周りの視線にさらされて
夫の執拗な虐めは、大抵、家庭内で行われた。
一緒に出掛けることなんて
ほとんど無かったから。
外でそういう状況に
なりにくかったのだと思う。
気まぐれに、
一緒に外出したこともある。
体調が悪いとか、
気が乗らないとか、
普段は億劫そうにしているのに。
急に一緒に行きたがり、
子どもにも同行を強制する。
一緒に行ったら行ったで、
きっとまた嫌な思いを
させるくせに。
行きたくない。
子どもは頑なに
拒むこともあった。
でも、夫が納得しないので
最後は渋々了承した。
「うちで遊んでる」
そう伝えても、
「パパは(子ども)と一緒に出掛けたい」
と言って、聞き入れない。
結局、一緒に出掛けると、
案の定、いつも嫌な思いをさせられた。
直接的に攻撃を受けなかったのは、
夫の体調が悪くなった時だけ。
具合が悪い時には、
本人の意識が体調にフォーカスしている。
それで、私たちのことにまで
目がいかなかった。
体調の良い時には、
家の中と同様に粗探しをはじめ、
逐一文句をつける。
時には、
いきなり怒鳴り声を浴びせられて、
とても悲しい思いをした。
周りの視線に耐えきれなくなり、
目を伏せる私たち。
夫は頭に血が上ると
周りが見えなくなるのか、
いつも怒鳴り続けた。
辛い。
消えたい。
夫にどこかに行って欲しい。
そう思っても、
現実から逃げられるわけではない。
周りの好奇の目にさらされながら、
ただ耐え続けた。
自分たちだけじゃないと思いたくて
外で怒鳴られている人を
偶然見かけたことがある。
まるで、自分を見ているようで、
目が離せなくなった。
見られるのは嫌なはずだ。
そう分かっているのに、
どうしても目をそらせなかった。
なぜ、あんなにも
気になってしまったのか。
答えは明白だ。
「あんな目に遭っているのは
自分たちだけではない」
そう思いたかった。
私も相当歪んでいた自覚がある。
人が辛い思いをしているのに、
それを見てほっとするなんて。
だけど、
そう思わないと
やっていられなかった。
「他にも同じような境遇の人がいる。
だから、大丈夫」
そう自分に言い聞かせて、
少しでも楽になれる方へと
気持ちを向けようとした。
そんな私でも、
やっぱり子どもへの仕打ちだけは
見過ごすことができなかった。
いっそのこと、
夫が誰かと浮気をして
出て行ってくれないかな。
私たちに愛想を尽かして、
離婚してくれないかな。
そんなことを考えながら、
離れるタイミングを見計らった。
あの頃の生活は雁字搦めで、
少しの自由もなかった。
仕事から帰る時間まで管理され、
帰宅後も監視される日々。
自由なんて、一つもない。
逃げるきっかけが欲しい。
そんなことを考えるのは
間違っているのかな。
気持ちは揺れ動き、
定まらなくても、
自由を求める思いだけは消えなかった。






