結婚していた頃は【がんじがらめ】の生活
夫と一緒に居た頃の私たちは、何一つ自由に選ぶことができませんでした。まさに、がんじがらめの生活です。
姑息だなーと思うのが、見かけ上はまるで自由を尊重しているように振舞うこと。
でも、実際には夫の意見と違っていたら受け入れられることはありません。
そんな選択をした私たちがいかにおかしいかを切々と説いてきて、正しい選択をするように詰め寄ってきます。
夫に対して恐怖心を持つ私たちがそんなことをされたら平常心ではいられず、結局いつも折れてしまいます。
それで、最終的には夫の思った通りになります。
我が家の意思決定において、子どもや私の気持ちなんて全く意味を持たないということです。
日常の中のほんの些細な選択さえ、自由にはなりませんでした。
全て夫に聞いてからでないと決められない。
そんな生活です。
息が詰まるような毎日でしたが、当時はそれが当たり前だと思っていました。
夫は自分の中に理想のようなものがあったみたいで、それに見合わない物は全て排除していく傾向もありました。
一から十まで想定していた通りにならなければ気が済まず、コントロールできないようなことでさえ思い通りにならなければキレます。
例えば、私の仕事が少し遅くなっていつもの時間に帰れないことがありました。
仕事だから仕方がないと思うのに、そういう時でも夫は「何してたんだ!」と怒鳴りました。
何って仕事に決まってるのですが、口ごたえをしたら余計に酷い仕打ちが待っています。
だから、許しを請うように「仕事が長引いちゃって」と言い訳をするんです。
あっ、これは言い訳ではなくて事実を伝えているだけですね。
でも、夫にとってはこれも言い訳になるわけです。
あんな生活が夫にとっては理想だったのでしょうか。
今でも分かりません。
家族としてそこにいる私たちの意思は全く反映されず、ただ人形のように夫の意思に沿って動くだけ。
私たちは最後まで本当の意味での家族になることができず、離れることになりました。
幼い頃からスパルタ教育
夫は子どもが幼い頃から勉強をさせました。
本も読めない、字も満足に書けないような頃からです。
小さいうちは伸び伸びと自由に過ごして欲しいと思っていた私とは正反対の考えでしたので、当時はそれで揉めました。
と言っても、反対しようものなら無視やモラハラ、虐待が始まるのでやんわりと注意するだけなのですが・・・。
字も読めないような子に算数を教え、計算をさせました。
教えなくても多少の足し算や引き算が出来たので、欲が出たのかもしれません。
それが次第にエスカレートしていき、小学校入学前の子どもには似つかわしくない難解な問題にも手を出すようになりました。
解けなければ何時間でも取り組ませ、せっかくのお休みの日も勉強で潰されます。
まだ外に出て遊びたい年頃の子ですから、ずっと机に向かうなんて不可能です。
集中力だって続かないので、段々とボーっとしたり心ここにあらずといった状態になり、よく叱られていました。
こういうことが続くと、子どもは勉強嫌いになります。
うちの子も例外ではなく、勉強に対して拒絶反応を示すようになりました。
でも、夫はそれを許しませんでした。
叱りつけてでも机に向かわせ、できないと怒鳴ったり叩いたりしました。
そして二言目には『お前のためだ』と言うのです。
その状態が小学校に入学した後も変わらず続き、よりスパルタ教育をするようになりました。
宿題も完璧に仕上げることを求め、深夜まで続く勉強。
夜中までお説教をされた時には頭が朦朧としてきて、子どもも私も正常な判断ができません。
ただひたすら『この時間が早く終わって欲しい』と願い、夫が納得するまで従うだけになります。
当時は辛いというよりも『どうやって終わらせようか』ということに気持ちがいっていました。
今考えると異常ですね。
こんな状況からも分かると思いますが、夫は自分の理想を子どもに押し付けて常に高いレベルを求めました。
結果が全てです。
結果が出ればそれなりに満足して上機嫌になります。
しかし、結果が出ない時には『勉強が足りない』とか『やり方が悪い』とか難癖をつけてきます。
全て自分が決めたことをやらせているくせに。
その上、子どもの能力に致命的な問題があるとまで言いました。
こうやって心まで痛めつけることで、反発心をそいで上手くコントロールしていたような気もします。
何でも自由に決められるって素晴らしい!
離婚して急に自由になった時、猛烈な心細さを感じました。
誰も決めてくれない。
何でも自分で決めなければならない。
そんな当たり前のことが、私たちにとっては当たり前ではなかったのです。
これも、長い間夫から徹底的にコントロールされてきた弊害です。
いざ自由を手にしても何一つ満足に選択することができないことに、もどかしさも感じました。
自信が無いからついつい他の人を頼ってしまい、周りからは「あなたたちはどうしたいの?」と聞かれます。
そう聞かれてしまうと更に混乱して、一体自分たちはどうしたいんだろうと身動きが取れなくなりました。
でもね。
人間て本当に強いんだなぁと思います。
自由な環境にも次第に慣れてきて、自分の意思というのが段々と分かるようになってきました。
多分今までもちゃんと心の中にはあったと思うのですが、それを表に出したら否定されるので奥の方に隠していたんですよね。
その奥底に眠っていた自分の意思を呼び覚ます作業は新鮮で、少しだけ緊張感もありました。
私は大人なので影響を一つ一つ理解しながら進んできましたが・・・。
やっぱり子どものことは心配しました。
それで離婚後は注意深く変化を見守っていました。
でも、そんな心配は杞憂だということがすぐに分かりました。
子どもの順応性は凄い!
『今日から自由だよ』となったら、どんどん自分の意思で選択してしまう。
そこに迷いはなく、まるで今までできなかったことを楽しんでいるかのように見えました。
あれから数年が経ち、進学する学校選びも全て子どもの意思に任せています。
当時は勉強なんて大嫌いで机に向かう時間は苦痛でしかなかったようですが、今は違います。
大好きな分野を見つけて日々学んでいます。