粘る夫
「帰ってください」とお願いしても、
一向に動く気配がない。
それも当然か。
だって夫は、
子どもと過ごすことが
自分の当たり前の権利だと
思っているんだから。
虐待したことも認めていない。
だから、
子どもから拒絶される理由も
理解しようとしない。
本当は、
分かっているのだろう。
でも、
気づかないフリを
し続けている。
声を掛けられても、
子どもは何も言えずに
固まるばかり。
代わりに私が、
「今日は無理」
と何度も伝えた。
そんなやり取りを
繰り返した後、
夫は急に
語気を強めた。
「お前には聞いてねーよ!」
その声にビクッとなり、
咄嗟に身構える。
子どもの方に目をやると、
怯えた表情で
こちらを見ていた。
まるで、
助けを求めているようだった。
玄関で押し問答
らちが明かないと思った夫は、
部屋に入ろうとした。
靴を脱ごうとするのを見て、
慌てて止める。
「本当に無理だから」
そう言って、
体を押し返す。
すると夫は、
私の両手首を握り、
玄関の隅へ
押しやった。
体の大きさ。
腕の長さ。
力の強さ。
何一つ、
私には叶わない。
でも、
必死だった。
その時、
ふと目に入ったのが
玄関の隙間だった。
少しだけ開いていて、
外の音が聞こえてきた。
このままでは、
夫が無理やり
入ってくる。
そのまま、
子どもを連れて
行ってしまいそうだった。
恐ろしさのあまり、
私は叫んだ。
「すいません!
誰か警察を呼んでください!」
多分、
誰もいなかった。
見に来る人もいなかったし、
実際に通報されたわけでもない。
ただ、
夫は世間体を
何より気にする人。
私の言葉を聞くと、
慌てて体を引いた。
そして、
何やらブツブツ言いながら
靴を履き直した。
「本当に警察を呼ぶよ」
もう一度、
念を押すように言った。
目的を達成できなかった夫の
帰り際の形相は、
凄かった。
本当に、
鬼のような表情だった。
私を睨みつけたまま、
微動だにしない。
その時間は、
1分もなかったと思う。
それでも、
身震いするほどの
恐怖を覚えた。
その後、
渋々ながら帰っていった。
こうして、
どんよりとした
春休みの一日が始まった。




