2026年1月13日火曜日

画面の割れた携帯と、話し合いの末にわき上がった感情

壊れた携帯

夫が勢いよく携帯を投げつけるのを見て、私は青ざめた。


子どもとの連絡手段が、失われてしまうと思ったからだ。


先輩の家に戻れば子どもはそこにいる。

それでも、出先で連絡手段が絶たれるかもしれないという状況が、どうしようもなく不安だった。


あれほど強い不安に襲われたのは、

無事に帰れるだろうか、という思いがあったからかもしれない。


今でも携帯がないと落ち着かないが、当時は特に、

「いつでも連絡が取れる」という状態でなければ、冷静でいられなかった。


常に危険にさらされていれば、仕方のないことだ。


私は慌てて、床に打ち付けられた携帯を拾い上げ、確認した。


画面のヒビはかなり目立っていたが、幸い電源は入っていた。


操作もできる。

子どもに連絡もできる。


その瞬間は、

連絡手段が断たれていないという事実に、心底安堵した。


……後から冷静になって、酷く落ち込むことになるのだけれど。


私は余計なオプションをすべて外し、最低限の契約だけにしている。

月額を少しでも安くするためだ。


いわゆる、格安携帯の最安プラン。


だから、壊れてしまっても補償は受けられない。

自腹で買い直すしかないのだが、その余裕すらなかった。


しばらくは、この画面にヒビの入った携帯で過ごすのか……。


そう思うと、少し悲しくなった。


それでも、完全に壊れてしまうよりはマシだ。

そう自分に言い聞かせた。


拾い上げた携帯を手に、私は迷っていた。


このまま帰ってしまいたい。

けれど、バッグはテーブルの脇にある。


急いでそれを手に取って、逃げてしまおうか。


そんな衝動に、何度も駆られた。


夫は、明らかに私が戻るのを待っていた。

おそらく、話し合いを続けるつもりなのだろう。


お義父さんも同じ考えだった。


早く終わりにしたいと思っているのは、どうやら私だけのようだった。


仕方なく、もう一度二人の元へ戻り、


「今日は、もう帰りたい」


そう伝えた。


「帰りたいって、どこに?」

「お前の家は、ここだろ?」


夫は皮肉な笑いを浮かべていた。


そんな議論をする気力は、もう残っていなかった。


私は酷く疲れていて、

携帯を壊されたショックも重なり、言葉を絞り出すのが精一杯だった。


「申し訳ないけど……今日は、これで……」


そう言ってバッグを持ち、

夫とお義父さんが「分かった」と言ってくれるのを待った。


けれど二人は何も言わず、顔を見合わせて、呆れたような表情を浮かべただけだった。


きっと、私が皆を振り回していると思っているのだろう。


それでもいい。

とにかく帰りたかった。


子どもの元に、帰りたかった。


そればかりを考えながら、

今すぐ逃げ出したい衝動を、必死で抑えていた。


「会いに来ないで」という懇願

最後に、夫にお願いした。


「絶対に、あそこには来ないで」

「会いに来ないで」


そう告げると、夫の表情はみるみる変わり、

再び怒りの形相で怒鳴りつけられた。


「こっちだって、行きたくて行ってるんじゃねーよ!!!」


そう叫び、


「お前が居場所も教えねーから、仕方なかったんだろーがよ!」


と、自分を正当化した。


ここで言い争っても、火に油を注ぐだけだと思った。


だから私は、


「それは本当にごめん。

(夫)が怒ってると思って、連絡しづらくて……」


そう言って、素直に謝った。


次はいつ話し合うのか、と聞かれ、言葉に詰まった。


スケジュールは空いていた。

けれど、気持ちがどうしても追いつかなかった。


また夫と向き合わなければならない。

次は、何を言われるのだろう。


そう考えた途端、すぐには答えを出せなくなった。


結局、日時を決めるのは保留にしてもらい、

LINEでやり取りすることになった。


帰り道、疲労のせいか、足取りは重く、気持ちも沈んでいた。


やっと解放されたはずなのに、

これからも話し合いは続く。


離婚するためには、避けては通れないと分かっているのに。


夫と会って話す場面を想像しただけで、

記憶をすべて消してしまいたいほどの嫌悪感に襲われた。


帰宅して玄関のドアを開け、

子どもと先輩の顔を見た瞬間、ようやく息ができた。

2026年1月10日土曜日

逃げ場のない話し合い

一方的な要求

話し合いと言っても、実際には違った。

夫から一方的な要求を突き付けられ、私はただ受け止めるだけだった。



何か言おうとすると、強い口調で、すぐにかぶせられる。

だから私は、反論することを諦め、淡々と“説得する側”に回るしかなかった。


その中で、どうしても引っかかった項目がある。

・でっちあげの虐待の証拠を破棄


——でっちあげなどではない。

揺るぎない事実があり、子どもは散々苦しめられてきた。


それでも、ここで争えば、話し合いは確実に壊れると思った。


「証拠と言っても、不鮮明な画像だけだよ」

そう伝えると、今度はその画像も消すように言われた。


戸惑いながら、「あまりにも一方的すぎる」と反論すると、

「それなら、子どもに会わせろ」


また同じ言葉に引き戻される。

堂々巡りだった。


結局、私は目の前で携帯を操作し、画像を消去した。

その場を収めるために。


夫は、満足そうだった。

まるで、消えた画像と一緒に、

自分のしたことまで消えたかのように。


——そんなはずはないのに。


今後の話し合いについても、誠意をもって対応すると約束した。

そして最後に、もっとも重く、厄介な議題が残された。


家に戻れという夫

最後に残った要求は、一度、家に戻れというものだった。


もう、そんな素直な私ではない。

外の世界を知り、自由の空気を吸ってしまった。


分単位で管理されていた、あの生活。

息を潜めるように過ごしていた日々。


毎日、のびのびと暮らすようになった私たちにとって、あの地獄のような生活に戻ることなど、考えられなかった。


だから私は、一言だけ答えた。

「無理です」


その一言の中には、恐怖も、決意も、後悔も、言葉にならない思いが詰まっていた。

とても説明できるものではなかった。


すると夫は、この答えも想定外だったのか、拳でテーブルをバンッ と叩いた。


「理由を言えよ!」


怒鳴り声に、体が跳ねる。


この時点で、私は完全に怯えていた。

全身が小刻みに震え、怒鳴られるたびに、過去の記憶が蘇る。


本能が、

——逃げろ。

そう叫んでいた。


それでもなお、お義父さんは、のんびりとした口調で言った。

「一方的にそんな風に言われてもなー。

(夫)も困ってるんだわ」


何を言っているのか、理解できなかった。


私は時間が気になり、無意識に携帯の画面を何度も確認していた。

それが気に入らなかったのだろう。


夫は突然、私の携帯をひったくり、

「ふざけんなよ!」

そう叫ぶと、玄関の方へ、思いきり投げつけた。

2026年1月9日金曜日

恐怖と覚悟のあいだで

押したり引いたり、慣れない駆け引き

子どもに毎日会わせる、という要求は、何とか回避できた。


いつもなら、どんな理屈も押し通す夫。

でも今回は、どうやら違ったらしい。


「子どもに嫌われる」という言葉が、よほど効いたのだろう。


——しかし、安心はできない。

心のどこかで不安がくすぶる。

私は念を押すように、声を落としながら伝えた。


「子どもの思いは、いつか変わるかもしれないけど、それには時間が必要だよ」


夫は不貞腐れたように小さく頷く。

「分かってるよ」と、どこか寂しそうな声で。


ここで騙されてはいけない。

いつも、可哀そうという気持ちが邪魔をしてきた。

こんな人に同情しても、何も得るものはないはずだ。

それなのに、どうしても胸の奥で、可哀そうだと思ってしまう。


その後も話し合いは続く。

押したり引いたり、慣れない駆け引きを繰り返す。


滞在先を知らせる件では、こちらが譲歩するように見せかけた。

実際には、最初からオープンにしておいた方が角が立たないだけだ。

——隠しても、いずれ調べられてしまうだろう。

既に知られてしまった以上、隠す意味はなかった。


先輩と話をさせろ、という件では少し揉めた。

どうせ、失礼なことを言うに決まっている。

迷惑をかけた先輩のことを思うと、ここで引くわけにはいかなかった。


「それなら、やっぱり子どもに会わせろ」と言われるたび、堂々巡り。

夫はもしかすると、先輩への嫉妬心を抱いていたのかもしれない。

年も近く、尊敬される先輩に対して、敵意を向けるような感覚があった。


——それでも、何とか先輩を巻き込むことは避けられた。


一方的な反省を強いられる理不尽

次の議題は、夫のメモに沿って進む。


・勝手に家を出たことを反省し、慰謝料を支払う

・反省文を作成する


だが、忘れてはいけない事実がある。

あのまま家に居たら、子どもも私も無事では済まなかった、ということだ。

夫の暴力・理不尽さから逃れるために出たことを、なぜ一方的に反省しなければならないのか。


夫にとっては、私が戻ってこないことは想定外だったらしい。

家を出た時の思いを語ったら、それを責められてしまった。


一度外に出て味わった解放感は、もう戻れない理由になった。

それでも最初は、怯えながらも「戻らなければもっとひどいことが待っている」と思っていた。


数か月が経つと、気持ちは少しずつ落ち着き、

「自分の置かれた状況がいかにおかしかったか」

を理解できるようになった。


慰謝料を払えるお金はない。

もしあったとしても、払いたくない。


払ってしまえば、それは間違いなく離婚時に利用され、子どもの親権争いでも不利になるだろう。


——未来の可能性を考えた瞬間、

絶対に応じてはいけないという思いが強くなった。

2026年1月8日木曜日

壊したのはあなた、片付けたのは私

新品のほうきと、萎んだ勇気

砕け散ったマグカップを、そのままにはしておけなかった。

私は反射的に、床に散らばった破片へと手を伸ばした。


大きな欠片は拾える。

でも、細かく砕けた粉のような破片は、指ではどうにもならない。


その時、玄関掃除用に買っておいた、未使用のミニほうきを思い出した。

ちりとり付きの、まだ袋に入ったままのものだ。


取りに行くと、それは案の定、私たちが家を出た時のまま、手つかずで放置されていた。


ほうきを手に戻り、私は黙って掃除を始めた。


すると、背後から声が飛んできた。


——お礼でも言われるのかと思った、その次の瞬間。


「玄関掃除に使ったやつなんじゃねーだろーな!!!」


怒鳴り声に、体がびくりと跳ねた。


袋から出したばかりの新品だ。

一度も使っていない。


それなのに、あらぬ疑いを向けられ、喉の奥がぎゅっと詰まった。


反論したかった。

きっと、相手がこの人でなければ、言えていた。

でも、できなかった。


目の前にいるのは、私よりはるかに大きく、怒り出すと手が付けられない夫だ。

血走った目を見た瞬間、さっきまであった勇気が、しぼんでいくのを感じた。


「……新品だよ。一度も使ってないやつ」


私は視線を落とし、そそくさと破片を集め続けた。


ちりとりに集めた欠片を袋に入れながら、胸の奥で声がした。


——なんて、弱いんだろう。


もう少し強く言えていたら。

もう少し抵抗できていたら。


そうしていれば、この人のモラハラも、違う形になっていたかもしれない。


私が弱いから、助長してしまった部分がある。

その考えが、いつものように頭を占領する。


これまでも、反省して、後悔して、

「自分が悪いんだ」と結論づけて生きてきた。


どうやら、その癖はまだ抜けていないらしい。


最後に濡らしたティッシュで床を拭き、乾いた雑巾で仕上げる。

何も残っていない床を見て、『この後、どうしよう』と考えた、その時。


再び、夫の前に座るよう促された。

断れず、私は静かに腰を下ろした。


壊した人と、謝る私

その後、夫はネチネチと、私の手際や要領の悪さを説教してきた。


——なぜ。

壊したのは夫だ。

片付けたのは私だ。


それなのに、なぜ私が責められなければならないのか。


心の中では、怒りがじわじわと煮え立っていた。

でも、目の前に夫がいると、恐怖のほうが勝ってしまう。


私は曖昧な笑いを浮かべて、

「待たせちゃって、ごめんなさい」

と謝った。


お義父さんは、この一連のやり取りを見ても、何も言わなかった。

それどころか、

「さっさと済ませて、話をしよう」

と急かしてきた。


——この人が、

「同居すれば、自分が守ってやれる」

などと言っていたのだから、笑ってしまう。


私は、時間が経つにつれ、不思議と冷静になっていた。

冷めた目で二人を見ながら、口を開いた。


「まず……子どもに毎日会わせる、という話だけど」


毎日なんて、もちろん不可能だ。

宿泊など、なおさら受け入れられない。


『虐待していたあなたが、求めていいことではない』

その言葉を、できるだけ角が立たないよう、慎重に選んだ。


何より伝えたかったのは、

これ以上しつこくすれば、子どもにますます嫌われるということ。


「子どもに嫌われる」

その言葉に、夫は少し考え込んだ。


あれだけ傷つけておきながら、嫌われるのは嫌だなんて。

あまりにも矛盾していて、私は心の中で、静かに呆然としていた。

2026年1月7日水曜日

誰も助けてくれない家で

紙一枚に詰め込まれた圧力

話し合いの最中、夫は何やらメモを取り続けていた。  

てっきり議事録のような内容だと思っていたのだが、まったく違った。  


突然、夫が立ち上がり、その紙を差し出した。  

私は何気なく受け取ったが、手にした瞬間、息が止まった——  

そこには、私の想像をはるかに超える要求が並んでいた。

受け入れられるものは一つもなかった。


・別居中は子どもに毎日会わせる。難しい場合は宿泊で対応。

・滞在先は必ず明らかにする。

・滞在先の家主(先輩)と話し合いの機会を設ける。

・勝手に家を出たことを反省し、被害者である夫に慰謝料を支払う。

・反省文を作成(日付・記名・押印)。

・でっちあげの虐待の証拠を破棄。

・今後の話し合いには誠意を持って応じること。

・けじめとして、一度家に戻り、これまで通りの生活に戻る。


よくもまあ、こんなことばかり思いつくものだ、と頭が真っ白になった。


震える手で紙を受け取った私は、脳内が完全にパニックに陥った。

どうしよう、どう答えれば——。

答えは出ず、ただ焦りだけが胸に広がる。


夫はこういう時の”間”を嫌う。

ほんの一瞬でも返事が遅れれば、『異論はないな』と勝手に決めてしまう。

それだけは絶対に避けなければならなかった。


だから、言葉を選びに選び、慎重に慎重に、現実的でない条件を一つずつ説明した。


壊れたマグカップと奪われた思い出

あの内容だもの。

反論されることは、夫は最初から織り込み済みだったのだろう。


指摘すると、夫は激しい怒りをあらわにした。

それを恐れて、オブラートに包んだ言葉を選んだつもりだったのに。

受け入れられなかったこと自体に不満を持ったらしく、

「お前はいつも自分のエゴを押し通そうとするんだよな!」

と、叫ぶように言った。


それでも私は、ポーカーフェイスを装い、平気なフリをして譲歩できないことを伝え続けた。

内心は心臓がバクバクで、手のひらは冷たく汗ばんでいた。


自分の要求を受け入れてもらえないと悟った夫は、いつものように荒れ狂った。

そして、想像を絶する行動に出る——


私の目の前にあったマグカップを掴み、柱に向かって投げたのだ。

わざわざ私の方のカップを選んで。


そのカップはペアだった。

二人でふらりと寄ったお店で一目惚れした、幸せな思い出の品。

全く同じものを購入したので、間違えないように裏に各自のマークまで描いた。


あの日の私は確かに笑っていた。

未来に希望を抱き、胸いっぱいの幸せを感じていた。


それが、目の前で——。

陶器だから粉々に砕け散った。


衝撃が大きければ、陶器でなくても無事では済まなかっただろう。

この人は、思い出までも壊すのだ——と、震えながら痛感した。


その日、また一つ、私の大切な思い出が失われた。

でも、涙は出なかった。

2026年1月6日火曜日

あの日、味方はいなかった

逃げ場のない待ち時間

お義父さんは、その日に限ってなかなか来なかった。

普段なら、呼べばすぐに飛んでくる人なのに。


子どもが来ていないことを分かっているからか、

足取りは不自然なほど遅かった。


夫と二人きりで向き合っていると、息が詰まる。

言葉を交わす以前に、空気そのものが重くのしかかってくる。


だから、誰でもよかった。

そこに「第三者」がいてくれさえすれば。


もうこの際、決して味方にはなってくれないであろうお義父さんでも構わないと思った。

けれど、面倒な話し合いを避けたかったのか、お義父さんはゆっくり、ゆっくりとやって来た。


待っている間、夫の苛立ちは目に見えて膨らんでいった。

ドアを乱暴に閉め、コップをテーブルに叩きつける。


今にも、何かが爆発しそうな気配。


私は刺激しないよう、神経をすり減らしながら様子をうかがった。

何か攻撃できる材料はないかと探す夫と、隙を見せまいと身構える私。


この時間が一刻も早く終わってほしい。

そう願っていたのに、その攻防は一時間以上も続いた。


夫が立ち上がるたび、体がびくりと反応してしまう。


直接的な暴力はあまりなかった。

けれど、物に当たる音や、威嚇するような動作は何度も経験してきた。


それに——

子どもを守ろうとした時、拳が当たったこともあった。


鈍い痛みを感じた。

それでも、頭に浮かんだのは自分のことではなかった。


もっと頻繁に、もっと理不尽な形で傷つけられている子どものこと。

自分が傷つくより、子どもが傷つけられる方が、何万倍も痛かった。


そのたびに、夫への嫌悪感は積もっていった。


万が一、何か起きたとしても、守るべきは子どもだけだと思っていた。

もし、自分か子どもか、どちらか一方しか救えないのだとしたら、迷う理由などなかった。


だから、必死だった。

いつも全力で守っているつもりだった。


それでも、足りなかったのだと思う。


あの家から出ること。

それ以外に、解決策はなかった。


あの部屋で、夫と向かい合って話をしていると、過去の光景が、否応なく鮮明によみがえってきた。


結局、味方は居なかった

お義父さんがようやく到着した頃には、私はもうすっかり疲れ切っていた。


玄関のドアが開き、のんびりした口調で

「来たぞ〜」

と言いながら入ってくる。


こちらは限界寸前だというのに、あまりにも温度が違いすぎて、一瞬、言葉を失った。


ただ、部屋に足を踏み入れた途端、お義父さんの表情が変わった。

一目で、この空気の異常さが伝わったのだと思う。


すぐにテーブルの脇に腰を下ろし、

「今日はどうした?」

と、本題に入ろうとした。


私は、お義父さんをいきなり巻き込んでしまったことを思い、出来るだけ簡潔に事情を説明した。

滞在先を調べられたことが、どれほど恐ろしく感じられたかも、正直に話した。


すると、お義父さんは少し考えるような間を置いてから、こう言った。

「何をそんなに怖がる必要がある?

家族なんだから」


——いや、待って。


あの修羅場を、あなたは知っているはずでしょう。

それでも、本気で『怖がる必要はない』と思っているのだろうか。


これまでの出来事に対しても、感じ方に温度差があるとは思っていた。

けれど、ここまでとは思わなかった。


そこから先は、どちらの感覚が一般的か、どちらが大げさなのか、そんな話にすり替わっていった。


今思えば、そんなことは何一つ重要ではなかったのに。

あの時の私は、『ここで引いたら、自分だけが過剰反応している人になる』

そのことに必死だった。


結局、誰も譲らなかった。


「まあ、感じ方は人それぞれだからな」

お義父さんは、どこか不満そうにそう言った。


その間、夫は何をしていたのか。

気づけば、私に求める条件を書いた紙を用意していた。


このまま話し続けても意味がない。

そう思って立ち上がろうとした、その瞬間。


一枚の紙が、無言で目の前に差し出された。


「ここにサインして」


それは、話し合いの結果ではなかった。

追い詰められた末に突きつけられた、一方的な要求だった。


私は、震える手を必死に押さえながら、その紙を見つめた。

2026年1月5日月曜日

「毎日会わせろ」という夫の要求

舌打ち一つで凍りついた部屋

「少しの間でいい。子どもと過ごす時間が欲しい」


夫はそう言った。

けれど私は、考えるより先に首を横に振っていた。


無理だ。

二人きりになんて、できるはずがない。


その“できなさ”が、夫にはどうしても分からないらしかった。


「お前は、いつも自分の都合ばかり押し通そうとする」


そう責められても、子どものことを思えば答えは一つしかない。

夫と一緒に暮らすという選択肢など、最初から存在しなかった。


その日も夫は、ただ「一緒に暮らしたい」と繰り返すばかりで、話は一向に前に進まなかった。

私は途方に暮れ、誰か第三者に助けを求めたい気持ちでいっぱいだった。


けれど、その場にいたのは夫と私だけ。

以前は頻繁に出入りしていた夫の友人たちの姿もなく、時間だけが重く、無意味に過ぎていった。


途中、夫の電話が鳴った。

彼は一瞬だけ画面を確認し、すぐに伏せるようにテーブルへ置いた。


「用事があるなら、そっちを先に済ませてもいいよ」


そう声をかけてみたけれど、夫は相変わらず険しい表情のまま、何も答えなかった。


こういう時の夫は、いつも以上に厄介だ。

譲歩したことなど一度もないくせに、私たちを思いやる気持ちがあるかのように振る舞う。


どれほど自分が辛い思いをしてきたか。

それがどれほど正当な要求なのか。

夫は感情を積み上げるように、切々と訴えてきた。


ああいう人と対等に話すには、よほど頭の切れる人間でなければ無理なのだと思う。

私はきっと、あまりにも簡単に言いくるめられる相手だった。


話しているうちに、何が問題だったのかさえ分からなくなってくる。

気づけば、物事は夫の思い通りに進みかけていて、はっとして焦った。


その時も、沈黙と威圧を巧みに使い分けながら、夫のペースに引きずり込まれそうになっていた。


危うく、子どもを数日間預けることに同意させられそうになり、

直前で我に返って、慌てて口を開いた。


「ダメだよ。

(子ども)の心の傷が、これ以上深くなったら取り返しがつかなくなる」


拒絶の言葉を向けると、夫は明らかに不機嫌そうに舌打ちをした。


その舌打ちが、私は怖かった。


空気がざらりと変わり、苛立ちが肌に刺さるように伝わってくる。

今にも何かが起こりそうな気配に、私は息を潜めるしかなかった。


怒りの段階が一つ上がった。

そう直感した瞬間、体が強張り、動けなくなった。


子どもの拒絶が届かない人

預けることを拒むと、夫は今度は言い方を変えてきた。


「じゃあさ、学校帰りにうちに寄れよ。

少し話すだけでもいいんだから」


まるで妥協案のような口調だった。


どれくらいの頻度を考えているのかと尋ねると、返ってきた答えは「毎日」だった。


――毎日。


現実的じゃない。

それ以前に、子どもへの負担があまりにも大きすぎる。


大嫌いな“パパ”に、帰り際、毎日会わなければならない。

そんなもの、地獄でしかない。


無理だと思った。

だから、そのまま正直に伝えた。


そもそも、私が無理やり会わせないようにしているわけではない。

拒んでいるのは、子ども自身だ。


虐待の生活から逃れたあと、

「もう二度と会いたくない」

そう、ぽつりと口にしたことがあった。


あれは、その場しのぎの言葉ではなかった。

心の底から絞り出した、本音だったと思う。


けれど、自己愛性人格障害の夫には、それがどうしても理解できない。

あれだけのことをしても、子どもから尊敬されていると本気で信じて疑わないのだから。


理想の生活を送れないのは、すべて私のせい。

私が邪魔をしているからだと、夫は考えた。


「自分勝手な言い分で子どもを洗脳する妻から、子どもを奪還する」


そんな物語をでっちあげ、それを正義のように振りかざして責め立ててきた。


話し合いは、いつの間にか二時間を超えていた。

私はだんだん言葉を失い、口数も減っていった。


それとは正反対に、夫はますます生き生きとし、同じ主張を何度も繰り返した。


大声で怒鳴られるたび、耳の奥がぼわんと痺れ、頭まで痛くなる。

これは、一緒に暮らしていた頃、ほぼ毎日のように繰り返されていた光景だった。


夕方になり、夫は突然、義父に電話をかけ始めた。

味方が欲しくなったのだと思う。


そこからが、また長かった。

お義母さんの告白

お下がりの制服 子どものために用意された制服。 お下がりではなく、 購入したものだった。 知ってしまった以上、 お金を返さないわけにはいかない。 義実家を訪ね、 お義母さんと少し雑談をした後、 私はテーブルの上に お金の入った封筒を置いた。 でも、 受け取ってもらえない。 どこか...