2025年12月27日土曜日

子どもの身体が出していたサイン

最初に現れた異変

あれっ?――今の瞬き、何かおかしい。

そう感じたのは、子どもがまだ3歳の頃だった。


よく見てみると、それは一度や二度ではなく、驚くほど頻繁だった。

最初は「変わった癖があるのかな」くらいに思っていた。

けれど、日が経ってもおさまる気配はなく、そのたびに胸の奥がざわついた。


調べてみると、それは「チック」と呼ばれる症状らしかった。

幼い子どもにもよく見られる、と書いてある。

その言葉に、少しだけ安心しかけた。

――けれど、どこかで納得できない自分もいた。


あまりにも続くので、私は子どもにそっと声をかけながら、原因を探り始めた。

そして行き着いた答えが、「虐待」という言葉だった。


その頃、子どもはすでに、幼い心には重すぎるほどの厳しさにさらされていた。

大人の私でさえ身がすくむような声で怒鳴られ、時には手が出ることもあった。

必死で守ろうとしても、どうしても守り切れない瞬間があって、

その積み重ねが、どれほどのストレスになっていたのかと考えると、胸が苦しくなった。


だけど、『かわいそう』と思いながらも、

「それ、できるだけしないようにしようね」

と声をかけるだけで、しばらく様子を見ることにした。


自然に消えることも多い――そんな情報を信じて、どこかで楽観視していた。

けれど、数か月経っても症状は消えなかった。


焦りと不安が、静かに、でも確実に膨らんでいく。

このまま治らなかったらどうしよう。

そう思っても、夫には何も言えなかった。


ただひたすら、気づかれないように。

少しでも被害が及ばないように。

私は、夫の虐待から子どもを守ることだけに必死になっていた。


それは“指摘”ではなく“攻撃”だった

子どものチックに、夫が気づくまでには数か月かかった。

やっと違和感を口にするようになったけれど、それは「心配」からではなかった。


もし、やさしい父親だったなら。

一緒に考えたり、病院を調べたり、子どもの気持ちを想像したりできたはずだ。

けれど、我が家はそうではなかった。


そもそも、チックの原因が夫の虐待にある可能性が高かった。

だから私は、できるだけ関わってほしくなかったし、

あえて気づかれないように、静かにやり過ごそうとしていた。


それなのに、ある日突然、夫は言った。


「コイツ、変な仕草してるよな」


胸がひやりとした。

余談だが、夫は子どもに不満があるとき、必ず「コイツ」と呼ぶ。

普段は名前で呼ぶから、その呼び方ひとつで機嫌や危険度が分かってしまう。


その言い方で、どういう感情を向けられているのかがはっきり伝わってきた。

だから私は、あえて大事にはせず、


「そのうち治まるらしいから」


それだけを、できるだけ平静を装って答えた。


けれど後日、夫が些細なことで子どもを激しく怒鳴りつけ、

その後も執拗に責め続けているのを見て、思わず口を開いてしまった。


「そんな風に怒鳴らないで!ストレスになっちゃうんだよ!」


案の定、夫は激怒した。

こちらの言葉など一切届かず、反省の色もない。

自分が悪いとは、微塵も思っていない様子だった。


その態度に失望して、私はさらに言ってしまった。


「余計に酷くなっちゃうから」


次の瞬間、目の前をコップが飛んだ。

ガシャン、と激しい音を立てて砕け散った、薄い青色のコップ。


あまりの出来事に、血の気が引いた。

咄嗟に子どもに覆いかぶさり、守った。

斜め後ろにいた子どもは、幸い無事だった。


「俺が悪いのかよ!!!」


叫びながら、なおも暴れる夫。

今にもこちらへ向かってきそうなその姿に、体が固まった。


ふと腕の中を見ると、

子どもは小さな手で両耳を塞ぎ、震えていた。

そして、あの不自然な瞬きを、せわしなく繰り返していた。

2025年12月25日木曜日

話し合いの形をした支配

すべてを私の責任にする人の論理

夫の言い分は、こうだった。


わざわざ遠い場所に住み、低学年の子どもを元の学校に通わせ続けることこそが虐待だ、と。

子どもにかかる負担が分からないのか。

そんなことも分からないなら、母親失格だとまで言われた。


確かに、子どもにとって大変な状況だったと思う。

電車に乗って学校へ行き、帰りもまた電車。

私が迎えに行くまで待たなければならないし、友だちと自由に遊べないという制限もあった。


負担をかけていたのは事実だ。

そこは、私も否定しない。


でも、私にも言い分がある。


家を出た直後、学校のことは何度も悩み、子どもと話し合った。

そのたびに返ってきたのは、

「転校したくない」

という言葉だった。


だから私は、今の学校に通い続けられる方法を必死に探した。

もう少し大きければ一人で通う選択もあったのかもしれない。

けれど、当時は現実的ではなかった。


それでも、不思議なことに。

あの大変さの中で、私たちの毎日はどこか新鮮でもあった。


帰り道に、ふらっと途中下車して寄り道をする。

たまには外でご飯を食べる。

そんな「自由な世界」があることを、うちの子はそれまで知らなかった。


私はもう大人だから、本来は自由に生きていたはずなのに。

気づけばその感覚をすっかり忘れ、縛られる日々が当たり前になっていた。


それに、夫があんな仕打ちをしなければ、そもそもこんな状況は生まれていない。

そこを完全に無視して、私だけを責めるのは、どう考えてもおかしい。


すべての始まりは、夫自身が蒔いた種だ。

その事実を、都合よく忘れているようにしか見えなかった。


モラハラや虐待さえしなければ、今も家族で暮らしていたはずだ。

そんな単純なことすら理解できないのなら——

この人と何を話しても、もう無駄だと思った。


論点をずらして怒鳴る人

言われっぱなしでは分が悪い。

それでは、また夫の思い通りになってしまう。

そう思って、私は反撃した。


夫の虐待という、やむを得ない事情があって自宅を離れたのだ。

だから、今の状況についてあなたに責められる筋合いはない。

そう、はっきりと釘を刺した。


子どもの意思をきちんと尊重した上で決めたことだ、ということも伝えた。

淡々と話したつもりだった。


けれど、反論されるとは思っていなかったのだろう。

夫は激怒し、

「今、そういう話をしてるんじゃない!」

と怒鳴った。


怒鳴り声が耳に残り、奥がジーンとした。

怖かった。

それでも、言わなければならないことがあった。


「未だに虐待の事実を認められない人とは、一緒にいられない」


そう伝えると、夫は

「俺がいつ虐待したんだよ!」

と言った。


その言葉に、本当に驚いた。

反省どころか、事実そのものを否定していたのだ。


では、子どもが転校することには賛成なのか。

そう尋ねると、それは違うという。


「転校なんてさせるな。それはお前のエゴだ」


そう責められても、ではどうすればいいのか。

結局、私が何をしても気に入らないのだと、そのとき思った。


ただ、この時点では、

まだ肝心なことを聞けていなかった。


私たちの居場所を調べて、

夫はいったい何をしようとしているのか——。

2025年12月24日水曜日

私たちの静かな戦い

静寂の中の記録

インターフォンを押すと、すぐに室内に通された。

そこはかつて私たち家族三人で暮らした場所。

ほんの数か月前までは、そこに私たちが確かに存在していたはずなのに――。

懐かしさは微塵も感じられなかった。

立った瞬間に胸が締め付けられ、息が詰まりそうになる。

帰りたい――そう思わずにはいられなかった。

虐待やモラハラの記憶が、あまりにも鮮明に蘇るのだ。

子どもが叩かれ、蹴られる姿を何度も目撃した恐怖。

一日中無視され、張り詰めた空気の中で息を潜めて暮らした日々。

その全てが、この部屋に染みついていた。

だから、ここは私にとって決して「懐かしい場所」ではなかった。

促されるままテーブルの前に座ると、夫はペンを取り出し、静かに書き始めた。

そしてこちらを見て言った。

「今日のことは記録するから。お前もその方が良いよな」

もちろん記録することには賛成だ。

過去の話し合いでは、『言った』『言わない』の争いで何度も心が擦り切れた。

だからこそ、記録は必要だった。

部屋には私たち二人だけ。

テレビも音楽もない、静寂が支配する空間。

その静けさの中に立つと、何だかこれが現実だとは信じられなくなる。

夢――そうであればどんなに楽だろう、とも思った。

夫が何をしているのか分からないまま、準備が整うのを待った。

やがて彼はテーブルの前に座り、マグカップに入ったお茶を差し出した。

結婚前に揃えたペアのカップ――ずっと奥にしまわれていたはずのものだ。

わざわざ持ち出してきたその行為に、私は無意識に警戒していた。


静寂の中の記録

一体、夫はいつから私たちの居場所を知っていたのだろうか。

少なくとも、2〜3か月前までは知らなかったはずだ。

もしかしたら、巧みに騙していたのかもしれない。

手紙を送ってきたことがただの脅しだとしても、無かったことにはできなかった。

すでに、平穏な日常は壊されてしまったのだから。

最初のうち、夫は非常に無口だった。

沈黙に耐えられなくなった私は、一人でぺらぺらと話し始めた。

その中で、手紙のことについても訊ねた。

「どうやって住所を知ったの?」

「これからどうするつもりなの?」

夫は面倒くさそうに、ポツリポツリと答えるだけだった。

夫の場合、大声で怒鳴るのと同じくらい、低く、言葉少なに話すときが怖い。

私は身を強張らせ、逃げ出したい衝動に駆られた。

「〇〇駅なんて、(子ども)のことをちゃんと考えてるのかよ」

唐突に言われたその一言に、すぐには答えを返せなかった。

学校のことだろうと予想はついたが、私たちが試行錯誤しながらやっと乗り越えてきた問題だった。

不安な気持ちでそれを伝えようとした瞬間、

「こういうのが虐待って言うんじゃないか?!」

低く鋭い声が突き刺さり、鼓動は一気に早くなった。

強い言葉で責められるとパニックになってしまう――その癖は、まだ抜けていなかった。

2025年12月23日火曜日

あの日、私は逃げなかった

夫の策略だと分かっていて、私は会うことを選んだ

手紙を受け取った私は、すぐに行動に移した。

まずは、先輩の家に来ないよう、はっきりと釘を刺さなければならなかった。

ただお願いするだけでは、聞き入れてもらえないだろう。

そこで私は、会うことを了承した。

夫は、自分が損をすることは決してしない人だ。

譲歩もしない。

だからこそ、真正面から正論をぶつけても、うまくいかないと思った。

それならいっそ、こちらが一部を譲り、その代わりに要求を受け入れてもらうしかない。

うまくいくかは分からないが、それでもその戦法でいくことにした。

このとき、子どもはひどく不安そうで、私の様子を気にしているのが分かった。

もともとは大らかで、少し鈍いところのある子だった。

それが、いつ怒り出すか分からない父親に怯え、敏感になってしまったのだろう。

連絡を入れると、夫からはすぐに返事が来た。

きっと、これも予想していたに違いない。

相手を追い詰めて動かすのは、夫の常套手段だ。

まんまと策略に乗ってしまった気もするが、今回はあえて乗ることにした。

それにしても、夫のメッセージはいつも威圧的だ。

無理やり相手を動かそうとしているのが、はっきりと分かる。

すべてが自分の思い通りになると信じている、その自信が透けて見えて非常に不快だった。

話し合いの場所に指定されたのは、かつて私たちが暮らしていたあの部屋だった。

夫は相変わらずそこに住んでいて、私は家賃を払い続けていた。


インターフォンを押すまでの長い時間

呼び出されたその日は、朝から落ち着かなかった。

子どもはちょうど、友達と出かける予定が入っていた。

忘れもしない。

曇り空で薄暗く、念のため折り畳み傘を持たせた。

友達のお母さんが付き添ってくれるというので、お礼を伝え、その場を後にした。

そのまま電車に乗り、途中で手土産を買った。

バカみたいな話だが、夫の機嫌を取るためにあれこれと考えてしまう癖が抜けなかった。

手ぶらより何か持って行った方がいいだろうと思い、好物のお菓子を選んだ。

こんな時、離れていても、まだ夫の支配から抜け切れていないのだと実感する。

まず最初に浮かぶのが、「怒らせないように」という考えなのだから、我ながら終わっている。

それでも、怒りに触れたときのあの絶望感が頭から離れず、少しでも避けたいと思ってしまった。

最寄り駅に着き、家へ向かって歩き出してからも、気が重くて足が進まなかった。

必要なことだと分かっていても、やはり話し合いは怖い。

外で会えばよかったかもしれない――そんな後悔を繰り返しながら、家の前に着いた。

ドアの前に立ち、中の様子をうかがったが、物音はしなかった。

しんと静まり返り、まるで誰も住んでいない家のようだった。

インターフォンを押そうと手を伸ばすが、震えてなかなか押せない。

逃げ帰りたい気持ちが込み上げた、そのとき、ふと子どもの笑顔が浮かんだ。

あの笑顔を守りたい。

そのためなら、何だってする。

私は大きく息を吸い込み、そのままの勢いでインターフォンを押した。

2025年12月22日月曜日

壊れた結婚と、それでも守りたかったもの

恐怖の中で、第一歩を踏み出す勇気

居場所が知られてしまった以上、そのままにしておくわけにはいかない。

気は重いけれど、本格的に離婚に向けた交渉を始めなければならない。

そう思っても、なかなか返事をすることができなかった。

結婚生活の中で徹底的に恐怖を植え付けられていたため、その時のインパクトがあまりにも強すぎて、恐れるあまり思考が停止してしまったようだ。

震える手で再び手紙を開き、今度はゆっくりと読んだ。

中には「自分の非を認め、家族としてやり直したい」と書かれていた。

これを読んだだけなら、きっと反省しているのだろうと勘違いしてしまうかもしれない。

でも、基本的に夫が反省することはない。

彼は常に自分が正しいと思っているから、これは嘘だろうとすぐに分かった。

とはいえ、それが分かったところでどうすることもできない。

夫と対峙しなければ、離婚に向かうことはできないからだ。

私は考えた。

そのうち、ふとその前にやるべきことに気づいた。

『先輩の家に乗り込まれないよう、先手を打たなければならない』と。

そのためには、話し合う意思があることを伝えなければならない。

正直、話し合うこと自体が怖いけれど、逃げていては何も進まない。

勇気を振り絞ってメッセージを送った時、すでに子どもと先輩は食事を終えていた頃だった。

その日、二人は映画に行っていて、その後、食事のときに待ち合わせをしていた。

でも現れないので心配した先輩が連絡をくれた。

楽しみにしていたけれど、もう行けるような精神状態でもなく・・・。

「帰ってきたら詳しく説明するから」

と伝え、一人悶々とどうすべきかを考えていた。


話し合う覚悟と、母としての弱さ

精神的に追い詰められていた。

逃げ続けることができれば楽だけど、そうも言っていられない。

夫による包囲網は着々と狭まり、私たちは向き合わざるを得ない状況へと追い込まれていた。

その日、私は話し合う決意を固めた。

家を出てから、何とか勇気を振り絞って向き合ってきた。

けれど、ある時を境に、私は夫と会うことを避けるようになった。

怠慢だと言われれば、それまでだ。

本当に離婚を進めたいのなら、交渉を続けなければならなかったのに。

そうしなかったのには理由がある。

長く一緒にいると、相手のペースに引きずり込まれそうになる瞬間が分かるようになった。

別居が長引くほど、その傾向は強まり、気づけばまた夫のペースに飲み込まれてしまう。

これ以上交渉を重ねたら、相手の思うつぼだ。

そう思うと、どうしても動けなかった。

だけど、もう直接話し合わなければならないところまで来ていた。

きっと腹を割って話そうとしたところで、訳の分からない理論を押し通されるだけだろう。

それでも、話し合わなければならなかった。

覚悟を決めてメッセージを送り、ほっと一息ついたところで先輩と子どもが帰ってきた。

この子にはずいぶん辛い思いをさせてきた。

まだ赤ちゃんだった頃、夫から激しく責められ、涙がこぼれそうになったことがある。

慌てて子どもを膝の上に乗せた。

向かい合っていたら、泣いているところを見られてしまうと思ったからだ

咄嗟の行動だった。

けれど、柔らかくて温かな子どもを抱きしめているうちに、堰を切ったように涙があふれ、顔はぐちゃぐちゃになった。

嗚咽混じりの声に驚いたのか、子どもが振り返って私を見た。

慌てて涙を拭いた。

泣いているところなんて、見せてはいけない。

そう思うのに、涙は止まらなかった。

そのまま子どもをぎゅっと抱きしめたまま、私はしばらく動くことができなかった。

2025年12月20日土曜日

手紙が告げた、平穏な日常の終わり

平穏な日常が崩れた日

何の前触れも無く、突然夫から手紙が届いた。

先輩の家に居候していることなど知るはずのない夫から。

――とうとうバレたのだ。

やっと手に入れた平穏な時間だった。

それを失ってしまうかもしれないと思った瞬間、恐怖が込み上げてきた。

居ても立ってもいられず、私は衝動的に不動産屋へ駆け込んだ。

住みたい地域も、資金計画も。

今後どうするかさえ、何一つ決まっていないまま。

そんな状態で不動産屋に入ったのだから、当たり前だけれど、はっきりと要望を伝えることはできなかった。

きっと、困った客だったと思う。

何を聞かれても口ごもるばかりで、明確な返事もできないのだから。

それでも、お店の人と話しているうちに、少しずつ気持ちは落ち着いてきて、自分のやるべきことも、次第に見えてきた。

思えば、私はずっとこの時を恐れていた。

永遠に訪れなければいいと思っていたのに、そんな都合良くはいかないらしい。

その日はちょうど、子どもと先輩が映画に出かけていて、私は後から合流する予定だった。

普段なら私も一緒に行くのだけれど、その日はどうしても気分が乗らなかった。

「そういう時は無理しなくて良いんだよ」

先輩のその言葉に甘えて、食事の時間に合流することにしていた。

だから、先輩の家に一人きりになってしまい、余計にパニックになってしまったのだと思う。

時計を見ると、まだ二人は映画を楽しんでいる頃だった。

家に戻った私は、ショックのあまりポストに放り込んでしまった手紙をもう一度手に取り、そのまま部屋へと戻った。


逃げることを選ぶ夜

少し落ち着いてくると、考えるべきことを整理できた。

今後の住む場所や、子どもの学校のこと。

これらは、すぐにでも結論を出さなければならなかった。

それに、先輩にこれ以上迷惑をかけないためにも、早く動かなければという思いが強かった。

部屋を見渡すと、ほんの数か月の出来事にすぎないのに、楽しかった日々が次々と蘇ってくる。

自然と涙がこぼれ、『もう少しここに居たい』という気持ちも湧き上がった。

――でも、そんなことを言ってはいられない。

夫が動き出したということは、本気で私たちを連れ戻すつもりだということだ。

甘い考えで立ち向かえば、どんな結末を迎えるかは痛いほど分かっていた。

そして、それを阻むものがあれば、相手が他人であっても容赦はしないだろうということも。

きっと、引っ越したとしても、夫はまた追ってくる。

それでも、今ここで迎え撃つよりは、時間稼ぎでもいいから別の場所へ移ろうと考えた。

夫のような人間は、決して相手を逃がさない。

自分の所有物だと勘違いしているのだから。

ふと、この先ずっと逃げ続ける未来を想像してしまい、胸が締めつけられるように辛くなった。

どうしてこんな目に遭わなければならないの?

ただ穏やかに暮らしたいだけなのに。

そんな些細な夢がなぜ叶わないの?

今後のことを思うと悲観せずにはいられなくて、何かにすがりたくなった。

力が抜けて呆然としていた所、急に着信があり、ハッと我に返ると子どもからだった。

気付いたら既に待ち合わせ時間を過ぎていた。

2025年12月19日金曜日

授業中、いつも外を眺めていた子ども

個人面談で言われたこと

低学年の頃、うちの子の担任は若い女性の先生だった。

物腰が柔らかくて静かに話す人で、子どもたちからも慕われていた。

その先生と初めてゆっくり話したのが個人面談の時。

私の方は勝手が分からずとても緊張してたのだが、時折微笑みながら丁寧に話をしてくれた。

普段目にすることのない学校での様子を聞けるのはとても新鮮で、先生の話してくれるエピソードに聞き入った。

授業参観にも出られていなかったから、初めて知ることばかり。

聞きながら思わず想像してしまった。

楽しそうにお友達と遊ぶ姿を。

内容としては、『概ね心配は要らないよ』ということだったが・・・。

ただ一つだけ。

面談の終わりかけに、授業中にぼんやりとしてることが多くてあまり集中できていないという指摘を受けた。

実は思い当たる節があり、家でもそういう姿を目撃することがあった。

でも、『小さいうちはそういうこともあるよね』と安易に考えてしまった。

落ち着きがないとかお友達に乱暴してしまうとかそういうことではなく、ただボーっとしてしまうだけ。

周りの進行を妨げなければそれほど大きな問題にはならないのではないか。

単純な私は微笑ましいエピソードとして聞いていたのだが・・・。

先生が急に、

「本当に素直で優しいお子さんですよ。きちんと説明すれば何でも分かってくれます」

と言うので、私はその発言の意図が分からなくて戸惑いつつも、

「そうですか・・・。ありがとうござます」

とお礼を述べた。

後から考えるとこれはけん制だった。

その後も同じようなフレーズが繰り返され、さすがの私も(?)となり、

「あのー、何か問題でも・・・?」

と聞いたら、はっきりとした口調で

「十分に良い子なんです。だからあまり怒らないであげてください」

と言われた。

それでもピンと来なくて、曖昧な笑みを浮かべながらその意味を考えていた。

そうしたら最後に、

「育児で悩んでいることなどがあれば相談できる窓口もありますよ」

と案内された。

それで、ようやく理解した。

どうやら私が虐待していると思われているようだった。


小さな体で虐待と闘っていた子ども

面談の最中、ふと外を眺めたら校庭を走り回る子どもたちの姿が見えた。

窓際の席だったうちの子も、こんな風に眺めていたのかもしれない。

元気に駆けていく子どもたちの様子を目で追いながら、ふと物思いにふける我が子の姿を想像した。

入学当初から酷い虐待があった。

保育園時代にもあったけど、小学生になってからエスカレートした。

自我を持つようになった子どもの言動を許せない夫が力でねじ伏せようとしたのだ。

これは私の見解であり、夫は違うと言う。

全て教育だったと。

そんな話納得できるはずもなく、今でもただの虐待だったと思っている。

そこに愛情は無く、ただ思い通りにしたかっただけ。

子どもは学校が終わっても家に帰りたがらなかった。

寄り道をしたら怒られるのに、それでもまっすぐに帰らずに時間を潰した。

夫は分単位で人の時間を管理するような人だから、その遅れを見逃さなかった。

帰宅すると案の定怒られ、子どもはそのたびに必死で自分の身を守った。

それでも帰らざるを得なかったことを考えると、本当に酷いことをしてしまったと申し訳ない気持ちになる。

夫から逃げられるはずがないとか。

体調不良の人を見捨ててはいけないとか。

出られない理由を考えてはいけなかったのだ。

私が臆病だったばかりに子どもの心に深い傷を負わせてしまった。

あの苦しい時間を長引かせてしまった原因は私の弱さだ。

2025年12月18日木曜日

子どもに取り入りたい夫と義両親

夫+義両親と私の攻防

夫の再々就職先の問題が持ち上がった後、明確な構図が出来上がった。

夫+義両親 VS 私だ。

元々そういう感じではあったのだが、ここまでハッキリとはしていなかった。

孤立無援な私に対し、家族総出で攻勢をかけてくる夫。

こうなればもう力関係は明白だ。

どこからどう見ても夫達の方が強い。

でも私も負けてはいられないから必死で抵抗した。

この戦いに負けることは子どもを奪われることを意味する。

それだけは絶対に避けたかったので、常に頭をフル回転させた。

差し迫った危機を前にふと思ったのが、『お金の問題はまだ可愛いものだったなー』ということ。

家賃の一部を出して欲しいとか光熱費は負担するべきだとか。

そんなことはどうでも良くなる位の大きな危機だった。

正直言って生きた心地がしなかった。

私も必死だが、あちらも必死だから。

そう簡単には決着がつかないだろうことは分かっていた。

敵対していると、どんどん相手への印象が悪くなっていくようだ。

段々と義両親も棘のある言い方をするようになり、特にお義父さんからは、

「あんたが頑固だから丸く収まるものも収まらないんだ」

と不満をぶつけられた。

それまでは『名前+さん』呼びだったのが急に『あんた』呼びに・・・。

こういう所からもどう思われているのかを感じ取ってしまい、地味に堪えた。


彼らの対応で困っていたこと

夫や義両親の動きはハッキリ言って読めない。

そう来るのか!と驚かされることもしばしばだった。

そんな中で困ったのは、子どもの都合も聞かずに勝手に日時を指定してきて

「プレゼントを渡したい」

と言うことだった。

あれほど『絶対に止めて』と行ったのに、小学校前での待ち伏せも何度かあった。

ただ、私が毎日迎えに行っていたので彼らの目的はいつも未遂に終わった。

そのたびに鉢合わせしてしまったことも嫌な思い出だ。

気まずい空気が流れ、耐えられなくて早くその場から離れたかった。

でも、目的を達成できなかった彼らはいつも攻撃的で、一言言わなければ気が済まないようだった。

こんな争いに子どもを巻き込みたくない。

守らなければ、という思いから私も時々は言い返すようになった。

いつも言われっぱなしの私が言い返すということは、それだけ余裕が無かったということ。

追いつめられて、普段よりも攻撃的になった。

と言っても、夫が10のレベルで怒鳴るとしたら、私のはせいせい2程度のもので。

必死になってようやく普通の人が語気を荒げる時くらいになった。

普段は怒りと直結していないから、日常生活で怒ることはほぼない。

そんな私が怒りを口にする姿は、周りからも異様に映ったようだ。

この頃をよく知る人からは、

「あの時期のあなたは別人のようだったね」

と言われた。

それくらい殺伐とした空気が漂っていたのだろう。

こんな風に必死で抵抗しても、子どもへの擦り寄りは止まらなかった。

それどころかノイローゼになるくらいに携帯に連絡してきていたので、

『もしかして私が精神的に参って匙を投げるのを待ってるの?』

などと勘ぐってしまった。

2025年12月17日水曜日

義両親の甘い蜜作戦

執着する夫の性格は義両親譲り?

虐待被害を受けた子どもはパパが嫌いだ。

義両親のことはパパほどではないが苦手なのかな、と感じることが多い。

多分、あんなパパで無かったら義両親にもそれほど苦手意識を持たなかったのだと思う。

こんなタラレバを考えること自体が無意味で、かえって虚しくなるんだけど。

それでも考えずにはいられない。

実際には存在しない世界を想像し、そのたびに思う。

誰かあの人の記憶を消してくれないだろうか、と。

私たちのことを綺麗サッパリ忘れてくれたら、こんな幸せなことはない。

義両親は、妻や子どもに対して理不尽な怒りをぶつけ続ける息子を常に擁護していた。

子どもが虐められた時だって、何も悪いことをしていないにも関わらず、

「パパが怒ってる時は『ごめんなさい』しちゃいなさい」

などと誤った助言をしていた。

納得のいかない子どもが黙っていたら、

「ほらっ!早く言わないとまた怒られちゃうよ!」

と急かし、夫はそれを満足そうに眺めていた。

こういうエピソード一つとっても歪んでいることを実感する。

そんな義両親が子どもを引き取りたがっていたのは自分たちのためだったのか、それとも息子を想ってのことだったのか。

それは今でも分からない。

ただ一つ言えるのは、彼らもまた凄まじいほどの執着を見せていた。


あの手この手で子どもをその気にさせようとする義両親

子どもを自分たちの方に向かせるためには、何かプレゼントするのが一番だと考えたようだ。

それで私に探りを入れてきた。

「(子ども)ちゃんは今何が好き?」

「欲しがっている物ある?」

と連日メッセージを送ってきて、そのたびに、

「今は特にお気に入りは無さそうですね~」

と答えていた。

それで済めば良かったんだけど・・・。

彼らはそんな簡単に諦めるような人たちではない。

私が何か情報を隠し持っていると思い込み、どうにかして聞き出そうとしてきた。

ある時は、どうやってリサーチしたのか分からないが『同年代の子に人気のグッズを買ったから』と連絡してきた。

取りに来るように言われても、正直気が進まなくて。

でも、送ってもらう訳にもいかず渋々応じた。

こういう時、宅急便で送ってもらえれば非常に楽なんだけど。

私たちの場合には居場所を知られてはいけなかったので、直接会うしか方法が無かった。

待ち合わせ場所に向かう時にはいつも『夫もいるのではないか』という恐怖にさいなまれ、足が止まってしまうことも。

本当はそういう気持ちを分かってもらいたかった。

それなのに、恐怖心を持つこと自体が間違いなのだと逆に諭された。

「必要以上に怖がり過ぎているんじゃないか?」

これは実際にお義父さんから言われた言葉だ。

私たちがされてきたことがどれほど軽く受け止められているかを実感した一言だった。

2025年12月16日火曜日

予想通りだった夫の減給

社員全員がベースダウン

夫の会社が危ないと聞いてから程なくして社員たちの給与が引き下げられた。

能力いかんに関わらず皆がベースダウンした。

状況が状況なだけに仕方の無い選択だったのだと思う。

この時ばかりは夫も納得したようで、文句も言わず受け入れた。

会社としては、ひと先ず社員たちに少しずつ協力してもらってしのごう、という戦法だろう。

これで乗り越えられれば良いなぁと、部外者の私も祈るような気持ちだった。

万が一夫が失職したら、その影響は非常に大きい。

離婚した後に養育費を貰えなくなるとかそういうレベルの話ではない。

離婚自体がとん挫しかねなかったため、その動向が常に気になっていた。

ベースダウンが実施されたと言っても私よりはるかに高い給与をもらっていた夫。

しかも出費も限られているという余裕のある生活。

精神的に追い詰められるような状況でも無かったはずなのに・・・。

この一件で弱気になったのか、

「このままでは俺は野垂れ死にだ!」

などと縁起でもないことを言い出し、ネガティブな発言が増えた。

いちいち大げさな夫を本気で相手にするのも疲れるので、

「大丈夫だよ。これを乗り越えればまた良いことがあるんじゃない?」

などと表面的なフォローをしていたのだが、そんな私に強烈な不満を抱いたようだ。

親身になってくれない、と言いたかったのだろうけど。

そう言われても、もう心配し尽くしたんだよ。

それまでに散々振り回されてきたから、不安だ不安だと騒ぐ夫をどこか冷めた目で見ていた。

自業自得だと思っていたことも確かだ。

あんな仕打ちをしたのだから少しくらい罰が当たったっておかしくない、と。

そんな風に考えているくせに、失職されたら困るとも思っていて。

この頃は自分の立ち位置が上手く定まらなかった。


「お前に養ってもらうしかない」

夫はプライドが非常に高かった。

日常的に私のことを蔑み、侮辱するような発言をしていた。

それなのに、会社の問題が持ち上がったら急に

「お前に養ってもらうしかない」

などと言い出した。

普段の夫からは想像もできないような発言だ。

バカも休み休み言って欲しいところだが、ここで強く拒めないのが私の弱いところだ。

内心は憤りつつも、やんわりとした表現でしか拒否できなかった。

いつも自分に都合良く受け取るのも夫の特徴であり、この時も強く言わないのを良いことに

「お前だって本当は家族元通りが良いんだろ?」

と言い始めた。

そんな訳ないじゃない!

唖然とする私に対して更に、

「ずいぶん自由にやったみたいだから、そろそろ気が済んだんじゃないか?」

と、まるで戻ることが既定路線のような言い方をした。

本当に何も分かっていないのだ。

もう戻らない覚悟をしたことも伝えたはずなのに。

そういう都合の悪いことはスルーするのもいつも通り。

夫と話していたら、あの苦しかった生活が鮮明に思い出された。

今日を無事に過ごすことしか考えられなかったあの生活を。

こんな人だと見ぬけていたら結婚なんてしていなかったのに、あの頃は尊敬できる相手だと思い込んでしまった。

モラハラにも気づけず、頼りになる人だと思ってしまった。

そういう人との離婚がこんなにも大変ということも、私は知らなかった。

2025年12月15日月曜日

『子どもの意思を確認させて』と食い下がる義両親

長引く話し合い

その日、義両親は何が何でも私たちを連れ戻すつもりで来たのだと思う。

だけどなかなか折れないから、業を煮やして

「(子ども)ちゃんの気持ちを確認させて」

と言い始めた。

夫と話させるよりは百万倍マシだが・・・。

それでも簡単にOKできるものではない。

と言うのも過去には連れ去りもあり、胃の痛くなるような日々を過ごした。

もう二度と子どもと暮らせないのではないか。

そんな不安から、全ての計画を投げ出して夫に謝ってしまおうかと考えたほどだ。

だけど先輩がそんな私を止めてくれた。

義両親にとってうちの子が生き甲斐だということも分かっていたから、私も悩んだんだけど。

それ以上に警戒する気持ちの方が強かった。

最初はその場所に呼び出して欲しいと言われ、

「一人で来られる距離ではないですし・・・」

と答えたら、

「そういえば今日は一人でお留守番しているの?」

と言われ、『藪蛇だったかも』と冷や汗。

うちの子は寂しん坊で一人では留守番したがらないことを義両親はよく分かっていた。

それでちょっと怪しんだようで、

「誰かが見てくれているの?」

と聞かれてしまい、更に冷や汗が・・・。

もちろん先輩の家にお世話になっていることは知らない。

しかも、その日『調査会社を使って居所を調べても良いんだよ?』ということを匂わされており、非常に焦った。

しどろもどろになりながらも、何とかこの場を切り抜けなければと、

「最近はずい分しっかりしてきて。一人でお留守番してくれるんですよ」

なんて説明したけど、納得していなかった。

色んな理由をつけて呼び出そうとしており、時計を見ながら

「このままここで晩御飯にしよう。外食と言えば喜んで来るんじゃないか?」

とお義父さんから言われた時には、もう上手い言い訳が浮かんで来ず、

「いえ、あの・・・」

と言葉が続かなかった。

そこに畳みかけるように、

「途中まで迎えに行くから」

と言うので、私は無い頭をフル回転させて必死に言い訳を考えた。


「連絡手段が無い」という理由で断り、急いで帰宅

焦っている時というのは重要なことを見逃しているものである。

その時の私も肝心なことを見過ごしていた。

慌てながらも必死に言い訳を探していた時、隣のテーブルの子に目が留まった。

うちの子より少し大きいかな?という感じの子で、何やら携帯を操作していたのだが。

それを見て、ふと思い出した。

そう言えばうちの子は『携帯を持っていない』という設定になっていたことを。

夫からも散々持たせるように言われたのだけれど、

「まだ早い」

と一蹴した。

それがこんなところで役に立つなんて。

夕飯のことを持ち出されたことは幸いだった。

こちらにも早く帰らなければならない理由ができた。

連絡のつかない子どもを呼び出すこともできないから、すぐに帰って夕飯の準備をしなければ。

そういうストーリーにして、お開きを願い出た。

義両親も子どもが困ることは避けたかったみたい。

それで、あっさりと終了した。

そういう所が夫とは違う。

夫の場合、子どもが困ろうがどうしようが自分のことを優先させる。

『そこに愛情はあるのかい?』と聞きたくなるシーンが何度もあった。

帰り道、やっと解放された安堵と、居場所を調べられてしまうかもしれない不安と。

色んな感情がごちゃ混ぜになり、不安定な気持ちのまま家路を急いだ。

2025年12月13日土曜日

狭まる包囲網

逃げ続けることはできるのか

夫の再々就職後はある程度の自由があった。

その状態まで持っていくのには長い時間がかかったのだけれど。

家を出たばかりの頃はしつこい位に連絡が来ていて、そのたびに怯えた。

いつ居場所を突き止められて連れ戻されるか。

そう考えると気が気では無くて・・・。

それが時間が経つにつれて連絡が減ったり増えたりを繰り返すようになった。

その間、義実家の方でも色んな問題が発生。

向こうが他の問題を抱えている時には数週間ほど音信普通になることも。

実はそういう状況を待ち望んでいた部分もあり、気の毒に思いつつもホッとしていた。

雲行きが怪しくなったのは、夫の再々就職先の経営状況が芳しくなくなってからだ。

何となく、『まだ籍も抜けてないんだから面倒を見るべき』という空気が漂っていた。

押し付けられそうな雰囲気を感じ取った私は抵抗し、のらりくらりと交わした。

義両親の直談判にも首を縦に振らなかったら、業を煮やした二人がとうとう

「とりあえず居場所だけは教えて」

と言い出した。

私がもっとも恐れていたことだ。

一時的とは言え平和な生活を送れていたのは居場所を知られずに済んだからだ。

その生活を失いたくなくて、『教えろ』と言われても絶対に教えなかった。

そうしたら調査するようなことを匂わされ、流石に焦った。

スルーし続けることはできないかもしれない。

どうせバレるのなら自分から言ってしまった方がまだ傷は浅く済むだろうか。

私は葛藤し、だけどバレた後のことを想像すると身動きが取れずにいた。


先輩に迷惑をかけたくない

『調査会社を使って調べる』と宣言された後、私は先輩に相談した。

これ以上、迷惑をかけられないと思った。

引っ越し先を探すつもりで、

「もうここには居られないかもしれない」

と伝え、義両親がこれからやろうとしていることも説明した。

普通なら親戚でもないのにそこまでリスクのある相手を家に置いておきたくはないはずだ。

それまで先輩は一人で自由気ままに暮らしてきた。

そこに小学生を連れた後輩が転がり込んできたんだから。

迷惑を掛けていないはずがない。

それに、最初はほんの少しの間だけ・・・と始めた居候だった。

長居しすぎてしまったことも申し訳なく、お世話になった先輩まで巻き込むことは避けたかった。

当初は、

「先輩が良い人を見つけて結婚することになったら出て行きますね」

なんて冗談を言っていたのだが。

内心は、あまりにも居心地が良くて『先輩に彼氏が出来たら嫌だな』なんて考えてしまった。

なんて自分勝手なんだろう。

とにかく幸せな思い出が多すぎて、出て行くことになるかもしれないと思ったら寂しさがこみ上げてきた。

「本当にお世話になりました」

と頭を下げながら、涙でぐちゃぐちゃになった。

だが、そんな事情を聞いても、

「出て行くなんて言わないでよ。一緒に対策を考えよう」

と言ってくれた先輩。

泣きじゃくる私の背中を何度もさすってくれた。

2025年12月12日金曜日

夫が再び無職になる可能性

勤務先の状況

夫が勤めていたのは零細に近い小さな会社だった。

従業員数も少なく上下関係もあまり無いような所で居心地が良さそうだった。

メンタル面も安定していたので安心していたのだが・・・。

小さいが故の悩みもあった。

例えば、社内で一人でも仕事の無い人が出てしまうと途端に状況が厳しくなってしまう。

仕事を取ってこられる人が限られているという問題もあった。

そして何より大きな問題だったのが高給取りの多さ(!!!)。

これはある程度のスキルを持つ人ばかりの集団だったから必然的にそうなったようだ。

上手く歯車が回っている時はまだ良い。

でも、何か一つ崩れると一気に上手くいかなくなった。

夫もそうなのだが、社員は高い給料をもらうことが当たり前になっていた。

苦しいから少しずつカットするという話になっても誰も納得しない。

『一度生活レベルを上げると元に戻せない』という話をよく耳にするが、まさにアレだ。

その心情は理解できるけど、それでも会社の存続を一番に考えるべきだった。

結局穏やかな顔をしつつもみんながエゴを通そうとするから軌道修正ができない。

それなら営業面にもっと力を入れて財務状況を改善する方向に持っていけば良かったのだが。

そういう努力もせず、ただひたすら目先のお金を工面することに集中してしまったようだ。

先を見据えた行動ができていないから、突発的な事案にも対処できなくて。

どんどん苦しくなっていき、とうとう『来月のお給料は満額出るかな』という所までいってしまった。

夫はこれをまるで他人事のように話していたそうだ。

義両親もこれにはガッカリで、大手に勤めていたお義父さんなどは

「会社としてなってない!」

とお怒りだった。


私にはどうすることもできない

現状を一通り聞いた後、私は『今負担してもらっている分も貰えなくなるなぁ』なんて呑気に考えていた。

傍から見れば小さな額かもしれないが、私にとっては非常に大きい。

それが貰えなくなると、他を切り詰めて捻出するしかない。

頭の中ではあーでもない、こーでもないと計算をしていた。

多分、その時の様子が深く考え込んでいるように見えたのだと思う。

お義母さんが急に、

「(私)さんには本当に申し訳ないわ。心配ばっかりかけちゃって」

と言った。

まさか頭の中で家計費の計算をしていたとは言えず、曖昧な返事をしながら二人の話に耳を傾けた。

会社が危ないかもしれない、と知ってからの夫は仕事にも身が入らないらしく、

「テレワークなのを良いことに、頻繁にフラフラ出ている」

とお義父さんが呆れていた。

元々そういう所はあるのだが、状況が状況なだけにより一層その傾向が強まっていたようだ。

自暴自棄にもなっていて、何とか助けて欲しいと懇願された。

色んな話を聞いてだいたいの状況は理解できたけど。

やはり私にできることは無いと思った。

それをストレートに伝えるのはさすがに憚られるので、

「私では力不足です・・・」

とやんわりと断った。

余談だが、あの人はそんな状況でも仕事だけはきっちり終わらせることができる。

そういう所に惹かれ、尊敬していた。

でもそれも昔の話だ。

家を出てからの私は夫に関わる全てのことから解放され、自由になりたかった。

2025年12月11日木曜日

「戻ってやって欲しい」と懇願され・・・

義両親の願い

いきなりの土下座から始まった話し合いだったが・・・。

『(私)の気が済むまで謝る』というお義父さんを何とか説得し、席についてもらった。

だいたい土下座なんてされても全く嬉しくない。

むしろ罪悪感を抱かされるだけだ。

それなのに話し合いの最中に何度も頭を下げようとしてくるから、そのたびに慌てて制止した。

そんなことをされたら、こちらが悪いことをしているような気持ちになってしまう。

だから本当に止めて欲しいのに。

頭を下げることが『正しい』と思っているようで困惑した。

こういう時、お義父さんは頑なだ。

『止めてください』と言っても聞き入れてくれない。

『自分は正しいことをしているのだから、それを受け入れない方が悪い』という感じになる。

ハッキリ言って謝罪の押し付けだと思う。

少なくとも私はそんなことをされても許そうという気持ちにはなれなかった。

それでずっと黙っていたら今度はイライラし始めて、

「どうしたら許してくれるんだ!」

と詰め寄られ、更に困惑。

何を言われても私の心には響かないのに、ごり押しすれば何とかなると考えているのがみえみえだった。

それまで押し切られることが多かったから、こういう考えになっても不思議ではない。

でも、夫のことはそう簡単な問題ではないのだから、そんな軽い捉え方はしてほしくなかった。

家を出てから自分の頭で考えるようになり、あの生活がどれほどおかしかったのかをハッキリと自覚した。

異常だと思うような生活に自ら戻るはずもなく、押し付けられても困るというのが本音。

義両親は義両親で、夫のことを持て余してどうにもできなくなったのだろう。

それと、やはり我が子だから心配というのもあったと思う。

面倒見切れないけど放置もできない。

それで、まだ籍のつながっている私に依頼するしか無かったのでは、と推測した。

息子が安心して暮らせる環境を作ってあげたい。

そんな願いを込めて話し合いに臨んでいるような気がした。


受け入れられない提案

義両親の要求は明確だった。

家に戻ってほしい。

ただ、それだけ。

でもそれは私たちにしてみれば全てがひっくり返るくらいの大きな決断だった。

万が一戻れば、もう二度と出られないということも分かっていた。

だから既に返事は決まっていた。

夫は警戒心の強い人なので同じことが起こらないように対策をするだろう。

もしかしたら、逃げ出そうという気持ちが無くなるくらいにメンタルを折ろうとするかもしれない。

そう考えたらゾッとした。

親として子どもを心配する気持ちは分かるけど、どうしても受け入れられない。

いつもは傷つけたくなくてあいまいな表現を選ぶのだが・・・。

この時はきちんと伝えないとダメだと思い、明確な言葉で拒絶の意思を示した。

聞いた瞬間のお義父さんの表情は今でも忘れられない。

苦虫を嚙み潰したような顔というのは、まさにあのような表情を言うのだろうと思った。

きっと想像していた答えとは違っていたのだろうが、私も譲歩できなかった。

そもそもこの件に関しては、間を取って落としどころを見つけるということもできない。

戻るか戻らないか、ただそれだけだ。

返事を聞いた途端、二人は気落ちした様子で何度も、

「やっぱりダメなのか」

と言ってきた。

その日の話はそれで終わりだと思っていたら、引き下がる様子もなくそのまま1時間以上も説得される羽目になった。

2025年12月10日水曜日

ファミレスで土下座

久々の呼び出し

久々に義両親から呼び出された。

呼ばれたからと言ってホイホイ行ってしまう所に私の弱さが表れているのかもしれない。

でも、義両親が参っている感じがして放っておけなかった。

子どもにも会わせてあげられていないし。

なんだかんだで夫を上手く制御してくれているし。

これまでに良くしてもらったこともあるし。

そういった諸々の理由に加え、困っている二人の姿が目に浮かぶようで無視できなかった。

とりあえず会うことにしたのだが・・・。

指定されたのは、なんと二日後!

いつもなら二~三週間後とか少し先の日付を指定してくれる。

でもその時は『すぐにでも』という感じで。

非常に切羽詰まっている気がして『行かなければ』と思ってしまった。

ただ、気が重いことは否めなかった。

顔を合わせたらやっぱり離婚のことや子どものことを追及されるだろうから。

直前まで迷い、でも一度約束してしまった手前行かないわけにもいかず、警戒しつつ指定された場所に向かった。

予想通り、私が到着するよりも早く義両親は来ていた。

座席は入口から一番遠い場所。

店内に入り、向かっている最中にお義母さんが私に気づいて手を振ってくれた。

二人の表情に覇気が無く、明らかに気落ちしている様子なのが気になった。

まあ、全てが上手くいっていない状況なのだから無理もない。

やっと穏やかな生活に戻りつつあったのに、突然夫の問題が降りかかってきた。

義両親にしてみれば本来ならバリバリ働いているはずのお義兄さんの面倒を見なければならないのに、その上夫のことまでなんて。

流石に気の毒だと思った。


席に着いた途端の土下座

「遅くなってすいません」

と言いながら座りかけた瞬間、いきなりお義父さんが土下座した。

私たちが居たのはファミレスだ。

家族連れなどでワイワイと賑やかだったのに、一瞬にして静かになった。

しかも、私たちの周りだけ。

その後に続くヒソヒソ声は、恐らくこちらを見て噂しているのだろうと思った。

土下座するお義父さんの横ではお義母さんがハンカチを握りしめ、

「本当に色々と迷惑かけてごめんなさいね」

とさめざめと泣いていて、非常にカオスな状況だった。

どうしたら良いのか分からず、とにかく座って話して欲しくてお義父さんにそう伝えた。

でも、

「いや、(私)さんの気が済むまで謝るつもりだから」

と言い、なかなか土下座を止めてくれなくて。

まるで罰ゲームのような状況の中、人々の視線が痛くて俯いた。

もう、一度お店を出るしかない。

とりあえず目の前に座っているお義母さんに、

「一度出ましょうか」

と言ってみたら、土下座をしていたお義父さんが急に顔を上げて、

「まだ話が済んでないでしょ」

と少し声を荒げた。

土下座を止めてくれないから一度出ようと提案したのに、それに対して文句を言うなんて。

それなら一体どうしたら良いの?と思いながらも、その姿を見たら妙に冷静になり、

「じゃあ、とりあえず座ってください」

と伝えた。

2025年12月9日火曜日

家出から一年後の出来事

脱出から一年

夫が暴れて身の危険を感じ、咄嗟に家を出た時には、まさかそのまま戻らないとは夢にも思わなかった。

ほとぼりが冷めた頃に帰り、そのまま元の生活に戻るんだろうな。

そんな想像をしていた。

でも、そうならなかった。

家を出るまでは気づかなかったのだが、私も子どもも限界を迎えていたようだ。

それでも自分を騙し騙し何とか暮らしていた。

あの日のことは今でも忘れない。

辛く苦しい日々にピリオドを打った日であり、新たな闘いの始まりの日でもあった。

子どもの手を取り逃げた時、恐怖に震えながらも何だかワクワクした。

久々に自由をいうものを肌で実感したのだ。

たとえそれが一時のものだとしても、心の底から喜びが沸き上がってきた。

それくらい抑圧された生活だったと言うことを、今でも夫は無自覚なままだ。

いや、多少の自覚はあるのかもしれないが、悪いのは100%私だと結論づけられていると思う。

家を出てから1年もすると、夫の状況は比較的安定した。

義両親は義実家に戻り、お義父さんは仕事をした。

夫は家族で住んでいた家に一人で暮らし、テレワークの仕事を続けた。

そこには夫の友人たちが頻繁に出入りしていたので、何だかもう我が家ではないみたいで・・・。

だけど、相変わらず家賃は払っていて、夫からはほんの少しの援助を受けていた。

援助という言い方もおかしいとは思うのだが、仕方がない。

それが夫の精一杯の譲歩だったのだから。

そんな感じで、内心は離婚話が進まなくてモヤモヤはしていたけれど表面上は穏やかに過ごしていた。

そんなある日、新たな問題が持ち上がった。


夫の勤めていた会社の経営状況が悪化

今度こそ続くかもしれない。

夫の様子を見てそう感じていたので、『潰れるかもしれない』と聞かされた時には本当にショックだった。

あの人が上手くいく会社なんてそうそうない。

何せ我が強くて周りを認めることができない人だから。

よほど周りが気遣ってくれる環境でなければ衝突を避けることができない。

幸いにも長いブランクを経て2度目に再就職をした会社は皆が穏やかだった。

腰の低い人ばかりなので言い合いになることもない。

実に快適そうで、私もホッとしていたのに。

入社してまだ間もないタイミングで経営が傾き、お給料の心配をする羽目になった。

規模も大きくないから、潰れる時はあっという間だろう。

そうなったら、またあの生活に戻るのか・・・。

それは、ほんの少しの援助も無くなることを意味していた。

一瞬で色んな問題が頭に浮かんできて暗い気持ちになった私は、とにかく状況を整理したくて久々に夫とコンタクトを取り続けた。

実はその付近でお義兄さんが債務整理をしていて、義両親はお義兄さんを支えなければならなかった。

お義兄さんには奥さんへの慰謝料問題もあり、それも未払い状態。

支払能力が無いからどう考えても無理なんだけど、それに腹を立てた元奥さんから何度も苦情が来ていた。

義実家の面々は相当悩んだみたい。

そこに夫の会社が危ないという話が持ち上がり、一気に雲行きが怪しくなった。

関係者全員が私に支えて欲しいと考えているのは明らかだった。

2025年12月8日月曜日

我が子を愛せない夫

「大事に思っている」というのは口だけ

子どものことになると、ついつい口を出したくなることはある。

それも愛情あってのこと。

私の場合はそうなんだけど、夫は違っていた。

自分の意に沿わないことがあると我慢できなかったようで。

徹底的に納得がいくまで追求していた。

そこに子どもの意思はない。

どう思っていようが、そんなことはどうでも良いという感じだった。

常に『俺の言うことが絶対だ』というスタンスで、意見を聞くこともない。

まるで『黙って聞いていれば良いんだよ』と言われているようで、素直に聞くことができなかった。

多分子どもも同じだと思う。

でも、反論したら益々子どもが追いつめられるから。

我慢して我慢して我慢した。

その我慢によりさらにエスカレートしていったモラハラ。

時々ふと、最初から怖がらずにきちんと反論していれば何か違ったのかなと思うこともある。

そこだけはこちらにも改善の余地があったのかもしれないが、根本的な問題は子どもへの愛情が無いことだった。

自分が寂しい時だけ構い倒して、普段は邪魔にしている感じがした。

構い倒している時でも、ちょっと気に入らなければ虐待スイッチが入る。

子どもにとってはどちらに転んでも地獄だった。

別居後、電話をかけてきてしつこく子どもを出せと言われ、断り切れなくてほんの少しだけ代わったことがあった。

最初は穏やかに話していた二人。

それが段々と雲行きが怪しくなり、途中からは罵声のようなものが電話口から聞こえてきた。

私は焦って電話を切り上げようと子どもにジェスチャーで伝えたが、俯いて固まっているため気づかず・・・。

そのままではマズいと子どもの肩をトントンと叩いて携帯を受け取った。

その瞬間、信じられないような暴言が聞こえてきた。

「もうお前〇ね!」

という夫の声が。

驚いてとっさに言い返すこともできず、携帯をギュッと握りしめた。

見ると子どもは涙ぐんでいた。

一緒に住んでいた頃、たびたび発せられた言葉だ。

それがどれほど子どもを傷つけたことか。

絶対に言わないで欲しいとお願いしたのに。

結局そうやって傷つけてしまう夫には、もう父親として何かを求めるのは無理なのだろうと思った。

ショックを受けている子どもの背中をさすりながら、私は夫に告げた。

「その言葉は絶対に使わないでとお願いしたのに。もう二度と子どもが大事だなんて言わないで」

決死の思いで伝えたその言葉は夫には響かなかった。

聞いた瞬間に鼻で笑い、

「めんどくせー」

と言いながら電話は一方的に切られた。


傷ついた心を癒したい

子どもも私も夫には酷く傷つけられてきた。

そのたびに涙を流し、もう声も聴きたくないと思った。

でも、完全に関係を切ることができず怯えながら暮らす毎日で、心のよりどころが必要だった。

子どもは、大きなぬいぐるみが癒しだったようだ。

自分よりも大きいくらいの巨大サイズで、触り心地はフワフワだった。

その手触りを確かめながらウットリしている子どもを何度か目撃している(笑)。

私も時々触らせてもらったが・・・。

なるほど、非常に落ち着く気がした。

私の場合は子どもが癒しなんだけど、それ以外ではひたすら映画やドラマを見た。

アメリカのドラマがメインで、時々は日本の映画も。

日常生活を忘れ、ほっとできる時間だ。

本当に色んなものが揃っているので、月々数百円でかなり楽しめている。

そういう楽しみも、以前は夫の許可が必要だった。

で、映画を見たいからAmazonPrimeに入りたいと言ってみたこともあるのだが。

あえなく却下された。

『そんな時間あるの?』という言い分だったと思う。

そんなことを言うのなら少しは家のことをやってくれたら良いのに。

家のことは私の仕事という認識だったので、助けてくれることは無かった。

高熱が出た時でもお迎えを代わってくれないくらいだから期待するだけ無駄な話だ。

大学卒業後のほとんどの時間を一緒に過ごしたのに、愛情をもらったという記憶がほとんどない。

あったのは執着だけ。

2025年12月5日金曜日

夫の良き相談相手だったお洒落女子Sが突然消えた

サバサバ系女子は頼りになる

夫のとりまきの中には何人かの女性がいる。

その中の一人Sは夫の良き相談相手だった。

何があってもとにかく擁護してくれる。

だから、夫もちょっとした相談をよくしていた。

耳の痛いことを言ってくる相手を選ばないところが実にあの人らしい。

私たちが初めて顔を合わせたのは既に夫のモラハラ虐待が酷くなっていた頃だった。

その前から仲間内では姉御肌として慕われていて頼りになる存在だと聞いていたのだけれど。

会った時の印象はそのままだった。

私にも妹のように接してくれた。

最初から非常にフレンドリーで、内輪ネタの会話に入れない時には他の話題に切り替えるなど気遣ってくれて。

この人は他の友人たちとは少し違うのかも、なんて思ったりした。

夫なんて

「コイツ、ノリが悪くてごめんな~」

とまるでその話題に入ってこれない私が悪いみたいな言い方をするんだから。

そういう所も本当に嫌だった。

妻をディスることがカッコいいとでも思っているのだろうか。

少なくとも私は大事にしている人の方がよっぽどカッコいいと思った。

ただ、そこで下手な態度を取って夫の機嫌を損ねるのは避けなければならなかったから。

ニコニコしながらひたすら黙って愛想を振りまいた。

ああいう場面では夫の発言に対して周りの皆が『そうだよなー。気持ちわかるよ』という感じになる。

そんな中、Sだけは、

「今の発言はダメだよ!」

とビシッと指摘してくれるのが救いだった。

それまでサバサバ系女子というのは実際には大抵ネットリしているものだと思っていたのだが・・・。

Sのような人も存在するのだと、認識を改めた。


お洒落で優しかったSが居なくなった

夫のとりまきの中で唯一心を開ける相手だったSは、お洒落大好き女子でもあった。

いつも素敵でキラキラしていて、見ていて眩しかった。

私なんて子どもっぽいし、夫の命令によりスカートの丈まで決められていたから。

つまらない人間に見えているんだろうな、と卑屈に思うこともあった。

でも、一度も否定的なことを言われたことがない。

むしろ『似合ってるよ』と褒めてくれたり『このワンピースにはこういうタイプの靴が合うよ』とアドバイスをくれた。

なんだか本当のお姉ちゃんみたい。

実の姉は居るのだが、また違った方向で頼りになる感じで。

Sと話すのはいつも楽しかった。

夫の仲間との交流が続くのは嫌だけど、でもその間はSとも話せる。

そう思っていたのだが・・・。

Sは突然居なくなった。

実はSには長年付き合っている人が居て、相手は既婚者だった。

サバサバ系のSがそういう恋愛をすることは意外だったが、私がとやかく言うことでもないから黙って聞いていた。

どうやら消えた理由はその相手との駆け落ちらしく、直前に匂わせるような発言もあったようだ。

数か月後、別の町で暮らしていることが分かり一同はホッとした。

ただ、あれほどまでにつるんでいた仲間なのに、実はSのことをほとんど知らなかった。

実家も知らなければ、家の場所も知らない。

駅までは教えてもらっていたから、ざっくりとした場所なら分かるという程度だった。

そう言えば、あんなにみんなの話を聞いて面倒を見てきたSだったけれど自分の話はほとんどしなかった。

もしかしたら、Sが心を開ける相手はそこには居なかったのかもしれない。

ふと、駆け落ちした人がそういう相手なら良いな・・・なんて。

不謹慎だけど、そんなことを考えてしまった。

2025年12月4日木曜日

家出中のため、新学期の書類作成も難しい

住所の問題

家を出た当初はすぐに決着がつくと思っていた。

でも数か月が経過しても解決する気配はなく・・・。

宙ぶらりんのまま、子どもは一つ上の学年になった。

学年が変わる時には色んな書類を提出する。

いつも面倒だなーと思っていたんだけど、直面したのはもっと大きな問題だった。

現住所として提出していた場所と異なる所に住んでいるという、普通では起こらないような問題。

正直に書くのも違う気がして、どうしたら良いのかが分からなくて。

期限が迫った書類を前に私は悶々と考えていた。

悩んだ挙句、結局夫の居座るあの家を住所として記載した。

無いとは思うけど、夫にバレた時のことも想像してしまった。

もしバレたら、間違いなく押しかけてくるだろう。

家に戻ることを了承するまで、しつこくやって来るに違いない。

そんな想像をしたら急に不安になった。

安心できる場所があるって本当にすごいことだ。

それまでの私たちには無かったから。

誰にもSOSを出すことができず、ひっそりと耐えた。

先輩に迷惑をかけるのも嫌だった。

本来なら親戚でもないんだから面倒を見る義理は無い。

それなのに優しい言葉を掛けてくれて居場所を提供してくれた。

夫は私が大切にしている物をことごとく壊すから。

きっと、幸せそうにしているのを見たら壊そうとすると思った。

そして、ショックを受けるのを見て満足そうにするというサイコパス。

文章にするだけでも怖いが、実際にはもっともっと恐ろしい人だ。

そんな人が何故普通の生活を送れているのかというと、上手にその異常性を隠しているからだ。

人当たりの良い人物を演じ、明るく快活。

その偽りの顔に騙されなかった人は、私の知る限りほとんど居ない。

本当の姿を伝えても信じてもらえなかったほどなので、余程上手く演じているのだと思う。


消えない虐待の記憶

色々な悩みを抱えていても、子どもが安心して過ごしている姿を見ると全てが吹き飛んだ。

明らかに夫と居る頃よりも元気になったし、活発に動き回るようになった。

何より笑顔が増えた。

もう些細なことで怒鳴られたり急に叩かれることもないんだ。

夏の暑い日や凍えるような冬の寒い日に外に締め出されることもない。

それがどんなに幸せなことか。

家を出てからの私たちは穏やかな日々の生活に感謝し、幸せをかみしめていた。

相手はあの夫なのだから気を抜いてはいけないと思いつつも、やっぱり先輩の家は快適で安心しきってしまって。

時々連絡が来た時も、早くやり取りを終えて日常に戻りたいという感じだった。

でも、夫が電話口で怒鳴った時にたまたま通りかかった子どもが震えだした時、現実に引き戻された。

直前までご機嫌で本を読んでいたのに、顔色は真っ青で強張っていた。

思わず手をギュッと握ったら強く握り返してきて、目の端には涙が溜まっていた。

やっぱり怖いんだよね。

簡単には忘れられないよね。

電話を切った後に子どもを抱きしめた時、激しい鼓動が服の上からも分かるほどだった。

あの人はなんて罪深いことをしたんだろう。

純粋な子どもの心身に傷をつけて。

それなのに虐待をしたという自覚もない。

そんな人が父親を名乗るなんて本当に許せなかった。

2025年12月3日水曜日

痴漢に遭いやすかった学生時代

通学時に何度も被害に・・・

家から大学への道のりは電車を乗り継いで1時間半くらいだった。

一限がある日は早朝に家を出て、帰りは大抵そのままバイトに向かった。

結構忙しくしていたので電車の中で寝てしまうことも多く、気づいたら降りる駅を過ぎていたなんていうことも。

ある日の帰り道、疲れてぐっすり眠ってしまった時があった。

目が覚めたらかなり時間が経っていて、慌てて駅を確認しようとしたのだが・・・。

振り返ろうと体を動かしたくても何故か上手く動かせない。

『あれっ?何かおかしい!』と感じ、ボーっとしながらも懸命にその違和感の正体を突き止めようとした。

その正体はすぐに分かった。

隣に座って居た男性が、なんと私の袖口をギュッと掴んでいたのだ。

驚きながら何とか手を動かそうとしたが、力が強くてなかなか離してもらえなくて。

周りの人にも全然気づいてもらえないし、どうしよう・・・と思っていたら、大胆にもその人は手を握ってきた。

もう何が何だか分からなくなり、パニックになりながら必死で立ち上がってちょうどドアが開いたのを確認して電車から飛び降りた。

本当は降りる駅では無かったんだけど仕方がない。

チラっと見た感じではビシッとスーツを着た若いサラリーマン風の人。

身なりは本当に普通なものだから余計に混乱した。

この件以外にも痴漢被害にはたびたび遭っていて、朝も多かった。

一限が無い朝、少しのんびり行っていてウトウトしてしまい、起きたら太ももの上に手を置かれていたことも・・・。

驚いたのなんのって。

一瞬事態を把握できず、『えっ?何で?』と考えてしまった。

そんな感じだったから、電車に乗る時は周りにどんな人がいるかを観察するようになった。


狙われた理由

これだけ痴漢に遭いやすいということは何らかの理由があるのだと思う。

でも、私は大人っぽいわけでもなければナイスバディでもない。

ごくごく普通の学生だったし、派手でもなかった。

派手か地味かで言えば地味に近い。

バイトで棚整理をしていた時、知らない学生服の二人組から唐突に、

「大人しい系か・・・」

と言われたこともあり、人目を引くような派手なタイプでないことだけは確かだ。

服装は?と問われれば、露出をしていたわけでもない。

何ならふんわりとした服が多かった。

だから、本当に理由が分からなかった。

思い当たる事があるとすれば、『何かあっても声を上げなそう』と思われていたとか?

それくらいしか考えられなかったのだが・・・。

夫と出会ってああいう被害を受けてから何となく分かった気がした。

きっと『思い通りになる相手』と見られていたのだと思う。

そうでなければ、夫があれほどまでに何でもゴリ押ししてくることへの説明がつかない。

あー、でも夫はサイコパスな人だからそうでなくても虐めてきたかな。

夫だけでなくお義父さんからも

「意外と頑固だな」

と言われていた。

きっと、扱いやすいと思われていたに違いない。

『意外と』という発言には『思ったよりも』という枕詞が隠されている。

もっと素直に言うことを聞きそうだと思ったのに、という感じだと思う。

家を出てからは、そういう自分から脱却するためにできるだけ意見を言うようにしている。

少しずつでも変わっていければ良いな。

2025年12月2日火曜日

共同親権への警戒

虐待被害者はどうしたら良いの

世間で段々と共同親権の話題が上るようになってきた頃。

私は途轍もない不安を抱えていた。

我が家のように相手が虐待やモラハラをしていた場合、一体どうすれば良いのだろうか。

夫のようなタイプは自分に利するようなニュースを決して聞き漏らさない。

だから私が黙っていてもどこからか聞きつけて言ってくるだろうと思っていたら案の定だった。

「親権を争うということ自体が間違ってるのかもな」

なんて達観したような発言をし、

「どちらも平等に親権を持てれば争いも無くなるんだから」

と、共同で親権を持つのが当たり前のような物言いだった。

全てのケースに寄り添った法律を作ることなど不可能だ。

だから、ああいう議論が出るのも納得できる。

ただ・・・実際問題そうなった場合にはとんでもなくリスキーで、心臓が痛くなるくらい不安だった。

虐待のハッキリとした証拠があればまだ良かったのだが。

弱い証拠だけで立ち向かえる相手ではないから、私はこのニュースを常に気にしていた。

たとえ私の言い分が正しくても、そう受け止めてくれる人がどれだけいるか。

結局は話し合いになった時には話術に長けていたり声の大きい方が有利になると思った。

だから、絶対に調停は避けなければならなかった。

間違いなく私に不利になることが分かっているのに、そこに飛び込んでいくほどバカではない。

口の上手い夫は周りを信じ込ませるのがとても上手い。

気づいたら夫のペースになっていることがほとんどで、何度も悔しい思いをした。

過去のことはもう良いけど、親権はそういうわけにはいかない。

子どもを守ることが私に課された最大の使命なのだ。


法改正前に駆け込み離婚したい

法改正される前に何とか離婚を成立させたいと焦った。

夫もそれを見越してわざと先延ばしにしているのではないか。

被害妄想かもしれないけど、そんなことまで考えた。

でも、後から聞いた話では離婚後も共同親権にできるとのこと。

と言うことは、どうやっても逃げられないのね・・・。

この件でもやはり私一人が右往左往していたようだ。

無駄な動きが多いとは、まさにこのこと。

どっしりと構えていればそのうち詳細が明らかになってキリキリ悩むこともなかったのに。

そういう弱さを見透かされていたんだろうなと思う。

その頃、夫は私への不満を爆発させていた。

そして、頻繁に交流している仲間たちの間では『それって誰のこと?!』というくらいに悪女に仕立て上げられていた。

なんだか別方向から攻撃されそう。

そっちの面でも漠然とした不安があった。

なぜか夫の仲間内でも特に女性からの評判が悪かったらしい。

『あの女最低!』という感じだったようなので、女性の敵は女性というのは本当なのかもしれない。

それなのに、何故か親しげに連絡してきて近況を聞き出そうとするという・・・。

とことん嫌っているのに、それを隠して友達のようにふるまい、そして探りを入れてくるって。

はっきり言って怖い。

サイコパスの夫の周りにはサイコパスが集まるのかな。

2025年12月1日月曜日

「子どもの通知表を見せろ」と要求するモラハラ夫

別居しても成績にうるさい

夫は子どもに対して非常に厳しかった。

常に厳しいわけでは無かったが、9対1くらいの割合で辛く当たった。

虐めぬいてギリギリの状態にまで追い込んだ後、ほんの少しの間だけ優しさを見せる。

その瞬間だけを切り取れば、子どもを猫可愛がりしている父親に見えると思う。

でも実際は、執拗に虐めて憂さ晴らしをしている感じだった。

そんな夫も離れてからは『変わったのかな』という部分もあった。

多分私たちが戻ってくるように偽りの優しさを見せていただけなのだが。

それが分かっていても、単純なので嬉しくなったりした。

戻ることはできなくても、離婚後は普通のやり取りができるようになるかもしれない。

そんな期待をし、そのたびに裏切られることの連続で・・・。

別居後3カ月くらいには、とうとう期待することも無くなった。

はっきり言って夫は舐めていた。

私たちが相手なら言いくるめられると考えていたのだろう。

思い通りに行かないことを理解し始めてからやっと現実を知ったみたい。

それでも『自分は父親だ』というスタンスは崩さず、色々な注文をつけてきた。

特に嫌だったのが子どもの成績に関してだ。

あんなに虐待していたんだから子どもを思う気持ちなんてないだろうに、通知表をもらうタイミングでいつも『見せろ』と要求した。

いつもより頑張った所があっても決して褒めることはない。

常に粗探しをしていたから、なるべく見せたくなかった。

でも、強く言われたら従わざるを得ない。

しつこく何度も催促された時、一度だけ

「そんなに成績のことを厳しく言うのなら、もっと自分もお手本になるような振る舞いをしてよ」

と言ったことがある。

普段の私からは想像もできないくらい大胆な発言だが・・・。

実はそんなことを言うつもりは無かった。

頭の中でぼんやりとそんな悪態をついていたのが口から出てしまったというのが本当のところ。

聞いた途端に夫の機嫌は悪くなり、怒鳴られて電話は切られた。

ドキドキしたけど、電話を終えることができたのでホッとした。


子どもの自尊心を傷つけた夫を許せない

夫はしつこい。

自分が少しでも気になったら納得するまで言ってくる。

最悪なことに、子どもの成績は夫のもっとも関心の高いことのようだった。

一緒にいた頃なんて、どんな時でもテストを逐一チェックしていた。

点数を見るだけでなく、字の書き方や解答の仕方まで指摘。

6歳やそこらの子どもがそんな細かいことを言われたって、その通りにできるはずがない。

それでまた同じことをしてしまうんだけど・・・。

それも虐待のきっかけになっていた。

少しでも反論しようものなら物凄い勢いで怒られるから、できれば通知表のことを忘れていて欲しかった。

でも、そういうことは絶対に忘れてはくれなくて、いつも憂鬱な気持ちに。

ああいう人って、ちょっと見た感じでは教育熱心に見えるから厄介なんだよね。

『お子さんのこと大事なんだね~』なんていう勘違いもされていたけど。

本当は夫が満足したいだけ。

優秀な子どもの父親というポジションが欲しいから思い通りにならないとキレる。

子どもにしたら迷惑な話だ。

否定ばかりされた子どもは、自分を卑下する癖がついてしまった。

本当はそんなことなくても、『自分はだめだから』みたいになってしまうのが可哀そうで・・・。

そんな風に変えてしまった夫のことを許すことができない。

事態が大きく動いた日

ずっと待ち望んだ言葉 その日、私は夫から、 やっと聞くことができた。 ずっと待ち望んでいた言葉を。 「実家に戻る」 そう告げると、 夫は大きく深呼吸をした。 何でも自分の思い通りにする人だけれど、 もしかしたらこの時は、 あの人なりに考えたのかもしれない。 考えて、考えて。 考え...