小さな勇気
ある日、子どもが急に「塾に行きたい」
と言った。
普通なら、
『やっとやる気になったのね』
と喜ぶところだろう。
でも私は、全く違った感情を抱いていた。
真っ先に浮かんだのは
『本心なの?大丈夫?』
という思いだった。
教育虐待を受けていた我が子。
何をしても怒られた。
怒られすぎて、自己肯定感なんて地の底。
テストで良い点を取っても、
褒められることはなく、
細かな所に難癖をつけられた。
だから、よく自分のことを
「バカだから…」
と言っていた。
夫と離れてからは堂々と
「勉強が嫌い」
と宣言するようになった。
一緒に居る頃にそんなことを言ったら、
叩かれたり蹴られたりして、ただでは済まなかった。
安全な環境をやっと手に入れて、
本心が出たのだと、私は思っていた。
だから、
「塾に行っても良い?」
と聞かれた時には、驚きと戸惑いが入り混じった。
少し心配にもなった。
まだ、
『良い子』で居なければならない
という呪縛から、
逃れられないのではないか。
でも、それは杞憂だった。
子どもの変化-戸惑いと喜び
なぜ、私がこれほどまでに心配するのか。
それは、教育虐待の記憶と関係している。
一緒に暮らした最後の方は、
夫の前で鉛筆を持つだけで手が震えていた。
「勉強しろ」と言われ、
目の前に座らされる。
その次の瞬間には、
もう体はガクガクと震えてしまう。
手も震えて、
上手く鉛筆が持てない。
恐怖とは、
これほどまでに人を追いつめるものなのだ。
間違えるたびに叩かれ、
動揺してもそこで立ち止まることは許されない。
言われたことを、
ただひたすら続ける。
まるで人形のように。
何度も叩かれた時、
たまらず泣き出したこともある。
私は駆け寄り、
「もう止めて!」
と小さく叫んだ。
でも夫は薄ら笑いを浮かべ、
「こんなにバカなのに
サボって良い訳がないだろ」
と言った。
あんな経験をしたのだから、
もう勉強なんてしたくないのだと
私は勝手に決めつけていた。
でも、子どもははっきりと私の目を見て
「塾に行きたい」
と言った。
自分の意思なんだ、と分かった瞬間、
力強く前に進んでいることを感じ、
嬉しさが胸に広がった。
そして、心の底から、やっと安堵した。
でも、この一歩は、まだ小さな始まりに過ぎないのだと
心のどこかで感じていた。






