2025年12月13日土曜日

狭まる包囲網

逃げ続けることはできるのか

夫の再々就職後はある程度の自由があった。

その状態まで持っていくのには長い時間がかかったのだけれど。

家を出たばかりの頃はしつこい位に連絡が来ていて、そのたびに怯えた。

いつ居場所を突き止められて連れ戻されるか。

そう考えると気が気では無くて・・・。

それが時間が経つにつれて連絡が減ったり増えたりを繰り返すようになった。

その間、義実家の方でも色んな問題が発生。

向こうが他の問題を抱えている時には数週間ほど音信普通になることも。

実はそういう状況を待ち望んでいた部分もあり、気の毒に思いつつもホッとしていた。

雲行きが怪しくなったのは、夫の再々就職先の経営状況が芳しくなくなってからだ。

何となく、『まだ籍も抜けてないんだから面倒を見るべき』という空気が漂っていた。

押し付けられそうな雰囲気を感じ取った私は抵抗し、のらりくらりと交わした。

義両親の直談判にも首を縦に振らなかったら、業を煮やした二人がとうとう

「とりあえず居場所だけは教えて」

と言い出した。

私がもっとも恐れていたことだ。

一時的とは言え平和な生活を送れていたのは居場所を知られずに済んだからだ。

その生活を失いたくなくて、『教えろ』と言われても絶対に教えなかった。

そうしたら調査するようなことを匂わされ、流石に焦った。

スルーし続けることはできないかもしれない。

どうせバレるのなら自分から言ってしまった方がまだ傷は浅く済むだろうか。

私は葛藤し、だけどバレた後のことを想像すると身動きが取れずにいた。


先輩に迷惑をかけたくない

『調査会社を使って調べる』と宣言された後、私は先輩に相談した。

これ以上、迷惑をかけられないと思った。

引っ越し先を探すつもりで、

「もうここには居られないかもしれない」

と伝え、義両親がこれからやろうとしていることも説明した。

普通なら親戚でもないのにそこまでリスクのある相手を家に置いておきたくはないはずだ。

それまで先輩は一人で自由気ままに暮らしてきた。

そこに小学生を連れた後輩が転がり込んできたんだから。

迷惑を掛けていないはずがない。

それに、最初はほんの少しの間だけ・・・と始めた居候だった。

長居しすぎてしまったことも申し訳なく、お世話になった先輩まで巻き込むことは避けたかった。

当初は、

「先輩が良い人を見つけて結婚することになったら出て行きますね」

なんて冗談を言っていたのだが。

内心は、あまりにも居心地が良くて『先輩に彼氏が出来たら嫌だな』なんて考えてしまった。

なんて自分勝手なんだろう。

とにかく幸せな思い出が多すぎて、出て行くことになるかもしれないと思ったら寂しさがこみ上げてきた。

「本当にお世話になりました」

と頭を下げながら、涙でぐちゃぐちゃになった。

だが、そんな事情を聞いても、

「出て行くなんて言わないでよ。一緒に対策を考えよう」

と言ってくれた先輩。

泣きじゃくる私の背中を何度もさすってくれた。

2025年12月12日金曜日

夫が再び無職になる可能性

勤務先の状況

夫が勤めていたのは零細に近い小さな会社だった。

従業員数も少なく上下関係もあまり無いような所で居心地が良さそうだった。

メンタル面も安定していたので安心していたのだが・・・。

小さいが故の悩みもあった。

例えば、社内で一人でも仕事の無い人が出てしまうと途端に状況が厳しくなってしまう。

仕事を取ってこられる人が限られているという問題もあった。

そして何より大きな問題だったのが高給取りの多さ(!!!)。

これはある程度のスキルを持つ人ばかりの集団だったから必然的にそうなったようだ。

上手く歯車が回っている時はまだ良い。

でも、何か一つ崩れると一気に上手くいかなくなった。

夫もそうなのだが、社員は高い給料をもらうことが当たり前になっていた。

苦しいから少しずつカットするという話になっても誰も納得しない。

『一度生活レベルを上げると元に戻せない』という話をよく耳にするが、まさにアレだ。

その心情は理解できるけど、それでも会社の存続を一番に考えるべきだった。

結局穏やかな顔をしつつもみんながエゴを通そうとするから軌道修正ができない。

それなら営業面にもっと力を入れて財務状況を改善する方向に持っていけば良かったのだが。

そういう努力もせず、ただひたすら目先のお金を工面することに集中してしまったようだ。

先を見据えた行動ができていないから、突発的な事案にも対処できなくて。

どんどん苦しくなっていき、とうとう『来月のお給料は満額出るかな』という所までいってしまった。

夫はこれをまるで他人事のように話していたそうだ。

義両親もこれにはガッカリで、大手に勤めていたお義父さんなどは

「会社としてなってない!」

とお怒りだった。


私にはどうすることもできない

現状を一通り聞いた後、私は『今負担してもらっている分も貰えなくなるなぁ』なんて呑気に考えていた。

傍から見れば小さな額かもしれないが、私にとっては非常に大きい。

それが貰えなくなると、他を切り詰めて捻出するしかない。

頭の中ではあーでもない、こーでもないと計算をしていた。

多分、その時の様子が深く考え込んでいるように見えたのだと思う。

お義母さんが急に、

「(私)さんには本当に申し訳ないわ。心配ばっかりかけちゃって」

と言った。

まさか頭の中で家計費の計算をしていたとは言えず、曖昧な返事をしながら二人の話に耳を傾けた。

会社が危ないかもしれない、と知ってからの夫は仕事にも身が入らないらしく、

「テレワークなのを良いことに、頻繁にフラフラ出ている」

とお義父さんが呆れていた。

元々そういう所はあるのだが、状況が状況なだけにより一層その傾向が強まっていたようだ。

自暴自棄にもなっていて、何とか助けて欲しいと懇願された。

色んな話を聞いてだいたいの状況は理解できたけど。

やはり私にできることは無いと思った。

それをストレートに伝えるのはさすがに憚られるので、

「私では力不足です・・・」

とやんわりと断った。

余談だが、あの人はそんな状況でも仕事だけはきっちり終わらせることができる。

そういう所に惹かれ、尊敬していた。

でもそれも昔の話だ。

家を出てからの私は夫に関わる全てのことから解放され、自由になりたかった。

2025年12月11日木曜日

「戻ってやって欲しい」と懇願され・・・

義両親の願い

いきなりの土下座から始まった話し合いだったが・・・。

『(私)の気が済むまで謝る』というお義父さんを何とか説得し、席についてもらった。

だいたい土下座なんてされても全く嬉しくない。

むしろ罪悪感を抱かされるだけだ。

それなのに話し合いの最中に何度も頭を下げようとしてくるから、そのたびに慌てて制止した。

そんなことをされたら、こちらが悪いことをしているような気持ちになってしまう。

だから本当に止めて欲しいのに。

頭を下げることが『正しい』と思っているようで困惑した。

こういう時、お義父さんは頑なだ。

『止めてください』と言っても聞き入れてくれない。

『自分は正しいことをしているのだから、それを受け入れない方が悪い』という感じになる。

ハッキリ言って謝罪の押し付けだと思う。

少なくとも私はそんなことをされても許そうという気持ちにはなれなかった。

それでずっと黙っていたら今度はイライラし始めて、

「どうしたら許してくれるんだ!」

と詰め寄られ、更に困惑。

何を言われても私の心には響かないのに、ごり押しすれば何とかなると考えているのがみえみえだった。

それまで押し切られることが多かったから、こういう考えになっても不思議ではない。

でも、夫のことはそう簡単な問題ではないのだから、そんな軽い捉え方はしてほしくなかった。

家を出てから自分の頭で考えるようになり、あの生活がどれほどおかしかったのかをハッキリと自覚した。

異常だと思うような生活に自ら戻るはずもなく、押し付けられても困るというのが本音。

義両親は義両親で、夫のことを持て余してどうにもできなくなったのだろう。

それと、やはり我が子だから心配というのもあったと思う。

面倒見切れないけど放置もできない。

それで、まだ籍のつながっている私に依頼するしか無かったのでは、と推測した。

息子が安心して暮らせる環境を作ってあげたい。

そんな願いを込めて話し合いに臨んでいるような気がした。


受け入れられない提案

義両親の要求は明確だった。

家に戻ってほしい。

ただ、それだけ。

でもそれは私たちにしてみれば全てがひっくり返るくらいの大きな決断だった。

万が一戻れば、もう二度と出られないということも分かっていた。

だから既に返事は決まっていた。

夫は警戒心の強い人なので同じことが起こらないように対策をするだろう。

もしかしたら、逃げ出そうという気持ちが無くなるくらいにメンタルを折ろうとするかもしれない。

そう考えたらゾッとした。

親として子どもを心配する気持ちは分かるけど、どうしても受け入れられない。

いつもは傷つけたくなくてあいまいな表現を選ぶのだが・・・。

この時はきちんと伝えないとダメだと思い、明確な言葉で拒絶の意思を示した。

聞いた瞬間のお義父さんの表情は今でも忘れられない。

苦虫を嚙み潰したような顔というのは、まさにあのような表情を言うのだろうと思った。

きっと想像していた答えとは違っていたのだろうが、私も譲歩できなかった。

そもそもこの件に関しては、間を取って落としどころを見つけるということもできない。

戻るか戻らないか、ただそれだけだ。

返事を聞いた途端、二人は気落ちした様子で何度も、

「やっぱりダメなのか」

と言ってきた。

その日の話はそれで終わりだと思っていたら、引き下がる様子もなくそのまま1時間以上も説得される羽目になった。

2025年12月10日水曜日

ファミレスで土下座

久々の呼び出し

久々に義両親から呼び出された。

呼ばれたからと言ってホイホイ行ってしまう所に私の弱さが表れているのかもしれない。

でも、義両親が参っている感じがして放っておけなかった。

子どもにも会わせてあげられていないし。

なんだかんだで夫を上手く制御してくれているし。

これまでに良くしてもらったこともあるし。

そういった諸々の理由に加え、困っている二人の姿が目に浮かぶようで無視できなかった。

とりあえず会うことにしたのだが・・・。

指定されたのは、なんと二日後!

いつもなら二~三週間後とか少し先の日付を指定してくれる。

でもその時は『すぐにでも』という感じで。

非常に切羽詰まっている気がして『行かなければ』と思ってしまった。

ただ、気が重いことは否めなかった。

顔を合わせたらやっぱり離婚のことや子どものことを追及されるだろうから。

直前まで迷い、でも一度約束してしまった手前行かないわけにもいかず、警戒しつつ指定された場所に向かった。

予想通り、私が到着するよりも早く義両親は来ていた。

座席は入口から一番遠い場所。

店内に入り、向かっている最中にお義母さんが私に気づいて手を振ってくれた。

二人の表情に覇気が無く、明らかに気落ちしている様子なのが気になった。

まあ、全てが上手くいっていない状況なのだから無理もない。

やっと穏やかな生活に戻りつつあったのに、突然夫の問題が降りかかってきた。

義両親にしてみれば本来ならバリバリ働いているはずのお義兄さんの面倒を見なければならないのに、その上夫のことまでなんて。

流石に気の毒だと思った。


席に着いた途端の土下座

「遅くなってすいません」

と言いながら座りかけた瞬間、いきなりお義父さんが土下座した。

私たちが居たのはファミレスだ。

家族連れなどでワイワイと賑やかだったのに、一瞬にして静かになった。

しかも、私たちの周りだけ。

その後に続くヒソヒソ声は、恐らくこちらを見て噂しているのだろうと思った。

土下座するお義父さんの横ではお義母さんがハンカチを握りしめ、

「本当に色々と迷惑かけてごめんなさいね」

とさめざめと泣いていて、非常にカオスな状況だった。

どうしたら良いのか分からず、とにかく座って話して欲しくてお義父さんにそう伝えた。

でも、

「いや、(私)さんの気が済むまで謝るつもりだから」

と言い、なかなか土下座を止めてくれなくて。

まるで罰ゲームのような状況の中、人々の視線が痛くて俯いた。

もう、一度お店を出るしかない。

とりあえず目の前に座っているお義母さんに、

「一度出ましょうか」

と言ってみたら、土下座をしていたお義父さんが急に顔を上げて、

「まだ話が済んでないでしょ」

と少し声を荒げた。

土下座を止めてくれないから一度出ようと提案したのに、それに対して文句を言うなんて。

それなら一体どうしたら良いの?と思いながらも、その姿を見たら妙に冷静になり、

「じゃあ、とりあえず座ってください」

と伝えた。

2025年12月9日火曜日

家出から一年後の出来事

脱出から一年

夫が暴れて身の危険を感じ、咄嗟に家を出た時には、まさかそのまま戻らないとは夢にも思わなかった。

ほとぼりが冷めた頃に帰り、そのまま元の生活に戻るんだろうな。

そんな想像をしていた。

でも、そうならなかった。

家を出るまでは気づかなかったのだが、私も子どもも限界を迎えていたようだ。

それでも自分を騙し騙し何とか暮らしていた。

あの日のことは今でも忘れない。

辛く苦しい日々にピリオドを打った日であり、新たな闘いの始まりの日でもあった。

子どもの手を取り逃げた時、恐怖に震えながらも何だかワクワクした。

久々に自由をいうものを肌で実感したのだ。

たとえそれが一時のものだとしても、心の底から喜びが沸き上がってきた。

それくらい抑圧された生活だったと言うことを、今でも夫は無自覚なままだ。

いや、多少の自覚はあるのかもしれないが、悪いのは100%私だと結論づけられていると思う。

家を出てから1年もすると、夫の状況は比較的安定した。

義両親は義実家に戻り、お義父さんは仕事をした。

夫は家族で住んでいた家に一人で暮らし、テレワークの仕事を続けた。

そこには夫の友人たちが頻繁に出入りしていたので、何だかもう我が家ではないみたいで・・・。

だけど、相変わらず家賃は払っていて、夫からはほんの少しの援助を受けていた。

援助という言い方もおかしいとは思うのだが、仕方がない。

それが夫の精一杯の譲歩だったのだから。

そんな感じで、内心は離婚話が進まなくてモヤモヤはしていたけれど表面上は穏やかに過ごしていた。

そんなある日、新たな問題が持ち上がった。


夫の勤めていた会社の経営状況が悪化

今度こそ続くかもしれない。

夫の様子を見てそう感じていたので、『潰れるかもしれない』と聞かされた時には本当にショックだった。

あの人が上手くいく会社なんてそうそうない。

何せ我が強くて周りを認めることができない人だから。

よほど周りが気遣ってくれる環境でなければ衝突を避けることができない。

幸いにも長いブランクを経て2度目に再就職をした会社は皆が穏やかだった。

腰の低い人ばかりなので言い合いになることもない。

実に快適そうで、私もホッとしていたのに。

入社してまだ間もないタイミングで経営が傾き、お給料の心配をする羽目になった。

規模も大きくないから、潰れる時はあっという間だろう。

そうなったら、またあの生活に戻るのか・・・。

それは、ほんの少しの援助も無くなることを意味していた。

一瞬で色んな問題が頭に浮かんできて暗い気持ちになった私は、とにかく状況を整理したくて久々に夫とコンタクトを取り続けた。

実はその付近でお義兄さんが債務整理をしていて、義両親はお義兄さんを支えなければならなかった。

お義兄さんには奥さんへの慰謝料問題もあり、それも未払い状態。

支払能力が無いからどう考えても無理なんだけど、それに腹を立てた元奥さんから何度も苦情が来ていた。

義実家の面々は相当悩んだみたい。

そこに夫の会社が危ないという話が持ち上がり、一気に雲行きが怪しくなった。

関係者全員が私に支えて欲しいと考えているのは明らかだった。

2025年12月8日月曜日

我が子を愛せない夫

「大事に思っている」というのは口だけ

子どものことになると、ついつい口を出したくなることはある。

それも愛情あってのこと。

私の場合はそうなんだけど、夫は違っていた。

自分の意に沿わないことがあると我慢できなかったようで。

徹底的に納得がいくまで追求していた。

そこに子どもの意思はない。

どう思っていようが、そんなことはどうでも良いという感じだった。

常に『俺の言うことが絶対だ』というスタンスで、意見を聞くこともない。

まるで『黙って聞いていれば良いんだよ』と言われているようで、素直に聞くことができなかった。

多分子どもも同じだと思う。

でも、反論したら益々子どもが追いつめられるから。

我慢して我慢して我慢した。

その我慢によりさらにエスカレートしていったモラハラ。

時々ふと、最初から怖がらずにきちんと反論していれば何か違ったのかなと思うこともある。

そこだけはこちらにも改善の余地があったのかもしれないが、根本的な問題は子どもへの愛情が無いことだった。

自分が寂しい時だけ構い倒して、普段は邪魔にしている感じがした。

構い倒している時でも、ちょっと気に入らなければ虐待スイッチが入る。

子どもにとってはどちらに転んでも地獄だった。

別居後、電話をかけてきてしつこく子どもを出せと言われ、断り切れなくてほんの少しだけ代わったことがあった。

最初は穏やかに話していた二人。

それが段々と雲行きが怪しくなり、途中からは罵声のようなものが電話口から聞こえてきた。

私は焦って電話を切り上げようと子どもにジェスチャーで伝えたが、俯いて固まっているため気づかず・・・。

そのままではマズいと子どもの肩をトントンと叩いて携帯を受け取った。

その瞬間、信じられないような暴言が聞こえてきた。

「もうお前〇ね!」

という夫の声が。

驚いてとっさに言い返すこともできず、携帯をギュッと握りしめた。

見ると子どもは涙ぐんでいた。

一緒に住んでいた頃、たびたび発せられた言葉だ。

それがどれほど子どもを傷つけたことか。

絶対に言わないで欲しいとお願いしたのに。

結局そうやって傷つけてしまう夫には、もう父親として何かを求めるのは無理なのだろうと思った。

ショックを受けている子どもの背中をさすりながら、私は夫に告げた。

「その言葉は絶対に使わないでとお願いしたのに。もう二度と子どもが大事だなんて言わないで」

決死の思いで伝えたその言葉は夫には響かなかった。

聞いた瞬間に鼻で笑い、

「めんどくせー」

と言いながら電話は一方的に切られた。


傷ついた心を癒したい

子どもも私も夫には酷く傷つけられてきた。

そのたびに涙を流し、もう声も聴きたくないと思った。

でも、完全に関係を切ることができず怯えながら暮らす毎日で、心のよりどころが必要だった。

子どもは、大きなぬいぐるみが癒しだったようだ。

自分よりも大きいくらいの巨大サイズで、触り心地はフワフワだった。

その手触りを確かめながらウットリしている子どもを何度か目撃している(笑)。

私も時々触らせてもらったが・・・。

なるほど、非常に落ち着く気がした。

私の場合は子どもが癒しなんだけど、それ以外ではひたすら映画やドラマを見た。

アメリカのドラマがメインで、時々は日本の映画も。

日常生活を忘れ、ほっとできる時間だ。

本当に色んなものが揃っているので、月々数百円でかなり楽しめている。

そういう楽しみも、以前は夫の許可が必要だった。

で、映画を見たいからAmazonPrimeに入りたいと言ってみたこともあるのだが。

あえなく却下された。

『そんな時間あるの?』という言い分だったと思う。

そんなことを言うのなら少しは家のことをやってくれたら良いのに。

家のことは私の仕事という認識だったので、助けてくれることは無かった。

高熱が出た時でもお迎えを代わってくれないくらいだから期待するだけ無駄な話だ。

大学卒業後のほとんどの時間を一緒に過ごしたのに、愛情をもらったという記憶がほとんどない。

あったのは執着だけ。

2025年12月5日金曜日

夫の良き相談相手だったお洒落女子Sが突然消えた

サバサバ系女子は頼りになる

夫のとりまきの中には何人かの女性がいる。

その中の一人Sは夫の良き相談相手だった。

何があってもとにかく擁護してくれる。

だから、夫もちょっとした相談をよくしていた。

耳の痛いことを言ってくる相手を選ばないところが実にあの人らしい。

私たちが初めて顔を合わせたのは既に夫のモラハラ虐待が酷くなっていた頃だった。

その前から仲間内では姉御肌として慕われていて頼りになる存在だと聞いていたのだけれど。

会った時の印象はそのままだった。

私にも妹のように接してくれた。

最初から非常にフレンドリーで、内輪ネタの会話に入れない時には他の話題に切り替えるなど気遣ってくれて。

この人は他の友人たちとは少し違うのかも、なんて思ったりした。

夫なんて

「コイツ、ノリが悪くてごめんな~」

とまるでその話題に入ってこれない私が悪いみたいな言い方をするんだから。

そういう所も本当に嫌だった。

妻をディスることがカッコいいとでも思っているのだろうか。

少なくとも私は大事にしている人の方がよっぽどカッコいいと思った。

ただ、そこで下手な態度を取って夫の機嫌を損ねるのは避けなければならなかったから。

ニコニコしながらひたすら黙って愛想を振りまいた。

ああいう場面では夫の発言に対して周りの皆が『そうだよなー。気持ちわかるよ』という感じになる。

そんな中、Sだけは、

「今の発言はダメだよ!」

とビシッと指摘してくれるのが救いだった。

それまでサバサバ系女子というのは実際には大抵ネットリしているものだと思っていたのだが・・・。

Sのような人も存在するのだと、認識を改めた。


お洒落で優しかったSが居なくなった

夫のとりまきの中で唯一心を開ける相手だったSは、お洒落大好き女子でもあった。

いつも素敵でキラキラしていて、見ていて眩しかった。

私なんて子どもっぽいし、夫の命令によりスカートの丈まで決められていたから。

つまらない人間に見えているんだろうな、と卑屈に思うこともあった。

でも、一度も否定的なことを言われたことがない。

むしろ『似合ってるよ』と褒めてくれたり『このワンピースにはこういうタイプの靴が合うよ』とアドバイスをくれた。

なんだか本当のお姉ちゃんみたい。

実の姉は居るのだが、また違った方向で頼りになる感じで。

Sと話すのはいつも楽しかった。

夫の仲間との交流が続くのは嫌だけど、でもその間はSとも話せる。

そう思っていたのだが・・・。

Sは突然居なくなった。

実はSには長年付き合っている人が居て、相手は既婚者だった。

サバサバ系のSがそういう恋愛をすることは意外だったが、私がとやかく言うことでもないから黙って聞いていた。

どうやら消えた理由はその相手との駆け落ちらしく、直前に匂わせるような発言もあったようだ。

数か月後、別の町で暮らしていることが分かり一同はホッとした。

ただ、あれほどまでにつるんでいた仲間なのに、実はSのことをほとんど知らなかった。

実家も知らなければ、家の場所も知らない。

駅までは教えてもらっていたから、ざっくりとした場所なら分かるという程度だった。

そう言えば、あんなにみんなの話を聞いて面倒を見てきたSだったけれど自分の話はほとんどしなかった。

もしかしたら、Sが心を開ける相手はそこには居なかったのかもしれない。

ふと、駆け落ちした人がそういう相手なら良いな・・・なんて。

不謹慎だけど、そんなことを考えてしまった。

狭まる包囲網

逃げ続けることはできるのか 夫の再々就職後はある程度の自由があった。 その状態まで持っていくのには長い時間がかかったのだけれど。 家を出たばかりの頃はしつこい位に連絡が来ていて、そのたびに怯えた。 いつ居場所を突き止められて連れ戻されるか。 そう考えると気が気では無くて・・・。 ...