2024年8月27日火曜日

モラハラ & 病気の配偶者がいる生活

夫を見捨ててはいけないというプレッシャー

まだ夫と一緒に居た頃、周りの人たちからはたびたび同情の目を向けられました。

「旦那さんがご病気だなんて、本当にお気の毒・・・」

「お子さんもまだ小さいのに・・・」

「毎日大変でしょう?」

そんな風に声をかけられることもありました。

まあ確かに、ぶっちゃけ大変ですよね。

私がバリバリのキャリアウーマンならまだ良かったのですが、事務職ですからね。

しかも、夫は子どもの面倒を見ることもできず、保育園への送り迎えも私の仕事でした。

いっぱいいっぱいの毎日の中で、ふとこのままで良いのだろうかと考えたことも一度や二度ではありません。

だから、離れることになった時には『来るべき時が来た』とも思いました。

詳しく事情を知らない人たちが、私たちの目の前では気の毒がっていても裏では面白おかしく噂していることも・・・。

それが耳に入った時の衝撃は、言葉では言い表すことができません。

それまでは割と人を信じる方だったのに、結局は心配してくれる人なんていないんだと思うようになりました。

しかも、周りからの声掛けによりプレッシャーまで感じる日々。

みんな、私が夫を絶対に見捨てないという体で話します。

まるで当然のことのように。

誰が見捨てないって言いました?

だって私、家で虐げられているんですよ?

何日も無視されて、怒鳴られたり夜中まで説教されてるんですよ?

それでも見捨てることは”悪”ですか?

私が最後まで我慢して夫を看るのが当たり前と言わんばかりに勝手に決めつけられると、いよいよ逃げ場がなくなって苦しくなりました。

だから、言われるたびに本当に嫌な気持ちになったものです。


綺麗ごとだけじゃ済まされない

実際に家族の中に精神的な疾患を抱える人がいると色んなことに影響が出ます。

我が家は夫婦と子供の三人家族でしたので、その影響がダイレクトに子供にまで及びました。

機嫌が悪ければ、幼い子どもだって怒鳴られてしまう。

目の前に居たら理不尽なことで叱られることも増える。

夫が私に怒っているのを目撃してしまう。

たびたび無視されて虐げられる。

ここには書ききれないくらいの仕打ちを受けた子供は、次第に自己肯定感が地の底まで落ちて、『自分なんて・・・』と言うことが増えました。

何をやっても自分はダメなんだと思い込むようになりました。

本来なら私が常にフォローできれば良いのですが、そういうわけにもいきません。

家のことをしている時、仕事の時、どうしても夫と子どもだけの時間が生まれます。

目を光らせていても行き届かないタイミングが出てしまうんです。

私自身にも余裕がありませんでした。

常に『今現在のこと』で頭がいっぱいで、ほんの少し先を見る余裕さえありません。

怒鳴ったり無視したり、子どもを叩いたりすることも増えていき、『いっそのことどこかに行ってくれたら』と何度思ったことか。

そう思っても、夫はどこにも行かずいつも家に居て不機嫌をまき散らしました。

そんな毎日でしたので、あの頃の私に『夫を何とかしてあげたい』『助けたい』などという高尚な気持ちはなく、ただひたすら不機嫌になられるのを恐れて生活していました。

ふとした瞬間に可哀そうに思ったり良くなって欲しいと切に願った瞬間はあったんですけどね。

悪態をつかれて子どもが虐められるとそんな気持ちも一瞬で吹き飛びました。

本当に綺麗ごとじゃないんです。

ああいう状況下では、生きるか死ぬかというところまで追いつめられています。

少なくとも気持ちの面では心が死にそうになりながらも必死で頑張っていたわけです。


離れたことを気に病む必要はない

万が一、病気を抱える配偶者が居て離れることを決断したとしても、気に病む必要はありません。

きちんと話し合って出した結論なら、それはもう仕方のないことです。

そんな時、外野は色んなことを言うでしょう。

よく知りもしないくせに無責任な助言もしてきます。

だけど、家族がとことん話し合って決めたことなら誰も口を挟むことはできません。

大切に思っていても、一緒に暮らせないことだってあります。

適度な距離を保っていれば良い関係で居られるのに、一緒に暮らし始めた途端に思いやりを持てなくなる人たちだっています。

どんな形が良いのかは当事者にしか分からないのです。

だから、決断したら後ろを向かず、幸せになれるように前に進んで欲しいと思います。

我が家の場合は、円満な離婚とはいきませんでした。

夫は子どもや私と離れたく無かったようです。

でも一緒に居たら傷つけられ、子どもに関しては危険も感じていました。

一刻も早く何とかしなければと焦る日々の中、もう家を出るしかないのだと腹を決めました。

あの日の修羅場は今でも脳裏に焼き付いています。

夫の泣き叫ぶ怒鳴り声やコップの割れる音。

暴れる夫をなだめる義父の声。

そんな中で逃げるように家を飛び出しました。

全てがまるで昨日のことのように思い出され、そのたびに胸がギュッとなります。

何だかとてつもなく悪いことをしたような気持ちになるのです。

でも、これしか方法が無かったのだと頭では理解しています。

たぶん、私も自分の決断に罪悪感を持ち続けてしまっている一人なんでしょうね。

一日でも早く、そんな記憶が消えてくれれば良いなぁと心の底から思います。

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