2026年1月7日水曜日

誰も助けてくれない家で

紙一枚に詰め込まれた圧力

話し合いの最中、夫は何やらメモを取り続けていた。  

てっきり議事録のような内容だと思っていたのだが、まったく違った。  


突然、夫が立ち上がり、その紙を差し出した。  

私は何気なく受け取ったが、手にした瞬間、息が止まった——  

そこには、私の想像をはるかに超える要求が並んでいた。

受け入れられるものは一つもなかった。


・別居中は子どもに毎日会わせる。難しい場合は宿泊で対応。

・滞在先は必ず明らかにする。

・滞在先の家主(先輩)と話し合いの機会を設ける。

・勝手に家を出たことを反省し、被害者である夫に慰謝料を支払う。

・反省文を作成(日付・記名・押印)。

・でっちあげの虐待の証拠を破棄。

・今後の話し合いには誠意を持って応じること。

・けじめとして、一度家に戻り、これまで通りの生活に戻る。


よくもまあ、こんなことばかり思いつくものだ、と頭が真っ白になった。


震える手で紙を受け取った私は、脳内が完全にパニックに陥った。

どうしよう、どう答えれば——。

答えは出ず、ただ焦りだけが胸に広がる。


夫はこういう時の”間”を嫌う。

ほんの一瞬でも返事が遅れれば、『異論はないな』と勝手に決めてしまう。

それだけは絶対に避けなければならなかった。


だから、言葉を選びに選び、慎重に慎重に、現実的でない条件を一つずつ説明した。


壊れたマグカップと奪われた思い出

あの内容だもの。

反論されることは、夫は最初から織り込み済みだったのだろう。


指摘すると、夫は激しい怒りをあらわにした。

それを恐れて、オブラートに包んだ言葉を選んだつもりだったのに。

受け入れられなかったこと自体に不満を持ったらしく、

「お前はいつも自分のエゴを押し通そうとするんだよな!」

と、叫ぶように言った。


それでも私は、ポーカーフェイスを装い、平気なフリをして譲歩できないことを伝え続けた。

内心は心臓がバクバクで、手のひらは冷たく汗ばんでいた。


自分の要求を受け入れてもらえないと悟った夫は、いつものように荒れ狂った。

そして、想像を絶する行動に出る——


私の目の前にあったマグカップを掴み、柱に向かって投げたのだ。

わざわざ私の方のカップを選んで。


そのカップはペアだった。

二人でふらりと寄ったお店で一目惚れした、幸せな思い出の品。

全く同じものを購入したので、間違えないように裏に各自のマークまで描いた。


あの日の私は確かに笑っていた。

未来に希望を抱き、胸いっぱいの幸せを感じていた。


それが、目の前で——。

陶器だから粉々に砕け散った。


衝撃が大きければ、陶器でなくても無事では済まなかっただろう。

この人は、思い出までも壊すのだ——と、震えながら痛感した。


その日、また一つ、私の大切な思い出が失われた。

でも、涙は出なかった。

2026年1月6日火曜日

あの日、味方はいなかった

逃げ場のない待ち時間

お義父さんは、その日に限ってなかなか来なかった。

普段なら、呼べばすぐに飛んでくる人なのに。


子どもが来ていないことを分かっているからか、

足取りは不自然なほど遅かった。


夫と二人きりで向き合っていると、息が詰まる。

言葉を交わす以前に、空気そのものが重くのしかかってくる。


だから、誰でもよかった。

そこに「第三者」がいてくれさえすれば。


もうこの際、決して味方にはなってくれないであろうお義父さんでも構わないと思った。

けれど、面倒な話し合いを避けたかったのか、お義父さんはゆっくり、ゆっくりとやって来た。


待っている間、夫の苛立ちは目に見えて膨らんでいった。

ドアを乱暴に閉め、コップをテーブルに叩きつける。


今にも、何かが爆発しそうな気配。


私は刺激しないよう、神経をすり減らしながら様子をうかがった。

何か攻撃できる材料はないかと探す夫と、隙を見せまいと身構える私。


この時間が一刻も早く終わってほしい。

そう願っていたのに、その攻防は一時間以上も続いた。


夫が立ち上がるたび、体がびくりと反応してしまう。


直接的な暴力はあまりなかった。

けれど、物に当たる音や、威嚇するような動作は何度も経験してきた。


それに——

子どもを守ろうとした時、拳が当たったこともあった。


鈍い痛みを感じた。

それでも、頭に浮かんだのは自分のことではなかった。


もっと頻繁に、もっと理不尽な形で傷つけられている子どものこと。

自分が傷つくより、子どもが傷つけられる方が、何万倍も痛かった。


そのたびに、夫への嫌悪感は積もっていった。


万が一、何か起きたとしても、守るべきは子どもだけだと思っていた。

もし、自分か子どもか、どちらか一方しか救えないのだとしたら、迷う理由などなかった。


だから、必死だった。

いつも全力で守っているつもりだった。


それでも、足りなかったのだと思う。


あの家から出ること。

それ以外に、解決策はなかった。


あの部屋で、夫と向かい合って話をしていると、過去の光景が、否応なく鮮明によみがえってきた。


結局、味方は居なかった

お義父さんがようやく到着した頃には、私はもうすっかり疲れ切っていた。


玄関のドアが開き、のんびりした口調で

「来たぞ〜」

と言いながら入ってくる。


こちらは限界寸前だというのに、あまりにも温度が違いすぎて、一瞬、言葉を失った。


ただ、部屋に足を踏み入れた途端、お義父さんの表情が変わった。

一目で、この空気の異常さが伝わったのだと思う。


すぐにテーブルの脇に腰を下ろし、

「今日はどうした?」

と、本題に入ろうとした。


私は、お義父さんをいきなり巻き込んでしまったことを思い、出来るだけ簡潔に事情を説明した。

滞在先を調べられたことが、どれほど恐ろしく感じられたかも、正直に話した。


すると、お義父さんは少し考えるような間を置いてから、こう言った。

「何をそんなに怖がる必要がある?

家族なんだから」


——いや、待って。


あの修羅場を、あなたは知っているはずでしょう。

それでも、本気で『怖がる必要はない』と思っているのだろうか。


これまでの出来事に対しても、感じ方に温度差があるとは思っていた。

けれど、ここまでとは思わなかった。


そこから先は、どちらの感覚が一般的か、どちらが大げさなのか、そんな話にすり替わっていった。


今思えば、そんなことは何一つ重要ではなかったのに。

あの時の私は、『ここで引いたら、自分だけが過剰反応している人になる』

そのことに必死だった。


結局、誰も譲らなかった。


「まあ、感じ方は人それぞれだからな」

お義父さんは、どこか不満そうにそう言った。


その間、夫は何をしていたのか。

気づけば、私に求める条件を書いた紙を用意していた。


このまま話し続けても意味がない。

そう思って立ち上がろうとした、その瞬間。


一枚の紙が、無言で目の前に差し出された。


「ここにサインして」


それは、話し合いの結果ではなかった。

追い詰められた末に突きつけられた、一方的な要求だった。


私は、震える手を必死に押さえながら、その紙を見つめた。

2026年1月5日月曜日

「毎日会わせろ」という夫の要求

舌打ち一つで凍りついた部屋

「少しの間でいい。子どもと過ごす時間が欲しい」


夫はそう言った。

けれど私は、考えるより先に首を横に振っていた。


無理だ。

二人きりになんて、できるはずがない。


その“できなさ”が、夫にはどうしても分からないらしかった。


「お前は、いつも自分の都合ばかり押し通そうとする」


そう責められても、子どものことを思えば答えは一つしかない。

夫と一緒に暮らすという選択肢など、最初から存在しなかった。


その日も夫は、ただ「一緒に暮らしたい」と繰り返すばかりで、話は一向に前に進まなかった。

私は途方に暮れ、誰か第三者に助けを求めたい気持ちでいっぱいだった。


けれど、その場にいたのは夫と私だけ。

以前は頻繁に出入りしていた夫の友人たちの姿もなく、時間だけが重く、無意味に過ぎていった。


途中、夫の電話が鳴った。

彼は一瞬だけ画面を確認し、すぐに伏せるようにテーブルへ置いた。


「用事があるなら、そっちを先に済ませてもいいよ」


そう声をかけてみたけれど、夫は相変わらず険しい表情のまま、何も答えなかった。


こういう時の夫は、いつも以上に厄介だ。

譲歩したことなど一度もないくせに、私たちを思いやる気持ちがあるかのように振る舞う。


どれほど自分が辛い思いをしてきたか。

それがどれほど正当な要求なのか。

夫は感情を積み上げるように、切々と訴えてきた。


ああいう人と対等に話すには、よほど頭の切れる人間でなければ無理なのだと思う。

私はきっと、あまりにも簡単に言いくるめられる相手だった。


話しているうちに、何が問題だったのかさえ分からなくなってくる。

気づけば、物事は夫の思い通りに進みかけていて、はっとして焦った。


その時も、沈黙と威圧を巧みに使い分けながら、夫のペースに引きずり込まれそうになっていた。


危うく、子どもを数日間預けることに同意させられそうになり、

直前で我に返って、慌てて口を開いた。


「ダメだよ。

(子ども)の心の傷が、これ以上深くなったら取り返しがつかなくなる」


拒絶の言葉を向けると、夫は明らかに不機嫌そうに舌打ちをした。


その舌打ちが、私は怖かった。


空気がざらりと変わり、苛立ちが肌に刺さるように伝わってくる。

今にも何かが起こりそうな気配に、私は息を潜めるしかなかった。


怒りの段階が一つ上がった。

そう直感した瞬間、体が強張り、動けなくなった。


子どもの拒絶が届かない人

預けることを拒むと、夫は今度は言い方を変えてきた。


「じゃあさ、学校帰りにうちに寄れよ。

少し話すだけでもいいんだから」


まるで妥協案のような口調だった。


どれくらいの頻度を考えているのかと尋ねると、返ってきた答えは「毎日」だった。


――毎日。


現実的じゃない。

それ以前に、子どもへの負担があまりにも大きすぎる。


大嫌いな“パパ”に、帰り際、毎日会わなければならない。

そんなもの、地獄でしかない。


無理だと思った。

だから、そのまま正直に伝えた。


そもそも、私が無理やり会わせないようにしているわけではない。

拒んでいるのは、子ども自身だ。


虐待の生活から逃れたあと、

「もう二度と会いたくない」

そう、ぽつりと口にしたことがあった。


あれは、その場しのぎの言葉ではなかった。

心の底から絞り出した、本音だったと思う。


けれど、自己愛性人格障害の夫には、それがどうしても理解できない。

あれだけのことをしても、子どもから尊敬されていると本気で信じて疑わないのだから。


理想の生活を送れないのは、すべて私のせい。

私が邪魔をしているからだと、夫は考えた。


「自分勝手な言い分で子どもを洗脳する妻から、子どもを奪還する」


そんな物語をでっちあげ、それを正義のように振りかざして責め立ててきた。


話し合いは、いつの間にか二時間を超えていた。

私はだんだん言葉を失い、口数も減っていった。


それとは正反対に、夫はますます生き生きとし、同じ主張を何度も繰り返した。


大声で怒鳴られるたび、耳の奥がぼわんと痺れ、頭まで痛くなる。

これは、一緒に暮らしていた頃、ほぼ毎日のように繰り返されていた光景だった。


夕方になり、夫は突然、義父に電話をかけ始めた。

味方が欲しくなったのだと思う。


そこからが、また長かった。

2025年12月27日土曜日

子どもの身体が出していたサイン

最初に現れた異変

あれっ?――今の瞬き、何かおかしい。

そう感じたのは、子どもがまだ3歳の頃だった。


よく見てみると、それは一度や二度ではなく、驚くほど頻繁だった。

最初は「変わった癖があるのかな」くらいに思っていた。

けれど、日が経ってもおさまる気配はなく、そのたびに胸の奥がざわついた。


調べてみると、それは「チック」と呼ばれる症状らしかった。

幼い子どもにもよく見られる、と書いてある。

その言葉に、少しだけ安心しかけた。

――けれど、どこかで納得できない自分もいた。


あまりにも続くので、私は子どもにそっと声をかけながら、原因を探り始めた。

そして行き着いた答えが、「虐待」という言葉だった。


その頃、子どもはすでに、幼い心には重すぎるほどの厳しさにさらされていた。

大人の私でさえ身がすくむような声で怒鳴られ、時には手が出ることもあった。

必死で守ろうとしても、どうしても守り切れない瞬間があって、

その積み重ねが、どれほどのストレスになっていたのかと考えると、胸が苦しくなった。


だけど、『かわいそう』と思いながらも、

「それ、できるだけしないようにしようね」

と声をかけるだけで、しばらく様子を見ることにした。


自然に消えることも多い――そんな情報を信じて、どこかで楽観視していた。

けれど、数か月経っても症状は消えなかった。


焦りと不安が、静かに、でも確実に膨らんでいく。

このまま治らなかったらどうしよう。

そう思っても、夫には何も言えなかった。


ただひたすら、気づかれないように。

少しでも被害が及ばないように。

私は、夫の虐待から子どもを守ることだけに必死になっていた。


それは“指摘”ではなく“攻撃”だった

子どものチックに、夫が気づくまでには数か月かかった。

やっと違和感を口にするようになったけれど、それは「心配」からではなかった。


もし、やさしい父親だったなら。

一緒に考えたり、病院を調べたり、子どもの気持ちを想像したりできたはずだ。

けれど、我が家はそうではなかった。


そもそも、チックの原因が夫の虐待にある可能性が高かった。

だから私は、できるだけ関わってほしくなかったし、

あえて気づかれないように、静かにやり過ごそうとしていた。


それなのに、ある日突然、夫は言った。


「コイツ、変な仕草してるよな」


胸がひやりとした。

余談だが、夫は子どもに不満があるとき、必ず「コイツ」と呼ぶ。

普段は名前で呼ぶから、その呼び方ひとつで機嫌や危険度が分かってしまう。


その言い方で、どういう感情を向けられているのかがはっきり伝わってきた。

だから私は、あえて大事にはせず、


「そのうち治まるらしいから」


それだけを、できるだけ平静を装って答えた。


けれど後日、夫が些細なことで子どもを激しく怒鳴りつけ、

その後も執拗に責め続けているのを見て、思わず口を開いてしまった。


「そんな風に怒鳴らないで!ストレスになっちゃうんだよ!」


案の定、夫は激怒した。

こちらの言葉など一切届かず、反省の色もない。

自分が悪いとは、微塵も思っていない様子だった。


その態度に失望して、私はさらに言ってしまった。


「余計に酷くなっちゃうから」


次の瞬間、目の前をコップが飛んだ。

ガシャン、と激しい音を立てて砕け散った、薄い青色のコップ。


あまりの出来事に、血の気が引いた。

咄嗟に子どもに覆いかぶさり、守った。

斜め後ろにいた子どもは、幸い無事だった。


「俺が悪いのかよ!!!」


叫びながら、なおも暴れる夫。

今にもこちらへ向かってきそうなその姿に、体が固まった。


ふと腕の中を見ると、

子どもは小さな手で両耳を塞ぎ、震えていた。

そして、あの不自然な瞬きを、せわしなく繰り返していた。

2025年12月25日木曜日

話し合いの形をした支配

すべてを私の責任にする人の論理

夫の言い分は、こうだった。


わざわざ遠い場所に住み、低学年の子どもを元の学校に通わせ続けることこそが虐待だ、と。

子どもにかかる負担が分からないのか。

そんなことも分からないなら、母親失格だとまで言われた。


確かに、子どもにとって大変な状況だったと思う。

電車に乗って学校へ行き、帰りもまた電車。

私が迎えに行くまで待たなければならないし、友だちと自由に遊べないという制限もあった。


負担をかけていたのは事実だ。

そこは、私も否定しない。


でも、私にも言い分がある。


家を出た直後、学校のことは何度も悩み、子どもと話し合った。

そのたびに返ってきたのは、

「転校したくない」

という言葉だった。


だから私は、今の学校に通い続けられる方法を必死に探した。

もう少し大きければ一人で通う選択もあったのかもしれない。

けれど、当時は現実的ではなかった。


それでも、不思議なことに。

あの大変さの中で、私たちの毎日はどこか新鮮でもあった。


帰り道に、ふらっと途中下車して寄り道をする。

たまには外でご飯を食べる。

そんな「自由な世界」があることを、うちの子はそれまで知らなかった。


私はもう大人だから、本来は自由に生きていたはずなのに。

気づけばその感覚をすっかり忘れ、縛られる日々が当たり前になっていた。


それに、夫があんな仕打ちをしなければ、そもそもこんな状況は生まれていない。

そこを完全に無視して、私だけを責めるのは、どう考えてもおかしい。


すべての始まりは、夫自身が蒔いた種だ。

その事実を、都合よく忘れているようにしか見えなかった。


モラハラや虐待さえしなければ、今も家族で暮らしていたはずだ。

そんな単純なことすら理解できないのなら——

この人と何を話しても、もう無駄だと思った。


論点をずらして怒鳴る人

言われっぱなしでは分が悪い。

それでは、また夫の思い通りになってしまう。

そう思って、私は反撃した。


夫の虐待という、やむを得ない事情があって自宅を離れたのだ。

だから、今の状況についてあなたに責められる筋合いはない。

そう、はっきりと釘を刺した。


子どもの意思をきちんと尊重した上で決めたことだ、ということも伝えた。

淡々と話したつもりだった。


けれど、反論されるとは思っていなかったのだろう。

夫は激怒し、

「今、そういう話をしてるんじゃない!」

と怒鳴った。


怒鳴り声が耳に残り、奥がジーンとした。

怖かった。

それでも、言わなければならないことがあった。


「未だに虐待の事実を認められない人とは、一緒にいられない」


そう伝えると、夫は

「俺がいつ虐待したんだよ!」

と言った。


その言葉に、本当に驚いた。

反省どころか、事実そのものを否定していたのだ。


では、子どもが転校することには賛成なのか。

そう尋ねると、それは違うという。


「転校なんてさせるな。それはお前のエゴだ」


そう責められても、ではどうすればいいのか。

結局、私が何をしても気に入らないのだと、そのとき思った。


ただ、この時点では、

まだ肝心なことを聞けていなかった。


私たちの居場所を調べて、

夫はいったい何をしようとしているのか——。

2025年12月24日水曜日

私たちの静かな戦い

静寂の中の記録

インターフォンを押すと、すぐに室内に通された。

そこはかつて私たち家族三人で暮らした場所。

ほんの数か月前までは、そこに私たちが確かに存在していたはずなのに――。

懐かしさは微塵も感じられなかった。

立った瞬間に胸が締め付けられ、息が詰まりそうになる。

帰りたい――そう思わずにはいられなかった。

虐待やモラハラの記憶が、あまりにも鮮明に蘇るのだ。

子どもが叩かれ、蹴られる姿を何度も目撃した恐怖。

一日中無視され、張り詰めた空気の中で息を潜めて暮らした日々。

その全てが、この部屋に染みついていた。

だから、ここは私にとって決して「懐かしい場所」ではなかった。

促されるままテーブルの前に座ると、夫はペンを取り出し、静かに書き始めた。

そしてこちらを見て言った。

「今日のことは記録するから。お前もその方が良いよな」

もちろん記録することには賛成だ。

過去の話し合いでは、『言った』『言わない』の争いで何度も心が擦り切れた。

だからこそ、記録は必要だった。

部屋には私たち二人だけ。

テレビも音楽もない、静寂が支配する空間。

その静けさの中に立つと、何だかこれが現実だとは信じられなくなる。

夢――そうであればどんなに楽だろう、とも思った。

夫が何をしているのか分からないまま、準備が整うのを待った。

やがて彼はテーブルの前に座り、マグカップに入ったお茶を差し出した。

結婚前に揃えたペアのカップ――ずっと奥にしまわれていたはずのものだ。

わざわざ持ち出してきたその行為に、私は無意識に警戒していた。


静寂の中の記録

一体、夫はいつから私たちの居場所を知っていたのだろうか。

少なくとも、2〜3か月前までは知らなかったはずだ。

もしかしたら、巧みに騙していたのかもしれない。

手紙を送ってきたことがただの脅しだとしても、無かったことにはできなかった。

すでに、平穏な日常は壊されてしまったのだから。

最初のうち、夫は非常に無口だった。

沈黙に耐えられなくなった私は、一人でぺらぺらと話し始めた。

その中で、手紙のことについても訊ねた。

「どうやって住所を知ったの?」

「これからどうするつもりなの?」

夫は面倒くさそうに、ポツリポツリと答えるだけだった。

夫の場合、大声で怒鳴るのと同じくらい、低く、言葉少なに話すときが怖い。

私は身を強張らせ、逃げ出したい衝動に駆られた。

「〇〇駅なんて、(子ども)のことをちゃんと考えてるのかよ」

唐突に言われたその一言に、すぐには答えを返せなかった。

学校のことだろうと予想はついたが、私たちが試行錯誤しながらやっと乗り越えてきた問題だった。

不安な気持ちでそれを伝えようとした瞬間、

「こういうのが虐待って言うんじゃないか?!」

低く鋭い声が突き刺さり、鼓動は一気に早くなった。

強い言葉で責められるとパニックになってしまう――その癖は、まだ抜けていなかった。

2025年12月23日火曜日

あの日、私は逃げなかった

夫の策略だと分かっていて、私は会うことを選んだ

手紙を受け取った私は、すぐに行動に移した。

まずは、先輩の家に来ないよう、はっきりと釘を刺さなければならなかった。

ただお願いするだけでは、聞き入れてもらえないだろう。

そこで私は、会うことを了承した。

夫は、自分が損をすることは決してしない人だ。

譲歩もしない。

だからこそ、真正面から正論をぶつけても、うまくいかないと思った。

それならいっそ、こちらが一部を譲り、その代わりに要求を受け入れてもらうしかない。

うまくいくかは分からないが、それでもその戦法でいくことにした。

このとき、子どもはひどく不安そうで、私の様子を気にしているのが分かった。

もともとは大らかで、少し鈍いところのある子だった。

それが、いつ怒り出すか分からない父親に怯え、敏感になってしまったのだろう。

連絡を入れると、夫からはすぐに返事が来た。

きっと、これも予想していたに違いない。

相手を追い詰めて動かすのは、夫の常套手段だ。

まんまと策略に乗ってしまった気もするが、今回はあえて乗ることにした。

それにしても、夫のメッセージはいつも威圧的だ。

無理やり相手を動かそうとしているのが、はっきりと分かる。

すべてが自分の思い通りになると信じている、その自信が透けて見えて非常に不快だった。

話し合いの場所に指定されたのは、かつて私たちが暮らしていたあの部屋だった。

夫は相変わらずそこに住んでいて、私は家賃を払い続けていた。


インターフォンを押すまでの長い時間

呼び出されたその日は、朝から落ち着かなかった。

子どもはちょうど、友達と出かける予定が入っていた。

忘れもしない。

曇り空で薄暗く、念のため折り畳み傘を持たせた。

友達のお母さんが付き添ってくれるというので、お礼を伝え、その場を後にした。

そのまま電車に乗り、途中で手土産を買った。

バカみたいな話だが、夫の機嫌を取るためにあれこれと考えてしまう癖が抜けなかった。

手ぶらより何か持って行った方がいいだろうと思い、好物のお菓子を選んだ。

こんな時、離れていても、まだ夫の支配から抜け切れていないのだと実感する。

まず最初に浮かぶのが、「怒らせないように」という考えなのだから、我ながら終わっている。

それでも、怒りに触れたときのあの絶望感が頭から離れず、少しでも避けたいと思ってしまった。

最寄り駅に着き、家へ向かって歩き出してからも、気が重くて足が進まなかった。

必要なことだと分かっていても、やはり話し合いは怖い。

外で会えばよかったかもしれない――そんな後悔を繰り返しながら、家の前に着いた。

ドアの前に立ち、中の様子をうかがったが、物音はしなかった。

しんと静まり返り、まるで誰も住んでいない家のようだった。

インターフォンを押そうと手を伸ばすが、震えてなかなか押せない。

逃げ帰りたい気持ちが込み上げた、そのとき、ふと子どもの笑顔が浮かんだ。

あの笑顔を守りたい。

そのためなら、何だってする。

私は大きく息を吸い込み、そのままの勢いでインターフォンを押した。

誰も助けてくれない家で

紙一枚に詰め込まれた圧力 話し合いの最中、夫は何やらメモを取り続けていた。   てっきり議事録のような内容だと思っていたのだが、まったく違った。   突然、夫が立ち上がり、その紙を差し出した。   私は何気なく受け取ったが、手にした瞬間、息が止まった——   そこには、私の想像を...