2025年10月8日水曜日

義両親や夫の友人たちに責められる日々

私一人が悪者に・・・

誰かを悪者にすれば、きっと自分の罪悪感が薄れるのだろう。

手っ取り早く悪者にできるのが私だったというだけだ。

あの日、みんな殺気立っていた。

普段冷静な振舞をする人も取り乱していたし、落ち着いて話ができるような雰囲気ではなかった。

不安でイライラしているのか、攻撃的な人も居た。

そんな状況だったから、少しくらい嫌味を言われても気にならなかった。

元々夫との生活で嫌味を言われ慣れていたというのもある。

ちょっとしたことでチクチク言われていたため免疫があったのかもしれない。

夫は扱いが難しく、些細なことで臍を曲げてしまう人だ。

日々ご機嫌をうかがいながら過ごしていた。

それがどれほど大変なことか、経験した人にしか分からないのかもしれない。

一方で、友人たちの間では思いやりがあり、気の良い仲間だったようだ。

だから余計に私のことが許せなかったのだろう。

彼らに責められた時、義両親は分かってくれているのだと思い込んだ。

でもどうやら『勝手に出て行った嫁』というレッテルが貼られていたようで・・・。

結局、夫婦間のゴタゴタがあのような事件を引き起こしたのだと結論付けられた。

もう何も言うまい。

どうせ言ったところで否定されるだけなんだから。

それよりも、あの事で子どもが影響を受けないようにしなければと思った。

幸い子どもは何も気づいておらず、その件で出かける時も仕事を装った。


仕事中も鳴りやまない電話

考え方は人それぞれだから何か言われるのは仕方がない。

それよりも困ったのは頻繁にかかってくる電話だった。

仕事中でもお構いなし。

机の中に入れていても気になるほどだったので、着信音を消した。

電源を切れなかったのは、子ども関連の連絡がいつ来るか分からなかったからで。

それが無ければとっくに電源を切っていた。

本当は着信拒否にしたかったのだけれど、それはそれで角が立ちそうで止めた。

攻撃したくて仕方の無い人たちに格好のエサを与えてしまうようなものだ。

着信音を消す前、あまりにも鳴るので机に入れてしまおうとしたら、同僚から

「どうしたの?トラブル?」

と聞かれた。

「まあ、トラブルって言えばトラブルですね~」

なんて言いながらそそくさと着信音をゼロにし、平静を装いながらそのままバッグにしまった。

中にはわざわざメッセージを残す人もいて困惑。

重要な要件なら分かるけど、内容が、

「お子さんを連れて来てあげてください」

とか、

「顔も出さないなんて無責任ではないですか」

とか。

全てスルーしたくなるようなものだった。

私だって何も考えていなかったわけではない。

夫のことも少しは可哀そうに思っていた。

ただ、それよりも大きかったのは・・・。

これでしばらくは夫から解放される!という思いだった。

義両親からすれば、とんでもない話だと思う。

思い詰めてあんな行動に出てしまった息子を放っておいて、伸び伸びと過ごしているなんて。

でも、これは嘘偽りない私の気持ちだ。

もちろん義両親には悟られないようにしたけれど、それが本心。

彼らからの連絡を懸命に避けていたら、その間に夫も段々と回復していた。

元通りの生活に近づいているのを知り、ホッとした。

夫の友人たちが本格的に私たちの離婚問題に参戦しようとしていたのは想定外だったけど。

2025年10月7日火曜日

気づいてしまった悲しい事実

オーバードーズは想定外だった

あのオーバードーズ事件は衝撃的だった。

まさかあんなことをするなんて想像もしていなかった。

元々危ういところはあった。

でも、いつも狂言ぽい感じなので本気で受け止めることはせず。

『寂しい』と言われても、『そうですか』という反応しかできなかった。

また私たちの気を引きたいのだろうな、という位にしか考えられなかったのは私だけではない。

義両親でさえそんな雰囲気だったのだから。

日ごろからどれだけ周りを振り回していたかが分かってもらえると思う。

本気で相手をしていたら、こちらの精神がもたない。

適当に流しつつ怒らせないように注意するだけ。

それが私たちの通常対応であり、あの時もそうしていた。

それがあんな大事になるなんて・・・。

少しも責任を感じていないと言えば嘘になる。

落ち着いた後、色んなことを考えた。

私たちが家を出たことが決め手になったのだということも痛いほど分かっていた。

引き留めるためにあんなことをしたのかな。

これで戻ってくると思ったのかな。

分からないことだらけだったが、私の心には再び重い重い鎖が巻き付けられた。

逃げようとしても逃げられない。

振り払っても振り払っても気が付いたらがんじがらめになっている。

そんな夫の執着を感じ、息苦しさに気持ちが負けそうになった。


子どもを連れて行かなかったのは間違いなのか

あの日、知らされた人たちは皆慌てふためき、何も分からないまま駆けつけた。

私もその一人だったが、子どもは連れて行かなかった。

到着して真っ先に、

「(子ども)ちゃんは?」

とお義父さんから聞かれたのだが、

「こんな状況では連れて来られませんでした」

と正直に答えたら、途端に機嫌が悪くなった。

「もし何かあったらどうするつもりだったの?会わせないままになっちゃうよ」

と非難され、夫の友人たちからも責められた。

「前から思ってたんだけど、あまりにも一方的すぎるんじゃない?」

とか、

「何でも自分の思い通りにしたい人って聞いてたけど本当だね」

とか、

「こんな時に会わせないなんて(夫)が可哀そう」

とか色んなことを言われた。

その中の一人が非常に感情的になっていて、涙ながらに『夫がいかに努力していたか』を語っていた。

それを聞いても表情を変えない私に腹を立てたようで、

「少しは思いやりを持って!」

と叫ぶように言ってきて、それでも黙っていたら

「こんなことになって、どうするつもりなの?!」

と詰め寄られた。

どうするも何も、私だって驚いてまだ何も考えられない状況だ。

夫が辛かったということだけは分かったけど。

だからといって戻るという気持ちにもなれず。

『これからどうしよう・・・』と呆然としながら考えていたら、何だか無性に泣けてきた。

人前では泣きたくなんかないのに、後から後から涙が出てきて止まらなかった。

それを見た一人が、

「今更反省しても遅いよ。何でもっと気づかってあげられなかったの?!」

と言っていたけど。

その時の思いは反省なんかじゃなかった。

ただ悲しくなっただけ。

『万が一夫に何かあっても私はきっと涙も流さないんだろうな』という事実に気づいてしまったのだ。

2025年10月6日月曜日

一人ぼっちになった夫が子供や私に固執

義実家に帰って欲しい

色んな理由があって義実家に帰れなかったんだろうけど。

ずっと帰って欲しいと思っていた。

その方が夫のためにもなると思ったし、私も安心できるから。

夫には何度もそう伝えたが、聞く耳を持たなかった。

いつか状況が変わるかも、と結論を先延ばしにしたのかもしれない。

そうこうしているうちに一人でいる寂しさに耐えきれなくなったのか荒れ始めた。

心配した友人たちが入れ替わり立ち替わり様子を見に来ていたことは、このブログにも書いた。

まあ、私たちが戻ることは無いんだし。

その代わりをしてくれていると思えば、我が家がたまり場になっていることも許容できるかな。

そんな風に自分を納得させた。

これで終われば良かったんだけど・・・。

義両親と離れた夫は私や子どもに更に固執し、

「戻ってきてくれなかったら俺はもう終わりだ」

などと悲観的なことを言うようになった。

私は『どうせいつもの手だろう』と呆れていたが、友人たちはひどく心配していたようだ。

確かに『本当に何かしでかすのではないか』という不安もあった。

夫は何かあると極端な行動に走る。

これもパーソナリティ障害の特徴なのだと言う。

家具や物を壊すのもそうだし、すぐに『死ぬ』と言うのもそう。

そうした言動の数々が私を悩ませ、『一緒に居られない』という気持ちも加速した。

一番の問題は虐待だったのだけれど、きっとそれもパーソナリティ障害が関係していたのだと思う。

子どもが自分の理想通りにいかなくても普通はあそこまで怒らない。

夫の場合は周りがドン引きして警察を呼ぼうか迷うくらいに怒った。

そんなことをしておいて『子どもに好かれたい』と言うんだから。

おかしいとしか言いようがない。

そんな人が一人になり、真っ先に考えたのは家族を連れ戻すことだった。

今でもあの時の夫が演技だったのか、それとも本気だったのか分からない。


大量の薬を飲んだ夫

友人たちにも自分の生活がある。

だから、いつも夫と一緒に居たわけではない。

義両親だってなかなか来られないし、私たちも戻ってくる気配はない。

ある日、一人になった夫が極端な行動に出た。

大量の薬を飲んだのである。

幸い大事には至らなかったが、これには私も驚いて駆けつけた。

一報を受けたのは、仕事を終えて帰宅している最中だった。

その日、友人の一人が我が家で一緒に過ごす予定だった。

彼は到着後、いつものようにインターフォンを押した。

だけど返答がなく、最初は『トイレかな』くらいに思ったそうだ。

その後も何度かインターフォンを鳴らしたが返事は無く、いぶかしみながら何の気なしにドアに手をかけた。

そうしたら鍵が開いていたので、声を掛けながら入っていった。

狭い部屋だから、すぐに目に入ったはずだ。

うずくまるように転がっている夫の姿が。

その後のことは書きたくもないので端折るが、義実家、友人、関係者みんなが大騒ぎになった。

かくいう私も久々に緊張感が走り、何も考えずに電車に飛び乗った。

でも、電車に揺られながら考えているうちに段々と落ち着いてきて、沸々と怒りがわいた。

こんなの、『間違った』じゃ済まされないんだよ。

どこまで自分勝手な人なんだ、と責めずにはいられなかった。

みんなの目が自分に向かず孤独を感じた時、夫は騒ぎを起こすことが多い。

この時、夫は

「家族と離れて寂しかった」

と、まるで私たちが出て行ったことが原因のような言い方をした。

そういう執着心から来る様々な言動に散々追い詰められてきた。

苦しくて苦しくて。

たとえ愛情があったとしても一気に冷めていたと思う。

まして、私たちの間にはもう愛情なんて無かったんだから。

ただただ自分のしたことに対するペナルティを受けているような気分だった。

2025年10月4日土曜日

携帯の連絡先を逐一チェックされていた件

交友関係が気になる夫

携帯はいつでも自由に見られるようにしていた。

「ロックを解除しろ」

と言われたからロックもかけなかった。

それってセキュリティ面から見てどうなんだろう、とは思ったけど。

別に携帯で決済をしていたわけでもないし。

夫に怒られるよりはマシか、と渋々応じた。

命令されたら従うだけだ。

反論すれば、それ以上の罰が待っているんだから。

それで言う通りにしたら、夫は

「俺のも見て良いよ」

などと言い、わざわざ携帯を私の見えるところに放置した。

この言葉を真に受けてはいけない。

見て良いよ、と言われたって実際には『ご自由にどうぞ』というわけではない。

そもそも見たくも無かったのだが・・・。

一度だけ、あまりにもしつこく言うものだから、仕方なく夫の携帯を手に取った。

そうしたら、至近距離でずっとその様子を見られていてとても怖かった。

「何?何が知りたいの?」

なんて言われたって、知りたいことなんてない。

夫が『見ろ』と言うから仕方なく見ただけで。

今度は見たら見たでそんな風に言われるのなら、私は一体どうすれば良かったのか。

角が立たずに断る術を私は知らなかった。

でも、至近距離から見られる圧も凄かったし確認したいことも無かったので、

「特に知りたいことは無いかな」

なんて言いながらすぐに元の場所に戻したら、それも不満そうだった。

これに関しては、何が正解だったのか今でも分からない。

その後、

「じゃあ俺も」

と私の携帯を手に取り、念入りに何やらチェックしていた夫。

『こっちに近寄るな』という雰囲気だったので、その場から離れた。

というか見ているのも許されそうな雰囲気だったので、気にしていないフリをして別のことをしていた。

言葉にするととても難しいのだが・・・。

夫は『察しろ』という空気を醸し出してくる。

それに気づかないと思わぬ攻撃を受けることになる。

だから常に気が張っていたし、『失敗は許されない』と精神的に追い詰められた。


連絡先を自分の携帯に・・・

夫の携帯チェックは長い。

そして、交友関係を疑っていることを私は知っていた。

夫が疑い深すぎるのか、それとも私の普段の言動がいけなかったのか。

少なくとも、自分では異性関係でやましいことなど一つも無かった。

そもそも夫が嫌がる相手とは何となく連絡を取りづらくて疎遠になっていたし。

あのような状況下では『夫を怒らせないこと』に終始気を使っていて、その他のことなど目に入らなかった。

いずれにしても私たちの間には信頼関係が築かれていなかったということだ。

最初はただチェックしていただけみたいなんだけど・・・。

途中から何やら自分の携帯にメモを取り始めた。

その姿が異様でかなり怖かった。

痛くもない腹を探られるのも嫌だった。

携帯の連絡先には昔からの知り合いも登録されていた。

それを怪しいと言われても、潔白を証明しようがない。

『何事もなく終わって』と祈るような気持ちで、ただ時が過ぎるのを待った。

夫は、自分の考えていることが本当かどうか分からない段階でも相手をかなり責める癖がある。

最悪なことに、最初から既に結論付けていてそれが真実かどうかなんて関係ない。

この時、夫が何をしていたのかと言うと私の連絡先を全て記録していた。

そして、事あるごとにその中にあった人たちの名前を出し、

「何かやましいことがあるんじゃないか?」

と詰め寄られた。

些細なことで怒鳴られるのも辛かったけど。

こういう風に信じてもらえないことが、とても悲しかった。

夫婦という一番近くにいるはずの人に疑われるなんて。

「信じて欲しいなら自分で考えて行動で示せ」

と言われたって、どうしたら良いか分からなかった。

2025年10月3日金曜日

当時は気づけなかった夫の策略

貯蓄用口座を作ろう!という提案

結婚が決まり、新生活の準備に追われていた頃。

夫から、

「貯蓄用口座を作って、そこに入れるようにしよう」

という提案があった。

当時は特に怪しむことも無かった。

賢い夫の言うことだから従っていれば間違いないだろう、と思ったのだ。

いつもはなかなか動かない夫だが、同意をした後の動きは非常に早かった。

その週のうちに夫名義の新たな口座が作られた。

『次回のお給料が出たら入金するように』と言われ、私は承諾した。

毎月お給料が出ると、その都度キャッシュカードを受け取ってATMから入金。

私は何だか嬉しかった。

共通の目標に向かって二人で力を合わせてがんばっているという感じがして。

『これが結婚というものなのか』なんて呑気に思ったりした。

ただ、額に関しては多少の不満もあり、何度か交渉した。

手取り額の差を考えると同額ずつ入れるというのは納得がいかない。

夫は3倍ものお給料をもらっていたのだから。

もう少しこちらの負担を下げて欲しかった。

だけど、

「お前とは何でも対等でいたいんだ」

と言いくるめられ、現状維持となった。

生活費も折半だっただめ、残りの額でやり繰りしなければならず。

美容院に行くのもためらわれるくらいの状況だった。

いつもお財布の中身を気にしていた私にとって、年に2回のボーナスは大事な大事な生命線。

実はボーナスからも貯金しようと言われたのだが、それは断った。

だって、そこから月々の赤字分を補填していたんだもの。

『さすがに無理』だと思って断ったら、それから2週間口をきいてもらえなかった。

あまりにも無視されるので心が折れかけたが、それでも拒否し続けた。

こちらが折れるのを待っているなんてズルい。

いつだって妥協するのは私ばかり。

今思えば、あの頃はまだ夫のおかしさに多少は気づいていたのに。

いつからか疑問も感じなくなってしまった。


待ちに待った昇給

それから数か月後。

会社の年度替わりに昇給があった。

上がった分を自分の用途にまわせる!と喜んだのも束の間。

夫から、

「お給料上がったんでしょ?貯蓄にまわす分、増やせるね」

と言われた。

えっ?!

ちょっと待って?!!!!!

やっと自分のことに使える分が少しだけ増えると思ったのに、この微々たる昇給も持って行かれるの?

私は焦って考え直してくれるように頼んだが駄目だった。

このままではいけないと、月々の収支を作成して再考をお願いしてみてもスルー。

じゃあ、どうしたら認めてもらえるのかと思い悩み、最終的に

「もう共同でお金を貯めるのを止めたい」

と伝えた。

ここまで、わずか数か月の出来事である。

その発言に夫は怒り狂い、直後に放った言葉も衝撃的だった。

「お前が能無しだから、そんな安い給料しかもらえないんだろ!ちょっとは努力しろよ!」

言われた瞬間、頭をガツンと殴られたようなショックを受けた。

でも反論できなかった。

少し経ってから今度は呆れたような口調で、

「もう良いよ。元の額で良いから」

と言ってきたのだが、私の方はもう一緒にお金を貯めようという気持ちになれず・・・。

お給料日が来てATMに行くようにキャッシュカードを渡されても、

「貯金はそれぞれでしよう」

と拒否した。

私にとっては勇気ある行動だったが、1か月以上もろくに口をきいてもらえないのは辛かった。

冷静になって考えてみると、折半の家計費を引いた残りのほとんどが持って行かれている。

しかも、その管理は夫がしていて私は口出しができない。

それって変だよね?

共同貯金を止めた後、私が入れた分の一部を返してくれた。

なぜ一部なのかと言うと、途中で新たな家電などを買ったから。

最後まで腑に落ちなかったが、それ以上夫を怒らせるのも怖いので私から蒸し返すことはしなかった。

2025年10月2日木曜日

運動会で転んだ子どもを大声で叱責する夫

パパが怖くて戻れなくなった子ども

お昼になってもなかなか戻ってこなかった。

どうしちゃったんだろう・・・と心配していたら、お昼時間が2/3ほど過ぎたところでようやく戻ってきた。

そして、何食わぬ顔でシートに座り、

「お弁当は何かな~」

と言いながら食べ始めた。

お手伝いとか何かやることがあったのかと思ったら、お友だちのところに居たようだった。

午前の競技が終わり、お友だちに手を引かれてお友だち家族のシートへ。

そのまま交じって軽く何か食べてきたそうだ。

その行動が理解できなくて、

「えっ、何で?ママ待ってたんだよ?」

と思わず言ってしまった。

そうしたら、周りを警戒した様子で、

「だってパパが居るかもしれないし」

と言った。

とても小さな声で、パパに聞かれたら大変だと思っていることが分かった。

お友だちに、

「パパ来てるんだよ。やだな~」

と言ったら、

「じゃあ、うちで一緒に食べようよ」

と誘われたらしい。

だけど、食べている最中にママのことが気になって、

「やっぱりママのところに行く」

と言い残して戻ってきた。

それを聞いた私は慌ててお友だちのところにお礼を言いに行った。

持参したフルーツをお渡ししたのだが、お口に合ったかどうか・・・。

その日は子どもの好物を用意していた。

それを知っていてもなお戻りたくなくなるくらい、パパのことが嫌いなのだ。

幸い、お昼を食べている最中は夫が顔を出すことは無かった。

来ても、もちろん受け入れることはなかったが。

『来るかもしれない』と思うだけでブルーな気持ちになった。


徒競走で転んでしまった子ども

子どもの徒競走は午後だった。

うちの子は走るのがそれほど得意ではない。

だから徒競走に苦手意識を持っていて、少し前まではネガティブ発言を連発していた。

それでも前日あたりから徐々に前向きなことを言うようになり、朝出かける時には

「がんばって走るよ」

と言っていた。

私はそういう気持ちが大事だと思っているので嬉しかった。

苦手なことがあっても良い。

自分なりに努力してくれれば。

そういう思いで見守った。

スタートラインについた時の表情は真剣そのもので、実際に一生懸命走っていた。

心の中で、『がんばれー!がんばれー!』と応援した。

でも、途中で転んでしまった。

泣き虫な子なので、泣いて走るのを止めてしまうかな?と心配したが。

すぐに立ち上がって最後まで走り続けた。

その姿を見て、何だか感動。

ずい分成長したなぁと。

終わった後は、やっぱり辛かったのか半べそになりながらこちらに近寄ってきたので、頭をヨシヨシしながら

「痛かったね、大丈夫?」

と声をかけていた。

そうしたら、どこからともなく夫が近寄ってきて、突然、

「恥かかせやがって!」

と怒鳴った。

その声があまりにも大きくて。

周りの人々が一斉に振り返った。

まさか怒鳴られるなんて思ってもみなかった。

私の服をギュッとつかみながら固まっていた子どもは、更にパパから見えない位置に移動した。

明らかに周りは好奇の目で見ており、そういうのも苦痛だ。

とりあえずその場を収めようと、

「もうすぐ次の競技が始まるから」

と立ち去ることにし、子どもを座席の方へと促した。

そして私もシートを急いで畳んでいつでも移動できるように準備した。

ああいう時の夫は何をしでかすか分からない。

また子どもに暴言を吐くかもしれない。

だから、競技が終わるまで近くでその様子を見守った。

2025年10月1日水曜日

運動会に夫が突然出没!

二人ぼっちの運動会

学校行事には極力参加するようにしていた。

だけど、平日に行われるものは行きたくても行けないことがある。

ただでさえ時間的な配慮をしてもらっているんだから。

仕事も疎かにしてはいけないと、それまで以上に気を使った。

そのあたりのバランスがとても難しいんだよね。

そんな中でも運動会は絶対に見に行っていた。

二人ぼっちの運動会。

これは保育園時代から変わらない。

夫は働いている頃、

「忙しくて参加できないから、そっちで何とかして」

と言っていた。

その時は、『まぁ仕方ないか』程度に思っていたんだけど。

無職になった後も来なかった。

体調が悪いから、とか。

雨が降りそうだから、とか。

色々と理由を付けて、見に来ることはほとんど無かった。

たまに来たとしても嫌がらせばかり。

かけっこが一等じゃなくても良いじゃないの。

ダンスがずれていても良いじゃないの。

そう言うと、夫は

「結果が出なければ、やらなかったのと同じだ!」

と言い放った。

あの時、こんな人と一緒の職場じゃなくて本当に良かったと思った。

会社でもパワハラをしそうだし、頑張っても認めてもらえなそう。

「努力なんて意味がない」

なんて言う人には見に来て欲しくなかったので、内心は不参加を喜んでいた。

二人で伸び伸びと過ごすには夫が居ない方が良い。

居たら居たで子どもを叱責して委縮させてしまうだけなのだから。

結局、保育園時代には一瞬顔を見せただけのをノーカンにすると来たのは一度きり。

子どもも競技の合間に私を見つけると、あたりを見渡してパパが居ないことにホッとしていた。


夫よ、なぜ来たの?

あんなに面倒くさそうにしていたのに。

別居後、夫がいきなり運動会に現れた。

私は子どもの出番が近づいてきたらそばまで行って見学していた。

時折声をかけたり、子どもがこちらに気づいた時には手を振ったり。

楽しんでいる様子を見ると胸にこみあげてくるものがあった。

色々と大変なことはあるが、それを乗り越えて今があるのだと実感できる瞬間だ。

以前は

「がんばったね」

と声掛けすると、

「でも上手くいかなかったよ」

と言うことの多かった子ども。

パパと離れて暮らし始めてからは、

「楽しかった!」

と言うことが増えた。

私はそれだけで良かったのに、夫がわざわざ見に来て難癖をつけた。

「○○のところはもうちょっと○○した方が良かったんじゃないか」

みたいな謎の助言を連発。

子どもは固まっていた。

「楽しめたのなら良いんじゃないの?」

とかわそうとしたら、

「楽しいだけじゃろくな人間にならないぞ」

と意味不明な持論を展開した。

はっきり言って迷惑だった。

周りもチラチラとこちらを見ていて、子どもは恥ずかしそうに下を向いた。

この人はいつもそうなのだ。

子どもの気持ちなんてお構いなし。

それからいくつかの競技が行われ、お昼になり・・・。

どこで待っているのか知っているはずなのに、子どもはなかなかやって来なかった。

まさか、来るなんて

「パパが嫌い」 子どもは、 いつもこっそり言った。 「パパのこと、嫌い」 仕方のないことだ。 あれほどまでに虐め抜かれれば、 家族としての情も失う。 そんな「パパ」が、 卒業式に来た。 見つけた瞬間、 心臓がバクンと鳴った。 3人が居たのは、 開放された出入口の外側。 式が終わり...