2025年10月24日金曜日

ずっと疑問に思っていたこと

自己愛性パーソナリティ障害は治るのか

予約を取って、通院に付き添う。

それは『妻』である私の仕事であり、快く引き受けるべき。

そう思われていた節がある。

用事があり断った時などは全方位から非難された。

私だって自分の生活がかかっているのに・・・。

誰にも頼らずに子どもを育てていかなくちゃならないんだから仕事を優先したい時だってあった。

でも、何とか折り合いをつけながら付き添っていたのに、いつも病院に着いた途端に

「そこらへんで時間潰してて」

と言われ、追いやられた。

お役御免と言わんばかりに。

本当に自分勝手な人だ。

せめて待っている間に自分の用事を済ませてしまおうと買い物などをしていたのだが。

時間に少しでも遅れると酷く怒るので気が気ではなかった。

時計を気につつ忙しなく買い物を済ませて予定より早く病院へ。

そんな感じだったので、受診時の様子などは一切分からない。

終わった後、いつも夫は

「こんな所に来ても全然意味ねー」

とぼやいていたので満足してないんだろうな、とは感じていた。

それなら別の病院を探すなりすれば良いのに、文句を言いながらも通い続けた。

一度、他の病院を探した方が良いのではないかと言ってみた時には、

「だったらお前が探せよ!どうせろくな情報も無いくせに!」

と何故か怒鳴られた。

良かれと思ってやっても、こんなことを言われてしまうんだから。

誰だってやる気を無くすだろう。

結構長く受診していたので、そのうち治るんだろうと思っていた。

元々キツイ人だけど、病的に相手を責めるのが無くなれば大分マシだな、と。

でも全然変わらなくて。

ふと、自己愛性パーソナリティ障害って治せるの?と考えてしまった。

それで自分なりに調べてみた。

サイトなどを見てみたら治らないという見解が多く、良くて症状を緩和させる程度だとか。

それじゃあ、あの感じでずっと行くのか・・・。


彼らは周りの人たちを破壊する

夫のような人たちは自分のことばかり考えている。

周りを気遣うことなんて無いし、何かあればすぐに被害者面。

それに攻撃的で一度敵認定すればとことん追い詰めてくるから、それを避けるだけで一苦労。

更に自分を特別な存在だと思っているのか常に相手を見下している所もある。

基本的に他人を利用することもいとわないような人たちだ。

そんな彼らと一緒に居たら本当に疲れるし、自分という物が無くなる。

そして段々と合わせることばかり考えるようになる。

そんな生活が続いたある日、自分の判断力や思考力が恐ろしく低下していることに気づいた。

そして逃げられなくなってしまった。

まだ考える力が残されていても、心の方が壊れてしまう人も少なくないと思う。

ターゲットは従順な人が多いらしいが・・・。

自分が従順だったかどうかは分からない。

ただ、単純だったことだけは確かだ。

夫の言うことを100%信じていた。

少し年上だからというのもあったけど、私は自分をバカだと思っているので、そういう所も影響したのかも。

元々自信がないタイプは自分を取り戻すのがとても困難になる。

私もそうだった。

離れても夫の言うことが正解だったんじゃないかと迷うことが多かった。

訳の分からない心細さも抱えていた。

あんな人、近くに居ない方が幸せなのに。

世間から見捨てられたような気持ちになったことも・・・。

家族にも相談できなくて、もうどうしようもなくて。

先輩がいなかったら、きっとどちらにも進めなかった。

今も自信を取り戻すことはできていないが、『幸せだな』と感じる心を取り戻すことはできた。

もう、それだけで十分。

2025年10月23日木曜日

夫の病院に付き添うことに

義両親からの依頼

義両親が忙しくなり、友人たちにもそれぞれ自分の生活があった。

みんな夫ばかりに構っては居られないのだが・・・。

病院に一人で行こうとしないので困っていた。

表面上は『精一杯協力するつもりだよ』というスタンスでも、実際は違う。

誰かがやってくれるだろうと考え、率先して動く人も居ない。

まあ、それも仕方のないことだ。

あんな状態になった夫は本当に手がかかった。

時折友人にも我が儘を言っていた。

私たちはその何百倍もの仕打ちを受けてきたんだけど。

もうこの際そんなのはどうだって良いから誰か何とかしてくれ!と思った。

誰かが動かなければ、その役目は絶対に私にまわってきてしまう。

サポートなんてしたくなくて、できるだけ距離を取った。

でも、放っておいてはくれないのよね・・・。

義両親からこまめに連絡が来て、そのたびに

「本当に申し訳ないんだけど(夫)のことお願いね」

と言われた。

しらばっくれて、

「具体的には何をすれば・・・?」

と聞いてみたら、案の定

「一番困っているのは通院みたいだから、とりあえず病院のことはお願い」

と頼まれた。

やっぱりそう来たか。

私だって鬼ではないから、本人が暴言も吐かず『申し訳ないね』という態度ならやってあげても良いと思っていた。

でも、夫は私には非常に手厳しいので、ちょっとのミスも許さない。

ボランティアのように尽くしているのに、それに対して文句を言うなんて。

そんな態度に嫌気がさして何もしたく無くなったのだが、義両親からは

「大目に見てあげて」

と言われてしまい、仕方なく承諾した。


予約の丸投げも当たり前の夫

その頃、私の仕事も忙しかった。

子どもの送り迎えもあるし、家のこともある。

お世話になっている先輩に少しでも楽をしてもらおうと、家事も率先してやっていた。

その時思ったのが、相手が違うとこんなにも感じ方が違うのか!ということだった。

先輩のためにせっせと家のことをするのは全然苦じゃなかった。

むしろ、反応が返ってくるのが嬉しかった。

夫は何をしても『当たり前』で無反応だったから。

何か言ってくるのは失敗やミスを指摘する時だけ。

そういう仕打ちをしておきながら、頼み事をする時だけこちらに来ることに憤りを覚えた。

でも、渋々とは言え義両親に『分かりました』と言ってしまった手前、やらないわけにもいかない。

それで夫に連絡を入れたら、診察券番号と予約希望日時が送られてきた。

・・・えっ?

私が取るの?

とりあえず聞いてみようと思ったが、当たり前のことを聞くと怒る人なので躊躇した。

その情報が来たら予約に決まってるだろ!とか切れそうな気がして。

それで、『分かりました。その日時で予約を取ってみます』と送ったらスルー。

この場合のスルーは合っているということだ。

間違っていたらすぐに指摘を受けるはずだから。

結局このやり取りも数か月ほど続いた。

もちろん夫から感謝なんてされない。

周りも『当然』という雰囲気で、サポートを期待されていることは明らかだった。

その頃は離婚の交渉もほぼできなかった。

2025年10月22日水曜日

夫が働いていた頃の児童手当の行方

元々は共働きだった我が家

子どもが産まれてから数年は夫も働いていた。

その頃の印象は、ちょっとキツイ所もあるけど優秀で頼れる人。

ただ、家庭内でも非常に厳しかった。

まるで上司と部下のように・・・。

何かあればすぐに厳しく叱責され、涙をこぼしたことも一度や二度ではない。

それでも一緒に居たのは『私のことを思って言ってくれているのだ』と考えたから。

子どもが産まれても、そういう夫の姿勢は変わらなかった。

まだ赤ちゃんの子どもの前で私をなじり、物を投げつけられたことも。

段々と感覚がマヒしていったので、それに対してどうこう思うことも無かった。

問題だったのは、私に対する暴言や脅しではない。

自分だけなら我慢できたのだが、子どもへの虐待は許すことができなかった。

しかも、周りにはイクメンぶって『良いパパ』を演じていて・・・。

そういう狡さのある人だった。

その頃、夫は高給取りで手取りは私の3倍弱。

そのくせ家計負担はきっちり折半で、大分余裕があったと思う。

でも、それ以上を負担してくれることはなく、たまに私がスタバのドリンクを買ったりすると、

「お前だけ良いな~」

なんて言われたりした。

あんなに貰ってるんだから自分で買いなよ、と思ったけど言うと怒るから、

「今○○の味のが出てるよ」

なんて話を逸らしたりした。

生活費を出した後でもかなり余ってたはずの給与は、恐らく夫の貯蓄に回されていた。

それは構わないのだが、児童手当の行方がとても気になっていた。

私は将来のために積み立てて欲しいとお願いしたのだが、

「使い道なんて受け取った側の自由だろ」

と言われてしまい、何も言えなかった。


夫の言い分

児童手当を積み立てず自分で使ってしまっていた夫の言い分はこうだ。

「俺は(子ども)の生活費を出してる。それでチャラだ」

こういう所一つとっても、根本的に合わないのだと実感する。

生活費なんて出すのは当たり前だ。

相手は赤ちゃんなんだから。

自分で稼げるはずもなければ、お金があったとしても使うこともできない。

そもそも、将来のために貯めておいてあげたいとは微塵も考えないのだろうか、と内心憤った。

当時、日々の生活に困っていたということも無い。

余裕があって自分の好きなものを頻繁に買っていた。

だから、児童手当を全部使ってしまうのは納得がいかなかった。

それとなく夫に、

「児童手当は子どもへのものだから残しておいた方が良いんじゃないの?」

と伝えたら、

「じゃあ、その分お前が生活費を出せ!」

と怒鳴られた。

毎月のように買っている服や靴を少し控えれば問題無いはずなのに、常に自分優先だった夫。

更に言えば、『子どもの貯金も俺のもの』と思っていた節があり・・・。

しばしばそれを匂わせる発言をしていた。

子どもの貯金は出産時や誕生日などに親や親せきから頂いたものだ。

お祝い事のたびに頂くので、有難く貯金しておいた。

その大事なお金まで夫のものにされてしまったら堪らない!と思い、その通帳は私が管理することにした。

まあ、それも結構ごねられたんだけど。

折れずに言い続けて、やっと管理させてもらえることになった。

その時の言い草も酷いものだった。

「子どものお金を使いこむんじゃないぞ」

そんなこと言われなくても分かっている。

あなたに散財されないように引き取ったんだから。

夫は自分のお金は大事にするが、人のお金はどんどん使うジャイアンのような人だった。

2025年10月21日火曜日

店員さんの機転で無事脱出!

夫が先に帰るのを待つべきか・・・

店員さんのお陰で連れて行かれずに済んだ。

だけど、この後どうしようか。

私は少しの間、夫の出方を窺がった。

恐らくだが、少しでも警戒されていると感じ取っていれば大人しく引き下がるはずだ。

周りの目を気にする人だもの、極端なことは起こらないはず。

そう思って待ってみたが、夫はなかなか動かなかった。

向こうは向こうで私の出方を窺がっていたのかもしれない。

このままでは埒が明かないと思い、

「少し体調が回復してから出るから(夫)は先に帰ったら」

と言ってみたのだが、

「う~ん、まあ」

と言ったきり、黙り込んでしまった。

うーん、困ったぞ。

まさか先に出るわけにもいかないし、と悩んでいたら、先ほどの店員さんが再度声を掛けてくれた。

「もう上がるので、近くの病院にご案内しましょうか?」

そう言われ、思わず夫の顔色を確認した。

こういう時、何かに気づいていたら顔に出る人だから。

でも、この時は表情からは読み取れなかった。

私に残された選択肢はそう多くは無い。

提案に乗ってお店の外に出るか、それとも夫が出るのを待つか、だけだ。

夫のことを待つ場合、半ば心理戦のような状態になって身動きが取れなくなるだろう。

一瞬迷ったが、既に精神的にも大分消耗してしまっていたため、これ以上は無理だと判断した。

それで、大人しく店員さんの提案に乗ることにした。

「すいません。お願いします」

と言いながら立ち上がり、夫に『じゃあね』と手で挨拶すると、夫は軽く頷いて携帯に目を落とした。

それにしても長かった。

この時は30分ほどしか話してなかったのだが、恐ろしく長く感じた。


無事に帰宅

あの時、店員さんが自分と同じくらい大柄な人だったから大人しかったのかも。

もし気弱そうな人だったら同じ結果にはならなかっただろうし、そもそもあの修羅場で声なんて掛けてくれないだろうな。

そう考えたら、本当にギリギリの状況だったのだと実感した。

お店を出た後、私は店員さんに、

「ありがとうございました。本当に助かりました」

とお礼を伝えたのだが、

「ご事情は分かりませんが、一対一で会うのは危険なのでは?」

と言われてしまった。

確かにそうだ。

周りに人が居るから大丈夫だなんて、私の勝手な思い込みだ。

運良く助けてもらえたから良かったけど。

あのまま延々と帰れなかったら、と考えたらゾッとした。

夫が追ってこないとも限らないので、駅までの道のりは走った。

後ろを気にしながら走り、あっという間に到着した。

ちょうど電車が到着したので、それに乗り込み無事に帰宅。

それにしても、スイッチの入った夫はやはり恐ろしかった。

だけど、交渉を止めてしまったら離婚も遠ざかってしまうから。

私も必死だった。

これが普通の人だったら弁護士にでも依頼して何とでもなる。

夫の場合は『恨みを買わずに離婚する』というのがマストだったので・・・。

地道に説得するしか無かった。

2025年10月20日月曜日

「子どもに会いたい」と言われても・・・

夫の要望

あの日、夫は「子どもに会いたい」と繰り返し言った。

これまでのことがあるから、どうしても穿った見方しかできなくて。

『分かった』と言えなかった。

自分が苦しい時だけ子どもに縋ろうとするなんて。

そんなの虫が良すぎる。

だけど徹底的に突き放すこともできなくて、

「ごめん」

と謝った。

正直、私には理解できない。

あれほどまでに苛め抜いた子どもに会いたいだなんて。

大事に思っているのなら、なぜもっと優しくしてあげなかったの?

また都合良く私たちを使おうとしているのだと感じてしまい、

「(夫)は(子ども)ちゃんに愛情なんて無いでしょう」

と言ってしまった。

弱っている相手にそんなことを言うのは酷だろうか。

でも、言わずにはいられなかった。

あの辛い日々の中で、子どもがどれほど苦しんだか。

人の気持ちが分からない夫にも想像して欲しかった。

実はあの日、夫から

「(子ども)を連れて来て」

と頼まれたのだが、断っていた。

「風邪をひいてるから」

と伝えたのだが、なかなか納得してくれず。

「一昨日までは熱があったんだよ」

と言ってみても、

「もう下がってるんでしょ?」

と言われてしまった。

それで、ため息をつきながら

「もうちょっと気遣ってくれても良いんじゃないの?」

と非難したら、夫の雰囲気が瞬時に変わったのが分かった。

それまでの弱々しい表情から一変し、まるで鬼の形相。

マズい!と思ったけど、もう遅かった。


豹変した夫

「お前、覚えとけよ!」

と低い声でつぶやいた夫は、先ほどまでとはまるで別人だった。

スイッチが入ってしまったのだ。

注意深く見ていれば、その瞬間に目つきが変わるのですぐに分かる。

その時も察知して何とか状況を変えようとしたが、すでに手遅れだった。

私を睨むその目は据わり、今にも怒鳴り出しそうな様子。

楽しそうに話す人々の中でポツンと私たちだけ別の空間に居るみたいに感じた。

そこには見えない壁があって、助けを求めても誰の耳にも届かない。

大勢の人が居るからと、私も気が大きくなっていたところはある。

ここでなら多少言いたいことを言っても大丈夫だろう、と。

確かに周りの目を気にする人だから、その場では大きな騒ぎは起こさなかった。

その代わり・・・。

『外に出ろ』という仕草で促され、一気に緊張感が走った。

どうしよう・・・。

このままでは、きっと人目のつかない場所に連れて行かれてしまう・・・。

身の危険を感じた私は、咄嗟に誰かに電話しなければと携帯を取り出した。

でも、焦っているから上手く押せない。

その間も夫がプレッシャーをかけてきて、余計に手が震えた。

異変を察知したのは店員さんだった。

震える手で電話を掛けようとしていたら落としてしまい、拾おうとしている所に声を掛けられた。

「お客様、大丈夫ですか?」

と言われ、顔を上げると夫と同じくらいの大柄な男性店員が立っていた。

だけど『夫に連れ去られそうで怖い』などと言えるはずもなく、黙り込んでいると

「体調が優れないご様子ですが」

と言ってくれたので、

「そうなんです。この辺りに病院はありますか?」

と返事をすることができた。

その方のお陰で、外に連れ出されるのは何とか回避できた。

あとは、どうやってこの場から逃げるか、ということだけだった。

2025年10月18日土曜日

久々の夫は少し痩せて無口だった

夕方のカフェで待ち合わせ

あの日、仕事帰りに夫と待ち合わせをした。

子どもが軽い風邪で休んでいてお迎えの必要が無かったから。

あまり時間を気にすることなく話せた。

待ち合わせ場所に到着すると、外側から見える位置に座って居た夫。

遠目から見ても痩せているのが分かった。

改めて弱っていることを実感し、言葉が無かった。

やっぱり精神的に参っているんだ・・・。

私にもその責任の一端がある。

離れてからずっと寂しがっていた。

でも気づかないフリをして、『自分の責任でしょう?』という態度を貫いた。

その方が罪悪感も無いし、迷いが生じることも無い。

でも、あの姿を目の当たりにしたら、もう『私には関係ない』とは言えなかった。

まだ話す前から心がズシンと重くなってしまった私は、目を伏せながら向かい側に座った。

いつもなら嫌味の一つでも飛んでくる所だが、夫も無言。

気まずいというのもあったが。

それ以上に、お互いに距離を感じていたんだと思う。

まだ婚姻関係にあるとは言え、何だか遠い存在のように思えた。

精神的にも開放されたいと願い、それに向かって突き進んできたけど。

でも、いざそういう状況になってみたら自分でも驚くほどの喪失感があった。

独りぼっちで取り残されてしまうような。

これまでの生活が全て無くなってしまうような。

そんな不思議な感覚。

それでも私には子どもが居るけど夫には居ないから。

より寂しい思いをしているのだと考えたら、かける言葉が無かった。

こういう時、もっと強く出られたら良かったのに。

どうしても『可哀そう』という気持ちが消えなくて、夫の今後を心配した。


友人に嘘をついて会いに来ていた

あの頃、夫の友人たちは私を目の敵にしていた。

何かあれば怒鳴りこんできそうな勢いだった。

と言っても、私の所在地を把握していなかったので実際に来ることは無かったのだが・・・。

そんな状況だから、夫も気を使って『買い物に行く』と言って出かけてきたようだった。

でないと、きっと誰かが着いてきてしまう。

それより前は、義両親から時々連絡が入っていた。

近況を聞き、こちらからも少しだけ子どものことを話したりして。

お義父さんが再就職してからはそういうことも無くなり、お義母さんからも避けられている感じで連絡手段を失った。

だから、その日は久々の会話で少し緊張した。

「体は大丈夫なの?」

と聞いてみたのだが、しばらく無言。

その後ポツリと、

「いや~、間違えちゃってさ」

とだけ言った。

間違えるって何を?

そんなわけないよね?

薬を大量に飲んでおいて、『間違えました』なんて言われても信じられるはずがない。

だけど夫はそれを強調するように、

「寝ぼけてたんだよ」

と言った。

話しながら、私はあの日のことを想像した。

少し前まで家族と過ごした部屋に一人きり。

家族は出て行って、『もう戻らない』と言っている。

内心、仕事のことも不安だっただろう。

それで何もかもが嫌になってしまったのではないだろうか。

将来を悲観して薬を飲んでしまったが、一方で『生きたい』とも思った。

そのほんの少しの違いに、夫は生かされているのだと気づいた。

少しでも前を向いて進んで欲しい。

そんな思いで、

「体は大事にしなくちゃダメだよ」

と伝えた。

そうしたら、夫は黙って涙を流した。

この人は強くて怖いけれど、本当は誰よりも弱いのかもしれない。

2025年10月17日金曜日

義兄の抵抗

動きそうにない義兄

夫があんなことをしたのは自分を憐れんだからだと思う。

理想とはあまりにもかけ離れていて・・・。

それでもまだ義両親がそばに居る間は落ち着いていた。

それが、お義父さんも再び家族を養うために働かなければならなくなって。

部屋に一人取り残された夫は寂しさを募らせていった。

元々は自分で蒔いた種なんだけど、やっぱりお義父さんたちは心配するよね。

だって自分の子どもだもん。

それで、何とか義実家に戻せないかと考えたようだが無理だった。

お義兄さんの強い抵抗にあったためだ。

不憫な弟に同情して何らかの譲歩をするかと思われたが、お義兄さんも頑なだった。

不要な物を片付けてスペースを作るとか。

援助を受けながら近くのアパートに住むとか。

色々方法はあっただろうに、検討することさえしなかった。

それどころか、敵対心むき出しで聞く耳を持たなかった。

困ったお義父さんは私たちに、

「一時的で良いから戻ってきてくれないか」

と言ってきたんだけど。

そんなに簡単に戻れるくらいなら、初めから家を出るなどという選択はしない。

戻ったらどんなことが待っているか十分分かっているはずなのに、

「今度は上手くいくから」

と自信たっぷりに言った。

全く根拠の無い自信だ。

その頃、お義兄さんが仕事をしていたのかどうか思い出せない。

休職中だった気もするし、辞めていた気もする。

とにかく元気いっぱいという感じでもなくて、それも悩みの種だった。

元気だったら、『こういう時くらい協力してよ』と言えるのに。

そのタイミングでは酷なような気がして。

誰も強く言うことができず、身動きが取れなくなった。


『義実家に帰れない問』がこちらにも飛び火

嫌な予感はしていたのだ。

皆はっきりとは言わないけど、『元々は離婚問題からこうなったんでしょ?』みたいな空気が流れていたから。

直接的な原因になったとは思わないが、多少なりとも影響したことは否めない。

だから私も強くは言えなくて、

「何とか方法を見つけるしかありませんね」

と言うのが精一杯だった。

協力します、なんて口が裂けても言えない。

全くその気がないのだから。

困っていたら、夫の友人たちが見るに見かねてせっせと世話をし始めた。

結果的に一人時間はほとんど無かったように思う。

それで安心していたのだが、問題もあった。

元々私のことを快く思っていなかった人たちの間で更に印象が悪くなってしまった。

そして、離婚問題にも口を出し始めた。

たびたび話し合いに同席していたNが何か言ってくれるかと期待したが・・・。

あの強い面々の中では空気だった(笑)

いつしか彼らの中での私は『ヤバい奴』になり、モンスターのような扱いに。

一方的に子どもを奪われた体の夫は『可哀そうな俺』ポジションをゲットした。


ずっと疑問に思っていたこと

自己愛性パーソナリティ障害は治るのか 予約を取って、通院に付き添う。 それは『妻』である私の仕事であり、快く引き受けるべき。 そう思われていた節がある。 用事があり断った時などは全方位から非難された。 私だって自分の生活がかかっているのに・・・。 誰にも頼らずに子どもを育てていか...