2025年4月30日水曜日

夫が家を出る話は棚上げされ、都合の良い催促ばかり

家族会議で話し合いたいこと自体にズレが

家族会議が提案される前。

私は『家を出て行って欲しい』と夫にお願いしていた。

それなのに全く返事をしてくれなくて。

話し合いを催促してくる割には、完全にスルーされていた。

提案が来てから最初に返信する時、私も言うべきことを言わなければと

「家を引き払う話もその時にできるのであれば」

と伝えた。

そうしたら、全くその気が無かったのか、

「今回の話し合いはその件とは別です」

と訳の分からない回答が来た。

私からしたら最重要課題だ。

その件と離婚は直結している。

それなのに、自分の話したいことだけを話し合うなんて。

また私の意思や気持ちは無視なんだな、と失望した。

もうこんなことでガッカリしたくなかった。

色々あったとは言っても縁があって結婚したんだもの。

最後くらい綺麗に別れたいと思ったのに・・・。

夫はやっぱり私の気持ちになど興味がないみたいで悲しくなった。

もう夫婦として完全に終わっていたのだと思う。

こういう時、義両親が助け舟を出してくれれば良いのだけれど。

そういうのも一切無かった。

ただひたすら夫の気持ちに寄り添い、気遣っていた。


『実家の親も呼ぶように』との指示を拒否

話し合いにはうちの両親も参加するように言われたのだけれど。

私はこれを拒否した。

どんな内容になるかはまだ分からない部分もあるが。

どちらにしろ荒れることは確実だ。

そんな場所に連れて行けないと思い、

「もし話し合うことになっても私一人で行きます」

と伝えた。

これに難色を示したのが義両親だった。

『今後を決める大事な話し合いなのに、そちらのご両親が来ないなんて』と。

はっきり言って、うちの親はそういう修羅場に慣れていない。

物凄いストレスになるだろうし、言いくるめられてしまうかもしれない。

それに、恐らく情に訴えてくるであろう彼らのペースに乗せられずに話をすることができるだろうかという問題もあった。

私は無理だと思ったので、一人で行くことを選んだ。

と言っても、この時点ではまだ出席するともしないとも言っておらず。

ただ、『本当に話し合うことになったら』という言い方に留めた。

それにしても、夫の対応は相変わらずだった。

都合の悪いことには目を向けず、自分の要求だけをひたすら押し通そうとする。

こんなことがあっても、ちっとも変わらないんだな、と思った。

思えば最初からずっとそんな感じだった。

変わったのだとすれば、私の方だ。

夫の発言やコントロールしようとする姿勢に違和感を抱き、受け入れられなくなってしまった。

それでも結婚生活を続けるための努力はしてきた。

だけど全く伝わらなくて、更に厳しく接してくることが増えた。

今後もきっと夫が変わることはないのだと悟った。

だから、最初から期待なんてしなければ良いのに。

そういう姿を見るたびに絶望した。

それでいつも気づいてしまうのだ。

『ああ、私はまだこの人に分かって欲しいなんて思ってたんだ』と。

もういい加減、解放されて自由になりたいと思った。

明日を楽しみにしながら生きていきたかった。

夫との別れが、それを叶えてくれると信じていた。

2025年4月29日火曜日

『居場所を教えろ』と激しい催促

夫や義両親からの催促が激しくて

夫からも義両親からも言われていた。

『今いる場所を教えろ』と。

私の懐事情をよく知る彼らはずっと怪しんでいたようだ。

ホテル住まいが続くわけがない、と。

確かにホテル住まいは厳しいな、と初日から思っていた。

だから、あの日も泊まる所を探して右往左往した。

先輩に会わなければ早々に家に帰ることになっていた可能性もある。

そうならなかったのは、数年ぶりに先輩に会えたからだ。

それからずっとお世話になった先輩には感謝してもし切れない。

そんな恩人に対し、恩を仇で返すようなことはできなかった。

居場所を教えたら押しかけてくるに決まってる。

そうなれば嫌な思いをさせてしまうだろう。

だから絶対に阻止しなければ、と思った。

それ以外にも、新たな行き先を確保するのが難しいという問題もあった。

子どもだって遠くて大変だけど学校に通えていたから。

最低限のことはクリアできていたのだ。

私の仕事以外は。

本当は学校用品を家から持ち出したかった。

でもできなかった。

だからとりあえず使う物を揃えて、あとは学校で借りたりした。

夫は多分、私たちが実家や姉の所でお世話になっていると思い込んでいたのだと思う。

だからわざわざ姉家を訪問して確認したんだろうけど。

当てが外れてほんの少し慌てたんだと想像した。

全て自分が把握できていると高をくくっていたのに突き止められなかったから。

ある意味、探偵でも雇わなければ見つからない居場所ということで最強だったのかもしれない。

何度聞かれても私が口を割らず、知る手段も無くて。

夫も義両親もかなり焦っているようだった。

段々と催促が激しくなり、物凄いストレスになった。


『家族会議を開きたい』と夫からの提案

一向に私たちが帰る気配も無く。

ともすれば連絡も途絶えそうな状況に夫が動いた。

ずっと静観している様子だったのに、急に、

「こうなったら皆で話し合おう。家族会議で言いたいことを言い合おう」

と連絡が来た。

電話だと出ないからメッセージを送ってきたのだが。

相変わらず有無を言わせぬ雰囲気を醸し出していた。

反対意見を言おうものなら、『じゃあお前はどうしたいんだ』と詰め寄られそうに感じた。

だけど、『離婚したいんです』と正直に伝えたら、きっと『お前は間違ってる』と言われる。

そういう人なのだ。

私たち夫婦の力関係は明確で、いつも夫が強かった。

こんな状況に陥っても夫が上から目線で強気に出てくるから。

いつの間にか私は言うことを聞きそうになってハッと我に返った。

自由になったことも一瞬忘れてしまうくらい、夫のコントロールが凄かったということだ。

家族会議を提案されて正直なところ『どうしよう』と迷う気持ちもあった。

いつかは直接対決しなければ、きちんと伝えられない。

分かってもらえるまで話し合わなければ、という思いがあったから。

弁護士を立てて全部任せてしまうという手もあるけど。

それだと夫が納得しないことは明らかだった。

それで全て片付けられるような相手ではない。

変に恨みを買ってしまっても、それこそ大変なことになる。

できるだけ穏便に済ませたいというのが常に根底にあって・・・。

夫の心に歩み寄りつつ離婚も進展させたいというのが本音だった。

虫の良い話かもしれないが、ああいう人との交渉はとても難しいのだ。

恨まれたらずっと怯えながら暮らさなければならないなんて。

そんな人生は嫌。

そう思っても『家族会議』はやはり気が重かった。

だから、すぐには返事が出来ずにいた。

迷っている間もメッセージはどんどん来る。

私は段々と冷静さを失っていった。

2025年4月28日月曜日

夫からの返信

思いがけない言葉

義両親に会いに行った日。

夜遅くに夫からメッセージが届いた。

その前に私の方から『部屋を引き払いたい』と伝えてあったこともあり。

その返事かな、と思った。

『出て行って欲しい』と伝えた時には速攻で罵詈雑言のメッセージが届くのではないかと身構えたけど。

待てど暮らせど返信は来なかった。

いつもなら怒りを爆発させて暴言を吐かれるところだ。

それが何も言ってこないなんて。

反応が無いというのは想像していなかったので少し戸惑った。

その後義父母と会うことになって行ったわけだけど。

子どもと会わせてあげられたのは純粋に良かったと思う。

内心はあの後だから怒った夫が来ているのではないかと勝手に怯えていた。

でもちゃんと約束通り、義両親二人だけで来てくれた。

久々の孫との再会といっても、時間的には短くなってしまったから。

もしかしたら物足りないと思われたかもしれない。

それでも、会わずに数か月を過ごすよりは、少しでも言葉を交わして近況を報告できたことは幸いだった。

メッセージが来たと気づいた時の気持ちは期待半分、恐怖半分と言ったところだ。

やっぱり怒っているんじゃないか、という思いが消えなかった。

『部屋を出て行けとはどういうことだ』となじられる自分を想像してしまい、携帯を持つ手が震えた。

画面を開く瞬間までネガティブなイメージが勝っていたのだが、それは杞憂だと分かった。

来ていたのはお礼のメッセージで、

『今日はうちの父や母に会いに行ってくれてありがとう。

(子ども)にも会えて喜んでいました。』

と書かれていたのだから。

あの人が御礼を言うなんて。

思わぬ反応に驚きつつ、会いに行って本当に良かったと思った。


機嫌の良い時に話を進めたくて

珍しく夫の機嫌が良いのかもしれない。

メッセージを見て、そんな気がした。

いつもは常に機嫌が悪くてちょっとしたことで怒って・・・。

何を言っても怒らせてしまうから、どうすれば良いのか分からないことが多かった。

それがこんな優しいメッセージをくれるなんて。

私は滅多に無いチャンスを逃してはいけないと思い、

「急かして申し訳ないけれど、部屋の話はどう考えてますか?」

と送った。

それから少しの間返信が来なくて、『失敗したかな』とドキドキしていた。

やっと返事が来たのは数十分後のことだった。

見る時にはもう緊張から手が汗ばんでしまって・・・。

ただ、最初のメッセージが意外なほど穏やかで良い感じだったので。

実はこのまま案外うまくいくのでは?とも思っていた。

でも、そこに書かれていたのは予想していたような言葉では無かった。

「その件は、もう少し待ってください。

 そちらの都合ばかり言われても、こちらにだって色々と事情があるんです。」

と少し強い言葉だった。

急に態度が硬化したように感じて頭から冷や水をかけられたような気持ちになった。

もう、これ以上攻めるのは難しいかもしれない。

墓穴を掘らないうちに終わりにしなければ。

私は『おやすみ』とだけ送ってゆっくり考えようと思った。

しかし、夫の方はやり取りを続けたかったらしくて、

「そちらは俺が家を出て行くのが当然だと考えているのですか?」

と連投してきた。

この流れはあまりよろしくないな、と感じた。

丁寧な言葉遣いだが怒りが見え隠れしている。

ちょっとしたことで爆発しそうな予感がした。

早々に切り上げたくて、

「私の方もまだ混乱していて、上手く説明できません。」

と慌てて送ったのだけれど。

それが良くなかった。

すぐにまた返事が来て

「自分でも説明がつかないような状態なのに、あんなお願いをしてきたんですか?

 非常識ではないですか?」

とまるで脅しのような口調に変わった。

実際にあれはお願いなどではなく私の本心だった。

夫が怖くて文面的にはお願いするような感じになってしまったが。

『出て行って欲しい』というのは私の明確な意思だ。

それを夫は受け入れられないようだった。

実はあの時、迷ったけど更新の時期だということは知らせなかった。

結果的にはそれで良かったのだと思う。

多分、一気に追いつめるようなことをしたら夫は爆発していた。

あらゆる手段を使って私たちを探し出していただろう。

2025年4月27日日曜日

「私たちから孫を奪わないで欲しい」と言われ・・・

義両親の望み

お義父さんは、その時もまだ夫と私たちの家で過ごしていた。

夫が実家に帰るという選択もせず、一人で居ることもできないから。

誰かが一緒に居なければと思って帰れなかったようだ。

時々自分の家に戻る時にはお義母さんとバトンタッチ。

そうやって協力し合いながら過ごしている、と言われた。

それに関しては本当に申し訳ないと思った。

本来なら周りを巻き込むべきではない。

お義母さんの方は体力的な面も心配だったので、

「本当に迷惑をかけてすいません」

と何度も謝った。

口で謝ったところで二人の大変な状況を解消することはできないのだけれど。

謝らずには居られなかった。

夫はどう考えているのだろうとも想像してみたが。

きっと自分のことで精一杯だから周りの事まで考えられないのだろうと思った。

「私たちのことは良いの。ねぇお父さん」

とお義母さんが言うと、お義父さんも

「そうだよ。多少大変だとしても何とかなる」

と頷いた。

その言葉から、多分もっと耐えられないことがあるのだと分かった。

「もしかして(夫)さんから酷いことを言われたりしてるのですか?」

と聞いてみたが、

「そんなことは無い」

と否定された。

それじゃあ一体何に困っているのだろうか。

二人を交互に見つめながら考えていたら、お義父さんが

「どうかお願いだから私たちから孫を取り上げないで欲しい」

と言った。

まるで懇願するように、苦しそうに。

本当に悩んでいるのだなというのが傍から見て分かった。

うちの子が産まれてからは、文字通り生き甲斐になっているようだった。

ちょっとしたことでも気にかけてくれて。

週に1回以上は顔を見に来た。

成長の過程もずっと見てきたのだ。

愛着もわくだろうし、離れることなんて考えられないのかもしれない。

義両親の気持ちを思うと心が苦しくなり、何も言えなくなった。

俯いたまま、

「すいません・・・」

と言い続ける私に、お義母さんは

「あなたが謝ることじゃないのよ。ただ寂しくて」

と言いながら涙をぬぐった。


夫の居ない場所なら義両親と会い続けることができるだろうか

子どもも私も夫のことが怖かった。

一緒に居たら精神的にどうにかなってしまいそうだった。

義両親と連絡を取り続けるということは、夫との関係を持ち続けるということ。

離れてもなおその影響から逃れることができないのなら。

離婚しても意味が無いのではないかと思った。

だけどもし夫の居ない場所で会うのだとしたら、私たちも受け入れることができるだろうか。

ふとそんな事を思い、何か方法はないかと考えた。

でも考えれば考えるほど夫への恐怖心が大きくなり、心が沈んだ。

その間、子どもは黙ってパフェを食べていて、私にも

「ママ、早く飲んじゃいなよ」

と促してきた。

あまりにも急かすものだから、お義父さんが

「(子ども)ちゃん、何でそんなに急いでるの?」

と聞いたら、

「もう帰りたい」

と言い始め、義両親は困っていた。

その様子を見た私は、子どもがもう話すのが嫌なのだと理解した。

恐らくだが、パパのことを思い出して逃げ出したくなったのだろう。

お義父さんやお義母さんと話していると、どうしても夫の顔がチラつく。

暴言や暴力、虐待を受けた日々が思い出され、それは子どもも同じだったのだと思う。

あまり長くなっては子どもが不安定になってしまうと感じ、

「今は本当に何も考えられなくて。今日はもう失礼します」

と伝え、伝票を持って立ち上がろうとした。

そうしたらお義母さんが咄嗟に伝票を自分の方に引き寄せて、

「私たちに払わせて。来てもらっただけで十分なんだから」

と言ってくれた。

「ありがとうございます。それではお言葉に甘えて・・・」

と言いながら今度こそ立ち去ろうとした。

だけど義両親は名残惜しいのか、『また会いたい』と何度も言った。

その気持ちは分かるけど、やっぱり何も答えられなくて・・・。

私たちだけで会うことを、夫がいつまで許してくれるかも分からない。

無責任なことは言えないから、お辞儀だけしてその場を後にした。

「おじいちゃん、おばあちゃん、バイバイ」

子どもが小さく手を振ると、二人は涙を浮かべながら頷いた。

2025年4月26日土曜日

義両親からの呼び出し

断れなかった義両親からの頼み

6月某日。

私は再び義両親に会いに行った。

今度は子どもも一緒に。

「(子ども)ちゃんに会いたい!」

と言われ、断ることができなかったのだ。

最初は何だかんだと理由をつけて

「ちょっと難しいです」

とやんわり拒絶していたのだが。

「まだ離婚したわけじゃないのに会えないのはおかしい」

と言われ、渋々OKしてしまった。

本当は気持ち的には行きたくなかった。

でも、こんな宙ぶらりんな状況では仕方がないと今回受け入れることにした。

こうやって書いてしまうと上から目線のように思われてしまうかもしれないが。

会ったら子どもに何か言うのではないかと気が気ではなかった。

情に訴える作戦にでも出たら、きっと子どもは『可哀そう』となってしまう。

まだ小学生なのだから裏の裏を読むなんてことはできない。

それを利用されるのではないかと危惧した。

それと、前回『夫は来ない』という約束も守られたけれど。

今回もその約束が守られるだろうか、という不安もあった。

そんな色んな不安を抱えながら、当日待ち合わせ場所へと向かった。

子どもには、

「久々に(夫実家の)おじいちゃん達に会いに行くよ」

とだけ告げた。


ファミレスで久々の再会

待ち合わせ場所に選んだのはファミレスだった。

ファミレスなら、万が一いざこざが起きても人が大勢いて安心できるから。

それに、子どものメニューもたくさんある。

当日は約束の時間よりも少し早く着いた。

そして義両親はそれよりも早く到着していた。

二人は窓際の席に並んで座っていて、外を眺めていたお義母さんはいち早く子どもの姿を発見したようだった。

まだ店内に入っていないうちからこちらに気づき、入り口の方まで迎えに来てくれた。

「早かったわね」

と子どもに声をかけ、何だか嬉しそう。

子どもは

「パフェ食べたい」

と言いながら席に座った。

お義父さんも子どもの前では話す内容に気を使っているように見えた。

ただ、時折深刻な表情で

「私たちもこんなことになっちゃって困っている」

と言うから、子どもも困ったような表情になっていた。

小学生とは言っても状況を理解することはできる。

家を出て、遠く離れた場所から学校に通って。

行き帰りはママが送り迎えするから一人で移動しないように、と言われ。

『いつも通りではない』ことは痛いほど分かっていたはずだ。

だからなのか、

「みんな困ってるよ」

とポツリと言った。

それを聞いたお義父さんは、

「そうだよなぁ。困ってるよな。どうにかならないかな、(子ども)ちゃん」

と、まるで子どもに解決を促すような雰囲気になった。

この流れはまずい。

聞いた瞬間にそう思った私は、お義父さんの意図を理解しつつブロックした。

「(夫)さんと私とで話し合うしか方法は無いですね」

期待したような方向にいかず、お義父さんは不満そうだったが私はホッとした。

始まった直後からこんな感じだったので数分でどっと疲れが・・・。

しかも、話している最中ずっと夫が合流するのではないかと怯えている状況で。

メンタル的にもギリギリだった。

2025年4月25日金曜日

両親に家を出たことを報告

電話で話した時に姉にバレて・・・

ちょっと用事があると、姉から連絡がきた。

メッセージをやり取りするよりも話した方が早いかなと思い、

「電話でも良い?」

と送ったらすぐにかかってきた。

「あれっ?今日仕事は?」

と聞かれて、

「お休みもらったんだ~」

などとお茶を濁す私。

まさか、あれからずっと家に帰っていないとは言えなかった。

最初は他愛もない話をして、それから家族のことに話題が及び、

「で、今日は何で休んでるの?」

と唐突に聞かれた。

いきなり核心を突かれたのでドキッとしてしまった。

「会社で有給取得を促進してるんだよ」

とごまかし続けたのだが・・・。

姉は鋭い。

「本当は何かあったんでしょ」

とズバッと指摘された。

聞かれているうちに私も『もう隠しきれないな』と思い始め、観念して全てを打ち明けた。

先輩の家でお世話になっていることも話したのだが、

「うちに来れば良かったのに」

と言われた。

「それにしても、あの(夫)さんがね~。まさかそんな人だったなんて」

と、夫の本性を知って心底驚いているようだった。

ボロが出ないように徹底して良い人を演じていたのだから気づくのは難しいだろう。

それに、段々と周りとの連絡も取らなくなっていったから気づくチャンスも無かったと思う。

姉は私たちのことを心配したようで、

「一度ちゃんと話そうよ。(子ども)ちゃんのこともあるし」

と言ってくれた。

こうやって周りに心配をかけてしまうことも躊躇った要因の一つだったんだけど。

やはり知ってしまったからには見過ごせないようだった。

とりあえず近いうちに会おうと約束をして、両親にも報告すべきだと助言された。


両親にもやっと言えた

気が重かった。

伝えたら絶対に心配する。

それが分かっているのに伝えなければならないのかな。

直前まで迷ったが、思い切って電話した。

家を出る大分前から、実家の両親には連絡できていなかった。

いつも夫が嫌な顔をするから、したくてもできなかったのだ。

外に出ている時にちょっとかけるくらいはできたんだろうけど。

取り繕う気力も無かった。

私は元気だよ~、頑張ってるよ~って。

嘘をつくのがしんどくなった。

それに、帰り道の少しの時間では落ち着いて話すこともできなかった。

遅くなると文句を言われるし。

がんじがらめの生活の中で、私は段々と何もする気が起きなくなった。

色んな人に連絡を取れる時は、ある程度心に余裕があるんだと思う。

全く余裕の無くなった私は自然と人を遠ざけた。

数回のコール音の後、すぐに母の声が聞こえた。

その声を聞いた瞬間、涙が出た。

ごめんね、お母さん。

こんなことになっちゃって。

元気が無いのを悟られると更に心配をかけてしまうから。

懸命にいつも通りの私を演じた。

これまでのことをポツリポツリと話し始めると、母は最初悲鳴にも似た声をあげた。

でも徐々に黙り込み、時折相槌を打つだけになった。

恐らく私の話が衝撃的だったのだろうと思う。

一通りのことを話し終えると、母は

「帰っておいで」

と言った。

ずっと子どもと二人で暗闇に閉じ込められているような気持ちでいたけど。

そんなこと無かった。

まだちゃんと『助けて』と言える相手が居たんだ。

途切れていた糸が再びつながったような気がした。

2025年4月24日木曜日

「部屋を引き払いたい」と夫にメッセージを送信

最初の交渉は『家から出て行ってもらうこと』

友人の口ぶりでは、夫は離婚を渋っているようだった。

それでも私が離婚したいと言うのなら、それなりの覚悟を持って臨むように。

そんなメッセージのように思えた。

きっと完全に敵となった私を夫は容赦しない。

立ち直れないくらいのダメージを与えるつもりだろう。

だから、こちらも念入りに準備する必要があった。

思いつきで行動しても上手く行くわけがない。

そう考えた私は、今後の進め方をもう一度練り直すことにした。

いきなり離婚を持ち出しても納得しないことは明らかだった。

それならば。

まずは部屋を出て行ってもらうというのが一番スムーズなのではないか、と思った。

上手く別居に持ち込めれば、時間が掛かっても離婚できる。

私たちが家を出た段階で別居していると言えばそうなんだけど。

ずっと先輩の家でお世話になるわけにもいかないから、早く住居を確保したかった。

そんな感じで、夫と最初に交渉すべきことが決まった。

伝えたいことは一つ。

『部屋を出て行って欲しい』

ただ、それだけ。

こうやって書いてしまうと簡単そうに思えるのだが。

実際は、これがなかなか難しかった。

相手はあの夫だ。

聞いた瞬間に激怒して暴れまくるだろう。

この際ご近所さんからの目などは置いておいても、部屋を壊されるのは困る。

退去の時に余計な費用が掛かってしまうのが不安だった。

何か穏便に済ませられる方法は無いだろうか。

朝起きてから寝るまでずっと考えていたら、ふとあることに気づいた。

もうすぐ部屋の更新だ・・・。

更新手続きをしないと伝えれば流石に観念するかもしれない。

明日、内容をよく考えてからメッセージを送ってみよう。

そんなことを思いながら眠りについた。


緊張しながらも夫にメッセージを送信

その日の寝起きの気分は最悪だった。

夫の夢を見たからだ。

しきりに誰かが私の名前を呼ぶので、振り返ったら夫だった。

私は慌てて逃げた。

でも、猛スピードで追いかけてきた夫に手首をつかまれてしまった。

逃げようとしてじたばたと暴れているうちに目が覚めた。

起きた瞬間はドキドキしていて、まるで短距離走を走った後のよう。

夢で良かった・・・とホッとしたが、やはり夫のことが怖いと思った。

その後は朝ご飯の支度をして皆で食べて、子どもを小学校に送り届けて。

帰ってきてから慎重にメッセージを考えた。

推敲に推敲を重ねた結果、回りくどくなってしまった。

でも、気分を害さないようにと気を使うとどうしても長くなってしまう。

長すぎるとまたイライラさせてしまうかと思い、少し修正してからやっと送信。

送信する時の手が震えた。

すぐに返事が来たらどうしよう。

返事は欲しいけど読むのが怖い。

夫と対峙する時、とにかく私には怖いものだらけだった。

だからいちいち勇気を振り絞らなければならなかったし、必要以上に慎重になった。

送信した後は一仕事終えたような気分で少し寛いでいたのだが。

1時間、2時間と経過しても返事が来ない。

それが段々と気になってきて、頻繁に画面を開いた。

ずっと未読のままで、見た形跡がない。

いつもはすぐに既読になるのに未読のままだなんて・・・。

こんな状況でも『夫に何かあったのかな』と心配してしまった。

2025年4月23日水曜日

別居中の不安定な状況の中、子どもは学校へ

離婚時に不利にならないように

夫の友人から言われたことが頭から離れなかった。

子どもが学校に行っていないと、それだけで不利になる、と。

たったの一週間でも影響があるのかな。

もし本当にそうなら早めに手を打たなければと焦った。

いずれにせよ長い間休むのは良くないし、子どもだって本当は行きたいはずだ。

迷った挙句、一度先生と話すことにした。

放課後に電話を掛けると、すぐにつないでもらえた。

あまり詳細なことまでは言えなかったが大まかな事情を説明し、

「明日から行きます」

と伝えた。

伝えたら何だかスッキリした。

平日にずっと子どもが家に居ることが気になっていたから。

これで通常通りとまではいかなくても少し日常に近づくことができた。

まだ何も解決していないのに、少しだけホッとした。

ただ、通学することに問題が無かったわけではない。

その点は先生からも指摘され、

「万が一、お父様が学校に来られた場合の対応はどうしましょうか」

と聞かれた。

恐らくだが、夫は学校の中までは行かない。

世間体を気にする人なので、そこまではしないだろうと思った。

そうは言っても100%では無いから。

『念のために対応を決めておきましょう』ということになった。

まずは子どもの意思を確認することに。

聞いたら即答で

「絶対にパパには会いたくない」

と言ったので、その方向で対処してもらうことになった。

その時の子どもの語気が強めで声も大きかったので、先生にも直接聞こえたようだ。

「おっ、元気そうですね」

と先生が言い、それを子どもに伝えたら照れたように笑った。

それから子ども自身が先生と少しだけ話し、電話を終えた。


行き帰りは私が送り迎えすることに

かなり離れた場所から小学校に通うことになった子ども。

この間、本当に頑張ったと思う。

普通なら弱音を吐きそうなものなのに、早起きしてせっせと行く準備をしていた。

帰宅した後もきちんと宿題をやって、早めに就寝して。

お手伝いもしてくれた。

私も仕事に行けたら良かったのだけれど。

子どもの送り迎えをしていたら現実的に不可能だった。

それに、会社の場所を知られていたので皆に迷惑をかける恐れもあった。

2週目に入った頃、子どもが学校に行っている間に一度会社に向かった。

実は無料の弁護士相談があって、そのついでだったのだが。

同僚とちょっと仕事の話をした。

話していて気づいたのは、『早く仕事に戻りたいなぁ』という気持ち。

そのために何をすべきなのかを考えた。

一番良いのはスムーズに離婚できることなんだけど。

時間が掛かるなら、その前に生活の基盤を別に整えなければと思った。

それには夫が居座っているあの部屋がネックになる。

もう一部屋借りたいけれど、私の財力では無理な話だ。

これらを総合的に考えて、自分の中で方向性が決まった。

夫の機嫌を伺いながら早急に出て行ってもらうしかないのだと。

もちろん夫がどう出るかを想像すると恐ろしかったが・・・。

迷っていても進めないから思い切って交渉することにした。

2025年4月22日火曜日

夫の友人からの揺さぶり

再び連絡してきた夫の友人

義両親から止められて以来、夫がしつこく連絡してくることは無かった。

不気味な沈黙を保ち、私の方も対応を考えあぐねていた。

そんな時、またしてもメッセージを送ってきた人物がいた。

夫の一番の友人であるK氏だった。

以前、事情も知らずに夫のメッセンジャー役を買って出てしまった人。

夫がしょぼくれているのを見て放っておけなかったのだと思う。

前の時は何も分からずに連絡を取ってきたから仕方がないとしても。

前回虐待の事実も告げたし、大体の状況は分かったはずだ。

それにも関わらず、まだこの件に関わろうとするなんて。

少し無責任な気がして腹が立った。

夫の友人が夫の肩を持つのは当然のことだけど。

私たちが戻ったらどうなるか、想像できないのかな。

画面にチラッと表示された文言は、

「少し話せませんか」

だった。

通知を知らせる音は一回鳴っただけ。

下手に開いて既読になってしまうのが嫌で、私はしばらく考えていた。

既読になれば相手も期待するはずだ。

少なくとも、私が読んだことを知られてしまう。

それなら気づかないフリをしてスルーしてしまおうかと思った。

だけど、もし夫が離婚の話し合いをしたがっているとしたら?

私が迷った原因はそこであり、チャンスを逃したくないという思いが強かった。

その前の様子から察するに、夫もだいぶ弱気になっている感じがしたから。

諦めの気持ちもあるのかな?と勝手に期待した。

万が一、前向きに離婚のことを考えてくれているのなら。

勇気を出して話し合うために会いに行こう、と思った。


厳しい現実を前に思考が停止

夫の友人に、

『少しだけなら大丈夫です』

と送るとすぐに電話が掛かってきた。

最初、質問攻めにあって、

「帰るつもりはないのか」

とか

「子どもはどうしてるのか」

とか聞かれた。

「このまま戻らず、子どもも学校に通わせないままでは不利になるよ」

とも言われた。

ちょっと言ってる意味が分からなくて、

「え・・・?それってどういう・・・?」

と言いかけたところにかぶせるように

「それって虐待になるよ」

とハッキリ言われた。

思いもよらない言葉に私は驚いて絶句した。

『虐待』だなんて。

その言葉があまりにも衝撃的過ぎて、全く理解が追いつかなかった。

電話口の相手は優しくて穏やかなK氏のはずなのに。

もう、いつもの彼では無くて。

ショックで何も言えなくなった。

私が黙り込んでしまっても、K氏は話し続けた。

「離婚届けを勝手に出すのは犯罪だけど、万が一出そうとしても受理されないように手続きしてあるから」

「離婚になる場合には親権を争うつもりみたいだよ」

「知り合いの弁護士への依頼も考えている」

そんな感じのことを淡々と伝えてきた。

大事なことだから私は必死でメモを取った。

手元にあった紙に書き殴りながら、何故か涙が出て止まらなくなった。

とうとう事態が動き始めたのだという安堵と。

夫への恐怖心と。

協力者がいるということに不安も感じた。

そういった色んな感情がぐちゃぐちゃに混ざり合い、思考が停止した。

2025年4月21日月曜日

家を出てから一週間が経過

周りの人々の優しさに感謝

あの修羅場を機に家を出てから一週間が経過しようとしていた。

状況は相変わらずで・・・。

解決の見通しは立って居なかった。

それでも、夫と離れて過ごした時間は私に自信を与えてくれた。

それまでは離れることに不安を感じていたから。

おかしな話だが、モラハラをする夫でも居ないよりは居た方がマシだと思っていた。

無価値の私が一人になったらやっていけない。

付き合い始めてからずっとそう言われてきたので信じ切ってしまったのだ。

だけど、離れてみて分かった。

私一人でもちゃんとやっていける、ということを。

子どもの事だって守ることができる。

それは夫にとって不都合だったに違いない。

離れて自信を持たれてしまったら、もう戻ってこないかもしれない。

だから焦って連れ戻そうとしたが、義両親がそれを止めた。

電話もこれまでなら引っ切り無しにかかって来ていたのに。

日数が経つにつれて段々と途絶えた。

義両親との話し合いでその理由が分かった。

『今しつこく連絡を入れても逆効果だから』と止めてくれていたようだ。

それで、急に連絡が無くなり、私は平穏な日常を取り戻した。

あまりにも急な変化に戸惑いもしたが、義両親の話を聞いて納得した。

そして有難いと思った。

そういう訳で少しずつ明るい変化も見られたのだが、職場への復帰はまだ先になりそうだった。

離婚の件も片付いてはいないし、子どもを残して出勤するわけにもいかない。

不安になって職場への連絡はこまめに入れたのだが、皆『心配しないで、大丈夫だから』と言ってくれた。

周りからずい分助けられて生きていたと思う。

私の勝手な都合で休んでいるのにもかかわらず、嫌な顔をする人は居なかった。

学校の先生からは時々連絡をもらった。

もう少しお休みすることを伝えたら、

「大丈夫ですか?何か困っていることはありませんか?」

と心配された。

その頃、私の心にはほんの少しだけ周りを見る余裕ができた。

だからなのか、皆の優しい言葉がスーッと溶けていった。

素直に『ありがとう』と思えることも嬉しかった。


離婚問題を進展させたい

夫から頻繁な連絡が来なくなったのは良かったのだが・・・。

離婚の話し合いを進めるタイミングも難しくなった。

私の方から電話やLINEをしたら『連絡OK』と思われてしまうかもしれない。

以前のような状態に戻りたくなくて躊躇した。

でも、待っているだけでは時間ばかりが過ぎてしまう。

あまりにも多くの時間を与えすぎてしまい策を練られてしまうことも怖かった。

以前聞いた話によると、夫の友人関係の中に弁護士がいるらしかった。

その人が出てきたら、私一人で太刀打ちできなくなる。

早めに決着をつけなければと焦り、悶々と考えていた。

夫の方は少しずつ諦めの気持ちも出て来ていたようで、

「もう待っていても無駄なんだな」

というメッセージだけが来ていた。

こんな風に考えること自体、だいぶ変わったのだと感じた。

離れてたった一週間でここまで変わることができたのだから。

もしかしたら私のせいで夫がおかしくなっていたのではないかとさえ思えた。

でもそれは勘違いだった。

きっとなかなか思うようにいかなくて少し弱気になっただけ。

この後、夫の友人が要らぬアドバイスをしたおかげで急に態度が硬化した。

変ってくれたのだと信じた私が馬鹿だった。

もしかしたら意外とスムーズに離婚できるかも、なんて思っていたのに。

相手は徹底抗戦の構えを見せ、調停も辞さないという態度へと変わっていった。

2025年4月20日日曜日

「行かないで」と泣いた子ども

子どもに義両親に会いに行くことを伝えたら号泣

義両親と待ち合わせをしたのは土曜日だった。

その日なら先輩に子どもを見ていてもらえるから。

前の日に子どもに

「明日、おじちゃんとおばあちゃんに会いに行ってくるよ」

と伝えたのだが、途端に表情が曇って泣きそうな顔になった。

「それってパパも来るの?」

と聞くので、

「来ないよ。おじいちゃんがそう言ってたんだから」

と答えたのだが、

「うそ!パパは嘘つくからきっと来るよ!」

と怒ったように言った。

普段穏やかな子なので、この時の様子には内心びっくりした。

子どもが不安な気持ちになっているのに、そのまま行くことはできないと思い、

「絶対に来ないって言ってたから大丈夫だよ」

と安心させようとしたのだが聞いてくれなかった。

夜寝る前にも少しその話をした。

翌日急に出かけてしまったら子どもの不安が増すだろうと思って。

並んで横になり、天井を見つめながら、

「明日、ママ行ってくるけど。本当にパパは来ないから心配要らないよ」

と話していたら子どもが急にむくっと起き上がり、私にしがみついた。

「どうしたの・・・。まだ心配?」

と言いながら子どもの髪を撫でた。

その時、ふと肩を見たら少し震えているように見えて・・・。

慌てて電気をつけたら、子どもはポロポロと涙を流していた。

『大丈夫、大丈夫』と言いながら落ち着かせようとしても一向に落ち着く気配は無かった。

涙声で、

「ママ、本当に行くの?」

と聞かれ、

「うん、明日は行かなくちゃ。約束したから」

と答えたら号泣し始めた。

その声でリビングに居た先輩が飛んで来て、それから二人で子どもを説得した。

絶対にパパは来ないこと。

おじいちゃん、おばあちゃんとお話する必要があること。

これからママと(子ども)ちゃんが二人で暮らすために話し合わなければならないこと。

一つ一つ丁寧に説明したつもりだ。

それを聞いているうちに段々と子どもも落ち着いてきて、そのままスーッと寝てしまった。

泣き疲れたのもあると思う。

普段そんな泣き方をしない子なので、余程不安だったのだろうなと感じた。


義両親は子どもに会いたがっていたが・・・

待ち合わせ場所に向かう直前、私は子どもをギューッと抱きしめた。

「早く帰ってくるから待っててね」

と言いながら。

そうしたら、

「うん、分かった。お土産買ってきてね」

と言ってくれたのでホッとした。

一晩たち、大分落ち着いているようだった。

前の日の様子を見たらとても不安になったが。

きっと気持ちを切り替えることができたんだろう。

先輩も、

「一緒に遊んでたらあっという間だよ」

とフォローしてくれた。

そんなわけで当日は私一人で向かったのだが・・・。

義両親は子どもにとても会いたがっていた。

その気持ちも痛いほど分かった。

産まれる前はそれほどでもなかったけど、産まれた後は文字通り『孫フィーバー』が起きた。

そんなに興味が無いんだな、と思っていたのに一気に子どもに夢中に。

何をするにも『(子ども)ちゃんは?』と聞いてくるので、正直面倒くさいなと思うこともあった。

でも、それも全て愛情から来るものだ。

どうでも良い相手だったらそんな執着なんてしない。

きっと子どものことを大事に大事に思ってくれていたのだろうと思う。

その気持ちは本当に嬉しかった。

嬉しかったけど、それでもやはり連れて行くことはできなかった。

夫が絶対に来ないという保証も無かったから。

こうやって接触を避けているうちに夫も諦めがつくかもしれない。

いつか私たちの事なんて綺麗さっぱり忘れて幸せに暮らして欲しいと願った。

2025年4月19日土曜日

『同居していれば・・・』と悔やむ義両親

諦めきれない様子の義両親

『夫のことをどうしても許すことができない』と伝えた。

義両親と顔を合わせて話をするだけでも私にとっては気が重かった。

それなのに更に『夫との未来はもう考えられない』と告げなければならないなんて。

とても酷なことなのではないかと二人を案じた。

義両親だって一縷の望みをかけて会いに来てくれたんだと思う。

その思いに応えられないことは辛かったが、同時にやっと伝えることができたと安堵した。

思えば結婚してからずっと従順な妻でいる努力をしてきた。

夫の言うことを聞くのが当たり前だったし、義両親にも歯向かったことはない。

『ちょっと違うんじゃないの』と感じることがあっても、ぐっと言葉を飲み込んできた。

そんな私が義両親の前で夫を拒絶する言葉を発っするなんて。

自分でも信じられなかった。

これはある意味、決別のような意味を持っていた。

夫と別々の道を選ぶということは義両親とも縁が切れるということ。

その言葉の重さを十分に理解した上で伝えたつもりだ。

多分義両親もそんな決意を感じ取ったのだと思う。

だから、聞いた瞬間にその顔には絶望の色が浮かんた。

更に口数が少なくなり、お義母さんは涙ぐんだ。

終始重苦しい雰囲気の中で行われた話し合いだった。

こんな内容だからどちらも納得するような結末がある訳じゃない。

だけど、これを乗り越えなければ幸せな未来はやって来ないのではないかと思った。

時折外を見つめるお義父さんの目にもこれまでのような力はなく・・・。

呆然とした様子で道行く人を眺めていた。

こうやって三人で話していると、最初に顔合わせをした時のことが思い出された。

当時の私はとても緊張していて、『嫌われたらどうしよう』と不安だった。

でも二人は快く迎えてくれて、結婚を喜んでくれた。

それから10年位しか経っていないのに。

まさかこんな結末を迎えることになろうとは。


同居していればと悔やむお義父さん

私の決意を知り、もう止められないと思ったのだろう。

お義父さんは、

「早く同居していれば、こんな事にもならなかったのかもなあ」

と後悔を口にした。

仮に同居していても夫の虐待が止むことは無かったと思う。

私へのモラハラも止まらなかっただろうし、逃げ出すチャンスも失ったはずだ。

周りを固められた後では、きっとどうにもならなかった。

色んな理由をつけて同居を断っていたけれど。

夫の元から逃げ出すチャンスが無くなることを最も恐れていたのだ、とその時自分の気持ちをはっきりと自覚した。

お義父さんからしてみれば、ずっと孫と一緒の生活で悪いことなど一つも無い。

お義母さんは何だかんだ言っても夫を溺愛していたから、傍に居れば安心だと思っていた節がある。

義両親の抱いていた理想や夢は、私たちの犠牲の元で成り立つものだった。

この件で被害を受けるのが私だけならまだ良かった。

子どもだってお友達と離れて見知らぬ街に引っ越すことになる。

夫はもう私たちに逃げられることはないと安心し、それまで以上に横暴な振る舞いをするようになるだろう。

虐待から守ってくれる人も居ない。

それってもう、心を殺さなければやり過ごすことなどできない状況だ。

それでも『うち(義実家)に来て欲しい』と言った。

結局、私たちは一緒に居てはいけなかったんだと思う。

見ている未来が違っていたのだから。

最初から夫のことが嫌いだったら私もここまで苦しむことは無かった。

だけど、ほんの少しの良い思い出が決心を邪魔した。

これ以上はもう一緒に居てはダメなんだって分かってたのに。

気落ちした様子の義両親はすっかり無口になってしまい、最後の方は無言の時間が長くなった。

私と結婚しなければ二人もここまで苦しまずに済んだのかもしれない。

そう思ったら申し訳なくなり、

「本当にすいません」

と頭を下げた。

2025年4月18日金曜日

義両親の苦悩

6月某日、指定された待ち合わせ場所へ

義両親から指定されたのは家から数駅先の喫茶店だった。

以前私も利用したことがある。

雰囲気の良いお店なので気に入っていたが、夫と一緒に暮らしている時には来ることができなかった。

それがまさか、こんなタイミングで利用することになろうとは。

ちょうど季節は春から夏へと移り変わる頃で。

少し蒸し暑い日だった。

少し早めに到着して店内を見渡してみるとすぐに二人を見つけることができた。

念のため、遠くから本当に夫が来ていないことを確認。

事前の約束通り、夫の姿はなかった。

二人は並んで座り、落ち着かない様子で言葉を交わしていた。

いつもよりも元気がないことは見て取れた。

私が来たのを確認すると、少し笑顔になって手を振ってくれたお義母さん。

本当は顔も見たくないだろうに。

こういう所が嫌いになり切れない理由だ。

最後の最後で『良い人』の部分が出るから、私もそれに応えたくなってしまう。

だけど、夫とのことは離婚するという意思が変わることは無いから。

難しい話し合いになるだろうなと思った。

「おはようございます。今日はすいません」

と挨拶しながら席に着くと、

「来てくれてありがとう」

と言われた。

義両親からしてみれば、話し合う機会もなくて歯がゆかったかもしれない。

飲み物を店員さんにオーダーした後は、少しの間無言だった。

私は迷っていた。

何から話したら良いのかが分からなくて。

お義父さんかお義母さんのどちらかが先に話し始めてくれるのを待っていたのだが・・・。

二人ともなかなか話し始めない。

それで更に重苦しい雰囲気になり、緊張感が増してしまった。

朝の人気の少ない店内での出来事だから。

唾を飲み込む音が聞こえるのではないかという位の静けさだった。

私はこういう無言の場面が苦手だ。

どうでも良いことを話したくなってしまう。

でも、こういうケースでは出だしで失敗すると上手くいかないからじっと耐えた。

そんな中、最初に話し始めたのはお義父さんだった。


モラハラ夫が弱っているみたい

お義父さんは

「(夫)も今回ばかりは反省してるみたいだよ。しょぼくれちゃって元気も無くてさ・・・」

と言った。

自業自得の部分が大きいと思うのだが、まさかそんなことは言えないので、

「そうですか・・・」

と相槌を打った。

二人は何だかんだ言っても、やっぱり夫の親なのだ。

そんな姿を見ると気持ちも沈むみたいだった。

可愛いわが子が苦しんでいるのを見たら私も同じようになるだろう。

その気持ちは痛いほど分かるので、義両親のことを気の毒に思った。

聞けば、夫は食事もろくに摂らなくなっているようだった。

そんな夫を心配した友人たちが入れ代わり立ち代わり様子を見に来ていた。

私に電話をかけてきた友人も、その中の一人というわけだ。

お義父さんはその日、夫の気持ちを代弁するためにやってきたのだと言った。

「どうしたら許してくれますか」

夫が、そう聞いてきて欲しいとお願いしたそうだ。

私は多分、どんなに謝罪されても許すことはできない。

家を出た瞬間から少しずつ自分の気持ちを取り戻していった。

これまで目を背けてきたことからも逃げずに真正面から向き合った。

弱いままの私では夫に立ち向かうことなどできないから。

子どものためにも強くなろうと決めた。

だから、この時も自分の気持ちをハッキリと伝えることができた。

「どうしても許すことができないんです。すいません。我儘を言って・・・」

と謝りながら理解を求めた。

こういう答えが返ってくることも想像していたはずだ。

でも、ハッキリと言われたことが堪えたらしく、酷く落ち込んだ様子だった。

特にお義母さんは涙ぐんでいて、

「そうよね・・・。分かるわよ、辛かったもんね」

と言いながらハンカチで目を押さえた。

これまでなあなあに過ごしてきたことが傷をより深くしてしまったのだと思う。

周りの人たちまで巻き込んで。

私たちは一体何をやってるんだろう。

この時の罪悪感は言葉では言い表すことができない。

いつも快活なお義母さんが小さく見えて、胸がギュッとなった。

2025年4月17日木曜日

別居中、義両親からの呼び出し

「直接会いたい」と言ってきたお義父さん

お義父さんは家を出てから何度も電話してきた。

ずっと無視し続けていたので、こちらの気持ちは分かっていたはずだ。

それにも関わらず、毎日定期的に電話してきては留守電を残した。

そのうち留守電もいっぱいになるだろう。

一体いつまでかけ続けるつもりなのか。

私は着信に気づくたびにイライラした。

最初はただただ嫌な気持ちになって、『掛けてこないで』と思っていた。

でも、落ち着いてきたら段々と家の状況が気になり始めた。

我が家が今どうなっているのかをコッソリ確認したい。

そう思うようになった。

だけど、見に行けば夫に見つかり連れ戻されてしまうから絶対にできない。

そこでふと、お義父さんなら状況も全て把握しているはずだから電話に出れば何か分かるかもしれない、と考えてしまった。

家を出て5日後、とうとうお義父さんからの電話に出た。

きっと『勝手なことをして』と怒っているだろうなと思っていたのだが、意外にも冷静だった。

最初の一言は私への謝罪で、

「本当に申し訳ない。(夫)のことは、ずっとどうにかしなきゃと思ってた」

と言ってくれた。

もう、これを聞いただけで電話に出て良かったと少し感激してしまった。

だって、これまでに誰もそんなことを言う人は居なかったから。

私たちが我慢するのが当たり前で、夫に対して配慮しなければならないような雰囲気だった。

「(私)さんの気持ちは分かる。でも、少しだけ話を聞いてもらいたい」

と言うお義父さんの声はとても静かで、かなり疲れた様子だった。

私はてっきり電話で話すものだと思い込んで

「分かりました。話すだけなら・・・」

と答えたのだが、

「ありがとう。じゃあ、どこで待ち合わせする?」

と聞かれて慌てた。

「・・・えっ、あの待ち合わせって・・・、直接お話するということですか?」

また私の予期せぬ方向にいこうとしていることに焦って聞いたら、

「こういう事はやっぱり顔を合わせて話した方が良いと思うんだよ」

と言った。

『電話でなら』とは思っていたが、流石にそれは想定外で。

すぐには返事をすることができなかった。

もしかしたら、案外早く直接対決することになるのかな。

まだ心の準備が出来ていないし、条件などもまとめられていないんだけど・・・。

何より夫への恐怖心が全く薄らいでいない状況で、話し合える気がしなかった。


夫は同行しないという条件で、会うことを承諾

いつもなら結論を急ぎたがるお義父さんが、じっと私の返事を待っていた。

私の方は待たれていると思うと余計に焦ってしまい、

「まだ直接会うのは難しいです」

と返事をするだけで精一杯だった。

そうしたら、お義父さんが

「私とお義母さんだけでも駄目かな」

と提案してきた。

「(夫)さんは来ないんですか?」

と聞いたら、

「今回は二人だけで行くよ」

と言った。

もし本当にお義父さんたちだけなら会ってみても良いかもしれない。

この提案で、私の気持ちは少しだけ『会ってみようかな』という方に傾いた。

とは言っても、気が重いことに変わりはない。

会って何を話すというんだろう、という気持ちもあった。

この頃の私は、もう離婚一択で他の選択肢は考えられなかった。

だから、今更引き留められても困るという思いもあり警戒した。

「ただ話をしてみて、今どういう風に考えているのかなというのを知れれば良いから」

という言葉を信じても良いものか。

私は少しだけ考えてから、今回は行ってみることに決めた。

ただし、その場に夫が来てしまったら全てが水の泡になる。

それだけは絶対に避けなければならないと思い、

「(夫)さんは来ないんですよね」

と念を押した。

こうして、夫抜きで義両親と会うことになった。

当日まで『本当に来ないんでしょうね』と疑心暗鬼になっていた私だが。

約束通り、お義父さんとお義母さんの二人で来てくれた。

2025年4月16日水曜日

夫の友人からの電話攻勢により疲弊

見覚えのない名前の着信

先輩が出勤した後、リビングで調べ物をすることにした。

離婚の話を進めるには、まだまだ知識が少なすぎた。

それに、気持ち的にもじっとしていることができなくて。

非常に不安定な状況の中で気を紛らわせるように忙しなく考え事をした。

恐らく、このまま待っていても離婚に応じてもらえる可能性は低いだろう。

いつ連れ戻されるかも分からない。

そんな状態で落ち着いてなど居られるはずがなかった。

とりあえず先輩から借りたPCに電源を入れて、調べたい項目を携帯にメモ。

私たちのようなモラハラの事例も調べようと思っていた。

思いついたことを携帯に打ち込み、その内容を見返していたのだが・・・。

突然着信を知らせる画面に変わった。

ちょうど携帯をいじっている時だったので驚いて携帯を落としそうになった。

まじまじと画面を見てみたが、表示されている名前に見覚えはない。

『誰だったかな』と考えてみても一向に思い出せなかった。

ただ、その語感には何となく覚えがあった。

名前そのものではなく近い語感というか・・・。

それで表示されている名前を繰り返し呟いてみて気づいた。

夫の友人だった。

彼らはニックネームで呼び合っているのでフルネームを知らない人も居る。

別に知らなくても困らないので、私も聞くことは無かった。

なるほど、そのニックネームになるのも納得だ。

繰り返し呼んでいると自然に浮かんでくる。

なぜ携帯に連絡先が入っていたのかと言うと、以前集まった時に強制的に交換させられたからだ。

夫はいつも、

「俺の友達とは仲良くしろ」

と言う。

その人は特に夫と仲が良くて頻繁に連絡を取り合っている相手だった。

多分今回のことも真っ先に知らせたのだろう。

それでお節介を焼いて仲裁しようとしているのではないか、と予想した。

もしそうだとしたら、余計にややこしいことになると思った。

相手は全力で夫の気持ちに寄り添うはずだ。

『私たちを家に戻す』ことに一致団結して取り組むだろう。

絶対に家に帰りたくない私たち VS 家に戻したい夫&友人たち。

ここに義両親まで参戦してきたら大変なことになる。

別に友人なんて無視していれば良いんじゃないの?と思われるかもしれないが。

あの人たちの何が厄介かって、それは仲間内のつながりが非常に強いことだ。

知り合いに優秀な弁護士が居るとかいう話も聞いたことがある。

もし皆が協力体制を敷いたら、そういう人も出てくるのではないかと怖くなった。


夫のことを『可哀そう』と言うけれど・・・

何度もかかってきて、そのたびに思考は中断された。

これはもう電話に出た方が良いのではないかと思い、仕方なく出てみることに。

相手は私が『もしもし』と応答するより先に、

「急に電話してごめん。何度もかけちゃって迷惑だったかな」

と言った。

そりゃーもう迷惑だったよ、とも言えず、

「いえ、大丈夫です。それより何か用があるんですよね?」

と聞いた。

こういう話だから彼も言いにくかったに違いない。

普段とは違って歯切れの悪い感じで、

「いやー、何て言ったら良いのかな。(モラハラ夫)から話を聞いてさ」

と話し始めた。

それが要点を得ないので、最初の数分はひたすら関係のない話をしていた。

その内容には夫の話なんかも織り交ぜられていて、

私も『そーなんですか』と聞いていた。

今考えれば非常に不毛なやり取りだと思うが、その会話によって突破口を探していたのかもしれない。

だけど、一向に乗ってこない私に『これは厳しそう』と思ったのか、いきなり

「家に帰るつもりはないの?」

と聞いてきた。

この言葉を聞いた瞬間、『やっぱりそう来たか』と思った。

私たちを帰らせるために連絡してきたに違いない彼は、

「もし帰り辛かったら一緒に行ってあげるよ」

と何故か上から目線で言ってきた。

なぜにあなたが我が家に一緒に帰るのだろうか。

私は唖然としながらも、

「もう帰るつもりはありません」

とキッパリ答えた。

曖昧な表現をしたところで伝わる人たちではない。

この場合、相手を傷つけないようになどという気遣いは不要なのだ。

類友とはまさにこのことか。

もう話していても仕方がないので呆れながら電話を終えようとしたら、今度は

「今どこに居るの?」

と質問された。

言える訳がないのに、なんでそんな質問をするのかな。

きっと何か答えてもまた違う質問をしてくるんだろうなと思って黙っていたら、

「大丈夫だよ。アイツ怒ってないから」

言った。

ここからは、もう私は何も言葉を発することはしなかった。

その代わりに、夫の友人が延々と一人で話し続けていた。

その中で、

「寂しがってるよ。可哀そうでしょ?」

という言葉が何度も出てきた。

「(子ども)ちゃんにも会いたがってるよ」

としんみり言うので、

「会いたくはないと思いますよ。虐待してた位ですから」

とそれを否定した。

「えっ?虐待?!」

この事は友人にとって寝耳に水だったようで、驚きの声をあげて一瞬静かになった。

だから私は、そのまま引き下がってくれることを願いつつ、

「これまで本当に酷い仕打ちを受けてきたんです。もうあんな地獄のような生活に戻りたくないんです」

と伝えた。

この言葉が友人の胸に響いたのかどうかは分からない。

ただ、聞いた途端に直前までの勢いが嘘のように静かになり、

「また掛けるね」

と言って電話は切れた。

2025年4月15日火曜日

弁護士への依頼は断念

『交渉をプロに任せる』という選択

離婚するためには夫と話し合いをしなければならない。

でも、直接会って話すことに恐怖を感じていた。

夫は家を出て戻らなくなった妻を寛大な心で許せるような人ではない。

自分がヤキモキしたりイライラしたら絶対にその気持ちをぶつけてくるはずだ。

そうなったら落ち着いて対応できるか自信が無かった。

そこで一つの案として浮上したのが弁護士への依頼だった。

これは先輩にも『依頼した方が良い』と言われた。

確かに全て任せてしまえば直接対決せずに済む。

そうなれば気持ち的には大分楽だった。

ただね・・・。

やはり費用の問題は無視できない。

お金の心配をしつつ、払えるか払えないか分からない状態で弁護士に相談するなんて。

それこそ、今後の自分の首を絞めることになるのではないか。

しばらくは通帳とにらめっこしながらどうすべきかを考えていた。

その間、子どもは学校にも行けず先輩の家でテレビを見たり本を読んだり。

平日の日中にふらりと本屋さんに行ったんだけど。

こういう時間に子どもがウロウロしているとやはり目立つのよね。

じろじろ見られたり、店員さんに話しかけられたりした。

悪いことをしている訳では無いんだけど、何となく人目が気になって・・・。

必要なものを購入した後は早々に退散した。

こんな所に気の小ささが出てしまうんだろうな。

堂々としていれば良いのに、周りからどう見られているのかを気にしてしまう。

色々と気になることはあったけれど、本などの時間を潰せるものは手に入れることができた。

それにしても子どもってすぐに順応できるんだな、と感心した。

普通なら落ち着かない状況なのに。

子どもは案外落ち着いていて、うっすらと楽しんでいる気配さえ見せた。

その姿を見て、『凄いな~』と思いつつ自分もしっかりしなければと気を引締めた。


直接話し合うことを決意

結論から言うと、弁護士への依頼は断念した。

やはり費用の問題があった。

それに、このまま別の場所を借りて別居してしまえば数年後にはどのみち離婚できると踏んでいた。

別居期間が長引けば長引くほど離婚しやすくなることを知った時には心の底から安堵した。

それならば、わざわざ高額な費用を掛けなくても良いんじゃないかと思った。

ただし、話し合うためにはそれなりの準備が必要になる。

条件などもまとめなければ。

仕事を休んでいるとは言ってもやるべきことは沢山あった。

あっという間に時間は過ぎて行った。

あの状況の中で通帳や印鑑関連を全て持ち出せたのは幸いだった。

それがあるのとないのとでは大きな違いがある。

『いつか家を出た時のために』と貯めたへそくりも持ち出せた。

大丈夫。

しばらくは何とかなる。

毎日お金の計算ばかりして疲れてはいたけれど、そのたびに『大丈夫』だと思えた。

絶対に上手くいくという確信を深め始めた頃、夫の方では新たな動きがあった。

何日経っても帰ってこないことに痺れを切らして、あちらこちらに相談し始めたのである。

それまでは貝のように口を閉ざして何事も無かったかのように振舞っていたのに。

たった数日で取り乱したように色々なことを始めた。

まず最初に始めたのが近しい人への相談だった。

と言ってもうちの姉や両親には何も言ってこなかった。

多分、突っ込まれたら大変だと思ったのだろう。

そういう所に抜かりが無いのが夫らしいと言えば夫らしい。

言ってもボロが出ない相手ということで、選ばれたのは友人達だった。

ほとんどの人とは私も面識があり、何度も会ったことのある人も居る。

相談したら友人達は大慌て。

『早く話し合った方が良い!』と口々に言った。

その声に背中を押されるようにコンタクトを取ってきたのだが。

私の方はまだ話し合うための準備が出来ていなかったので電話にも出なかった。

そうしたら夫を不憫に思った友人達が、

「電話にも出ないなんて!ひど過ぎる!」

と騒ぎ始めた。

家を出て2~3日程度は比較的平穏だったが、わかに騒がしくなってきた。

2025年4月14日月曜日

夫から『帰ってきて』という留守電が・・・

家を出た翌日に夫から涙声の留守電

当日はとにかく目まぐるしく状況が変わった。

突然家を出ることになったが行く当てもなく。

途方に暮れていたら先輩に偶然会った。

ご厚意に甘えてそのまま先輩の家に行くことになり、夜通し色んな話をした。

少しだけ心に余裕ができたのは翌日になってからだった。

それで携帯をチェックしたら夫から留守電が入っていた。

何件かの留守電が入っていて、お義父さんからの『いつ帰ってくるのか』というメッセージもあったのだが。

その中に紛れて夫からのメッセージが入っていた。

「俺が悪かった。本当に悪かったと思ってる。帰ってきて・・・」

そう言う夫の声は涙声だった。

その声を聞いて、『もしかしたら本当に反省しているのかも』と思ってしまった。

そんなはずがない、ということは自分が一番分かっているのに。

弱っている姿を想像したら、強烈に心が揺さぶられた。

夫に対して決して許されないような酷いことをしているのではないだろうか、とか。

こんなに苦しめて、自分たちだけ幸せになりたいだなんて。

それこそがエゴではないのか、とか。

あれほど強い気持ちで『家に帰らない』と決めたのに、こんなことで簡単に揺らいでしまった。

留守電を聞く時、子どもに背を向けた状態だった。

ふと振り返ったら子どもがこちらを見ていて、その顔を見た途端に『これで良かったのだ』と思い直すことができた。

あの仕打ちが私に対してだけならまだ我慢できたかもしれない。

でも、子どもを虐待することだけはどうしても許せなかった。

これまでしてきたことを未来永劫許せる気がしなかった。

だから、一緒に居ても夫への愛情が蘇ることはないだろうと思った。


反応しない私に対して夫はイライラ

それまでの私なら、ああいう留守電を聞いてしまったら反応せずには居られなかった。

だけど、あの時の私は『反応しない』という選択をする事ができた。

同じようなモラハラ被害を受けたことのある人なら共感してもらえるかもしれないが。

相手から何らかのメッセージを受け取った後、無反応で居ることはとても難しい。

その後のことを反射的に考えて傷の少ない方を選んでしまう。

怒らせないように。

ただそれだけを考えて、相手の要望をくみ取って行動する。

『返事が欲しいんだな』と思ったら、返事をせずには居られなかった。

この時にそうしなかったのは、私たち家族の関係がいかに歪であるからを思い知らされたからだ。

前日に先輩から、

「もう我慢する必要なんて無いんだよ。離れなきゃ(私)も(子ども)ちゃんもダメになるよ」

と言われた。

その眼差しはとても真剣で、私たちのことを思って言ってくれているのだと分かった。

確かに今離れなければ、もう逃げ出すチャンスはやって来ないかもしれない。

子どものため、自分のため。

勇気を振り絞って離れる決心をした。

私はお守りのようにしまっておいた離婚届を目の前に広げ、まじまじと見つめた。

これを出す時も近いのかもしれない。

その時がやってきたら迷いなく出せるように、心の準備をしておきたいと思った。

それにしても、あれほどまでに痛めつけられたのに離れることを躊躇するなんて。

あの頃の私は本当におかしかったのだと思う。

夫からはその後も何度か連絡が来た。

そのたびに泣いていて、言葉にならないような声を発していた。

帰るつもりは無かったけど、『帰ってきて』という言葉には心が痛かった。

だけど、その声は段々とイライラしたものに変わっていき・・・。

やがて脅すような口調へと変わっていった。

2025年4月13日日曜日

私たちが家を出た夜に夫が向かった場所

義父からの連絡を無視し続けた私たち

あの日、私たちが家を出た後に真っ先に連絡をしてきたのはお義父さんだった。

お義父さんはいつも言う。

『帰ってきてくれないと、こっちも困っちゃうよ』と。

そう言いながら、私たちの苦しみからは目を反らし続けた。

どうにもできなかったのかもしれない。

でも、実の息子のことなのだから諭すなり強く叱るなりして止めて欲しかった。

孫への虐待も見て見ぬふりをしないで欲しかった。

肝心なことになると『夫婦の問題だから二人で話し合って』と言っていた。

それができないから途方に暮れた。

私は夫が怖い。

怖くて怖くてたまらない。

普通に話し合うことができない。

それを、向き合えないことが原因だと言われているようで絶望した。

私たちが家を出たことも想定外では無かったようだ。

過去に何度か飛び出しているから免疫がついていたかな。

ただ、すぐに戻ると思っていたのに連絡がつかなくなって・・・。

段々と予想していた方向とは違ってしまったのだろう。

二人にとって『帰ってこない』という事実が受け入れがたかったようだった。

お義父さんは何度も何度も電話をしてきて、着信するたびに私は憂鬱になった。

電源を切ったり、バッグにしまいこんで見ないようにしたり。

色んなことをしたけれど、そうやって避けている時点で気にしているということだ。

これから先のことを考えるだけで不安なのに。

その上お義父さんからの電話にも怯えなければならないなんて。

その時は本当に携帯を捨ててしまいたくなった。

だけど、そこには姉や実家の連絡先も入っている。

実家の家電は番号を覚えているけれど、その他は覚えていなかった。

それに、携帯が無ければいざという時に連絡を取ることもできない。

その頃、夫はお義父さんに当たり散らしながら色々と考えていたようだ。

家で待っていても埒が明かないかもしれない。

そう考えて、ある場所へと向かっていた。


姉の家へと向かった夫

家を出たことは姉に伝えていなかった。

伝えてしまったら『知らないフリ』をすることはできないだろうし、夫の怒りの矛先が向いたら大変だから。

実家にも同じ理由で伝えていなかった。

そんな状況で夫がいきなり訪ねてきたのだから驚いたと思う。

普段から交流があれば、まだそこまでの驚きは無かったはずだ。

でも、5年以上も会っていない義弟がいきなり現れた。

「(私)ちゃん達は来てませんか?」

と急に言われ、姉は『何かあったんだ!』と慌ててしまったらしい。

「来てないけど。何かあったの?」

と聞いたら、

「自分が悪いんです・・・。ちょっと言い合いになってしまって」

と答えたそうだ。

自分が悪いなんてこれっぽっちも思っていないくせに。

そういう所がズルい人。

姉もこの時はまだ夫に対してそれほど不信感を持っていなかったから。

喧嘩した勢いで飛び出しちゃったのかな?くらいに考えた。

そんな理由なら大騒ぎするほどのことでもないだろうと両親には伝えなかった。

結果的に両親への相談を控えてくれて助かった。

この後、私たちはしばらく先輩の家でお世話になった。

それでも、夫が姉の家に行くことは二度となかった。

何日も何日も何の音沙汰もなく帰らなかったら、そろそろ姉も不審に思ったはずだ。

大事にしたくなかった夫は警戒した。

うちの両親に電話しなかったのも気づかれたくなかったのだろう。

姉と夫はお互いに連絡をすることも無ければ会いに行くこともない。

普段全く交流が無い。

だから、夫さえ騒ぎ立てなければこの件は誰にも知られずに済む。

自分の本性を知られることを恐れたのか、夫は当初この件をひた隠しにした。

2025年4月12日土曜日

会社からの呼び出しで子連れ出勤

事情を説明するために会社へ

9時ちょうどくらいに会社に電話した。

コール音がするかしないかのうちにつながり、出てくれたのは引継ぎをした同僚だった。

良かった。

これなら話が早い。

「急で申し訳ないのですが。今日お休みをいただきたいんです」

と告げると、相手もピンときた様子で、

「ああ・・・例の件ですね」

と言った。

その時は軽いやり取りだけで終了。

ただ、その後上司から電話が掛かってきた。

業務で何かあったかな?と不安になったが、そうでは無かった。

可能なら一度話をしに来て欲しいとのことだった。

それで、子どもを連れて会社に行くことに。

実はこの時、とても不安だった。

私のような社員を置いておくのはリスクがあると判断されても不思議では無い。

事情を聴きとって、その内容によっては退職勧告されるのでは?と思った。

その日の会社への道のりは、何だかいつもよりも遠く感じた。

子どもはお出かけ気分で、ビルの前に到着した時も何だか嬉しそうだった。

ロビーに着くと別の階の会社の方が居て、チラッと子どもを見ていた。

職場見学とか思われてるのかもしれないな。

でも、そうじゃないんですよ。

もっとひっ迫した理由で来てるんですよ。

なんて思いながらエレベーターに乗り込んだ。


会議室に通されて、現状説明

社内に入ると、すぐに上司が近寄ってきて会議室に通された。

子どももペコリと頭を下げて中へ。

一緒に会議室に入ろうとしたら、同僚が

「こっちで一緒に遊んで待ってようか」

と声を掛けてくれた。

もう小学生だから、だいたいのことは分っている。

でも、目の前でしたくない話もあったので有難かった。

上司と向かい合う形でやや緊張しながら座った私。

ブラインドの外ではいつものように忙しなく社員たちが動き回っていた。

そこには日常があった。

その光景を見ていたら、日常から私だけが零れ落ちてしまったように感じて寂しくなった。

顔色が悪く見えたのか、上司はまず

「体調は大丈夫なの?」

と心配してくれた。

「体調は大丈夫です。でも今家に帰れる状況ではなくて・・・」

それから前日のことをポツリ、ポツリと話し始めた。

言葉にしてみても、どこか現実味が無かった。

話し合って決まったことは、

・しばらく休むこと

・その週は特別休暇扱いで、次の週からは有給扱いとすること

・業務連絡を入れるかもしれないから、時々携帯をチェックするように

ということだった。

「有給余ってるでしょ」

と言われると、確かに毎年15日以上は捨てていた。

特別休暇や有休ならお給料が減らないから助かるなあと思った。

待っていてくれる場所があるという事にも安心した。


あの日、誰も私たちの事情を詮索する人は居なかった。

薄々何か感じ取っていたはずなのに。

いつも通りに接してくれた。

「お早い復帰をお待ちしております~」

なんて言われて、思わず笑ってしまった。

会社を出た後に携帯を確認したら、先輩からLINEが入っていた。

内容は夕飯のメニューのリクエスト(笑)

『作って冷蔵庫の中に入れておきますね。温めて食べてくださいね』

と送ったら、

「一緒に食べましょう。しばらく家に居てくれた方が私も安心できるから」

と返ってきた。

『今晩どこに泊まろうか』と悩んでいたから、嬉しくて泣きそうになった。

2025年4月11日金曜日

急遽、学校を休むことに

家出中は学校にも行けず・・・

家を出た翌日は月曜日だった。

本来なら私は会社に行き、子どもは学校に行く。

でもその時は学校用品を持ってきて居なかったので行けなかった。

第一、ランドセルや教科書、文房具なども無い。

距離的なことで言えば、その場所から学校に通うのも難しかった。

子どもは朝目を覚まして、

「月曜日だから学校に行かなくちゃ」

と起きてきた。

でも、

「今日は行けないんだよ」

と説明して納得してもらった。

私が『今日』と言ったから、

「明日はどうしようね~」

なんて言っていたが、『きっと明日も明後日も行けないな』と思った。

これが仮にもし物凄く近い場所であっても、多分行けない。

子どもと私が家を出て連絡がつかなくなったら、夫は何とかしてコンタクトを取ろうとするだろう。

その時、子どもの学校というのは一番手っ取り早くて確実な方法だ。

私の会社という選択肢もあるが、夫は決して電話など掛けてこない。

それまでにも緊急の用事が発生したことがあったが、繋がらなくても携帯に掛け続けていた。

私の会社が苦手なのか。

それともただ単に会社という所に掛けるのが億劫なのか。

理由は分からないが、こういう状況でも私の会社に連絡する可能性は低いのではと思った。

ましてや体面を気にする夫が会社までわざわざ出向いてくるとも思えなかった。

そうなると、やはり子どもの学校というのがもっとも可能性が高くなる。

ただ、学校の先生に電話するのはやはり躊躇するかもしれない。

現実的な線を考えると、恐らく下校時間を見計らって外で待ち伏せすると思った。

だから、その時点で学校に行くのは非常に危険なことだった。

落ち着くまでは、しばらくお休みをしなければならない。

可哀そうだけれど、それが最善の策だった。


担任の先生に電話

学校に電話をして、担任の先生に取り次いでもらえるようにお願いした。

だが、あいにく席を外されていたようで、

「戻りましたら折り返しお電話するように伝えます」

と言われた。

しばらくして担任の先生から掛かってきたので、

「家の都合でしばらくお休みします」

とだけ伝えた。

本当は理由も伝えられたら良いのだが、そういう訳にもいかなかった。

『家出をして今別の場所にいるんです』なんて言えるはずがない。

それに、家の事情を話したら子どもを見る目も変わってしまうのではないかと恐れた。

それまでは『のんびりしていて天真爛漫な子』と言われてきた。

それが話した途端に『家庭環境が複雑で注意が必要な子』になってしまうかもしれない。

学校は子どもが唯一羽を伸ばせる場所だから。

できるだけ変わらない環境を残してあげたかった。

でも、先生ってやっぱりプロなのね。

少しだけ子どもと代わって話した時の様子から何かを感じ取ったのか、

「もし何かあったら遠慮なく言ってください。

 サポートできることもあるかもしれません」

とおっしゃった。

こんなお気遣いを頂いたことに恐縮してしまって、

「本当にご迷惑をおかけしてすみません。ありがとうございます」

としか言えなかった。

私はとりあえず

「今週お休みします」

と告げたのだが、先生からは

「2~3日後に私の方からもう一度お電話します」

と言われた。

それまでに少しは状況が片付いていれば良いなと思った。

さあ、これで子どもの学校のことは一応済んだ。

あとは私の会社への連絡だ。

ふと時計を見たら間もなく9時だった。

業務の始まる時間だ。

事前にある程度の情報は伝えてあったけど、やはり急に休むことになり迷惑をかけてしまった。

せめて業務に支障が出ないように早く伝えなければ。

そう思って慌てて電話した。

2025年4月10日木曜日

先輩と語り明かした夜

子どもが寝た後に詳しい事情を説明

先輩に案内されて着いたのは立派なマンションだった。

毎月のやり繰りに頭を悩ませている私からしたら夢のような暮らしだ。

「すごいお家ですね」

と驚く私の横では子どもが緊張していた(笑)

ロビーに入ってもずっともじもじしていたのだが、

「(子ども)ちゃん、行こう」

と先輩が手を引いてくれた。

部屋に入り、まずはリビングに案内された。

よくドラマで見るような素敵なお部屋。

物が散乱しているなんていう事も無く、綺麗に整頓されていた。

こんな綺麗な部屋のどこに荷物を置かせてもらおうかな、と迷っていた時に、

「とりあえず、こっちの部屋自由に使って」

と案内されたのが、これまた素敵な洋室だった。

普段は使っていないらしく、時々物が増えてきた時の保管場所にしていると言っていた。

荷物を置き、上着をかけさせてもらった後はお風呂をいただいた。

家を出る時、もみくちゃになりながらも用意しておいたバッグだけは何とか持ち出せた。

だから、着替えとか下着などは入っていた。

もし用意できていなかったら新たに買うことになって更に軍資金が心許ない状態になっていたことだろう。

やはり、水面下で動いておいて正解だった。

お風呂上がりに歯磨きセットが無いことに気づいたのだが。

これは全く問題無かった。

コンビニがすぐ傍にあったので買いに出た。

そこで飲み物やちょっとしたおつまみも購入して帰宅。

お世話になるのにそんな物じゃ返せないと思いつつも会計を済ませていたら、

「私が払うのに~。気を使わせちゃってごめん」

と謝られてしまった。

「こちらこそ、急に押しかけてしまって本当にすいません。

 本来なら宿泊費をお支払いしたいくらいです」

と言ったら、

「何言ってんのよ。馬鹿ねぇ」

と笑われた。

夫のそれとは違い、先輩の『馬鹿』はとても優しかった。

『私、結構傷ついてたんだな』とその時思った。

家に着いて子どもは歯磨きを済ませたらすぐに寝てしまった。

寝かしつけた後にリビングに戻って先輩に詳しい事情を説明することになった。


お酒を飲みながら今までのことを話した

先輩はビール、私は缶チューハイを飲みながらこれまでのことを話した。

ハッキリ言って私はお酒が弱い。

アルコール度数3%の缶チューハイ一本で酔ってしまう。

それ以上の度数になると眠気に襲われたり目がグルグル回ってしまうので、その日は缶チューハイ1本だけにした。

それでも十分に酔っぱらった私は、いつもよりも饒舌になった。

話した内容は詳細に覚えている。

子どもが虐待をされていること。

結婚してから私もずっとモラハラを受けていること。

家のルールや、夫の機嫌に振り回される生活。

全部話した。

話している最中にふと携帯に触れたのだが、その時私が怯えたような顔をしていたらしく、

「可哀そうに。よっぽど怖いんだね」

と言われた。

「大丈夫だよ。うちの事は知らないんだから」

という先輩の言葉が私を安心させた。

ここに居る間は安心していて良いんだ。

そう思うだけで急に気持ちが楽になったのを覚えている。

子どもの虐待の証拠は残っていないのかとも聞かれた。

だが、残念ながら持っていなかった。

以前携帯で撮ったものは消されてしまった。

破壊されたものを取っておこうとしたら、勘づかれてしまいゴミの日に廃棄された。

私がこっそり何か動こうとしても相手の方がいつも上手だった。

連絡できるような人もほとんど居ない中で、安全面への懸念から両親に頼ることもできない。

だから、誰にも知らせずに家を出ようと思ったのだと伝えた。

話し込んでしまい、気づいたら朝になっていた。

先輩はそのまま仕事に行ったので眠かっただろうな。

本当に申し訳ないことをしてしまった。

私は早朝から少しだけ寝て、子どもが起きてきた8時ごろ朝食をとった。

久々に『生きてる』と感じた朝だった。

2025年4月9日水曜日

夫の知らない滞在先を確保できた経緯

どこも宿泊費が高くてため息・・・

本当はもう少しお金を貯めてから家を出たかったな。

お財布の中身を見ながらため息をついていたら、子どもが

「ママ、今日どこにお泊りしようか」

と言った。

恐らく子どもも家に帰れないであろうことは分っていて不安になったのだろう。

「おじいちゃん家に行く?」

と聞いてくるので、

「それは無理なんだよ。このあたりのホテル探してみようか」

と答えた。

子どもはてっきりうちの実家に行くと思い込んでいたようで、

「え~何で行けないの?」

と不満そうだったが、

「もう少し落ち着いたら絶対に行こうね」

と約束して、私は再び宿泊する場所を探し始めた。

実家に行けば宿泊費は掛からないが、それは絶対に避けなければならなかった。

夫がすぐに探し当ててしまう所はリスクが高すぎる。

怒り狂った夫が何をするか分からないから、全く知らない場所が良いと思った。

万が一何かあっても私に対してならまだ納得できるけど。

子どもや両親にその矛先が向かうのだけは絶対に回避しなければと考えた。

夫の予想できない宿泊場所を確保する必要があるということは常に頭の片隅にあった。

だけど、実際問題そんな所なんて思いつかなくて、とりあえず今日泊まれるところだけでも確保しなければという感じになっていた。

それにしても一泊するのにこんなにかかるのか。

これだといつまで泊まれるか分からないな。

お金の不安も抱えつつ、なんだかんだと1時間以上も探し続けた。

でも、なかなか見つからなくて『この辺りを歩いてみようかな』と立ち上がった時、見覚えのある人にばったり会った。

相手は私を見るなり『あっ』と小さな声をあげ、笑顔で近づいてきた。

その人は以前勤めていた会社の先輩だった。

専門職でバリバリ働く人。

当時はその人に憧れて、少しでも近づきたいと頑張った。

結局は途中で転職して一般職にうつってしまったのだが・・・。

もし続けていたら『彼女のようになりたい』と目標にし続けたと思う。

懐かしいその顔は以前と変わらず活き活きとしていて美しかった。

私とはまるで月とスッポン。

きっと今どんよりとした顔してる。

自分に自信が無さ過ぎて、向かい合いながら話すのも恥ずかしくなり俯いた。

それなのに彼女は

「あの頃と変わらないねー!」

と言って、子どもに『こんにちは~』と挨拶してくれた。

聞けば、仕事の打合せのために休日出勤をしていたのだと言う。

その打合せも終わり、この後はフリーだとのこと。

「ご飯でも食べに行こうか」

と誘っていただき、私たちはそのまま夕食を一緒にとることになった。


先輩の家でしばらくお世話になることに

先輩は少し静かなレストランに案内してくれた。

食事をし始めてからは一緒に働いていた時のことなんかを話していたのだが、急に

「何か話したいことがあるんでしょう」

と言われてドキッとした。

やっぱり困っているように見えたのかもしれない。

だけど、こんなヘビーな話を先輩にするわけにはいかないと思って、

「何言ってるんですか~。何も無いですよ」

と答えた。

私としては上手くごまかしたつもりでも、先輩にはお見通しだった。

「バレバレなのよね。前からそうだけど隠し事できないタイプでしょ」

と優しく笑った。

気が張っていたせいなのかな。

それとも結構メンタルにきてたのかな。

先輩の優しさに触れた途端、涙がドバっと出てきた。

自分でも何でこんなに泣けてくるのか分からなかったが・・・。

ただひたすら涙が止まらなかった。

子どもの前でこんな風に泣くなんて。

早く止めなければと焦っていたら、先輩が子どもに

「ママはね、おばちゃんと久々に会えてうれしくて涙が出ちゃったんだって」

とフォローしてくれた。

それを聞いた子どもは嬉しそうな顔で

「ふーん、そうなんだ。ママ良かったね」

と言った。

こういう時にさり気ないフォローをしてくれるところも、ちっとも変っていなかった。

少し落ち着いた後、

「今日は、この後どうするの?」

と聞かれたので、正直に

「宿泊できるところを探してるんです」

と答えたら、

「じゃあ、とりあえず家に来なよ」

と言ってくれた。

あの日、偶然再会した先輩に私たちは助けられ、結果として離婚することができた。

この後のことは身バレ防止のためにどこまで書けるか分からないが・・・。

普段外に出ても近所の人にさえ会わないのに、10年ぶりに先輩に会ったということ自体がまず奇跡だった。

こんな事ってあるんだな、としみじみと思った。

2025年4月8日火曜日

あの日、突然家を出ることに(続き)

家を出て駅に向かった

夫の怒鳴り声を背に受けながら家を出た私と子ども。

義父が止めてくれているとは言え、いつ飛び掛かってくるか分からない状況だった。

だから非常に焦っていたのだけれど。

こういう時に限って靴を履くのもスムーズにいかない。

いつも以上に時間が掛かってしまった。

やっと履き終えてすぐに玄関のドアを開け、勢い良く階段を下りて行った。

子どもの後から下りたのは、夫が追いかけてきた時のことを考えたからだ。

もし私が捕まってしまっても、子どもには逃げて欲しかった。

だから駆け下りながら子どもに

「もしママが捕まっちゃっても一人で駅の方に行って」

と伝えた。

駅の方に行けば交番もある。

大勢の人が居て、人目もある。

最悪の状況は免れると思った。

夫が本気で走ってきたら追い付かれてしまう可能性もあったため、駅までのルートも考えた。

ちょっと遠回りになるけど、いつもは使わない道の方が良い。

怯えながらも、とにかく走り続けた。

体力の落ちている私よりも子どもの方が早くて、途中で何度も

「ママ早く!」

と言われたんだけど、なかなか足が前に出なくて・・・。

やっとの思いで駅に着いた頃には足が鉛のように重かった。

遠回りをしたとは言え、結構な勢いで走ってきたのだから運動不足の夫はまだ来ないはず。

そこでようやく少しだけ安心して、子どもとこの後のことを話そうとした。

その時、ふと遠くの方を見たら夫によく似た人の姿が目に入った。

「(子ども)ちゃん、こっちに来て!」

咄嗟に子どもの手を引き、建物の脇に隠れた。

子どももハッとした顔でそちらに目を向けたが、よくよく見たら別人だった。

今はまだ大丈夫だと言っても、いつ夫が来るか分からない。

早くこの場を離れなければと思った。


行き先を決められず途方に暮れて

いつかは家を出ると決めていた。

準備もしていたし、気持ちも固まっているつもりだった。

だけど、いざ出てみるとまだまだ腹が決まっていなかったのだと痛感した。

この期に及んで、心のどこかでまだ『元に戻る』ことを想像するなんて。

その方が私にとっては楽だったのだ。

何でも夫の指示通りに動き、決定権も無い。

それはとても窮屈だったけど、考える必要も無かった。

長い間そんな環境に居たら自分の考えに自信が持てなくなったというのもある。

誰かに『それは合ってるよ』とか『間違ってるよ』と言って欲しい。

判断を仰いでから動きたいと思うようになってしまった。

家を出る準備自体は何か月も進めていた。

それでも、心が悲鳴をあげているような状況なのに『戻れるかもしれない』と考えてしまう矛盾。

そんな矛盾だらけの私についてくることになった子どもは大変だったと思う。

「この後どこに行こうか」

と小学生の子どもに聞いてしまうあたりが終わってる。

普通は親が率先して決めるものだろうに、私は子どもにまで意見を求めた。

だけど、まだ小学生の子がそこまで考えられるはずもなく。

私の方も滞在先に関しては検討中だったので、行く当てが無かった。

途方に暮れて早くも弱気になったが、ここで諦めてしまったら終わりだ。

だから、当ては無くてもとにかく動こうと思った。

とりあえず電車に乗ってしまおうか。

夫や義父が来ないうちに。

そう思っていたら、携帯が鳴って画面には『お義父さん』と表示された。

見ただけで嫌な気持ちになったが、同時に心配もした。

何かあったのかな。

本当は状況を聞きたくても連れ戻されるのが怖くて出られない。

そうこうしているうちに電話は鳴り止んだ。

実はこの後何度もかかってきて、そのたびに心が揺れた。

一度出て状況を確認できればスッキリするのかもしれない。

だけど、情に訴えてくるだろうからそれに耐えられる自信が無かった。

そんな風に葛藤しながら何とかやり過ごし、電話に出ること無くその場を後にした。

私たちが向かったのは駅のホームだった。

2025年4月7日月曜日

あの日、突然家を出ることに

機嫌の悪い夫が子どもをいたぶり始めた

あの日、突発的な出来事により私たちは急遽家を出ることになった。

夫は朝から機嫌が悪った。

でもそれ自体には慣れていたから。

いつも通り、波風を立てないように注意しながら過ごした。

いつもならそれで何となく収まるはずだった。

でも、あの日は違った。

夫は自分のイライラを分からせるかのように執拗な嫌がらせを繰り返した。

何をやっても怒鳴られるので、私たちは部屋の隅でじっとしていた。

食事の時も夫がリクエストしたものを出したのに。

何が気に入らないのがムスッとして箸もつけず。

仕方がないから私と子どもだけ食べていたら、突然箸が飛んできた。

「危ない!」

咄嗟に腕を伸ばして手の平で子どもをガードした私。

多分そうしなかったら当たっていた。

軌道から考えると、恐らく頭の方だったと思う。

これにはさすがに私も声を荒げて、

「危ないよ!何でこんなことするの!」

と言ったのだが、それに対して更に怒ってしまったようだった。

本当は謝って欲しいのに、これ以上怒らせて暴れられたらと思うと怖くて詰め寄ることもできず。

ただ、悲しい気持ちで黙々とご飯を食べた。

子どもも驚いてしまって箸が進まなかったのだが。

夫が立ちあがった後はひたすら私の方を見ながら黙々とご飯を食べていた。

これまでの経験から学んだことがあった。

それは、『ご飯は食べられる時に食べてしまわないと後悔する』ということだった。

あんな状況では夫に捨てられてしまったり暴れて食事どころではなくなる可能性もあった。

だから、生きるために黙々と食べた。

夫が立ち上がったのは自分のご飯を捨てに行ったからだ。

私たちの分を持って行かれてしまうのは困るけど、せっかく作った夫の分を捨てられてしまうのも悲しかった。

でも、悲しくてもいつも通りにしていなくちゃならないから。

全然笑えない状況なのに子どもに笑顔を向けながら、

「早くご飯済ませちゃおうね」

などと話しかけた。


午後になり虐待がエスカレート

ご飯を食べた後もずっと機嫌が悪かった。

なるべく近寄らないようにして、早く機嫌を直してくれることを願った。

子どもにも近寄らないようにとこっそり伝えたが、夫が急に

「お前、ちょっとこっちに来い」

と呼び寄せて、いつものように教育虐待を始めた。

まずは返却されたテストを目の前に開き、

「自分がどれだけバカか分かるか?」

としつこく言った。

子どもはひたすら『はい』と返事をしていた。

傍で見ている私の方がメンタルをやられそうになった。

その言い方があまりにも厳しくて・・・。

本当は口を出したいのに出せないジレンマ。

夫は私が何も言えないことを分かっていて、わざとやっていたと思う。

ようやくテストの見直しが終わり、ホッとしたのも束の間。

今度は家用のドリルを出して、規定時間の半分で解くように指示を出した。

そんなのできる訳がない。

だって、実際の年齢よりも上のものをやらせていたんだから。

当然のように指示された時間内に解くことはできず、

「今日から毎日10時間勉強しろ」

と無茶な要求をつきつけた。

子どもはもう何を言われても『はい』しか言えない状態に。

傍でヤキモキしていた私は、

「もう十分でしょう?」

と止めてもらおうとしたのだが、

「うるせーんだよ!口出すなって言ってるだろ!」

とキレられ、何もしていない子どもの手をパチンと叩いた。

あっと思った時にはもう遅かった。

私に怒った腹いせに子どもを叩いただけ。

それなのに、夫は後から理由付けをして、

「鉛筆の持ち方が間違ってる!」

「姿勢が悪い!」

と怒鳴った。

その上、真っ新の紙に自分で問題を書いて、

「これ解けなかったら、もう小学校なんて行かなくて良い」

と訳の分からないことを言った。

その問題は子どもにとって見たことも無い記号が書かれていて、当然解けなかった。

それを見た夫は、ハァ~とため息をつきながら

「学校意味ないじゃん」

と子どもの頭を何度も叩いた。

今度は私も身構えていたので、間に入るようにしながら子どもをガードした。

一度だけその手が私の肩あたりに当たったのだけれど構わなかった。

子どもが痛い思いをしなければそれで良い。

その後は庇った私を気に入らない夫と言い合いになり・・・。

ちょうど義父が来たところだったので、助けて欲しくて視線を送った。

それに気付いてくれて

「もうその辺にしとけよ」

なんて言いながら止めに入ってくれたのだが、夫の怒りは止まらず今にも殴りかかりそうな雰囲気だった。

このままではマズいな。

そう思って離れようとしたら、いきなり夫が私の肩を掴もうとしてきた。

その手を避けるように逃げて、隣の部屋に移動。

義父が何やら説得していたみたいだが、納得できない夫が私の居る所までやってきて揉み合いになった。

『もう逃げるしかない』

私は子どもの手を引いて、玄関に走った。

背後では夫の怒鳴り声が聞こえた。

2025年4月6日日曜日

喧嘩するたびに実家に帰る義兄

結婚してからもトラブルの絶えなかった義兄夫婦

食事会の件以降、義両親は義姉のことを毛嫌いしていた。

まさか本人には言わないと思うのだが、私たちの前ではよく

「あの嫁はダメだ。性格がキツすぎる」

と愚痴をこぼしていた。

確かに気の強い部分があることは否定しない。

でも、義兄だって十分に酷い態度を取っていた。

だから、あの夫婦の場合には”おあいこ”なんじゃないかと思った。

どちらか一方だけが責められるような関係ではいずれ追いつめられてしまうから。

・・・そう、我が家のように。

だけど、義両親にとっては文句も言わずせっせと夫の世話を焼くような人が良かったみたいで、義姉の話をする時にはいつも不満そうだった。

そんな状況でも、最初の頃は何とか上手くやっていた。

段々と歯車が狂い始めたのは入籍してから3カ月位が経った頃だった。

余談だが、義兄たちは結婚式をしていない。

義姉が親戚とも疎遠で呼ぶ人が居ないからと言っていたが。

そうだとしても、家族だけ集めてこじんまりとした式とか挙げなくて良いのかな、と心配した。

食事会の時に、結婚式への憧れのようなものがあると教えてくれた義姉。

あの時は酔っていたけれど、彼女の様子からは本当は式を挙げたいと思っているように見えた。

それを正直に言えれば良いんだけどね。

そういうキャラじゃなくて、『式なんて興味ない』と言ってしまうようなタイプ。

義兄の方も彼女の気持ちを慮って何かをするタイプではない。

そうすると、心の中で思っているだけでは何も伝わらない。

パッと見や第一印象とは違って、実は義姉は結構『乙女』なタイプだったと思う。

結婚に対する理想もあったようだが・・・。

相手があの義兄なので、期待していたような結婚生活は送れなかった。


喧嘩ばかりの義兄たち、そこに義両親が参戦

義兄たちの夫婦喧嘩は頻繁だった。

あまりにも頻繁過ぎて、周りは慣れてしまった。

でも本人たちは結構大変だったんだと思う。

段々とぶつかることにも疲れてしまったようだった。

やがて義兄は衝突すると実家に帰るように・・・。

義姉もそれを促すように『実家に帰れ!』と言った。

こうなると問題を解決するのが困難になる。

何か話し合いたくても相手への嫌悪感から素直になることができない。

二人は元々上手く行っていなかったけど、状況は更に悪化した。

階段を一段ずつ降りるように少しずつ少しずつ。

こういう時って、周りはどちらかの肩を持ってはいけないのだと思う。

でも、義両親は義兄の肩を持ち、義姉を非難した。

『可哀そうに』と繰り返し言って、義姉への苛立ちを隠さなかった。

「あんな人と結婚させるために一生懸命育てたんじゃない」

という言葉が、義両親の気持ちをよく表していたのだと思う。

真新しい新居にたった一人残された義姉。

毎日どんな風に過ごしていたのだろうか。

話し合いたくても義兄が実家から帰ってこない。

自分には帰る家もない。

義姉は早くに両親を亡くしていて、たった一人のお兄さんとも疎遠だった。

私は未だに

「家庭運が薄いのよ」

と寂しそうに笑っていた義姉の横顔が忘れられない。

今度こそ幸せになれると思ったに違いない。

それなのに、ずっと一人で生きてきてようやくつかんだ幸せが幻だった。

それを悟った瞬間の失望は想像を絶するものだったに違いない。

義兄にはまだ逃げる場所があるから良かったけど、義姉にはそれが無かった。

結果的に、段々と精神的に追い詰められてしまった。

その異変に気付ける人も居なく、気づいたら取り返しのつかないことになっていた。

2025年4月5日土曜日

お義兄さん夫婦の抱えていた問題

お義兄さん達の結婚祝いのお食事会でもひと悶着

お義兄さんの奥さんはお義兄さんよりも5つ年下だった。

私の姉と同い年で、ちょっとパリピ臭のする人。

会話をすればどんどん話題が出てくるし、基本的に陽気。

だから、それなりに楽しかった。

こちらが話題を提供しなくても会話が続くというのも楽だった。

初めて会ったのは、二人の結婚が決まった時。

義両親も交えてみんなで食事をすることになった。

場所の手配は当然お義兄さんたちでしてくれるのだろうと思っていたのだが。

何故か『自分たちは忙しいから』という理由で義両親に丸投げしてきた。

だけど義両親もそういうのが苦手。

『どうしたら良いのかしら。どこにすれば良い?』と夫に相談し、巡り巡ってとうとう私のところにまで話が来た。

夫が私に伝える時には依頼ではなく命令だ。

拒否することなど許されないから渋々引き受けることになった。

みんなの好みを考慮しつつ日程の調整を行い、金額的にも許容範囲のお店を探して予約。

平日の日中はなかなか時間が作れなかったので依頼を受けた週の土曜日に手配した。

その時点で夫からは

「動きが遅くない?」

と文句を言われていて、義両親からも

「食事会の件、どうなってるの?」

と何度かせっつかれていた。

だから、手配が済んだ後すぐに夫と義両親に報告。

報告を受けた義両親はその日のうちに我が家にやってきて、

「なかなかいいお店だね」

とご満悦だった。

お義兄さんとは直接やり取りしたことが無かったので、そこは夫に伝えてもらうように依頼して完了。

やっとこの役目から解放されたかに見えた。

その日の夜、夫の携帯が鳴った。

お義兄さんからだった。

最初はお店の手配に対し、お礼を言われているようだった。

だが、段々と表情が険しくなった。

相槌を打ちながらチラチラとこちらを見てくる夫。

私は何だか嫌な予感がした。

電話を切った後、夫は

「予約したお店なんだけどさ・・・。兄貴たちが別の所が良いんだって」

とバツが悪そうに言った。

さすがの夫も全て丸投げしたくせに文句だけ言ってくるなんて非常識だと思ったのだろう。

私も内心は腹が立っていたのだが、表情を変えずに

「分かった。別の所探すね。今度はお義兄さん達に事前に確認しよう」

とだけ答えた。

その後は淡々と与えられた役割をこなした。

最初は『少しでも良いところを探して喜んでもらいたい』と思っていたのだけれど・・・。

どうでも良くなった。

次の週の土曜日に予約を入れ、食事会はその2週間後になった。


お義兄さんの奥さんと初対面

食事会の日、お義兄さんの奥さんと初めて会った。

噂に聞いていた通り、明るい人だった。

鈍くさい私と比べ、ハキハキしていて動きも早い。

初対面だと言うのに、まるで以前から知っていたかのように話しかけてくれた。

お義兄さんも良い人を見つけたのね。

他人事ながら喜んでいたら、お義姉さんが私の隣に来て

「(お義兄さん)はモラハラだよ」

と突然言ってきた。

えっ?と思って彼女の顔をまじまじと見ていたら、

「いつも酷いことばっかり言うの。まだ結婚する前だけど自信ない」

と続けた。

それなら婚姻届けを出す前にもう一度考えた方が良いんじゃないの?

まだ間に合うんだから。

と思ったのだけれど、その後の発言でズッコケた。

「でも結婚はするよ。だってもう家を買っちゃったんだから」

『モラハラだ』と言いながらも幸せそうなのには、そういう理由があったということだ。

真新しい新居に移り住むことを心待ちにしている様子で、とても嬉しそうだった。

食事会も終わりに近づいてきた頃。

お義兄さんから家の件で報告があった。

突然『皆さんに報告があります』なんて改まって言うものだから、一同シーンと静まり返った。

この時、お義母さんは赤ちゃんができたと思っていたようだ(笑)

全身から喜びがにじみ出ていて、『あらっ、何かしら』と言いながらソワソワしていた。

だが、家を買ったという話を聞いた瞬間にドーンと落ち込んでいて、その落差が凄かった。

その後は負のオーラを纏っていて話しかけることもできなかったのだが、帰り際に

「(子ども)ちゃんの従兄弟ができると思ったのにね」

とポツリと言っていた。

お義兄さん達はというと、食事会が終わった後に何やら言い争いをしていた。

原因は些細なことだったみたいだが、二人とも気が強いので収拾がつかなくなっていた。

それで珍しく夫が間に入って話を聞くことに。

そこでもお義兄さんがモラハラだという話が出て、義両親の表情が曇った。

だけど、お義兄さんが言うには『(お義姉さん)の言うこともおかしい』と。

こんな船出で大丈夫なのかと周りは困惑した。

2025年4月4日金曜日

元夫との復縁をすすめてくる知人

モラハラや虐待を理解している人は多くないのかも・・・

知人と話をしていた時のこと。

唐突に、

「元旦那さんと復縁する気は無いの?」

と聞かれた。

これが全く事情を知らない人の話ならまだ分かる。

でも、その人にはざっくりとこれまでの経緯を話してあった。

だから衝撃を受けてしまった。

モラハラや虐待って理解してもらうのが難しいのだと思う。

特にそういった事象とは無縁に生きてきた人たちにとっては。

ただ、こうやってそれを目の当たりにしてしまうと、やるせなさを感じずにはいられなかった。

全身の力が抜けるような脱力感。

家を出たり離婚の交渉をすることは、私たちにとっては命がけのことだった。

こんな目に遭った私たちのことを周りだって分かってくれるはず。

気づかないうちにそんな風に考えてしまっていたのかもしれない。

私はもちろん、

「復縁は絶対にないよ。あの生活に戻るなんて想像もできない」

とキッパリ否定した。

でも相手はその答えに納得できなかったのか、

「そうは言っても、離れてみて見方が変わることってあるでしょう」

と言ってきた。

離れてみて私は現実を知った。

自分の置かれていた状況をきちんと理解できるようになった。

『あー、あれは異常なことだったんだ』と気づいたのは家を出てからだ。

それまでは自分にも悪い所があるから夫を怒らせるんだと思っていた。

その後も、

「同じ人と再婚する人って案外多いらしいよ」

「まだ少しでも気持ちが残っているのなら、他の人にとられないうちに早めに動いた方が良いよ」

などとしつこく言ってきて、何だか嫌な気持ちになった。

「どんな所に惹かれて結婚したの?」

などと聞かれたって、今となってはもう良かった所なんて思い出せない。

記憶に残ってるのは怒った時の表情や声、無言の圧力だけだ。

子どもを叩いたり蹴ったりする姿も脳裏にこびりついている。

こうやって離婚した後もちょっとしたことで傷つき、誰からも理解されていないような寂しさを感じることがある。

相手も悪気があるわけじゃない。

世間話の延長でそんな話になっただけ。

そうだとしても、復縁という言葉を聞いただけで耳を塞ぎたくなった。


旦那さんが可哀そう、という世間の目

離婚した後、思わぬ攻撃を受けたことがある。

元夫と子どもの面会頻度を聞かれ、『会わせていない』と話した時、

「旦那さんが可哀そう!どんな理由があるにせよ父親ということに変わりは無いのよ」

と言われた。

本当は話したくなかったんだけど、仕方なく虐待の事実を淡々と伝え、

「子どもも会いたくないと思っているんです」

と言ったら、

「そうなるように誘導してるんでしょ。子どもの権利は奪っちゃダメ!」

と何故か憤っていた。

その人に怒られる筋合いは無いが、世間一般ではこういう見方をする人もいるんだなと勉強になった。

虐待に関しても納得できないようで、

「虐待って言っても感じ方は人それぞれだから。あなたがそう思っていても旦那さんは違うと思っていたわけでしょう?」

などと言われ、

「世の中は父親側が損をすることが多すぎると思うのよね」

と元夫に同情した様子だった。

母親が子どもを連れて家を出てそのまま離婚が成立し、父親がずっと子どもと会えていないという問題があることは知っている。

だけど、我が家とは全く別の問題だ。

それを一緒くたにされると本当に困ってしまう。

これが私を攻撃したくて言っているだけなら、そういう気持ちで聞き流せば良いんだけど。

「共同親権で少しでも不公平な現状が改善されれば良いのにね」

という発言から推察するに、恐らく本当に現状を憂いているのだとは思う。

『良い人なんだろうな』というのが分かるからこそ、残念な気持ちになった。

2025年4月3日木曜日

スマホゲームで元夫からフレンド申請?!!

深夜のフレンド申請・・・その名前に見覚えが

夜ご飯を食べ、洗い物をしてお風呂に入った後は自由時間だ。

大抵はテレビを見たりアマプラでドラマを観たりしている。

このリフレッシュ時間がとても大事。

時々スマホでゲームをすることもある。

結構長い間続けているゲームもあって、その世界観に何となくはまっている。

熱中するというほどでもないんだけど。

空き時間ができたらちょこちょこやる感じ。

先日夜遅くにゲームをしていたら急にフレンド申請が届いた。

もうフレンドはいっぱい居るので普段はあまりチェックしない。

でも、何故かその時は何となく確認しようかなと思って画面を開いた。

レベル的には『あ~まだ始めたばかりの人なんだな』という印象。

そして名前を見ると・・・。

あれっ?と思った

その名前には見覚えがあった。

もちろん本名ではないんだけど、過去に何度も見た名前。

思い出した途端に嫌な気持ちになったのは、元夫が使っていたものだったからだ。

一緒に居た頃、本名以外で登録する時によく使っていた。

もちろん偶然ということもあるんだけどね。

目にした瞬間に驚いて思考が停止してしまった。

アルファベットの並びとか使い方とか。

まさに!という感じ。

元々フレンドを増やすつもりも無いし・・・。

迷うことなく拒否を選択した。

この状況だったら誰でも警戒すると思う。

その名前が一般的なものならまだ分かる。

でも、元夫の感性は独特なので他の人が使わないような名前だ。

まさかとは思うけど、私だと分かっていて申請してきてないよね?と疑心暗鬼になった。

もしバレているとしたら、こちらにも落ち度がある。

というのも、私もいつも使っていた名前で登録していたからだ。

同じ発音でもアルファベットの使い方が分かれるような名前で、元夫ならピンと来るかもしれない。

と言っても今更変えられないしゲームも止めたくない。

それにまだ元夫と決まったわけでもない。

ということで、とりあえず様子を見ることにした。


再びのフレンド申請に警戒感MAX

そのゲームは、男性がやっているというのをあまり聞かない。

だから女性が男性っぽい名前でやっているのかな、とも思った。

元々ゲーム内でコンタクトを取る手段はほぼ無くて、フレンドにならなければそれで終わり。

相手はそれ以上何もできないと考えて、この件は放置することにした。

それからはいつも通りゲームを楽しんでいたのだが・・・。

その数日後。

驚くことに、またあの名前の人からフレンド申請が届いた。

今度は見ただけでちょっと手が震えた。

やっぱり本人なのかな。

そもそも2回も申請してくること自体が異例のこと。

それで私の警戒心もMAXに。

元夫は結構執着するタイプだから、本人の可能性が高まったとも言える。

でも、たまたま同じ人に申請してしまったという可能性も残されている。

私はまたしても考え込んでしまった。

フレンドになるという選択肢は無いのだが、拒否し続けても大丈夫かなと不安になった。

変に恨みを買ってしまい、その後暴れられても困る。

うちに来て嫌がらせをされたり子どもにしつこくされるのも怖い。

フレンドになるとプレイをしている時間なんかも分かってしまうので、絶対に避けなければならなかった。

ただ、2回目は怖くて拒否することができず、気づかないフリをすることに。

いや、相手は気づいているかどうかなんて分からないんだけど。

『前回拒否したのに今回はスルーなんだから、気づいてないんだろうな』と思わせたかった。

思えば、離婚してからもずっと夫の影に怯えて暮らしてきた。

道で似た人を見れば息が止まるほど驚いて、物陰に隠れた。

子どもも同じで、以前駅前で似た人を見かけた時には怖くて家に帰れなくなってしまった。

それで私の仕事が終わるのを待っていた。

帰りの道沿いにあるお店の中で震えながら待っていたことを知った時には胸がギュッとなった。

それくらい恐怖を感じているということだ。

早くこの恐怖心から解放されたいけれど、その方法が分からない。

2025年4月2日水曜日

急な引継ぎに戸惑う同僚

詳しいことを伝えられなくて

いつ修羅場になるか分からないくらい緊迫した毎日だった。

だから、家を出たいと思うのも自然なことだったのかもしれない。

その時が来たら迷わず出よう!と決心したのだけれど・・・。

タイミングを見極めるのがとても難しかった。

用心深く夫の様子をうかがいつつチャンスを待つ私たち。

そのことばかり考えていたので、あの頃は終始緊張していた。

だけど、待っている時に限ってそういうタイミングがやって来ない。

本当は決心が鈍らないうちに動きたかったのだけれど、なかなか思うようにはいかなかった。

あまりにも膠着状態が続いたので、ちょっと不安になったことも。

『あれっ?もしかしてこのままズルズルいってしまうのでは?』

一度そんな嫌な想像をしてしまったら余計に焦りが出てきた。

無理やり動くことも考えたけれど、やっぱり上手くいかないような気がして踏みとどまった。

膠着状態と言っても決して平和だったわけではない。

常に低空飛行という感じで、ずっとじわじわと辛かった。

ドーンと落ち込むのも嫌だけど、じわじわと辛いのも結構しんどい。

大きなきっかけが無いまま時間だけが過ぎていき、精神的にはより窮屈になった。

こういう時は色々と考えてしまうので、できるだけ動いた方が良いのだと思う。

私の場合は、時間を無駄にしてはいけないと考えて業務関係の引継ぎや連携をこっそり始めた。

同僚に会議室に来てもらい、

「実は今行っている業務を引き継ぎしておきたいんだ」

と伝えた。

聞いた瞬間、驚いたような顔をして

「えっ?辞めるの?」

と聞かれたので、慌てて否定した。

「ううん。辞めるわけじゃないんだけど。もしかしたら何日間か来られない日があるかもしれなくて」

こんな説明で納得してくれる人が居るだろうか。

私だったら訝しんできっと何か隠してるんだろうな、と考えてしまうと思う。

だけど、同僚は快く引き受けてくれて、

「よく分からないけど、引き継がなきゃいけないっていうのは分かった」

と言ってくれた。

ハッキリ言って、家族である夫よりも会社の同僚や知人の方がはるかに優しかった。

人ってこんなに優しいんだ、と私はたびたび感動した。

この時、詳しいことを伝えられないのが本当に心苦しくて・・・。

しかも、会社まで巻き込んで大事になってしまった。

ここまでしても、もしかしたら身動きが取れないまま『その時』がやってこないかもしれない。

夫との対峙も怖かったが、『その時がやって来ないかもしれない』という不安も大きかった。


上司への報告と夫からの疑惑の目

引継ぎを終えたところで、だいぶ気持ちが安定した。

こうやってちょっとずつ準備をしていけば、きっとうまくいく。

大丈夫。

そう自分に言い聞かせるように目の前のことを処理していった。

それまではメソメソしたり考え込んだり。

塞ぎこむことの多かった私だが、動いているうちに少しだけ吹っ切れた。

ほんの些細な変化だと思うのだが、恐ろしいことに夫は何かに勘づいた。

「お前、何か企んでない?」

何度もそう聞かれた。

過去に何度か家出を試み、そのたびに失敗したという前科がある。

夫はそれを思い出して警戒したのかもしれない。

私の方も、これ以上勘づかれてはまずいと慎重に行動することにした。

それにしても夫はなぜあんなにも鋭いのか。

まるで心の中を読まれているみたい。

コッソリ貯めたお金のこととか仕事のこととか。

知られてはいけないことがたくさんあって、毎日冷や汗ものだった。

最終的に大事なものは会社に置かせてもらうことになったのだが。

会社といっても色んな人が居る。

鍵がいくつかあると安心できないので、私だけがカギを持っている棚を利用した。

しかも、ぱっと見では分からないように奥の方にしまいこんで目立たなくした。

犬が大事な骨を埋めて隠すような感じ?

きっと開けっ放しにしてあっても誰も気づかなかったに違いない。

着々と準備が進む中、まだ大きな問題が残っていた。

それはしばらく滞在できる所の確保だ。

実家や姉の所はすぐにバレてしまうし迷惑がかかる。

親戚も割と近くにいるけれど、こんな時ばかりお世話になることはできない。

モラハラ夫がすぐに探し当てられるという点でも現実的では無かった。

以前は電車で数十分の観光地に身を隠そうかな、なんて考えたこともあった。

だけど、いざそういう時が近づいてきたらメンタル的に無理だと分かった。

とてもじゃないが、そういう気分にはなれない。

そんなこんなで、滞在先探しに本腰を入れることにした。

2025年4月1日火曜日

仕事が続かない夫

ブランクがあっても雇ってもらえたのに

元夫は何年もの間働いていなかった。

体調不良もあったから仕方がないと言えば仕方がない。

そのままずっといってしまったら将来どうするんだろう。

他人事ながら心配していた。

離婚した後、夫は実家に戻った。

それからしばらくしてから就職活動を始めた。

働く気はあってもブランクがあるから難しいだろうな。

結婚後数年しか働く姿を見ていなかった私は、そんな気持ちで傍観していた。

だけど、意外にもあっさりと次の職を見つけた。

意外と決まるものなんだな。

ずっと引け目を感じていたことも知っていたから、本当に良かったな~と思っていた。

内定を頂いてからすぐに働き始め、次に連絡が来たのは1か月後。

その時点でかなり怪しかった。

せっかく決まった仕事をもう辞めそうというか・・・。

まだ慣れるのに必死の頃だと思うのに粗探しばかり。

それを私に言ってきて『なあ?酷いだろ?』と同意を求めてくる。

まさかとは思うけど、1か月やそこらで嫌になったんじゃないでしょうね。

でも自分の置かれた状況は理解しているだろうから簡単には止めないよね。

そんな風に思っていたのだが、そのまさかだった。

何と2か月後には『もう辞めるわ』と言い始め、たった3か月で退職した。

雇ってくれた会社もどう思っただろうか。

ブランクがあってもやる気を見てくれたわけだけど。

こんなに短期間で辞めてしまうなんて考えてもいなかったはずだ。

長い長いブランクの後の職場復帰は、こんな感じであっさりと終了した。


一目置かれる存在になりたい夫の現実とのギャップ

自分は凄い人間だ。

他の人たちからもっと尊敬されるべきだ。

いつもそんな考えが根底にあった。

だから、職場などで少しでも扱いに不満が出るとすぐに辞めたくなった。

私と付き合い始めてから結婚して数年の間は奇跡的に同じ仕事を続けていた。

だけど、結婚して数年で辞めてしまい、その後はずっと無職。

無職というと聞こえが悪いので、周りにはテレワークということにしていた。

私も子ども関連で聞かれた時には言葉を濁してそのように匂わせた。

だけど、子どもは正直だから、

「パパはずっとお家にいるよ。何もしてないよ」

と言ってしまう。

嘘を言わせるのも良くないし。

正直に言うのも憚られる。

この問題は一緒にいる間ずっとついて回った。

夫は夫で、子どもがカミングアウトすると物凄く怒った。

そうは言っても幼児だから上手に嘘なんてつけないんだよ。

そう伝えると、

「コイツが馬鹿だからそんな簡単なこともできないんだ」

と子どものせいにして𠮟りつけた。

子どもからしたら訳の分からないことで怒られているような感じになってしまう。

あまりにもそういうことが多かったので、子どもは段々と夫のことを外では口にしなくなった。

家の中でもあまり話さず、必要最低限のことを伝えるだけ。

夫は子どもからも慕われる自分を理想としていたので、それも許されなかった。

口調や態度から、『もっと俺を敬え』という圧力をかけた。

その頃の子どもは私同様ちょっとした異変にも気づくようになっていた。

夫の気持ちを敏感に感じ取り、今度は一緒に居る時にわざとはしゃいだり饒舌になったりした。

夫がそれで満足してくれれば良いのだけれど・・・。

機嫌が悪いと『うるせー!!!』と怒鳴りつけた。

どうしたら良いのか途方に暮れる子ども。

可哀そうで見て居られなかった。

夫にもう『少し態度を改めて欲しい』と伝えたこともあったけど。

『お前ごときが俺に口を出すな』と話にならなかった。

馬鹿にしている私の意見なんて聞けないということだ。

対等に話すこともできない夫婦なんて終わってると思う。

あの偏った考えに苦しめられた私たちからすると、夫を慕う仲間たちが異様に思えた。

でもそれも仕方のないことなのかもしれない。

だって外面がとても良くて、仲の良い友人は皆騙されていたのだから。

本当の姿を知っているのは私たちだけだ。

警戒しながら子どものお迎えに

学校が終わった後の約束事 朝は校門まで送っていたので心配は無かった。 問題は帰りだ。 私が着く前に子どもが外に出てしまい、夫に連れ去られたことがあった。 あの時はもう子どもに会えないんじゃないかと絶望した。 何とか取り戻すことができたけど、同じ失敗は二度としたくないと思った。 夫...