大な心で許せるような人ではない。 自分がヤキモキしたりイライラしたら絶対にその気持ちをぶつけてくるはずだ。 そうなっ...