2025年4月13日日曜日

私たちが家を出た夜に夫が向かった場所

義父からの連絡を無視し続けた私たち

あの日、私たちが家を出た後に真っ先に連絡をしてきたのはお義父さんだった。

お義父さんはいつも言う。

『帰ってきてくれないと、こっちも困っちゃうよ』と。

そう言いながら、私たちの苦しみからは目を反らし続けた。

どうにもできなかったのかもしれない。

でも、実の息子のことなのだから諭すなり強く叱るなりして止めて欲しかった。

孫への虐待も見て見ぬふりをしないで欲しかった。

肝心なことになると『夫婦の問題だから二人で話し合って』と言っていた。

それができないから途方に暮れた。

私は夫が怖い。

怖くて怖くてたまらない。

普通に話し合うことができない。

それを、向き合えないことが原因だと言われているようで絶望した。

私たちが家を出たことも想定外では無かったようだ。

過去に何度か飛び出しているから免疫がついていたかな。

ただ、すぐに戻ると思っていたのに連絡がつかなくなって・・・。

段々と予想していた方向とは違ってしまったのだろう。

二人にとって『帰ってこない』という事実が受け入れがたかったようだった。

お義父さんは何度も何度も電話をしてきて、着信するたびに私は憂鬱になった。

電源を切ったり、バッグにしまいこんで見ないようにしたり。

色んなことをしたけれど、そうやって避けている時点で気にしているということだ。

これから先のことを考えるだけで不安なのに。

その上お義父さんからの電話にも怯えなければならないなんて。

その時は本当に携帯を捨ててしまいたくなった。

だけど、そこには姉や実家の連絡先も入っている。

実家の家電は番号を覚えているけれど、その他は覚えていなかった。

それに、携帯が無ければいざという時に連絡を取ることもできない。

その頃、夫はお義父さんに当たり散らしながら色々と考えていたようだ。

家で待っていても埒が明かないかもしれない。

そう考えて、ある場所へと向かっていた。


姉の家へと向かった夫

家を出たことは姉に伝えていなかった。

伝えてしまったら『知らないフリ』をすることはできないだろうし、夫の怒りの矛先が向いたら大変だから。

実家にも同じ理由で伝えていなかった。

そんな状況で夫がいきなり訪ねてきたのだから驚いたと思う。

普段から交流があれば、まだそこまでの驚きは無かったはずだ。

でも、5年以上も会っていない義弟がいきなり現れた。

「(私)ちゃん達は来てませんか?」

と急に言われ、姉は『何かあったんだ!』と慌ててしまったらしい。

「来てないけど。何かあったの?」

と聞いたら、

「自分が悪いんです・・・。ちょっと言い合いになってしまって」

と答えたそうだ。

自分が悪いなんてこれっぽっちも思っていないくせに。

そういう所がズルい人。

姉もこの時はまだ夫に対してそれほど不信感を持っていなかったから。

喧嘩した勢いで飛び出しちゃったのかな?くらいに考えた。

そんな理由なら大騒ぎするほどのことでもないだろうと両親には伝えなかった。

結果的に両親への相談を控えてくれて助かった。

この後、私たちはしばらく先輩の家でお世話になった。

それでも、夫が姉の家に行くことは二度となかった。

何日も何日も何の音沙汰もなく帰らなかったら、そろそろ姉も不審に思ったはずだ。

大事にしたくなかった夫は警戒した。

うちの両親に電話しなかったのも気づかれたくなかったのだろう。

姉と夫はお互いに連絡をすることも無ければ会いに行くこともない。

普段全く交流が無い。

だから、夫さえ騒ぎ立てなければこの件は誰にも知られずに済む。

自分の本性を知られることを恐れたのか、夫は当初この件をひた隠しにした。

2025年4月12日土曜日

会社からの呼び出しで子連れ出勤

事情を説明するために会社へ

9時ちょうどくらいに会社に電話した。

コール音がするかしないかのうちにつながり、出てくれたのは引継ぎをした同僚だった。

良かった。

これなら話が早い。

「急で申し訳ないのですが。今日お休みをいただきたいんです」

と告げると、相手もピンときた様子で、

「ああ・・・例の件ですね」

と言った。

その時は軽いやり取りだけで終了。

ただ、その後上司から電話が掛かってきた。

業務で何かあったかな?と不安になったが、そうでは無かった。

可能なら一度話をしに来て欲しいとのことだった。

それで、子どもを連れて会社に行くことに。

実はこの時、とても不安だった。

私のような社員を置いておくのはリスクがあると判断されても不思議では無い。

事情を聴きとって、その内容によっては退職勧告されるのでは?と思った。

その日の会社への道のりは、何だかいつもよりも遠く感じた。

子どもはお出かけ気分で、ビルの前に到着した時も何だか嬉しそうだった。

ロビーに着くと別の階の会社の方が居て、チラッと子どもを見ていた。

職場見学とか思われてるのかもしれないな。

でも、そうじゃないんですよ。

もっとひっ迫した理由で来てるんですよ。

なんて思いながらエレベーターに乗り込んだ。


会議室に通されて、現状説明

社内に入ると、すぐに上司が近寄ってきて会議室に通された。

子どももペコリと頭を下げて中へ。

一緒に会議室に入ろうとしたら、同僚が

「こっちで一緒に遊んで待ってようか」

と声を掛けてくれた。

もう小学生だから、だいたいのことは分っている。

でも、目の前でしたくない話もあったので有難かった。

上司と向かい合う形でやや緊張しながら座った私。

ブラインドの外ではいつものように忙しなく社員たちが動き回っていた。

そこには日常があった。

その光景を見ていたら、日常から私だけが零れ落ちてしまったように感じて寂しくなった。

顔色が悪く見えたのか、上司はまず

「体調は大丈夫なの?」

と心配してくれた。

「体調は大丈夫です。でも今家に帰れる状況ではなくて・・・」

それから前日のことをポツリ、ポツリと話し始めた。

言葉にしてみても、どこか現実味が無かった。

話し合って決まったことは、

・しばらく休むこと

・その週は特別休暇扱いで、次の週からは有給扱いとすること

・業務連絡を入れるかもしれないから、時々携帯をチェックするように

ということだった。

「有給余ってるでしょ」

と言われると、確かに毎年15日以上は捨てていた。

特別休暇や有休ならお給料が減らないから助かるなあと思った。

待っていてくれる場所があるという事にも安心した。


あの日、誰も私たちの事情を詮索する人は居なかった。

薄々何か感じ取っていたはずなのに。

いつも通りに接してくれた。

「お早い復帰をお待ちしております~」

なんて言われて、思わず笑ってしまった。

会社を出た後に携帯を確認したら、先輩からLINEが入っていた。

内容は夕飯のメニューのリクエスト(笑)

『作って冷蔵庫の中に入れておきますね。温めて食べてくださいね』

と送ったら、

「一緒に食べましょう。しばらく家に居てくれた方が私も安心できるから」

と返ってきた。

『今晩どこに泊まろうか』と悩んでいたから、嬉しくて泣きそうになった。

2025年4月11日金曜日

急遽、学校を休むことに

家出中は学校にも行けず・・・

家を出た翌日は月曜日だった。

本来なら私は会社に行き、子どもは学校に行く。

でもその時は学校用品を持ってきて居なかったので行けなかった。

第一、ランドセルや教科書、文房具なども無い。

距離的なことで言えば、その場所から学校に通うのも難しかった。

子どもは朝目を覚まして、

「月曜日だから学校に行かなくちゃ」

と起きてきた。

でも、

「今日は行けないんだよ」

と説明して納得してもらった。

私が『今日』と言ったから、

「明日はどうしようね~」

なんて言っていたが、『きっと明日も明後日も行けないな』と思った。

これが仮にもし物凄く近い場所であっても、多分行けない。

子どもと私が家を出て連絡がつかなくなったら、夫は何とかしてコンタクトを取ろうとするだろう。

その時、子どもの学校というのは一番手っ取り早くて確実な方法だ。

私の会社という選択肢もあるが、夫は決して電話など掛けてこない。

それまでにも緊急の用事が発生したことがあったが、繋がらなくても携帯に掛け続けていた。

私の会社が苦手なのか。

それともただ単に会社という所に掛けるのが億劫なのか。

理由は分からないが、こういう状況でも私の会社に連絡する可能性は低いのではと思った。

ましてや体面を気にする夫が会社までわざわざ出向いてくるとも思えなかった。

そうなると、やはり子どもの学校というのがもっとも可能性が高くなる。

ただ、学校の先生に電話するのはやはり躊躇するかもしれない。

現実的な線を考えると、恐らく下校時間を見計らって外で待ち伏せすると思った。

だから、その時点で学校に行くのは非常に危険なことだった。

落ち着くまでは、しばらくお休みをしなければならない。

可哀そうだけれど、それが最善の策だった。


担任の先生に電話

学校に電話をして、担任の先生に取り次いでもらえるようにお願いした。

だが、あいにく席を外されていたようで、

「戻りましたら折り返しお電話するように伝えます」

と言われた。

しばらくして担任の先生から掛かってきたので、

「家の都合でしばらくお休みします」

とだけ伝えた。

本当は理由も伝えられたら良いのだが、そういう訳にもいかなかった。

『家出をして今別の場所にいるんです』なんて言えるはずがない。

それに、家の事情を話したら子どもを見る目も変わってしまうのではないかと恐れた。

それまでは『のんびりしていて天真爛漫な子』と言われてきた。

それが話した途端に『家庭環境が複雑で注意が必要な子』になってしまうかもしれない。

学校は子どもが唯一羽を伸ばせる場所だから。

できるだけ変わらない環境を残してあげたかった。

でも、先生ってやっぱりプロなのね。

少しだけ子どもと代わって話した時の様子から何かを感じ取ったのか、

「もし何かあったら遠慮なく言ってください。

 サポートできることもあるかもしれません」

とおっしゃった。

こんなお気遣いを頂いたことに恐縮してしまって、

「本当にご迷惑をおかけしてすみません。ありがとうございます」

としか言えなかった。

私はとりあえず

「今週お休みします」

と告げたのだが、先生からは

「2~3日後に私の方からもう一度お電話します」

と言われた。

それまでに少しは状況が片付いていれば良いなと思った。

さあ、これで子どもの学校のことは一応済んだ。

あとは私の会社への連絡だ。

ふと時計を見たら間もなく9時だった。

業務の始まる時間だ。

事前にある程度の情報は伝えてあったけど、やはり急に休むことになり迷惑をかけてしまった。

せめて業務に支障が出ないように早く伝えなければ。

そう思って慌てて電話した。

2025年4月10日木曜日

先輩と語り明かした夜

子どもが寝た後に詳しい事情を説明

先輩に案内されて着いたのは立派なマンションだった。

毎月のやり繰りに頭を悩ませている私からしたら夢のような暮らしだ。

「すごいお家ですね」

と驚く私の横では子どもが緊張していた(笑)

ロビーに入ってもずっともじもじしていたのだが、

「(子ども)ちゃん、行こう」

と先輩が手を引いてくれた。

部屋に入り、まずはリビングに案内された。

よくドラマで見るような素敵なお部屋。

物が散乱しているなんていう事も無く、綺麗に整頓されていた。

こんな綺麗な部屋のどこに荷物を置かせてもらおうかな、と迷っていた時に、

「とりあえず、こっちの部屋自由に使って」

と案内されたのが、これまた素敵な洋室だった。

普段は使っていないらしく、時々物が増えてきた時の保管場所にしていると言っていた。

荷物を置き、上着をかけさせてもらった後はお風呂をいただいた。

家を出る時、もみくちゃになりながらも用意しておいたバッグだけは何とか持ち出せた。

だから、着替えとか下着などは入っていた。

もし用意できていなかったら新たに買うことになって更に軍資金が心許ない状態になっていたことだろう。

やはり、水面下で動いておいて正解だった。

お風呂上がりに歯磨きセットが無いことに気づいたのだが。

これは全く問題無かった。

コンビニがすぐ傍にあったので買いに出た。

そこで飲み物やちょっとしたおつまみも購入して帰宅。

お世話になるのにそんな物じゃ返せないと思いつつも会計を済ませていたら、

「私が払うのに~。気を使わせちゃってごめん」

と謝られてしまった。

「こちらこそ、急に押しかけてしまって本当にすいません。

 本来なら宿泊費をお支払いしたいくらいです」

と言ったら、

「何言ってんのよ。馬鹿ねぇ」

と笑われた。

夫のそれとは違い、先輩の『馬鹿』はとても優しかった。

『私、結構傷ついてたんだな』とその時思った。

家に着いて子どもは歯磨きを済ませたらすぐに寝てしまった。

寝かしつけた後にリビングに戻って先輩に詳しい事情を説明することになった。


お酒を飲みながら今までのことを話した

先輩はビール、私は缶チューハイを飲みながらこれまでのことを話した。

ハッキリ言って私はお酒が弱い。

アルコール度数3%の缶チューハイ一本で酔ってしまう。

それ以上の度数になると眠気に襲われたり目がグルグル回ってしまうので、その日は缶チューハイ1本だけにした。

それでも十分に酔っぱらった私は、いつもよりも饒舌になった。

話した内容は詳細に覚えている。

子どもが虐待をされていること。

結婚してから私もずっとモラハラを受けていること。

家のルールや、夫の機嫌に振り回される生活。

全部話した。

話している最中にふと携帯に触れたのだが、その時私が怯えたような顔をしていたらしく、

「可哀そうに。よっぽど怖いんだね」

と言われた。

「大丈夫だよ。うちの事は知らないんだから」

という先輩の言葉が私を安心させた。

ここに居る間は安心していて良いんだ。

そう思うだけで急に気持ちが楽になったのを覚えている。

子どもの虐待の証拠は残っていないのかとも聞かれた。

だが、残念ながら持っていなかった。

以前携帯で撮ったものは消されてしまった。

破壊されたものを取っておこうとしたら、勘づかれてしまいゴミの日に廃棄された。

私がこっそり何か動こうとしても相手の方がいつも上手だった。

連絡できるような人もほとんど居ない中で、安全面への懸念から両親に頼ることもできない。

だから、誰にも知らせずに家を出ようと思ったのだと伝えた。

話し込んでしまい、気づいたら朝になっていた。

先輩はそのまま仕事に行ったので眠かっただろうな。

本当に申し訳ないことをしてしまった。

私は早朝から少しだけ寝て、子どもが起きてきた8時ごろ朝食をとった。

久々に『生きてる』と感じた朝だった。

2025年4月9日水曜日

夫の知らない滞在先を確保できた経緯

どこも宿泊費が高くてため息・・・

本当はもう少しお金を貯めてから家を出たかったな。

お財布の中身を見ながらため息をついていたら、子どもが

「ママ、今日どこにお泊りしようか」

と言った。

恐らく子どもも家に帰れないであろうことは分っていて不安になったのだろう。

「おじいちゃん家に行く?」

と聞いてくるので、

「それは無理なんだよ。このあたりのホテル探してみようか」

と答えた。

子どもはてっきりうちの実家に行くと思い込んでいたようで、

「え~何で行けないの?」

と不満そうだったが、

「もう少し落ち着いたら絶対に行こうね」

と約束して、私は再び宿泊する場所を探し始めた。

実家に行けば宿泊費は掛からないが、それは絶対に避けなければならなかった。

夫がすぐに探し当ててしまう所はリスクが高すぎる。

怒り狂った夫が何をするか分からないから、全く知らない場所が良いと思った。

万が一何かあっても私に対してならまだ納得できるけど。

子どもや両親にその矛先が向かうのだけは絶対に回避しなければと考えた。

夫の予想できない宿泊場所を確保する必要があるということは常に頭の片隅にあった。

だけど、実際問題そんな所なんて思いつかなくて、とりあえず今日泊まれるところだけでも確保しなければという感じになっていた。

それにしても一泊するのにこんなにかかるのか。

これだといつまで泊まれるか分からないな。

お金の不安も抱えつつ、なんだかんだと1時間以上も探し続けた。

でも、なかなか見つからなくて『この辺りを歩いてみようかな』と立ち上がった時、見覚えのある人にばったり会った。

相手は私を見るなり『あっ』と小さな声をあげ、笑顔で近づいてきた。

その人は以前勤めていた会社の先輩だった。

専門職でバリバリ働く人。

当時はその人に憧れて、少しでも近づきたいと頑張った。

結局は途中で転職して一般職にうつってしまったのだが・・・。

もし続けていたら『彼女のようになりたい』と目標にし続けたと思う。

懐かしいその顔は以前と変わらず活き活きとしていて美しかった。

私とはまるで月とスッポン。

きっと今どんよりとした顔してる。

自分に自信が無さ過ぎて、向かい合いながら話すのも恥ずかしくなり俯いた。

それなのに彼女は

「あの頃と変わらないねー!」

と言って、子どもに『こんにちは~』と挨拶してくれた。

聞けば、仕事の打合せのために休日出勤をしていたのだと言う。

その打合せも終わり、この後はフリーだとのこと。

「ご飯でも食べに行こうか」

と誘っていただき、私たちはそのまま夕食を一緒にとることになった。


先輩の家でしばらくお世話になることに

先輩は少し静かなレストランに案内してくれた。

食事をし始めてからは一緒に働いていた時のことなんかを話していたのだが、急に

「何か話したいことがあるんでしょう」

と言われてドキッとした。

やっぱり困っているように見えたのかもしれない。

だけど、こんなヘビーな話を先輩にするわけにはいかないと思って、

「何言ってるんですか~。何も無いですよ」

と答えた。

私としては上手くごまかしたつもりでも、先輩にはお見通しだった。

「バレバレなのよね。前からそうだけど隠し事できないタイプでしょ」

と優しく笑った。

気が張っていたせいなのかな。

それとも結構メンタルにきてたのかな。

先輩の優しさに触れた途端、涙がドバっと出てきた。

自分でも何でこんなに泣けてくるのか分からなかったが・・・。

ただひたすら涙が止まらなかった。

子どもの前でこんな風に泣くなんて。

早く止めなければと焦っていたら、先輩が子どもに

「ママはね、おばちゃんと久々に会えてうれしくて涙が出ちゃったんだって」

とフォローしてくれた。

それを聞いた子どもは嬉しそうな顔で

「ふーん、そうなんだ。ママ良かったね」

と言った。

こういう時にさり気ないフォローをしてくれるところも、ちっとも変っていなかった。

少し落ち着いた後、

「今日は、この後どうするの?」

と聞かれたので、正直に

「宿泊できるところを探してるんです」

と答えたら、

「じゃあ、とりあえず家に来なよ」

と言ってくれた。

あの日、偶然再会した先輩に私たちは助けられ、結果として離婚することができた。

この後のことは身バレ防止のためにどこまで書けるか分からないが・・・。

普段外に出ても近所の人にさえ会わないのに、10年ぶりに先輩に会ったということ自体がまず奇跡だった。

こんな事ってあるんだな、としみじみと思った。

2025年4月8日火曜日

あの日、突然家を出ることに(続き)

家を出て駅に向かった

夫の怒鳴り声を背に受けながら家を出た私と子ども。

義父が止めてくれているとは言え、いつ飛び掛かってくるか分からない状況だった。

だから非常に焦っていたのだけれど。

こういう時に限って靴を履くのもスムーズにいかない。

いつも以上に時間が掛かってしまった。

やっと履き終えてすぐに玄関のドアを開け、勢い良く階段を下りて行った。

子どもの後から下りたのは、夫が追いかけてきた時のことを考えたからだ。

もし私が捕まってしまっても、子どもには逃げて欲しかった。

だから駆け下りながら子どもに

「もしママが捕まっちゃっても一人で駅の方に行って」

と伝えた。

駅の方に行けば交番もある。

大勢の人が居て、人目もある。

最悪の状況は免れると思った。

夫が本気で走ってきたら追い付かれてしまう可能性もあったため、駅までのルートも考えた。

ちょっと遠回りになるけど、いつもは使わない道の方が良い。

怯えながらも、とにかく走り続けた。

体力の落ちている私よりも子どもの方が早くて、途中で何度も

「ママ早く!」

と言われたんだけど、なかなか足が前に出なくて・・・。

やっとの思いで駅に着いた頃には足が鉛のように重かった。

遠回りをしたとは言え、結構な勢いで走ってきたのだから運動不足の夫はまだ来ないはず。

そこでようやく少しだけ安心して、子どもとこの後のことを話そうとした。

その時、ふと遠くの方を見たら夫によく似た人の姿が目に入った。

「(子ども)ちゃん、こっちに来て!」

咄嗟に子どもの手を引き、建物の脇に隠れた。

子どももハッとした顔でそちらに目を向けたが、よくよく見たら別人だった。

今はまだ大丈夫だと言っても、いつ夫が来るか分からない。

早くこの場を離れなければと思った。


行き先を決められず途方に暮れて

いつかは家を出ると決めていた。

準備もしていたし、気持ちも固まっているつもりだった。

だけど、いざ出てみるとまだまだ腹が決まっていなかったのだと痛感した。

この期に及んで、心のどこかでまだ『元に戻る』ことを想像するなんて。

その方が私にとっては楽だったのだ。

何でも夫の指示通りに動き、決定権も無い。

それはとても窮屈だったけど、考える必要も無かった。

長い間そんな環境に居たら自分の考えに自信が持てなくなったというのもある。

誰かに『それは合ってるよ』とか『間違ってるよ』と言って欲しい。

判断を仰いでから動きたいと思うようになってしまった。

家を出る準備自体は何か月も進めていた。

それでも、心が悲鳴をあげているような状況なのに『戻れるかもしれない』と考えてしまう矛盾。

そんな矛盾だらけの私についてくることになった子どもは大変だったと思う。

「この後どこに行こうか」

と小学生の子どもに聞いてしまうあたりが終わってる。

普通は親が率先して決めるものだろうに、私は子どもにまで意見を求めた。

だけど、まだ小学生の子がそこまで考えられるはずもなく。

私の方も滞在先に関しては検討中だったので、行く当てが無かった。

途方に暮れて早くも弱気になったが、ここで諦めてしまったら終わりだ。

だから、当ては無くてもとにかく動こうと思った。

とりあえず電車に乗ってしまおうか。

夫や義父が来ないうちに。

そう思っていたら、携帯が鳴って画面には『お義父さん』と表示された。

見ただけで嫌な気持ちになったが、同時に心配もした。

何かあったのかな。

本当は状況を聞きたくても連れ戻されるのが怖くて出られない。

そうこうしているうちに電話は鳴り止んだ。

実はこの後何度もかかってきて、そのたびに心が揺れた。

一度出て状況を確認できればスッキリするのかもしれない。

だけど、情に訴えてくるだろうからそれに耐えられる自信が無かった。

そんな風に葛藤しながら何とかやり過ごし、電話に出ること無くその場を後にした。

私たちが向かったのは駅のホームだった。

2025年4月7日月曜日

あの日、突然家を出ることに

機嫌の悪い夫が子どもをいたぶり始めた

あの日、突発的な出来事により私たちは急遽家を出ることになった。

夫は朝から機嫌が悪った。

でもそれ自体には慣れていたから。

いつも通り、波風を立てないように注意しながら過ごした。

いつもならそれで何となく収まるはずだった。

でも、あの日は違った。

夫は自分のイライラを分からせるかのように執拗な嫌がらせを繰り返した。

何をやっても怒鳴られるので、私たちは部屋の隅でじっとしていた。

食事の時も夫がリクエストしたものを出したのに。

何が気に入らないのがムスッとして箸もつけず。

仕方がないから私と子どもだけ食べていたら、突然箸が飛んできた。

「危ない!」

咄嗟に腕を伸ばして手の平で子どもをガードした私。

多分そうしなかったら当たっていた。

軌道から考えると、恐らく頭の方だったと思う。

これにはさすがに私も声を荒げて、

「危ないよ!何でこんなことするの!」

と言ったのだが、それに対して更に怒ってしまったようだった。

本当は謝って欲しいのに、これ以上怒らせて暴れられたらと思うと怖くて詰め寄ることもできず。

ただ、悲しい気持ちで黙々とご飯を食べた。

子どもも驚いてしまって箸が進まなかったのだが。

夫が立ちあがった後はひたすら私の方を見ながら黙々とご飯を食べていた。

これまでの経験から学んだことがあった。

それは、『ご飯は食べられる時に食べてしまわないと後悔する』ということだった。

あんな状況では夫に捨てられてしまったり暴れて食事どころではなくなる可能性もあった。

だから、生きるために黙々と食べた。

夫が立ち上がったのは自分のご飯を捨てに行ったからだ。

私たちの分を持って行かれてしまうのは困るけど、せっかく作った夫の分を捨てられてしまうのも悲しかった。

でも、悲しくてもいつも通りにしていなくちゃならないから。

全然笑えない状況なのに子どもに笑顔を向けながら、

「早くご飯済ませちゃおうね」

などと話しかけた。


午後になり虐待がエスカレート

ご飯を食べた後もずっと機嫌が悪かった。

なるべく近寄らないようにして、早く機嫌を直してくれることを願った。

子どもにも近寄らないようにとこっそり伝えたが、夫が急に

「お前、ちょっとこっちに来い」

と呼び寄せて、いつものように教育虐待を始めた。

まずは返却されたテストを目の前に開き、

「自分がどれだけバカか分かるか?」

としつこく言った。

子どもはひたすら『はい』と返事をしていた。

傍で見ている私の方がメンタルをやられそうになった。

その言い方があまりにも厳しくて・・・。

本当は口を出したいのに出せないジレンマ。

夫は私が何も言えないことを分かっていて、わざとやっていたと思う。

ようやくテストの見直しが終わり、ホッとしたのも束の間。

今度は家用のドリルを出して、規定時間の半分で解くように指示を出した。

そんなのできる訳がない。

だって、実際の年齢よりも上のものをやらせていたんだから。

当然のように指示された時間内に解くことはできず、

「今日から毎日10時間勉強しろ」

と無茶な要求をつきつけた。

子どもはもう何を言われても『はい』しか言えない状態に。

傍でヤキモキしていた私は、

「もう十分でしょう?」

と止めてもらおうとしたのだが、

「うるせーんだよ!口出すなって言ってるだろ!」

とキレられ、何もしていない子どもの手をパチンと叩いた。

あっと思った時にはもう遅かった。

私に怒った腹いせに子どもを叩いただけ。

それなのに、夫は後から理由付けをして、

「鉛筆の持ち方が間違ってる!」

「姿勢が悪い!」

と怒鳴った。

その上、真っ新の紙に自分で問題を書いて、

「これ解けなかったら、もう小学校なんて行かなくて良い」

と訳の分からないことを言った。

その問題は子どもにとって見たことも無い記号が書かれていて、当然解けなかった。

それを見た夫は、ハァ~とため息をつきながら

「学校意味ないじゃん」

と子どもの頭を何度も叩いた。

今度は私も身構えていたので、間に入るようにしながら子どもをガードした。

一度だけその手が私の肩あたりに当たったのだけれど構わなかった。

子どもが痛い思いをしなければそれで良い。

その後は庇った私を気に入らない夫と言い合いになり・・・。

ちょうど義父が来たところだったので、助けて欲しくて視線を送った。

それに気付いてくれて

「もうその辺にしとけよ」

なんて言いながら止めに入ってくれたのだが、夫の怒りは止まらず今にも殴りかかりそうな雰囲気だった。

このままではマズいな。

そう思って離れようとしたら、いきなり夫が私の肩を掴もうとしてきた。

その手を避けるように逃げて、隣の部屋に移動。

義父が何やら説得していたみたいだが、納得できない夫が私の居る所までやってきて揉み合いになった。

『もう逃げるしかない』

私は子どもの手を引いて、玄関に走った。

背後では夫の怒鳴り声が聞こえた。

2025年4月6日日曜日

喧嘩するたびに実家に帰る義兄

結婚してからもトラブルの絶えなかった義兄夫婦

食事会の件以降、義両親は義姉のことを毛嫌いしていた。

まさか本人には言わないと思うのだが、私たちの前ではよく

「あの嫁はダメだ。性格がキツすぎる」

と愚痴をこぼしていた。

確かに気の強い部分があることは否定しない。

でも、義兄だって十分に酷い態度を取っていた。

だから、あの夫婦の場合には”おあいこ”なんじゃないかと思った。

どちらか一方だけが責められるような関係ではいずれ追いつめられてしまうから。

・・・そう、我が家のように。

だけど、義両親にとっては文句も言わずせっせと夫の世話を焼くような人が良かったみたいで、義姉の話をする時にはいつも不満そうだった。

そんな状況でも、最初の頃は何とか上手くやっていた。

段々と歯車が狂い始めたのは入籍してから3カ月位が経った頃だった。

余談だが、義兄たちは結婚式をしていない。

義姉が親戚とも疎遠で呼ぶ人が居ないからと言っていたが。

そうだとしても、家族だけ集めてこじんまりとした式とか挙げなくて良いのかな、と心配した。

食事会の時に、結婚式への憧れのようなものがあると教えてくれた義姉。

あの時は酔っていたけれど、彼女の様子からは本当は式を挙げたいと思っているように見えた。

それを正直に言えれば良いんだけどね。

そういうキャラじゃなくて、『式なんて興味ない』と言ってしまうようなタイプ。

義兄の方も彼女の気持ちを慮って何かをするタイプではない。

そうすると、心の中で思っているだけでは何も伝わらない。

パッと見や第一印象とは違って、実は義姉は結構『乙女』なタイプだったと思う。

結婚に対する理想もあったようだが・・・。

相手があの義兄なので、期待していたような結婚生活は送れなかった。


喧嘩ばかりの義兄たち、そこに義両親が参戦

義兄たちの夫婦喧嘩は頻繁だった。

あまりにも頻繁過ぎて、周りは慣れてしまった。

でも本人たちは結構大変だったんだと思う。

段々とぶつかることにも疲れてしまったようだった。

やがて義兄は衝突すると実家に帰るように・・・。

義姉もそれを促すように『実家に帰れ!』と言った。

こうなると問題を解決するのが困難になる。

何か話し合いたくても相手への嫌悪感から素直になることができない。

二人は元々上手く行っていなかったけど、状況は更に悪化した。

階段を一段ずつ降りるように少しずつ少しずつ。

こういう時って、周りはどちらかの肩を持ってはいけないのだと思う。

でも、義両親は義兄の肩を持ち、義姉を非難した。

『可哀そうに』と繰り返し言って、義姉への苛立ちを隠さなかった。

「あんな人と結婚させるために一生懸命育てたんじゃない」

という言葉が、義両親の気持ちをよく表していたのだと思う。

真新しい新居にたった一人残された義姉。

毎日どんな風に過ごしていたのだろうか。

話し合いたくても義兄が実家から帰ってこない。

自分には帰る家もない。

義姉は早くに両親を亡くしていて、たった一人のお兄さんとも疎遠だった。

私は未だに

「家庭運が薄いのよ」

と寂しそうに笑っていた義姉の横顔が忘れられない。

今度こそ幸せになれると思ったに違いない。

それなのに、ずっと一人で生きてきてようやくつかんだ幸せが幻だった。

それを悟った瞬間の失望は想像を絶するものだったに違いない。

義兄にはまだ逃げる場所があるから良かったけど、義姉にはそれが無かった。

結果的に、段々と精神的に追い詰められてしまった。

その異変に気付ける人も居なく、気づいたら取り返しのつかないことになっていた。

2025年4月5日土曜日

お義兄さん夫婦の抱えていた問題

お義兄さん達の結婚祝いのお食事会でもひと悶着

お義兄さんの奥さんはお義兄さんよりも5つ年下だった。

私の姉と同い年で、ちょっとパリピ臭のする人。

会話をすればどんどん話題が出てくるし、基本的に陽気。

だから、それなりに楽しかった。

こちらが話題を提供しなくても会話が続くというのも楽だった。

初めて会ったのは、二人の結婚が決まった時。

義両親も交えてみんなで食事をすることになった。

場所の手配は当然お義兄さんたちでしてくれるのだろうと思っていたのだが。

何故か『自分たちは忙しいから』という理由で義両親に丸投げしてきた。

だけど義両親もそういうのが苦手。

『どうしたら良いのかしら。どこにすれば良い?』と夫に相談し、巡り巡ってとうとう私のところにまで話が来た。

夫が私に伝える時には依頼ではなく命令だ。

拒否することなど許されないから渋々引き受けることになった。

みんなの好みを考慮しつつ日程の調整を行い、金額的にも許容範囲のお店を探して予約。

平日の日中はなかなか時間が作れなかったので依頼を受けた週の土曜日に手配した。

その時点で夫からは

「動きが遅くない?」

と文句を言われていて、義両親からも

「食事会の件、どうなってるの?」

と何度かせっつかれていた。

だから、手配が済んだ後すぐに夫と義両親に報告。

報告を受けた義両親はその日のうちに我が家にやってきて、

「なかなかいいお店だね」

とご満悦だった。

お義兄さんとは直接やり取りしたことが無かったので、そこは夫に伝えてもらうように依頼して完了。

やっとこの役目から解放されたかに見えた。

その日の夜、夫の携帯が鳴った。

お義兄さんからだった。

最初はお店の手配に対し、お礼を言われているようだった。

だが、段々と表情が険しくなった。

相槌を打ちながらチラチラとこちらを見てくる夫。

私は何だか嫌な予感がした。

電話を切った後、夫は

「予約したお店なんだけどさ・・・。兄貴たちが別の所が良いんだって」

とバツが悪そうに言った。

さすがの夫も全て丸投げしたくせに文句だけ言ってくるなんて非常識だと思ったのだろう。

私も内心は腹が立っていたのだが、表情を変えずに

「分かった。別の所探すね。今度はお義兄さん達に事前に確認しよう」

とだけ答えた。

その後は淡々と与えられた役割をこなした。

最初は『少しでも良いところを探して喜んでもらいたい』と思っていたのだけれど・・・。

どうでも良くなった。

次の週の土曜日に予約を入れ、食事会はその2週間後になった。


お義兄さんの奥さんと初対面

食事会の日、お義兄さんの奥さんと初めて会った。

噂に聞いていた通り、明るい人だった。

鈍くさい私と比べ、ハキハキしていて動きも早い。

初対面だと言うのに、まるで以前から知っていたかのように話しかけてくれた。

お義兄さんも良い人を見つけたのね。

他人事ながら喜んでいたら、お義姉さんが私の隣に来て

「(お義兄さん)はモラハラだよ」

と突然言ってきた。

えっ?と思って彼女の顔をまじまじと見ていたら、

「いつも酷いことばっかり言うの。まだ結婚する前だけど自信ない」

と続けた。

それなら婚姻届けを出す前にもう一度考えた方が良いんじゃないの?

まだ間に合うんだから。

と思ったのだけれど、その後の発言でズッコケた。

「でも結婚はするよ。だってもう家を買っちゃったんだから」

『モラハラだ』と言いながらも幸せそうなのには、そういう理由があったということだ。

真新しい新居に移り住むことを心待ちにしている様子で、とても嬉しそうだった。

食事会も終わりに近づいてきた頃。

お義兄さんから家の件で報告があった。

突然『皆さんに報告があります』なんて改まって言うものだから、一同シーンと静まり返った。

この時、お義母さんは赤ちゃんができたと思っていたようだ(笑)

全身から喜びがにじみ出ていて、『あらっ、何かしら』と言いながらソワソワしていた。

だが、家を買ったという話を聞いた瞬間にドーンと落ち込んでいて、その落差が凄かった。

その後は負のオーラを纏っていて話しかけることもできなかったのだが、帰り際に

「(子ども)ちゃんの従兄弟ができると思ったのにね」

とポツリと言っていた。

お義兄さん達はというと、食事会が終わった後に何やら言い争いをしていた。

原因は些細なことだったみたいだが、二人とも気が強いので収拾がつかなくなっていた。

それで珍しく夫が間に入って話を聞くことに。

そこでもお義兄さんがモラハラだという話が出て、義両親の表情が曇った。

だけど、お義兄さんが言うには『(お義姉さん)の言うこともおかしい』と。

こんな船出で大丈夫なのかと周りは困惑した。

2025年4月4日金曜日

元夫との復縁をすすめてくる知人

モラハラや虐待を理解している人は多くないのかも・・・

知人と話をしていた時のこと。

唐突に、

「元旦那さんと復縁する気は無いの?」

と聞かれた。

これが全く事情を知らない人の話ならまだ分かる。

でも、その人にはざっくりとこれまでの経緯を話してあった。

だから衝撃を受けてしまった。

モラハラや虐待って理解してもらうのが難しいのだと思う。

特にそういった事象とは無縁に生きてきた人たちにとっては。

ただ、こうやってそれを目の当たりにしてしまうと、やるせなさを感じずにはいられなかった。

全身の力が抜けるような脱力感。

家を出たり離婚の交渉をすることは、私たちにとっては命がけのことだった。

こんな目に遭った私たちのことを周りだって分かってくれるはず。

気づかないうちにそんな風に考えてしまっていたのかもしれない。

私はもちろん、

「復縁は絶対にないよ。あの生活に戻るなんて想像もできない」

とキッパリ否定した。

でも相手はその答えに納得できなかったのか、

「そうは言っても、離れてみて見方が変わることってあるでしょう」

と言ってきた。

離れてみて私は現実を知った。

自分の置かれていた状況をきちんと理解できるようになった。

『あー、あれは異常なことだったんだ』と気づいたのは家を出てからだ。

それまでは自分にも悪い所があるから夫を怒らせるんだと思っていた。

その後も、

「同じ人と再婚する人って案外多いらしいよ」

「まだ少しでも気持ちが残っているのなら、他の人にとられないうちに早めに動いた方が良いよ」

などとしつこく言ってきて、何だか嫌な気持ちになった。

「どんな所に惹かれて結婚したの?」

などと聞かれたって、今となってはもう良かった所なんて思い出せない。

記憶に残ってるのは怒った時の表情や声、無言の圧力だけだ。

子どもを叩いたり蹴ったりする姿も脳裏にこびりついている。

こうやって離婚した後もちょっとしたことで傷つき、誰からも理解されていないような寂しさを感じることがある。

相手も悪気があるわけじゃない。

世間話の延長でそんな話になっただけ。

そうだとしても、復縁という言葉を聞いただけで耳を塞ぎたくなった。


旦那さんが可哀そう、という世間の目

離婚した後、思わぬ攻撃を受けたことがある。

元夫と子どもの面会頻度を聞かれ、『会わせていない』と話した時、

「旦那さんが可哀そう!どんな理由があるにせよ父親ということに変わりは無いのよ」

と言われた。

本当は話したくなかったんだけど、仕方なく虐待の事実を淡々と伝え、

「子どもも会いたくないと思っているんです」

と言ったら、

「そうなるように誘導してるんでしょ。子どもの権利は奪っちゃダメ!」

と何故か憤っていた。

その人に怒られる筋合いは無いが、世間一般ではこういう見方をする人もいるんだなと勉強になった。

虐待に関しても納得できないようで、

「虐待って言っても感じ方は人それぞれだから。あなたがそう思っていても旦那さんは違うと思っていたわけでしょう?」

などと言われ、

「世の中は父親側が損をすることが多すぎると思うのよね」

と元夫に同情した様子だった。

母親が子どもを連れて家を出てそのまま離婚が成立し、父親がずっと子どもと会えていないという問題があることは知っている。

だけど、我が家とは全く別の問題だ。

それを一緒くたにされると本当に困ってしまう。

これが私を攻撃したくて言っているだけなら、そういう気持ちで聞き流せば良いんだけど。

「共同親権で少しでも不公平な現状が改善されれば良いのにね」

という発言から推察するに、恐らく本当に現状を憂いているのだとは思う。

『良い人なんだろうな』というのが分かるからこそ、残念な気持ちになった。

2025年4月3日木曜日

スマホゲームで元夫からフレンド申請?!!

深夜のフレンド申請・・・その名前に見覚えが

夜ご飯を食べ、洗い物をしてお風呂に入った後は自由時間だ。

大抵はテレビを見たりアマプラでドラマを観たりしている。

このリフレッシュ時間がとても大事。

時々スマホでゲームをすることもある。

結構長い間続けているゲームもあって、その世界観に何となくはまっている。

熱中するというほどでもないんだけど。

空き時間ができたらちょこちょこやる感じ。

先日夜遅くにゲームをしていたら急にフレンド申請が届いた。

もうフレンドはいっぱい居るので普段はあまりチェックしない。

でも、何故かその時は何となく確認しようかなと思って画面を開いた。

レベル的には『あ~まだ始めたばかりの人なんだな』という印象。

そして名前を見ると・・・。

あれっ?と思った

その名前には見覚えがあった。

もちろん本名ではないんだけど、過去に何度も見た名前。

思い出した途端に嫌な気持ちになったのは、元夫が使っていたものだったからだ。

一緒に居た頃、本名以外で登録する時によく使っていた。

もちろん偶然ということもあるんだけどね。

目にした瞬間に驚いて思考が停止してしまった。

アルファベットの並びとか使い方とか。

まさに!という感じ。

元々フレンドを増やすつもりも無いし・・・。

迷うことなく拒否を選択した。

この状況だったら誰でも警戒すると思う。

その名前が一般的なものならまだ分かる。

でも、元夫の感性は独特なので他の人が使わないような名前だ。

まさかとは思うけど、私だと分かっていて申請してきてないよね?と疑心暗鬼になった。

もしバレているとしたら、こちらにも落ち度がある。

というのも、私もいつも使っていた名前で登録していたからだ。

同じ発音でもアルファベットの使い方が分かれるような名前で、元夫ならピンと来るかもしれない。

と言っても今更変えられないしゲームも止めたくない。

それにまだ元夫と決まったわけでもない。

ということで、とりあえず様子を見ることにした。


再びのフレンド申請に警戒感MAX

そのゲームは、男性がやっているというのをあまり聞かない。

だから女性が男性っぽい名前でやっているのかな、とも思った。

元々ゲーム内でコンタクトを取る手段はほぼ無くて、フレンドにならなければそれで終わり。

相手はそれ以上何もできないと考えて、この件は放置することにした。

それからはいつも通りゲームを楽しんでいたのだが・・・。

その数日後。

驚くことに、またあの名前の人からフレンド申請が届いた。

今度は見ただけでちょっと手が震えた。

やっぱり本人なのかな。

そもそも2回も申請してくること自体が異例のこと。

それで私の警戒心もMAXに。

元夫は結構執着するタイプだから、本人の可能性が高まったとも言える。

でも、たまたま同じ人に申請してしまったという可能性も残されている。

私はまたしても考え込んでしまった。

フレンドになるという選択肢は無いのだが、拒否し続けても大丈夫かなと不安になった。

変に恨みを買ってしまい、その後暴れられても困る。

うちに来て嫌がらせをされたり子どもにしつこくされるのも怖い。

フレンドになるとプレイをしている時間なんかも分かってしまうので、絶対に避けなければならなかった。

ただ、2回目は怖くて拒否することができず、気づかないフリをすることに。

いや、相手は気づいているかどうかなんて分からないんだけど。

『前回拒否したのに今回はスルーなんだから、気づいてないんだろうな』と思わせたかった。

思えば、離婚してからもずっと夫の影に怯えて暮らしてきた。

道で似た人を見れば息が止まるほど驚いて、物陰に隠れた。

子どもも同じで、以前駅前で似た人を見かけた時には怖くて家に帰れなくなってしまった。

それで私の仕事が終わるのを待っていた。

帰りの道沿いにあるお店の中で震えながら待っていたことを知った時には胸がギュッとなった。

それくらい恐怖を感じているということだ。

早くこの恐怖心から解放されたいけれど、その方法が分からない。

2025年4月2日水曜日

急な引継ぎに戸惑う同僚

詳しいことを伝えられなくて

いつ修羅場になるか分からないくらい緊迫した毎日だった。

だから、家を出たいと思うのも自然なことだったのかもしれない。

その時が来たら迷わず出よう!と決心したのだけれど・・・。

タイミングを見極めるのがとても難しかった。

用心深く夫の様子をうかがいつつチャンスを待つ私たち。

そのことばかり考えていたので、あの頃は終始緊張していた。

だけど、待っている時に限ってそういうタイミングがやって来ない。

本当は決心が鈍らないうちに動きたかったのだけれど、なかなか思うようにはいかなかった。

あまりにも膠着状態が続いたので、ちょっと不安になったことも。

『あれっ?もしかしてこのままズルズルいってしまうのでは?』

一度そんな嫌な想像をしてしまったら余計に焦りが出てきた。

無理やり動くことも考えたけれど、やっぱり上手くいかないような気がして踏みとどまった。

膠着状態と言っても決して平和だったわけではない。

常に低空飛行という感じで、ずっとじわじわと辛かった。

ドーンと落ち込むのも嫌だけど、じわじわと辛いのも結構しんどい。

大きなきっかけが無いまま時間だけが過ぎていき、精神的にはより窮屈になった。

こういう時は色々と考えてしまうので、できるだけ動いた方が良いのだと思う。

私の場合は、時間を無駄にしてはいけないと考えて業務関係の引継ぎや連携をこっそり始めた。

同僚に会議室に来てもらい、

「実は今行っている業務を引き継ぎしておきたいんだ」

と伝えた。

聞いた瞬間、驚いたような顔をして

「えっ?辞めるの?」

と聞かれたので、慌てて否定した。

「ううん。辞めるわけじゃないんだけど。もしかしたら何日間か来られない日があるかもしれなくて」

こんな説明で納得してくれる人が居るだろうか。

私だったら訝しんできっと何か隠してるんだろうな、と考えてしまうと思う。

だけど、同僚は快く引き受けてくれて、

「よく分からないけど、引き継がなきゃいけないっていうのは分かった」

と言ってくれた。

ハッキリ言って、家族である夫よりも会社の同僚や知人の方がはるかに優しかった。

人ってこんなに優しいんだ、と私はたびたび感動した。

この時、詳しいことを伝えられないのが本当に心苦しくて・・・。

しかも、会社まで巻き込んで大事になってしまった。

ここまでしても、もしかしたら身動きが取れないまま『その時』がやってこないかもしれない。

夫との対峙も怖かったが、『その時がやって来ないかもしれない』という不安も大きかった。


上司への報告と夫からの疑惑の目

引継ぎを終えたところで、だいぶ気持ちが安定した。

こうやってちょっとずつ準備をしていけば、きっとうまくいく。

大丈夫。

そう自分に言い聞かせるように目の前のことを処理していった。

それまではメソメソしたり考え込んだり。

塞ぎこむことの多かった私だが、動いているうちに少しだけ吹っ切れた。

ほんの些細な変化だと思うのだが、恐ろしいことに夫は何かに勘づいた。

「お前、何か企んでない?」

何度もそう聞かれた。

過去に何度か家出を試み、そのたびに失敗したという前科がある。

夫はそれを思い出して警戒したのかもしれない。

私の方も、これ以上勘づかれてはまずいと慎重に行動することにした。

それにしても夫はなぜあんなにも鋭いのか。

まるで心の中を読まれているみたい。

コッソリ貯めたお金のこととか仕事のこととか。

知られてはいけないことがたくさんあって、毎日冷や汗ものだった。

最終的に大事なものは会社に置かせてもらうことになったのだが。

会社といっても色んな人が居る。

鍵がいくつかあると安心できないので、私だけがカギを持っている棚を利用した。

しかも、ぱっと見では分からないように奥の方にしまいこんで目立たなくした。

犬が大事な骨を埋めて隠すような感じ?

きっと開けっ放しにしてあっても誰も気づかなかったに違いない。

着々と準備が進む中、まだ大きな問題が残っていた。

それはしばらく滞在できる所の確保だ。

実家や姉の所はすぐにバレてしまうし迷惑がかかる。

親戚も割と近くにいるけれど、こんな時ばかりお世話になることはできない。

モラハラ夫がすぐに探し当てられるという点でも現実的では無かった。

以前は電車で数十分の観光地に身を隠そうかな、なんて考えたこともあった。

だけど、いざそういう時が近づいてきたらメンタル的に無理だと分かった。

とてもじゃないが、そういう気分にはなれない。

そんなこんなで、滞在先探しに本腰を入れることにした。

2025年4月1日火曜日

仕事が続かない夫

ブランクがあっても雇ってもらえたのに

元夫は何年もの間働いていなかった。

体調不良もあったから仕方がないと言えば仕方がない。

そのままずっといってしまったら将来どうするんだろう。

他人事ながら心配していた。

離婚した後、夫は実家に戻った。

それからしばらくしてから就職活動を始めた。

働く気はあってもブランクがあるから難しいだろうな。

結婚後数年しか働く姿を見ていなかった私は、そんな気持ちで傍観していた。

だけど、意外にもあっさりと次の職を見つけた。

意外と決まるものなんだな。

ずっと引け目を感じていたことも知っていたから、本当に良かったな~と思っていた。

内定を頂いてからすぐに働き始め、次に連絡が来たのは1か月後。

その時点でかなり怪しかった。

せっかく決まった仕事をもう辞めそうというか・・・。

まだ慣れるのに必死の頃だと思うのに粗探しばかり。

それを私に言ってきて『なあ?酷いだろ?』と同意を求めてくる。

まさかとは思うけど、1か月やそこらで嫌になったんじゃないでしょうね。

でも自分の置かれた状況は理解しているだろうから簡単には止めないよね。

そんな風に思っていたのだが、そのまさかだった。

何と2か月後には『もう辞めるわ』と言い始め、たった3か月で退職した。

雇ってくれた会社もどう思っただろうか。

ブランクがあってもやる気を見てくれたわけだけど。

こんなに短期間で辞めてしまうなんて考えてもいなかったはずだ。

長い長いブランクの後の職場復帰は、こんな感じであっさりと終了した。


一目置かれる存在になりたい夫の現実とのギャップ

自分は凄い人間だ。

他の人たちからもっと尊敬されるべきだ。

いつもそんな考えが根底にあった。

だから、職場などで少しでも扱いに不満が出るとすぐに辞めたくなった。

私と付き合い始めてから結婚して数年の間は奇跡的に同じ仕事を続けていた。

だけど、結婚して数年で辞めてしまい、その後はずっと無職。

無職というと聞こえが悪いので、周りにはテレワークということにしていた。

私も子ども関連で聞かれた時には言葉を濁してそのように匂わせた。

だけど、子どもは正直だから、

「パパはずっとお家にいるよ。何もしてないよ」

と言ってしまう。

嘘を言わせるのも良くないし。

正直に言うのも憚られる。

この問題は一緒にいる間ずっとついて回った。

夫は夫で、子どもがカミングアウトすると物凄く怒った。

そうは言っても幼児だから上手に嘘なんてつけないんだよ。

そう伝えると、

「コイツが馬鹿だからそんな簡単なこともできないんだ」

と子どものせいにして𠮟りつけた。

子どもからしたら訳の分からないことで怒られているような感じになってしまう。

あまりにもそういうことが多かったので、子どもは段々と夫のことを外では口にしなくなった。

家の中でもあまり話さず、必要最低限のことを伝えるだけ。

夫は子どもからも慕われる自分を理想としていたので、それも許されなかった。

口調や態度から、『もっと俺を敬え』という圧力をかけた。

その頃の子どもは私同様ちょっとした異変にも気づくようになっていた。

夫の気持ちを敏感に感じ取り、今度は一緒に居る時にわざとはしゃいだり饒舌になったりした。

夫がそれで満足してくれれば良いのだけれど・・・。

機嫌が悪いと『うるせー!!!』と怒鳴りつけた。

どうしたら良いのか途方に暮れる子ども。

可哀そうで見て居られなかった。

夫にもう『少し態度を改めて欲しい』と伝えたこともあったけど。

『お前ごときが俺に口を出すな』と話にならなかった。

馬鹿にしている私の意見なんて聞けないということだ。

対等に話すこともできない夫婦なんて終わってると思う。

あの偏った考えに苦しめられた私たちからすると、夫を慕う仲間たちが異様に思えた。

でもそれも仕方のないことなのかもしれない。

だって外面がとても良くて、仲の良い友人は皆騙されていたのだから。

本当の姿を知っているのは私たちだけだ。

私たちが家を出た夜に夫が向かった場所

義父からの連絡を無視し続けた私たち あの日、私たちが家を出た後に真っ先に連絡をしてきたのはお義父さんだった。 お義父さんはいつも言う。 『帰ってきてくれないと、こっちも困っちゃうよ』と。 そう言いながら、私たちの苦しみからは目を反らし続けた。 どうにもできなかったのかもしれない。...