2026年1月6日火曜日

あの日、味方はいなかった

逃げ場のない待ち時間

お義父さんは、その日に限ってなかなか来なかった。

普段なら、呼べばすぐに飛んでくる人なのに。


子どもが来ていないことを分かっているからか、

足取りは不自然なほど遅かった。


夫と二人きりで向き合っていると、息が詰まる。

言葉を交わす以前に、空気そのものが重くのしかかってくる。


だから、誰でもよかった。

そこに「第三者」がいてくれさえすれば。


もうこの際、決して味方にはなってくれないであろうお義父さんでも構わないと思った。

けれど、面倒な話し合いを避けたかったのか、お義父さんはゆっくり、ゆっくりとやって来た。


待っている間、夫の苛立ちは目に見えて膨らんでいった。

ドアを乱暴に閉め、コップをテーブルに叩きつける。


今にも、何かが爆発しそうな気配。


私は刺激しないよう、神経をすり減らしながら様子をうかがった。

何か攻撃できる材料はないかと探す夫と、隙を見せまいと身構える私。


この時間が一刻も早く終わってほしい。

そう願っていたのに、その攻防は一時間以上も続いた。


夫が立ち上がるたび、体がびくりと反応してしまう。


直接的な暴力はあまりなかった。

けれど、物に当たる音や、威嚇するような動作は何度も経験してきた。


それに——

子どもを守ろうとした時、拳が当たったこともあった。


鈍い痛みを感じた。

それでも、頭に浮かんだのは自分のことではなかった。


もっと頻繁に、もっと理不尽な形で傷つけられている子どものこと。

自分が傷つくより、子どもが傷つけられる方が、何万倍も痛かった。


そのたびに、夫への嫌悪感は積もっていった。


万が一、何か起きたとしても、守るべきは子どもだけだと思っていた。

もし、自分か子どもか、どちらか一方しか救えないのだとしたら、迷う理由などなかった。


だから、必死だった。

いつも全力で守っているつもりだった。


それでも、足りなかったのだと思う。


あの家から出ること。

それ以外に、解決策はなかった。


あの部屋で、夫と向かい合って話をしていると、過去の光景が、否応なく鮮明によみがえってきた。


結局、味方は居なかった

お義父さんがようやく到着した頃には、私はもうすっかり疲れ切っていた。


玄関のドアが開き、のんびりした口調で

「来たぞ〜」

と言いながら入ってくる。


こちらは限界寸前だというのに、あまりにも温度が違いすぎて、一瞬、言葉を失った。


ただ、部屋に足を踏み入れた途端、お義父さんの表情が変わった。

一目で、この空気の異常さが伝わったのだと思う。


すぐにテーブルの脇に腰を下ろし、

「今日はどうした?」

と、本題に入ろうとした。


私は、お義父さんをいきなり巻き込んでしまったことを思い、出来るだけ簡潔に事情を説明した。

滞在先を調べられたことが、どれほど恐ろしく感じられたかも、正直に話した。


すると、お義父さんは少し考えるような間を置いてから、こう言った。

「何をそんなに怖がる必要がある?

家族なんだから」


——いや、待って。


あの修羅場を、あなたは知っているはずでしょう。

それでも、本気で『怖がる必要はない』と思っているのだろうか。


これまでの出来事に対しても、感じ方に温度差があるとは思っていた。

けれど、ここまでとは思わなかった。


そこから先は、どちらの感覚が一般的か、どちらが大げさなのか、そんな話にすり替わっていった。


今思えば、そんなことは何一つ重要ではなかったのに。

あの時の私は、『ここで引いたら、自分だけが過剰反応している人になる』

そのことに必死だった。


結局、誰も譲らなかった。


「まあ、感じ方は人それぞれだからな」

お義父さんは、どこか不満そうにそう言った。


その間、夫は何をしていたのか。

気づけば、私に求める条件を書いた紙を用意していた。


このまま話し続けても意味がない。

そう思って立ち上がろうとした、その瞬間。


一枚の紙が、無言で目の前に差し出された。


「ここにサインして」


それは、話し合いの結果ではなかった。

追い詰められた末に突きつけられた、一方的な要求だった。


私は、震える手を必死に押さえながら、その紙を見つめた。

2026年1月5日月曜日

「毎日会わせろ」という夫の要求

舌打ち一つで凍りついた部屋

「少しの間でいい。子どもと過ごす時間が欲しい」


夫はそう言った。

けれど私は、考えるより先に首を横に振っていた。


無理だ。

二人きりになんて、できるはずがない。


その“できなさ”が、夫にはどうしても分からないらしかった。


「お前は、いつも自分の都合ばかり押し通そうとする」


そう責められても、子どものことを思えば答えは一つしかない。

夫と一緒に暮らすという選択肢など、最初から存在しなかった。


その日も夫は、ただ「一緒に暮らしたい」と繰り返すばかりで、話は一向に前に進まなかった。

私は途方に暮れ、誰か第三者に助けを求めたい気持ちでいっぱいだった。


けれど、その場にいたのは夫と私だけ。

以前は頻繁に出入りしていた夫の友人たちの姿もなく、時間だけが重く、無意味に過ぎていった。


途中、夫の電話が鳴った。

彼は一瞬だけ画面を確認し、すぐに伏せるようにテーブルへ置いた。


「用事があるなら、そっちを先に済ませてもいいよ」


そう声をかけてみたけれど、夫は相変わらず険しい表情のまま、何も答えなかった。


こういう時の夫は、いつも以上に厄介だ。

譲歩したことなど一度もないくせに、私たちを思いやる気持ちがあるかのように振る舞う。


どれほど自分が辛い思いをしてきたか。

それがどれほど正当な要求なのか。

夫は感情を積み上げるように、切々と訴えてきた。


ああいう人と対等に話すには、よほど頭の切れる人間でなければ無理なのだと思う。

私はきっと、あまりにも簡単に言いくるめられる相手だった。


話しているうちに、何が問題だったのかさえ分からなくなってくる。

気づけば、物事は夫の思い通りに進みかけていて、はっとして焦った。


その時も、沈黙と威圧を巧みに使い分けながら、夫のペースに引きずり込まれそうになっていた。


危うく、子どもを数日間預けることに同意させられそうになり、

直前で我に返って、慌てて口を開いた。


「ダメだよ。

(子ども)の心の傷が、これ以上深くなったら取り返しがつかなくなる」


拒絶の言葉を向けると、夫は明らかに不機嫌そうに舌打ちをした。


その舌打ちが、私は怖かった。


空気がざらりと変わり、苛立ちが肌に刺さるように伝わってくる。

今にも何かが起こりそうな気配に、私は息を潜めるしかなかった。


怒りの段階が一つ上がった。

そう直感した瞬間、体が強張り、動けなくなった。


子どもの拒絶が届かない人

預けることを拒むと、夫は今度は言い方を変えてきた。


「じゃあさ、学校帰りにうちに寄れよ。

少し話すだけでもいいんだから」


まるで妥協案のような口調だった。


どれくらいの頻度を考えているのかと尋ねると、返ってきた答えは「毎日」だった。


――毎日。


現実的じゃない。

それ以前に、子どもへの負担があまりにも大きすぎる。


大嫌いな“パパ”に、帰り際、毎日会わなければならない。

そんなもの、地獄でしかない。


無理だと思った。

だから、そのまま正直に伝えた。


そもそも、私が無理やり会わせないようにしているわけではない。

拒んでいるのは、子ども自身だ。


虐待の生活から逃れたあと、

「もう二度と会いたくない」

そう、ぽつりと口にしたことがあった。


あれは、その場しのぎの言葉ではなかった。

心の底から絞り出した、本音だったと思う。


けれど、自己愛性人格障害の夫には、それがどうしても理解できない。

あれだけのことをしても、子どもから尊敬されていると本気で信じて疑わないのだから。


理想の生活を送れないのは、すべて私のせい。

私が邪魔をしているからだと、夫は考えた。


「自分勝手な言い分で子どもを洗脳する妻から、子どもを奪還する」


そんな物語をでっちあげ、それを正義のように振りかざして責め立ててきた。


話し合いは、いつの間にか二時間を超えていた。

私はだんだん言葉を失い、口数も減っていった。


それとは正反対に、夫はますます生き生きとし、同じ主張を何度も繰り返した。


大声で怒鳴られるたび、耳の奥がぼわんと痺れ、頭まで痛くなる。

これは、一緒に暮らしていた頃、ほぼ毎日のように繰り返されていた光景だった。


夕方になり、夫は突然、義父に電話をかけ始めた。

味方が欲しくなったのだと思う。


そこからが、また長かった。

あの日、味方はいなかった

逃げ場のない待ち時間 お義父さんは、その日に限ってなかなか来なかった。 普段なら、呼べばすぐに飛んでくる人なのに。 子どもが来ていないことを分かっているからか、 足取りは不自然なほど遅かった。 夫と二人きりで向き合っていると、息が詰まる。 言葉を交わす以前に、空気そのものが重くの...