逃げ場のない待ち時間
お義父さんは、その日に限ってなかなか来なかった。普段なら、呼べばすぐに飛んでくる人なのに。
子どもが来ていないことを分かっているからか、
足取りは不自然なほど遅かった。
夫と二人きりで向き合っていると、息が詰まる。
言葉を交わす以前に、空気そのものが重くのしかかってくる。
だから、誰でもよかった。
そこに「第三者」がいてくれさえすれば。
もうこの際、決して味方にはなってくれないであろうお義父さんでも構わないと思った。
けれど、面倒な話し合いを避けたかったのか、お義父さんはゆっくり、ゆっくりとやって来た。
待っている間、夫の苛立ちは目に見えて膨らんでいった。
ドアを乱暴に閉め、コップをテーブルに叩きつける。
今にも、何かが爆発しそうな気配。
私は刺激しないよう、神経をすり減らしながら様子をうかがった。
何か攻撃できる材料はないかと探す夫と、隙を見せまいと身構える私。
この時間が一刻も早く終わってほしい。
そう願っていたのに、その攻防は一時間以上も続いた。
夫が立ち上がるたび、体がびくりと反応してしまう。
直接的な暴力はあまりなかった。
けれど、物に当たる音や、威嚇するような動作は何度も経験してきた。
それに——
子どもを守ろうとした時、拳が当たったこともあった。
鈍い痛みを感じた。
それでも、頭に浮かんだのは自分のことではなかった。
もっと頻繁に、もっと理不尽な形で傷つけられている子どものこと。
自分が傷つくより、子どもが傷つけられる方が、何万倍も痛かった。
そのたびに、夫への嫌悪感は積もっていった。
万が一、何か起きたとしても、守るべきは子どもだけだと思っていた。
もし、自分か子どもか、どちらか一方しか救えないのだとしたら、迷う理由などなかった。
だから、必死だった。
いつも全力で守っているつもりだった。
それでも、足りなかったのだと思う。
あの家から出ること。
それ以外に、解決策はなかった。
あの部屋で、夫と向かい合って話をしていると、過去の光景が、否応なく鮮明によみがえってきた。
結局、味方は居なかった
お義父さんがようやく到着した頃には、私はもうすっかり疲れ切っていた。
玄関のドアが開き、のんびりした口調で
「来たぞ〜」
と言いながら入ってくる。
こちらは限界寸前だというのに、あまりにも温度が違いすぎて、一瞬、言葉を失った。
ただ、部屋に足を踏み入れた途端、お義父さんの表情が変わった。
一目で、この空気の異常さが伝わったのだと思う。
すぐにテーブルの脇に腰を下ろし、
「今日はどうした?」
と、本題に入ろうとした。
私は、お義父さんをいきなり巻き込んでしまったことを思い、出来るだけ簡潔に事情を説明した。
滞在先を調べられたことが、どれほど恐ろしく感じられたかも、正直に話した。
すると、お義父さんは少し考えるような間を置いてから、こう言った。
「何をそんなに怖がる必要がある?
家族なんだから」
——いや、待って。
あの修羅場を、あなたは知っているはずでしょう。
それでも、本気で『怖がる必要はない』と思っているのだろうか。
これまでの出来事に対しても、感じ方に温度差があるとは思っていた。
けれど、ここまでとは思わなかった。
そこから先は、どちらの感覚が一般的か、どちらが大げさなのか、そんな話にすり替わっていった。
今思えば、そんなことは何一つ重要ではなかったのに。
あの時の私は、『ここで引いたら、自分だけが過剰反応している人になる』
そのことに必死だった。
結局、誰も譲らなかった。
「まあ、感じ方は人それぞれだからな」
お義父さんは、どこか不満そうにそう言った。
その間、夫は何をしていたのか。
気づけば、私に求める条件を書いた紙を用意していた。
このまま話し続けても意味がない。
そう思って立ち上がろうとした、その瞬間。
一枚の紙が、無言で目の前に差し出された。
「ここにサインして」
それは、話し合いの結果ではなかった。
追い詰められた末に突きつけられた、一方的な要求だった。
私は、震える手を必死に押さえながら、その紙を見つめた。

